30人いる!

20 名前:30人いる! その370 sage 投稿日:2009/05/10(日) 20:51:16 ID:???
第15章 笹原恵子の迷走
 
「こりゃ今日は1日、開店休業状態だな」
空を見上げて、春日部さんは呟いた。
今日は朝からどしゃ降りの雨であった。
店を構えての客商売の多くにとって、雨は大敵である。
一部例外があるとすれば、雨宿りの為の需要がある飲食店(それとて降り始めのほんの1時間程度の話で、1日の総売り上げは晴れた日より落ちる)か、傘屋ぐらいであろう。
春日部さんの店のように服を売ってる店には、特別な目的意識があって来店する場合以外、こういう日にフラリと立ち寄ることは少ない。

ラッキーなことに、今日は欠員だらけであった。
アルバイトの女の子たちの多くが、いろいろな理由で欠勤し、店には彼女とバイトの女の子が1人居るだけであった。
案外女の子たちが、今日の天気を見て客足が少なかろうと、気を使ってわざと休んでくれたのかも知れない。
店を経営する場合、経営者が1番悩むのは人件費だからだ。
店を開ける限りは、誰か店に配置しない訳には行かない。
つまり客が来ようと来よまいと、人件費は待った無しでかかる。
最悪でも、その人件費以上には売れてくれないと、赤字ということになる。
(まあ他にもいろいろ経費があるけど)
バイトの女の子は、朝から1日中掃除に没頭していた。
年末の大掃除のごとく、普段は手を付けない場所までも清掃している。
そして春日部さんは、裏の事務所で書類の束と格闘していた。



21 名前:30人いる! その371 sage 投稿日:2009/05/10(日) 20:52:29 ID:???
「店長、しばらくお願い出来ますか?」
バイトの女の子が、事務所のドアを開けて春日部さんに声をかけた。
店のフロアのモップがけが終わったので、裏に洗いに行くとのことだった。
その為、しばらく春日部さんに店番を頼もうという訳だ。
「わーった」
春日部さんは書類の束を抱え、店に移動した。

春日部さんが書類を整理しつつ店番をしていると、今日初めてのお客が来た。
入り口に見えた人影が誰であるか、最初春日部さんには分からなかった。
「恵子…なのか?」
春日部さんは、恵子が監督に就任したあの日以来、恵子に会っていなかった。
その間、恵子の容貌は急激に変貌していた。
笹原似のふっくらした頬は、げっそりとこけていた。
髪はポニーテールに束ね、眼鏡をかけていた。
かつては今時の女子高生風のケバいメイクだったが、今は最小限だ。
服装もTシャツにGパンにスニーカーと、実にシンプルだ。
(その上に小さなリュックを背負っていたので、最初春日部さんは、おしゃれ初心者のオタク女子が来たのかと思った)
「なのかってのはひでえな、姉さん」
恵子は引きつった笑いを浮かべた。
「服買いに来たってツラじゃねえな」
恵子の雰囲気に、何かを感じ取った春日部さんが言った。
そこへアルバイトの女の子が戻って来た。
「(バイトの子に)悪いけどしばらくお願い」
そう言い残して、春日部さんは恵子を連れて店を出た。



22 名前:30人いる! その372 sage 投稿日:2009/05/10(日) 20:53:40 ID:???
春日部さんと恵子は、店の向かいにある喫茶店に入った。
「わりい、腹減ってんだ」
恵子はそう言って大量の注文をし、猛スピードで食べ始めた。
ひと心地付いたところで、黙ってその様子を眺めていた春日部さんが切り出した。
「どうよ、映画の方は?」
恵子「順調だよ。今の現視研って、いろいろ詳しい奴や、器用な奴や、芸達者な奴や、よく働いてくれる奴や、優秀なのばっかだからね」
春日部「私が居た頃と、えらい違いだな」
恵子「ああ、毎日賑やかに楽しくやってるよ」
春日部「その割には、何か元気無いな」
恵子「寝不足だからね」
恵子はここ半月ほどの、自分の生活ぶりについて春日部さんに説明した。
春日部「お前が寝るヒマ惜しんでオタク修行とは、変われば変わるもんだな」
恵子「そんなんじゃねえよ。たださあ…」
春日部「ただ?」
恵子はコーヒーをひと口飲んで続けた。
「ひょっとしたら、探してる答えが見つかるかも知れんと思ってさ」
春日部「答え?」
恵子「あたしさあ、アニキと違って、昔から漫画もアニメもそんなに見てねえんだよな。それどころか映画すらあんまし見てねえし、せいぜいドラマぐらいだよ、見てるの」
春日部「…」
恵子「だからあたしには、そういうのの引き出しがねえんだよ」
春日部「そんで今、必死で引き出しに詰め込んでるって訳か」
恵子「そう。スーに特訓してもらって、脳みそ動くようになってくれたのはいいんだけど、動き過ぎて撮り方思い付き過ぎで、どう撮っていいか分かんねえし」
春日部「思い付くんなら、その通りに撮ればいいんじゃないか?」
恵子「それやったら、時間とフィルムが何ぼあっても足んねえよ」
春日部「言うねえ」
恵子「だからどうにかして、答えを見つけたいんだよね」



23 名前:30人いる! その373 sage 投稿日:2009/05/10(日) 20:54:59 ID:???
そこまで言って、不意に恵子は固まり、一瞬置いて再び口を開いた。
「いやひょっとしたら、答えはもうここ(頭を指差す)にあるのかも知れねえんだけどね」
春日部「頭の中に?」
恵子「あたしさあ、そういうとこは頭動くようになったのはいいんだけど、他は相変わらずバカだからさあ、あいつらに上手く注文出来ねえんだよ、どう撮って欲しいか」
レベルはともかく、恵子の作劇術はアンジェラの説にあった、キューブリックに近かったようである。
恵子「だからあたしは、ただひたすら偉そうにNGを繰り返すだけなんだよね。それがあいつらに申し訳無くてねえ」
(注)スタンリー・キューブリックは、カメラマン出身の監督なので、こういう画が欲しいというビジョンがあっても、どう演技して欲しいという引き出しが無い。
その為延々とリテイクを繰り返し、それに飽きて来た役者が行なう様々なアドリブの中から、その答えを探し出す。

「いいじゃないか、それで」
優しい笑顔で、春日部さんが言った。
恵子「いいのかなあ、それで?」
春日部「あんまし考え過ぎんなよ。むしろあいつらは、お前のあんまり大した考えも根拠も無しに偉そうに命令するとこ、気に入ってるんだから」
恵子「ひでえな姉さん。それ褒めてるの?」
春日部「褒めてるつもりだよ」
恵子「でもあいつら、真面目だし頑張ってるから、あんまし無茶出来ないんだよね。出来ることなら、いい作品残してやりたいし」
春日部「お前がそこまで作品の完成度にこだわるとはな」



