- ピカチュウ「昔は良かった・・・」
- 576 名前: ◆ihjpPTk9ic sage 投稿日:2008/12/23(火) 20:10:03.13 ID:FVZgpbky0
- 再開する
- 582 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/23(火) 20:49:27.58 ID:FVZgpbky0
- トキワの森で突然、巨大なスピアーに襲われ、
スターミー(当時ヒトデマン)がやられたところを、ピカチュウに助けてもらったことを思い出す。
あの時は、何故開けたところにスピアーが現れたのか謎だった。でも、今なら分かる。
「人間の気配に敏感になっていたのね。住処を心ない人間に侵されて……」
あたしがそう独りごちたその時、壁時計のギミックが作動し、親指大のポッポが午後2時を告げた。
タケシさんが立ち上がり、後片付けを開始する。
「あたしもやります」
と申し出てはみたものの、タケシさんは初めてシチューをご馳走してくれた時と同様に、
キッチンに立つことを許してくれなかった。
これじゃあ、どっちが送る側なのか分からない。
ポケモンセンターの外は、冬の初めを思わせる冷たい風が吹いていた。
カエデを見るといつの間に取りに戻ったのか、黒のワンピースコートを羽織っている。
タケシさんがリュックを背負い直して言った。
「元気でな、リュウジ」
「父さんもね。あと、母さんに連絡取りすぎたら嫌われるから程々にね」
「子供はそんなことに口出ししなくていいんだ」
「僕はもう子供じゃないよ」
何気なさを心がけて訊いてみる。
「セキチクからヤマブキまでは、どれくらいの距離があるんですか?」
「タマムシからセキチクまでの三分の二くらいかな。
しかしサイクリングロードと違って舗装されていない道が多い分、
体感的には同じくらいだと思う」
- 585 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/23(火) 21:19:04.32 ID:FVZgpbky0
- 「……そうですか」
カエデの流し目に気付いて、あたしは地面に視線を逃がす。
「ヤマブキって、この国の経済の中心だろ?
父さんみたいな野性的肉体派が行くと浮きまくるんじゃないかな」
「うるさいぞ。まったく、中身は母さんばっかりに似やがって。
俺がスーツを着たときに母さんがなんて言ったか知ってるか?」
「知らないよ。なんて?」
「あなたほどスーツの似合わない男はこの世にいない、とまで断言したんだよ」
「ははっ、母さんらしいや」
一頻り内輪話で盛り上がってから、タケシさんはあたしとカエデに向き直った。
「寒い中見送ってもらってすまない。
名残惜しいが、そろそろ時間だ。
俺は一足先に出発する。二人の旅の安全を祈ってるよ」
「ちょっと父さん、僕の分は?」
「あー分かった分かった。お前の分も祈ってる」
投げ遣りにそう言いながらも、タケシさんはリュウジの頭を力強く撫でていた。
……いいな。
不意に、胸が苦しくなる。
タケシさんがサファリパークの境界線に沿って歩き去るのを見届けてから、
あたしはリュウジの顔を盗み見た。
表情に憂いの色は混じっていない。
お父さんに会いたい――本気でそう思えば会えるという余裕が、リュウジにはあるんだ。
- 596 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/23(火) 21:48:07.27 ID:FVZgpbky0
- 「リュウジくん、結局タケシさんがヤマブキに行く理由、教えてもらわなかったんだ?」
カエデの問いにリュウジは頭の後ろを掻きながら、
「はい、どんなに訊いても"仕事だ"の一点張りで。
父さんもケチですよね。息子相手に隠し事なんて。
ま、行き先を教えてくれただけでも満足するべきなのかもしれないけど」
「リュウジくんはついてかなくて良かったわけ?」
「いいんです。ヤマブキシティじゃ修行は出来ないし……。
しばらくはセキチクのポケモンセンターを拠点にして、野生のポケモンを相手にポケモンバトルを磨くつもりです」
「リュウジくん、一人で頑張れるの?」
「野宿のノウハウは旅の途中に伝授してもらったから、多分大丈夫だと思います」
「そ」
会話に飽きたのか、カエデは手に息を吹きかけつつポケモンセンターの中に戻っていく。
リュウジはタケシさんの消えた方向から目を逸らさない。
「あたしたちも中に戻りましょう?」
「あ、はい。そうですね」
「リュウジはいつ出発するの?」
すぐにでも出発します!