24 名前:30人いる! その374 sage 投稿日:2009/05/10(日) 20:56:35 ID:???
恵子「あたしだって、出来りゃ適当にさっと終わらせたいんだよ。でもさあ…」
春日部「でも?」
恵子「頭ん中で、何て言うの?映画の神様みたいなのが、そうじゃないこうじゃないって、あれこれ注文して、納得するまで放してくれないんだよ」
春日部「だったら神様の言う通りに、行けるとこまで行くしかないんじゃないか?」
恵子「いいのかなあ、それで?」
春日部「大丈夫さ、お前には有能な仲間がいっぱい居るんだ。お前の足りないとこは、ちゃんとフォローしてくれるさ。だから迷わずに、やりたいようにやりな」
突然大粒の涙を流す恵子。
たじろぐ春日部さん。
春日部「ばっ馬鹿!何泣いてるんだよ!」
恵子「ありがとう、姉さん。何か吹っ切れたよ」

しばらくして、恵子はようやく泣き止み落ち着いて来た。
それに合わせるように、雨もやんだ。
恵子はふと窓の外に注目した。
恵子「姉さん、あれ何だい?」
恵子が言うあれとは、春日部さんの店の3軒隣の店のことであった。
ブルーシートが張られ、店の前に軽トラが停められ、何やら作業中だ。
春日部「ああ、あれか。宝石店なんだけど、この間バイクが飛び込んだんだよ」
恵子「そりゃ凄えな。店メチャメチャじゃん」
春日部「それがそうでも無いんだよ」
恵子「どして?」
春日部「店のショーウィンドウのガラスがさ、特製の防弾ガラスだったからだよ」
恵子「防弾ガラス?」
春日部「うちの店の、オープンの挨拶しに行った時に聞いたんだけど、売ってる物が物だから、ガラスだけは金かけたって店長が自慢してたよ」
恵子「じゃあ割れなかったんだ、ガラス」
春日部「さすがにひびは入ったらしいけど、店の中は無事だよ」



25 名前:30人いる! その375 sage 投稿日:2009/05/10(日) 20:58:45 ID:???
やがてブルーシートの中から、作業着姿の男2人が、大きなガラス板を持って出て来た。
ひびに沿って切り取ったせいか、いびつな四角形だ。
大きさは2メートル四方ほどであった。
それを見ていた恵子の目が輝き、不意に立ち上がった。
春日部「?」
恵子「わりっ、ちょっと行って来る!」
そう言い残して、恵子は外へ出た。

恵子は、軽トラにガラス板を載せようとしていた作業着姿の男2人に駆け寄り、ガラス板を指差して、何か話しかけていた。
そしてやや困惑気味の表情の男2人に、手を合わせて拝み倒すようにして、何か頼み込む。
やがて男2人は、根負けしたような顔で、ガラス板を道端に置き、店内に引き上げた。
一方恵子は携帯を取り出して、どこかにかけ始める。
春日部さんは、喫茶店から呆然とその様子を見ていた。
「あいつ、何やってるんだ?」

やがて恵子は喫茶店に戻って来た。
春日部「何やってたんだ?」
恵子「もらったんだよ、あのガラス板」
春日部「もらったって…どうすんのよ、あんなもん?」
恵子「(ニヤリと笑い)まあその内分かるよ」
そこへ先程の作業着姿の男の1人が入って来て、恵子に声をかけた。
「姉さん、ガラスあのまんまじゃ危ないから、端の方だけガムテープ貼っとくからね」
恵子「(会釈して)あ、すんません、お手数かけます」
いつの間にか、それなりに話し方を覚えた恵子を見て、春日部さんは優しく微笑んだ。



26 名前:30人いる! その376 sage 投稿日:2009/05/10(日) 21:00:29 ID:???
その後春日部さんと恵子は、いろいろ雑談をして、喫茶店内で過ごした。
1時間ほど経って、その喫茶店の前に、1台の軽トラが停まった。
恵子「やっと来たか」
春日部「えっ?あれ恵子が呼んだのか?」
恵子「まあね」
軽トラから降りて来たのは、斑目と伊藤であった。

店内に入って来る2人。
伊藤は平常通りだが、斑目は微かにキョドっている。
伊藤「遅くなりましたニャー」
恵子「おせえよ、ったく」
伊藤「さすがにうちで軽トラ持ってる人は居なかったですから、やむを得ず斑目先輩にお願いしましたニャー」
斑目「まあちょうどこっちに配達があったからな」
春日部「配達?」
斑目「最近うちの会社、水道設備の保守点検だけじゃ持たないから、パイプ類の販売もやってるんだよ」
春日部「大変だね。て言うか斑目、随分板に付いて来たな、作業着姿が。元々は確か、事務じゃなかったっけ?」
斑目「まあ零細企業だからね、うちは。社員は何でも屋さ」
一見自虐的な口調だが、ブルーカラーな格好が似合うようになったのを、男らしいと言われたと解釈したのか、若干キョドりつつも、心もち誇らしげな斑目であった。

数分後、ガラス板を軽トラに積み込んで、斑目と伊藤と恵子は引き上げた。
(ガラス板が荷崩れしないように、荷物番として荷台に伊藤が乗ることにしたので、助手席に恵子が乗れた)
1人残された春日部さんも店に戻ることにし、レジへと向かった。
「またやられたか…まあいいか、今日のとこは」
恵子はまたしても、料理の会計を忘れて帰ったのだった。



40 名前:30人いる! その377 sage 投稿日:2009/05/17(日) 19:49:09 ID:???
「こりゃいいっすね、監督!」
仰向けの体勢でカメラを構え、浅田は絶賛した。
「でもこれだと、2人が限度ですね」
その様子を見つつ、岸野が言った。
藪崎「せやな、ビデオ組と8ミリ組か、メイン組とサブ組のどっちかで、2回撮影せなあきませんな」
加藤「確かにそうね」

ここは現視研が野外ロケ現場とした造成地。
浅田が仰向けに寝転んでカメラを構えてるその上には、昨日恵子がもらって来た、宝石店のショーウィンドウに使われていた防弾ガラス板があった。
ガラスの四方の下4ヶ所には、ビール瓶のケースを3つ積み重ね、針金で固定したものが置かれていた。
つまりガラス板は、仰向けになった浅田の上に浮いている形になる。
そのガラスの上には、アルの着ぐるみ姿の日垣と、ベムの着ぐるみ姿のクッチーが立っていた。
有吉「でも大丈夫かなあ?2人も乗っかってアクションして、ガラス持つかな?」
恵子「大丈夫さ、バイクがぶつかっても割れなかったんだから。それに昨日、斑目さんと伊藤とあたしと3人で乗っかって暴れてみたけど、全然へっちゃらだったし」
そんな恵子をウルウルした目で見つめる国松。
恵子「何だよ千里?」
国松「やっぱり監督は、素晴らしい監督です!こんな凄い方法、それもかつて実用性を立証された方法を、誰に教わることも無く思い付くなんて!」
恵子「(照れて)たまたまだよ。あの2人(日垣とクッチー)でっけえのに、画で見るとあまりでけえ感じがしなかったんで、何とかしてえと考えてたらこうなっただけさ」



41 名前:30人いる! その378 sage 投稿日:2009/05/17(日) 19:52:11 ID:???
恵子が今回やろうとしているのは、ベム対アルの格闘シーンを、防弾ガラス越しに真下から撮ろうという撮影である。
これはかつて特撮ドラマ版「ジャイアントロボ」で、実際に行なわれていた方法で、怪獣の巨大感を出す為の演出法である。
なおこれは副次的な効果だが、「ジャイアントロボ」の特撮シーンの撮影の多くは、屋外に組まれたオープンセットで撮影された。
その為に太陽も背景に映り、当時の他の特撮作品に無いライブ感があった。
今回現視研も屋外での撮影なので、同様の効果が期待出来る。

ガラス板の大きさが大きさなので、撮影はカメラマンが2人ずつ交代で下に入り、何度かに分けて行なわれた。
そして終盤、アクシデントが起きた。
主に向かい合っての、取っ組み合いや殴り合い中心の殺陣が続いたのに飽きたのか、恵子がとんでもないことを言い出した。
「お前ら2人、どっちかがどっちか投げれないか?」
日垣「まあ基本的な投げ方は、国松さんに習いましたけど…」
朽木「それならベムの手では握れないから、僕チンが投げてもらいましょう」
日垣「いいっすか?」
朽木「僕チンも受身は習ってるから大丈夫だにょー」
こうしてアルがベムを投げるシーンが、急遽追加撮影されることになった。



42 名前:30人いる! その379 sage 投稿日:2009/05/17(日) 19:54:10 ID:???
日垣はクッチーの腕を取り、綺麗に一本背負いで投げた。
ここで誤算があった。
確かに防弾ガラス板は、クッチーが投げ落とされた衝撃でも割れなかった。
だが衝撃で予想以上に大きくたわんで揺れ、周囲のスタッフも押さえ切れなかった。
そしてその揺れにより、四方でガラス板を支えていた、ビールケースの柱のひとつが倒れ、ガラス板が落ちた。
この時にガラス板の下に入っていたのは、浅田と藪崎さんだった。

大慌てでガラス板をどかした一同は、しばし呆然と固まった。
浅田が藪崎さんの上に覆い被さっていたからだ。
やがて浅田が体を少し持ち上げ、2人は至近距離で見つめ合う形になった。
藪崎さんは赤面して激しく動揺した。
『なっ何この子、とっさに私のこと庇ってくれたん?』
『ひょっとしてこの子、私のことを!?あかん、私には斑目さんという人が…』
『でもこの子も近くでよう見たら、割とイケてるメガネ君やし』
心の中で高速回転で葛藤した藪崎さん、浅田に声をかけようとする。
「あっ、あの…」
それを遮るように、浅田が切り出した。
「大丈夫…かな?」
『私のこと、心配してくれたはる、この子!』
だが次の瞬間、浅田のひと言が、高鳴る乙女心を木っ端微塵に粉砕した。
「どうやら無事だな、DJ-100。俺のDVX-100も無事だし。(野球の審判のジェスチャー付きで)セーフ!よかったよかった」
どうやら浅田は、カメラマンの本能で、とっさにビデオカメラを庇いに行ったようだった。
藪崎「そっちかい!?おのれは財津一郎かゴラアアアアア!」
キレた藪崎さんは、思わず浅田にヘッドロックを喰らわせた。
浅田「ど、どうしたんですか、藪崎先輩!?痛ててててててててて!」
(注)財津一郎
日本中小企業福祉事業財団(日本フルハップ)のCM(関西ローカル)で、これに似た状況の寸劇をやっている。



43 名前:30人いる! その380 sage 投稿日:2009/05/17(日) 19:55:28 ID:???
午後の撮影は、タママのタママインパクト(口から発射するエネルギー弾)発射シーンの撮影のみで、その日の撮影は終わった。
先ず通常の着ぐるみでニャー子にタママインパクト発射のポーズをやってもらう。
そして次に、通常の顔と別に作った、タママインパクト発射時の顔(口が砲口状になり、顔がやや前後に長くなる)を装着して、同様のポーズをやってもらう。
後は発射ポーズの途中で顔が変化して行くように編集し、シネカリ(フィルムに軽く傷を付けて光線を描き込む8ミリ特有の特撮手法)でエネルギー弾を描き込めば完成だ。

その日、夕食を一緒に食べることにした、伊藤とニャー子の猫カップル。
だがファミレスに向かう途中、伊藤の携帯が鳴った。
伊藤「(ディスプレイを見て)監督からだニャー、何だろ?(電話に出て)もしもし伊藤ですニャー…えっ、今からですか!?」
ニャー子「?」
伊藤「分かりました、明日までに準備しますニャー(電話を切る)」
ニャー子「何かありましたかニャー?」
伊藤「ごめんニャー子ちゃん、かくかくしかじかな事情で、今から手配しなきゃならないニャー。済まないけど、ご飯はまた今度一緒に…」
ニャー「そういう事情なら、私も手伝いますニャー。町内会以外にも、学校や幼稚園なんかにも、あるかも知れないし、手分けして電話すれば早いニャー」
伊藤「ありがとうニャー子ちゃん!」

一方こちらは、明日の撮影に備え着ぐるみのメンテナンスをしている、日垣と国松。
国松「明日はドロロの撮影だから、特にドロロ念入りにチェックしないと」
日垣「そうだね。まあ明日は合成用のポーズだけだし(携帯が鳴り、ディスプレイを見る)あれ?監督からだ(電話に出て)はい日垣です…何ですって!?」
国松「どしたの?」
日垣「分かりました、じゃ明日までに用意しますんで(電話を切る)」
国松「何かあったの?」
日垣「実はかくかくしかじかな訳で、明日の撮影までに準備しなきゃならないんだ。国松さんの特撮知識フル動員しなきゃならないから、相談に乗って」



44 名前:30人いる! その381 sage 投稿日:2009/05/17(日) 19:58:55 ID:???
その日の夕方、笹原が帰宅すると、部屋に恵子が居た。
笹原「また来てたのか…」
恵子「お邪魔してるよ、アニキ」
笹原「何見てるんだ?」
恵子が見ているテレビは、画面が白黒であった。
空を駆けるように飛ぶ、黒い全身タイツ風コスチュームの怪人たちを、目の所に白い仮面を着けたヒーローが、空を飛んで追っていた。
(モノクロなので、実際は何色か分からんが)
よく見ると怪人もヒーローも、人形ではなく、実際に扮装した生身の役者が飛んでいる。
バックの背景は、背後にスクリーンを張って、別撮りの背景のフィルムを映写しているようだった。
恵子「千里に借りて来たんだよ。特撮で実際に人間が飛んでるやつ無いかって訊いてみたら、これ貸してくれた。えーとタイトルは…忘れちった。今巻き戻すね」
笹原「ああいいよ、またすぐ出るし。火の元と戸締りだけは忘れるなよ」
言いながら笹原は、着替え等の荷物を手早くまとめる。
恵子「泊まりなんだ」
笹原「うん、担当してる先生の原稿が遅れてるんで、今夜はカンヅメなんだ」
恵子「大変だね」
笹原「お前こそ、見るのはいいけど、ちゃんと寝ろよ。現視研の子たちも心配してるから」
恵子「でーじょーぶだよ。さすがに寝るのは寝るから」
笹原「そんじゃ行って来るから、あとよろしく」
恵子「おお、ご苦労さん」
笹原が出た直後、恵子はあるアイディアを思い付いた。
そして伊藤と日垣に、電話である指令を伝えた。
電話が終わり、再びビデオを見てから、恵子は床に就いた。
布団の中で眠りに落ちる刹那、恵子はふと思い出した。
「しまった、肝心の当人に電話すんの忘れた…まあいいか」



45 名前:30人いる! その382 sage 投稿日:2009/05/17(日) 20:00:04 ID:???
そして次の日。
「聞いてませんよ〜〜〜〜!!!!!!!!!」
櫓の上から、ドロロスーツ姿の沢田が絶叫した。
「言ったよ、今さっきな」
平然と恵子は、櫓の上を見上げて答えた。

当初ドロロとベムとの対決シーンの撮影は、合成を駆使して行なわれる予定だった。
だが前日になって恵子が、伊藤と日垣に「明日のドロロのアクションさあ、やっぱ生身のアクションで撮りたいから、実際に吊るしてやるからな」と告げ、準備させたのだ。
伊藤「いやあ、大変でしたニャー。町内会に連絡して、盆踊り用の櫓を急遽借りて来ましたニャー」
浅田「でも、どうやって撮影するんです?ピアノ線か何かで吊るすんですか?」
恵子「まあ吊るすことは吊るすんだけど、あの櫓と崖の間に糸張って、そこを吊るしたドロロが滑って来るんだ」
沢田「無理ですよ〜そんなの〜!」
恵子「でーじょーぶだよ。なっ、日垣?」
一同が注目すると、日垣はポケットから、釣り糸用の糸巻きのような物を取り出した。
荻上「それは?」
日垣はその糸巻きから、糸を引っ張り出す動作をした。
日垣「どうです、見えますか?」
凝視する一同。
荻上「見えない…な」
台場「私もです」
浅田「俺も見えないな」



46 名前:30人いる! その383 sage 投稿日:2009/05/17(日) 20:01:05 ID:???
「あった!これであります!」
スーは日垣の手元から、何かを手繰り寄せて、一同の前にかざした。
一同「見えた!」
至近距離まで近付いて、ようやく見えたそれは、蜘蛛の糸のような細い糸であった。
荻上「これは?」
日垣「特殊繊維です。こんなに細くてしなやかなのに、ピアノ線以上の強度があります。本来は、プロの手品師が手品のタネに使うらしいんですけど」
大野「そんなの、どうしたんですか?」
日垣「この間、爆破シーン撮影に行った帰りに、小野寺さんにもらったんですよ」
荻上「何であの人、そんなもん持ってたの?」
日垣「何でも昔、バイト先の上司の人にもらったそうなんです。特に使うこともなくサバイバルキットに入れて持ち歩いてたそうなんですけど、特撮やるなら持ってけって」
荻上『だから何でそんなもんを?そもそも何でサバイバルキットなんて、普段持ち歩いてるの?何なのよ、あの人の昔のバイトって?』
国松「小野寺さんも私に渡してくれれば良かったのに。これでも一応特殊技術(特技監督)なんだから」
日垣「それはもう言いっこ無しだよ。だから昨夜、どうやって撮るか相談したじゃないの。多分俺がでかいから、こういう撮影やるなら俺担当と思ったんだよ、小野寺さん」
巴「で、その糸くれたバイト先の人って、どんな人なの?」
日垣「俺も詳しくは聞かなかったけど、何でもその後殺人事件やらかして、死刑判決下ったらしいよ」
一同「死刑!?」
日垣「何年か前に、海外の死刑囚が何人か一斉に脱走して、何故かみんな日本に逃げて来たって事件があったでしょ?その事件の犯人の1人らしいんだ、そのバイト先の上司の人」
一同『ますますもって謎だなあ、小野寺さんって…』



47 名前:30人いる! その384 sage 投稿日:2009/05/17(日) 20:03:05 ID:???
こうして沢田は、ドロロスーツで空中に張られた糸の間を滑空する破目になった。
手順はこうだ。
先ずロケ現場の崖の、地面から2メートルほどの高さの地点に、杭を打ち込む。
上手い具合に、そこは人が数人立てる程度の広さの、棚のようになっていた。
そして崖の杭から20メートルほど離れた地点に、櫓を立てて、杭と櫓の間に例の糸を張る。
さらにドロロの背中に、例の糸で作った輪を着ける。
最後に杭と櫓の間の糸を輪の中に通すようにし、それによってドロロが滑空し、崖の前に立ったベムに斬りかかり、それを撮影する訳である。

沢田「無理ですよ〜!監督〜!」
恵子「人間死ぬ気になれば、何でも出来る!でーじょーぶさ、お前居合い抜きの練習はやってただろ?ならやれるさ」
沢田「そんな〜!」
日垣「大丈夫だよ沢田さん。撮影前に、俺自身で滑空して試してみたから」
朽木「おお、日垣君の体重に耐えられるなら、沢田さんなら余裕だにょー」
こうして沢田は、清水の舞台ならぬ盆踊りの櫓から、糸付きでアイキャンフライする決意を固めた。

リハーサルは凄惨を極めた。
「ひえええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!」
何度と無く繰り返される滑空のたびに沢田は絶叫を上げ、最初の数回は刀を抜く暇も無く、崖に辿り着いた。
ちなみに崖の終着点には、巴とアンジェラの怪力女子コンビが沢田をキャッチすべく待機していた。
何回目からかの滑空から、刀が抜けるようになり、回数がふた桁を超えてからもさらに繰り返して、ようやくベムに切り付けることが出来るようになった。



99 名前:30人いる! その385 sage 投稿日:2009/06/03(水) 20:30:54 ID:???
「彩、大丈夫?」
休憩の際、そう呼びかける神田に対し、沢田は虚ろな顔で笑って応えた。
「ハハ、ハハハハハハ…」
巴「監督、彩壊れてません?」
恵子「でーじょーぶだよ、こういう顔になった時、人間は普段出せない力を出せるんだよ」
アンジェラ「てゆーか、経験者語る?」
豪田「だんだんアンジェラ、バリエーション増えて来たわね」
伊藤「そういうとこまで、モアちゃんに似て来ましたニャー」

そしていよいよ本番となった。
恵子の言う通り、何度も死線をくぐり抜けて来たせいか、沢田の中で何かが目覚めたようであった。
度胸が据わって来たのか、自ら櫓を蹴って発進し、今までで1番の速度で滑空した。
そして本物のドロロばりの素早さで抜刀し、タイミングぴったりでベムに斬り付けた。
だが恵子がカットの声をかけようとして瞬間、事件が起きた。
糸を括り付けていた、崖に打ち込んであった杭が切れたのだ。
確かに糸そのものは頑丈で切れないが、その細い糸が頑丈過ぎる為に、糸によって杭が切断されてしまったのだ。
何度もリハーサルで滑空を繰り返したので、負荷が掛かり過ぎた為であった。
(ちなみに、小野寺が後日語ったところによると、糸の元々の持ち主の死刑囚は、日本に逃げて来た際にある高名な空手家と格闘になり、その手首を糸で切断したそうだ)
その結果、沢田は滑空で加速した状態のまま、突然空中に放り出されることになった。
突然のアクシデントに固まる一同。



100 名前:30人いる! その386 sage 投稿日:2009/06/03(水) 20:32:28 ID:???
だが意外なことに、沢田は体をきりもみ状に回転させ、さらにきりもみ回転中の体を捻り、複雑な回転で落下の衝撃を緩和して、体操競技のような見事な着地をして見せた。

『このままじゃ私死んじゃう!』
空中で死を悟った沢田の脳内で、何かが弾けた。
不意に彼女の脳内に、これまでの19年足らずの生涯の、あらゆるシーンが一挙に蘇った。
『何か、ヤオイネタの漫画とSSばっかりね、私の人生って。これでよかったのかなあ…』
そしてその途端、世界の流れが、コマ送りのようにゆっくりとなった。
あっと言う間に落下しているはずなのに、まだ糸で吊るされながらゆっくりと落下してるように、彼女自身には感じられた。
沢田は落ち着いて体を捻り、徐々に姿勢を整え、足元からゆっくりと着地した。

人は死の間際、これまでの生涯の記憶が、走馬灯のようによみがえると言われている。
この際に人は強烈な集中力を発揮する。
この集中力があれば、あらゆる物の動きがスローに見え、例えばボクサーのパンチやムエタイのキックすら、余裕で見切ることが出来るという。
さらに沢田は集中力に加え、死の直前の極限状態に置かれたことで、大量のアドレナリンが分泌され、普段あり得ない身体能力を発揮した。
沢田の神技的着地は、この2つの要因によるものだった。

着地から数秒遅れて、スタッフ一同から拍手と歓声が上がった。
呆然とする沢田に、みんなが駆け寄り、賛辞の言葉をかけた。
伊藤「凄いですニャー、沢田さん!」
巴「あんな凄い動き、私だって出来ないわよ!」
アンジェラ「てゆーか、疾風怒濤?」
スー「(渡辺久美子似の声で)凄エヨ!オ前絶対あさしん入レルヨ!」



101 名前:30人いる! その387 sage 投稿日:2009/06/03(水) 20:34:43 ID:???
みんなに声をかけられて現実に戻った沢田の中で、再び何かが壊れた。
「ひどいよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!」
そう絶叫し、泣きながら走り去る。
それを呆然と見送る一同。

その呆然とする一同には、当然ながら恵子も含まれていた。
いや正確には、糸が切れた瞬間から、恵子はずっと固まっていた。
その呪縛を解いたのは、浅田のひと言だった。
「監督、まだカメラ回しますか?」
そう、突然のことに恵子はカットの言葉が出なかった為に、カメラは回り続けていたのだ。
止めようとした瞬間、恵子の脳内でも何かが閃いた。
そしてこう言い放つ。
「このまま回せ!」
カメラマン一同の目の色が変わった。
恵子のひと言は、カメラマンが最も燃える台詞だからだ。
この映画の撮影によって、浅田と岸野だけでなく、加藤さんと藪崎さんの中にも、カメラマンの本能のようなものが芽生え始めていた。
「すぐにドロロ追っかけろ!」
恵子がそう叫ぶよりも前に、4人は沢田を追って走り出していた。

着ぐるみを着けていた状態ということもあり、沢田は20メートルも走らない内に止まり、体育座りの体勢で蹲っていた。
カメラマンを先頭に追いついた現視研一同に取り囲まれた沢田は、トラウマスイッチの入ったドロロに似た、負のオーラを放っていた。
(解説)トラウマスイッチ
ケロロ小隊のドロロは、子供時代は虚弱体質で、幼馴染のケロロから、悪質ないたずらや悪ふざけの標的にされがちだった。
その為ドロロは、今でも何らかの拍子に過去の記憶が甦ると、いじけて延々と陰にこもる。
その状態を通常「トラウマスイッチON」と表現する。



102 名前:30人いる! その388 sage 投稿日:2009/06/03(水) 20:36:50 ID:???
沢田は何やらブツブツとつぶやいていた。
録音係の沢田が出番な為に、今日だけ録音係を務める台場が、沢田にマイクを向ける。
「いつもこうなんだ、監督は。この間の屋根から逆さ吊りの時だって…」
そんな愚痴を延々と続ける沢田に、呆然とする一同。
豪田「どうしよう、彩がリアルトラウマモードドロロになっちゃった…」
荻上会長が沢田に近寄ろうとしたその時、いち早く恵子が沢田に駆け寄った。
そしてドロロの頭部を外す。
頭にタオルを巻いた沢田の泣き顔が見えた。
その肩に手を置いて、恵子は優しい笑顔で言った。
「よくやったな彩。おかげでいい画が撮れたよ。ありがとう」
そう言われた沢田、泣き崩れつつ恵子の胸にすがり付いた。
なだめるように頭を撫でてやる恵子、カメラマンに叫んだ。
「よしカット!お疲れ!」
このドロロの糸が切れてからトラウマモード解除までの一連のシーンは、後日学祭にて本編と同時上映された、メイキング映画のクライマックスに使われた。

その後、沢田が落ち着きを取り戻したので、ドロロでいくつかの予備カットを撮って、その日の撮影は終了した。
そこで再び事件が起きた。
櫓を撤去する際に、伊藤が櫓を倒してしまったのだ。
櫓が倒れた先には、台場が居た。
一同「危ない!」



103 名前:30人いる! その389 sage 投稿日:2009/06/03(水) 20:39:42 ID:???
だが台場は俊敏な動きで横っ飛びし、サッカーのゴールなら端から端まで届きそうな飛距離のジャンプを見せて、櫓をかわした。
しかも着地の際には、空中で1回転して見事な着地を決めた。
一瞬呆然とする一同。
台場の運動神経がいいことは、4日目の撮影で知っていたが、前回はソフトボールのピッチャー役だったので、こういう形での披露は無かったからだ。
(夏美のソフトボール部助太刀のシーンでの、相手チームのピッチャー役だった)
真っ先に我に返ったのは、伊藤だった。
「(駆け寄りつつ)ごっ、ごめんなさいだニャー台場さん!」
みんなも我に返り、台場に駆け寄る。
日垣「大丈夫?」
巴「怪我無かった?」
台場「うん、大丈夫」
豪田「それにしても、凄い動きだったわね」
巴「ほんとほんと、私でも無理かも」
アンジェラ「てゆーか八面六臂?」

ただ1人、恵子だけは動かなかった。
そして台場を見つめ、何か考え込んでいた。
やがて考えがまとまったのか、みんなに近付く。



104 名前:30人いる! その390 sage 投稿日:2009/06/03(水) 20:42:21 ID:???
恵子「おい伊藤、その櫓今日中に返さなきゃいけねえのか?」
伊藤「まあそういう約束ですが…」
恵子「すまんがもう1日借りれるように、頼んでくれるか?」
一同「えっ?」
伊藤「まあ、この季節なら使わないだろうし、何とか頼んでみますニャー」
恵子「よしっ。おい日垣、ちょっと耳貸せ」
大きく体を傾けて、耳を寄せる日垣に、恵子が耳打ちする。
日垣「(恵子から離れ)えっ、今夜中にですか!?」
恵子「無理か?無理ならもちっと借りれるように、伊藤に頼ませるけど」
日垣「い、いえ、何とかやってみます。ただ台場さん、目が悪いのがちょっと…」
恵子「あっそうか…(少し考え込み)大丈夫、何とかするから、ちょっと待ってろ」
一同「???」
恵子「晴海、お前眼鏡無しじゃ動けないか?」
台場「ちょっと厳しいですね。視力0,1無いですし、乱視入ってますから」
恵子「そっか…予備の眼鏡とかあるか?」
台場「(自分のバッグから眼鏡を出し)ええありますよ。割ったら大変なんで、いつも持ち歩いてるんです」
恵子「(眼鏡を取り)わりい、ちと借りるぞ」
台場「あっ…」
恵子は眼鏡を日垣に渡した。
恵子「ちょっと耳貸せ(何やら日垣に耳打ちする)」
日垣「ああなるほど、それなら何とかなりますよ」
荻上「あの、何やるつもりなんです?」
恵子「それは明日の、お・た・の・し・み」



105 名前:30人いる! その391 sage 投稿日:2009/06/03(水) 20:44:56 ID:???
そして翌日。
本日櫓の上に立ったのは、台場だった。
目のところに仮面を着け、ミニスカートの忍者風コス姿だった。
つまり恵子は台場のずば抜けた身のこなしを見て、東谷小雪役として急遽抜擢し、当初の脚本に無かった小雪の登場シーンを追加したのだ。
小雪はドロロの相棒的存在の、くの一の少女である。

「大丈夫、日垣君?」
そう国松に声をかけられた日垣は、目の下に隅が出来ていた。
日垣「大丈夫だよ。まあ結局、徹夜になっちゃったから眠いけどね」
国松「それにしてもひと晩で、よくあのコス作れたわね。それも仮面のとこに、眼鏡のレンズ組み込むなんて芸コマなことやって」
日垣「まあ小雪のコスは簡単だからね。それに手甲脚絆と刀は、部室のコス在庫の中にあったし」

台場は昨日の沢田以上に、きわどいアクションをこなした。
基本的なアクションは昨日同様、特殊繊維の糸を高速で滑ってベムに迫り、切り付けるという流れだが、空中で腰の後ろの刀に手を回す際に、背中の糸の輪の結び目を解くからだ。
これにより、台場は空中で糸から解放されることになる。
そして空中で抜刀して、フライングボディーアタックのように、切り付けつつ体当たりし、その反動で飛び上がってバク転して着地という流れだ。
台場はリハーサル1回だけで、本番も1発オッケーだった。
浅田「それにしても台場さん、才能無駄使いしてるなあ。体育大学入って体操でもやってたら、いい線行ってたんじゃないか?」



106 名前:30人いる! その392 sage 投稿日:2009/06/03(水) 20:46:16 ID:???
急遽追加された小雪の登場シーンの撮影が終わり、現視研一行は休憩に入った。
この後は、タママ、ギロロ、ドロロの3人が、ベムに吹っ飛ばされて岩にぶつかるシーンの撮影だ。
休憩する一行の方に、見慣れた軽トラが近づいて来た。
斑目の会社の軽トラだ。
斑目「よう、差し入れ持って来たぜ」
斑目が出した差し入れとは、ジュース類だった。
荻上「ありがとうございます。(会員たちに)ちょうどいいから、このままお昼にしましょうか」
斑目も昼飯を用意していたので、現視研一行と一緒に昼食を取りつつ、談笑し始めた。

そんな中、談笑中の斑目に鋭い視線を向ける者が居た。
恵子だ。
楽しそうに会員たちと話す斑目を、食い入るように見つめる。
やがて恵子の中で、ある考えがまとまった。
そして斑目に近付き、不意にその肩に腕を回した。
恵子と言えども、女子の体に接触したことに過剰反応し、赤面滝汗になる斑目。
恵子「ラメさん、明日の土曜日ヒマ?」
斑目「まっ、まあヒマだけど…」
恵子「そんじゃあさあ、明日もここに来てくれるかなあ?」
斑目「はいっ?」
恵子「(斑目に半ば抱き付くようにして)オッケー?」
斑目「はっ、はいっ!」
総受け体質ゆえに、つい承諾してしまう斑目であった。
恵子「よしっ、伊藤、日垣、千里、ミッチー、ちょっとこち来い」
呼ばれた面々が集まると、恵子は円陣を組むようにして何やら話し始めた。



117 名前:30人いる! その393 sage 投稿日:2009/06/07(日) 18:34:36 ID:???
「何ですと〜!?」
恵子が集めた面子が、一斉に声を上げた。
荻上「どうしたの?」
恵子「明日ちょっとだけ追加シーンを撮るんだよ」
一同「追加シーン?」
恵子「(斑目の肩に腕を回し)主演はこの旦那さ」
斑目「俺〜!?」
一同「何ですと〜!?」
恵子「で、助演はミッチーだ」
一同「何ですと〜!?」
恵子「まあ金髪キャラなんで、スーってのも考えたんだけど、スーじゃちっこ過ぎるからな」
一同「金髪キャラ!?」
ちなみに後述するが、神田の演じる予定のキャラの設定上の身長は148センチなので、身長の問題に限って言えば、実はスーでも問題無い。
伊藤「また町内会に延滞のお願いしなきゃならんですニャー。まあ多分それは大丈夫だけど、シナリオも今夜中に直しですニャー」
国松「伊藤君、演じる人が人だから、シナリオ出来次第連絡ちょうだい。操演(主にミニチュア等を吊っての特撮のこと)の仕掛け、考えるから」
伊藤「了解ですニャー」
日垣「今日は寝られるかなあ…」
国松「幸いマスク以外は有り物で流用出来そうだから、後で田中先輩に連絡してみましょうよ」
日垣「そのマスクが手間なんだけどね」
神田「私4日目に顔出しで出てる(夏美が助っ人に入ったソフトボール部の対戦チームの1人)けど、大丈夫かな?」
伊藤「試写で見た限りでは、真正面から顔映ってるショットは少ないから、何とか誤魔化せますニャー」
荻上「いったい何をやるつもりなんです?」
恵子「それは明日のお・た・の・し・み」



118 名前:30人いる! その394 sage 投稿日:2009/06/07(日) 18:36:17 ID:???
「すいません、急な話で」
日垣は国松と共に頭を下げた。
「いいよいいよ、まあ中に入ってよ」
自室のドアの前で、出迎えた田中が応えた。

2人は田中の自室に入ると、田中に今回コスの必要なキャラのイラストを見せた。
田中「なるほど、これなら大半は有り物で済みそうだな。問題はマスクだけか」
日垣「どうもお手数をお掛けします」
田中の自室を見渡す2人。
日常生活とコス作りに必要なスペースを除いて、部屋はコスで占領されていた。
田中「たださあ、ここにあるコスの9割は大野さんのだからなあ…向かいに探しに行くかな」
2人「向かい?」

田中は2人を連れて自室を出ると、アパートの向かいにあるガレージに向かった。
1台1台の駐車スペースに、ちゃんと屋根も壁もあり、入り口がシャッターになっているタイプのものだ。
シャッターの1つを田中が開けると、2人は思わず感嘆の声を上げた。
「こっ、これは?」
ガレージの中には、所狭しとコスが並んでいた。
こちらは自室と違い、男性用と思われる物や、大野さんには明らかに小さい物など、バラエティーに富んでいる。
田中「俺の部屋には置き切れない分の置き場として、ここを借りてるんだよ」
国松「そうだったんですか、私はまたてっきり、車でどこかに取りに行くのかと」
田中「(苦笑して)俺は車は持ってないよ。そんな金無いし」



119 名前:30人いる! その395 sage 投稿日:2009/06/07(日) 18:37:32 ID:???
日垣「でもこのコスって、誰用なんですか?失礼ですけど、サイズ的に大野先輩用とも田中先輩用とも思えないんですけど」
田中「大学の外のレイヤー仲間のだよ」
国松「そりゃまたどういうことです?」
田中は事情を説明し始めた。
大野さんと付き合い始めてからは、大野さんのコスばかり作っていた田中だったが、それ以前は主にイベント会場で知り合った、レイヤー仲間のコスを作っていた。
(まあたまに、春日部さんや荻上会長のコスも作ってたけど)
田中のコスは仲間内でも好評だったので、注文は殺到した。
多くの仲間は多額の謝礼を払おうとしたが、田中は材料費プラスアルファ程度の金額しかもらわなかった。
それでも大野さんのコスの材料費を賄える程度の稼ぎにはなった。

ただ問題は、コスのその後であった。
不朽の名作のキャラのように汎用性の高いコスならともかく、その時の流行りの作品のキャラのコスは、多くの場合1回限りの消耗品である。
(同時期にイベントが続けば、続けて使用することもあるだろうが)
その為イベント終了後、死蔵品と化すコスも多い。
ここで多くのレイヤーは、コスの処遇に困る。
安い市販品ならば捨ててしまう場合も有り得るが、田中の渾身の作ともなると、とても捨てる気にはなれない。
かと言って、田中のレイヤー仲間に限っては、家に置いておくのも問題があった。
田中は中学の頃からコスを作っていた。
ガレージに置いてあるコスの多くは、中学から高校にかけての時期に作ったものであった。
田中の趣味に理解のある(と言うよりあきらめている)田中の家族と違い、多くの未成年のレイヤーの家族は、コスプレには無理解だ。
田中の中学時代が90年代末ということもあり、まだ世間一般にはコスプレというものは、変態趣味の一種のように思われていたからだ。
田中「そんな訳で、結局使用後のコスの多くは、俺が引き取ったって次第さ」
国松「まるで無縁仏の供養ですね」



120 名前:30人いる! その396 sage 投稿日:2009/06/07(日) 18:39:35 ID:???
そして翌日。
崖の上に立ち、斑目は叫んだ。
「何で俺はここに居る〜!?」
その傍らに立った神田が、にこやかにツッコんだ。
「それ今日7回目ですよ」

今日の斑目の服装は、皮ジャンにジーンズにブーツという、普段あまり見られない格好だ。
その下には厚めにパットか何か入れているらしく、斑目にしては筋肉質なフォルムになっていた。
そしてその顔は、メカニカルでメタリックなマスクで覆われていた。
一方傍らの神田は、上半身は白いシャツの上からベスト、下半身はミニスカートにブーツという格好だ。
ベストとミニスカートにはフリンジ(ウェスタン・ファッションによく見られる、ヒラヒラの飾り)が付いている。
そして頭には金髪のヅラを被り、さらにその上から、バニーガールのようなウサギの耳状の飾りを着けていた。
つまり斑目と神田は、宇宙探偵556(コゴロー)とその妹ラビーを演じるのだ。
宇宙探偵556とは、ケロロの幼馴染のヒューマノイド型宇宙人で、姿形は「宇宙刑事ギャバン」の大葉健二に似ている。
(て言うか、大葉健二をモデルにして、キャラデザインされている)

「おーいミッチー、そろそろ撮影始めるから下がれ!」
崖の下から恵子が叫んだ。
その周囲には、撮影スタッフが待機していた。
ちなみに今日の記録係は、台場が担当する。
恵子「斑目さーん、昨夜ちゃんと練習して来たかー!?」
「ああ、ちゃんとビデオ見ながらやったよー!」
そう言うと斑目は、大きく脚を左右に広げて少し腰を落とし、体を左右に捻りながら、両手を振ったり上げたり前に出したりして、ポーズを決めた。
練習したのは本当らしく、一夜漬けにしては様になっていた。



121 名前:30人いる! その397 sage 投稿日:2009/06/07(日) 18:41:42 ID:???
本日撮影するのは、次のようなシーンだった。
@崖の上に556登場
A崖から飛ぶ556
B空中からベムに斬り付けるものの、撃退される556
C吹っ飛ばされてダウンする556と、その横で謝るラビー

@のシーンはほぼその通りだが、Aはもちろん本当に飛ぶ訳じゃなく、崖によく似た形の、高さ1メートルほどの岩から飛び降りて撮影する。
上手い具合にその低い岩の背後は開けているので、煽りで撮れば誤魔化せる。
Bは先日沢田や台場が使った、櫓と崖の間に張った特殊繊維の糸を伝って飛んでの撮影だ。
斑目は受身の特訓はやっておらず、ぶっつけ本番に等しいので、ベムに叩き落とされたところでカットし、Cは分けて撮影する。
Cは岩型のマットを密集させておき、そこへ2人掛かりでゆっくりと斑目をスローイング。そこへ神田が割り込んで、いつもの台詞「すみませんすみません、兄が役立たずですみません」と謝るという流れだ。

恵子「あれっ、日垣は?」
国松「バスの中で寝てますよ。昨日も徹夜だったんで」
恵子「わりいけど、そろそろ起こしてくれ。あいつも吊るす係に要るし」
国松「分かりました」
バスに向かう国松。
伊藤「日垣君は大変ですニャー。ひと晩で556のマスク作っちゃうんだから。その点僕は脚本の追加と、櫓のレンタルの延滞のお願いだけでしたからニャー」
荻上「ところで恵子さん、何で斑目さんのシーンを追加したの?」
恵子「いやさあ、ラメさんの声聞いてたら、556に似てるなあと思ってさあ」
荻上『中の人ネタかい!』
SSの登場人物がやってはまずい、危険なツッコミをつい心の中でやってしまった、荻上会長であった。



122 名前:30人いる! その398 sage 投稿日:2009/06/07(日) 18:44:00 ID:???
何度かリハーサルを繰り返し、いよいよ本番となった。
やはり撮影は、冥府魔道の道行きとなった。
@とAは順調に1発オッケーだった。
Bを撮影する前に落ちる感覚を味わった方がいいと考えたのか、Bの失敗で負傷した場合でも完成出来るようにする為か、先にCを撮影し、これも1発でオッケーだった。
問題は実際に斑目が吊るされるBであった。
何回も斑目をダイブさせる訳に行かないと考えたのか、Bだけはリハーサル段階から実際にカメラを回した。
もし使える画があれば、それも使うのだ

「ひええええええええええええええ!!!!!!!!!!」
やはり斑目も悲鳴を上げた。
居合抜きをやった沢田や台場と違い、斑目は吊られるスタート地点から竹刀を握った。
これをベムに空中から斬り付け、それをベムが防いで556を叩き落すという流れだ。
得物が竹刀なのは決してギャグではなく、ケロロ本編でも556の武器が竹刀だからだ。
(まあその設定自体がギャグなのだが)
556の武器はレーザー竹刀と言い、刀身の部分にレーザーの刃を張り、それで斬り付けるというものだ。
(ちなみに556の元ネタになった宇宙刑事ギャバンは、実剣の刀身部にレーザーの刃を張るレーザーブレードを使う)

この殺陣が予想以上に大変だった。
さほど運動神経がいい訳でもない斑目が、慣れない吊り特撮で吊るされたのに加え、刀身の長い竹刀を持つことで、バランスが取りにくいのだ。
竹刀を振るう以前に、まっすぐ滑空することが出来ない為に、結果斑目は10数回以上も滑空する破目になった。



123 名前:30人いる! その399 sage 投稿日:2009/06/07(日) 18:46:30 ID:???
神田「シゲさん、大丈夫ですか?」
マスクと眼鏡を外し、大の字になった斑目に、神田は声をかけた。
(注)日垣の作った556のマスクは、眼鏡をかけたまま装着出来るのだ。
斑目「ははは…アムロ、時が見えるわ…」
スー「酸素欠乏症でありますなあ」
アンジェラ「そういうことなら私が…」
藪崎「何や、また人工呼吸か?」
図星だったらしく、滝汗状態でピタリと止まるアンジェラ。
だが立ち直りは早かった。
アンジェラ「(斑目の手を取り、自分の胸に持って行きつつ)じゃあ心臓マッサージで…」
藪崎「(アンジェラの手を取り)ちょ待て!心臓マッサージする方が、相手の手え胸に持ってってどうすんねん!?」
アンジェラ「あっ、間違えたあるね、テヘッ」
藪崎「間違え過ぎや!」
国松「あの、コントやってる場合じゃないんですけど…」
スー「押忍!しからば、また自分がテリオスで…」
沢田「いやスーちゃん、シゲさん意識はあるから!」
(注)スーは夏コミで、気絶して心停止した斑目の心臓にブーメランテリオスをぶち込み、蘇生させることに成功している。
詳しくは「26人いる!」参照。

「お前ら、何やってんだ?」
背後からかかった声に一行が振り返ると、そこには春日部さんが立っていた。
恵子「姉さん?」
荻上「こんちわ、どうしたんですか今日は?」
春日部「この近くに住んでる、店の出資者の人に用があってな。そのついでに大学に寄ってみたんだけど、ここでロケしてるって貼り紙があったから、来てみたって訳さ」
朽木「(敬礼し)見回りご苦労様であります!」



124 名前:30人いる! その400 sage 投稿日:2009/06/07(日) 18:49:36 ID:???
春日部「で、何かあったのか?」
荻上「実は…」
荻上会長が春日部さんに事情を話してる間、恵子は2人と斑目を交互に見つつ何か考え始めた。
そしてある考えがまとまった。
恵子「姉さん、あっ春日部姉さんの方ね、ちょっとこっちへ」
春日部「何だよ、猫でも呼ぶような手招きしやがって」
恵子は春日部さんに何やら耳打ちした。
春日部「いいのか、そんなことして?」
恵子「多分その方が元気出ると思うんだ、斑目さん」
春日部「(少し考え)じゃあやるか」
春日部さんは斑目に近付く。
斑目はまだ目が虚ろだ。
春日部さんは斑目に馬乗りになり、往復ビンタをかました。
斑目「(慌てて眼鏡をかけ)なっ、なっ、なっ?????」
春日部「目え覚ませ、斑目!」
それを見てハラハラする一同。
だが恵子は自信満々の表情だ。
次第に斑目の目の焦点が合い、意識がはっきりして来た。
そして最大出力で赤面滝汗状態になった。
斑目「かっかっかっ春日部さん、なっ何やってるの?」
春日部「そりゃこっちの台詞だ。後輩の映画に出てやるんなら、気ぃ入れてやれよ」
春日部さんが上から退き、斑目もようやく立ち上がる。
『やっぱり俺、まだ今のとこは、春日部さんの愛の鞭が、1番効くみたいだな』

この春日部さんの愛の鞭効果により、斑目は空中で竹刀を振るうことに成功した。
まあもっとも、もちろんそれだけではなかった。
日垣と国松によって、斑目の体のあらゆる箇所に、蜘蛛の巣のように縦横無尽に糸を張り巡らし、カメラの外から糸で引っ張って、操った結果でもあった。
斑目「俺はサンダーバードの人形ですか…」




逆噴射J ◆lW31l/VtQc mirrorhenkan