そんな威勢の良い返事が返ってくると思っていたら、
「うーん……そうですね……」
なんとも歯切れの悪い言葉が返ってきた。
「最初は、なんとなく父さんの出発と時間をずらすつもりでいたんですけど……。
カエデさんにはああ言いましたけど、いざ一人になると不安になっちゃって」
- 604 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/23(火) 22:22:47.18 ID:FVZgpbky0
- 情けないですよね、と顔を伏せるリュウジ。
「あと一日くらいポケモンセンターで体力を温存して、
明日の朝に出た方がいいんじゃないかしら?」
緊張を解すつもりで言ったその一言が、結局、リュウジの出発を明日の朝に延期させることになった。
部屋に戻ると、カエデはベッドの上に座って備え付けのテレビを眺めていた。
「―――第二十七回ポケモンリーグにおける――の最有力候補はやはり―――」
「――やはり――が――妥当なところでしょうな―――」
「―――いやいや――先日の公式試合でAランクに昇格した――も捨てがたい――」
「――ランクだけが全てではありませんよ――私は――が今期のダークホースと睨んでいますがね――」
「――ご冗談を――彼女はランク外の新人だ――過大評価が過ぎますよ――」
ここのところ、来年の春に控えたポケモンリーグに向けた番組が増えてきている。
ピカチュウが奪われて以来、あたしは極力、ポケモンリーグの存在を意識しないようにしてきた。
第一に優先すべきはピカチュウの救出なのだと、自分に言い聞かせてきた。
でも、今こうしてポケモン評論家の議論を耳にしていると、不意にその意志が挫けそうになった。
……お父さんに会いたい。
頭の中で、封じ込めていた感情が疼き始める。
あたしはハンガーに掛けていたジャケットを手にとって、袖を通した。
「出かけてくる。夜までには戻るから」
行き先は昨日と同じ場所。
- 611 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2008/12/23(火) 22:48:16.53 ID:FVZgpbky0
- 「待って」
カエデは苦しそうに声を絞り出した。
セキチクの手前で口論をして以来、
他の人がいる前ではそれまで通りに振る舞いながらも、
あたしとカエデの間には目に見えない溝が出来ていた。
それは日を追う毎に、あたしが焦りを増す毎に深くなっていって、
あたしとカエデの二人きりの時は、ほとんど会話が続かなくなっていた。
でも……それも今日でお仕舞い。
悪いのは全て、ゲンガーに正面から向き合おうとせず、
ピカチュウを探す手立てがなくなったという現実を受け入れられなかった、弱いあたし。
「あのさ、ヒナタ――」
言いかけたカエデを遮って、
「分かってる。分かってるから、何にも言わないで。
あたし、踏ん切りを付けたいの。その上で、カエデに色々話したいことがあるの。
だから……今だけは放っておいて」
- 8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/27(土) 20:35:29.48 ID:ZHzuB4Ep0
- 市街に背を向けて、行く人もまばらな小径を選んだ。
木枯らしは昨日のそれよりも冷たくて、あたしは首を襟に埋めた。
「はぁっ……」
吐く息は僅かに白く、秋の終わりが近いことを教えてくれる。
刻一刻と指が悴んでいくのを知りながら、歩調は緩めたままで。
お父さんのことを考える。
ピカチュウを拉致されて以来、極力意識しないようにしてきた感情が、
ここ最近、ふとした拍子に疼くようになっていた。
リュウジとタケシさんの触れ合いや、
涙目のアンズちゃんが語ったキョウさんへの思い――。
そういうのを間近で見たり聞いたりする度に、
あたしの中で凋んでいたお父さんへの感情が、再び膨らんでいった。
切欠はやっぱり、初めてリュウジ親子と出会ったあの日、
シチューをご馳走になった後で、
こっそりタケシさんに若い頃のお父さんのお話を聞かせてもらったことだろうな、と思う。
聞いたら箍が外れてしまうかもしれない。
折角固めた気が変わってしまうかもしれない。
そう分かっていたのに、聞かずにはいられなかった。
『教えて下さい。お願いします』
『そうは言ってもな。かなりうろ覚えだから、期待に添えないと思うぞ』
『いいんです。お父さんのことなら、何でも……』
仕方ない――渋々といった感じで口を開いたタケシさんは、
最初の態度もどこへやら、饒舌に過去のことを語ってくれた。
- 11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/27(土) 20:57:56.68 ID:ZHzuB4Ep0
- お父さんが、駆け出しの頃は馬鹿ばっかりやっていたこと。
お母さんとは性格の不一致でしょっちゅう口論していたこと。
ライバルのシゲルおじさんとポケモントレーナーの腕を競い合っていたこと。
ロケット団の下っ端三人組と因縁の仲だったこと。
次々にバッジを手に入れていったこと。
伝説のポケモンと出会ったこと。
数え切れないほどの冒険を経験したこと。
誰よりもポケモンを大切に育てていたこと。
誰よりもポケモンの機微を理解するのに長けていたこと。
誰よりもポケモンバトルが下手だったこと。
誰よりもポケモンバトルが上手になったこと。
そして、史上最年少でポケモンリーグの頂点に君臨したこと――。
でも、お父さんが失踪した辺りになると、
タケシさんは急に険しい顔になって口を噤んだ。
溜息をついて、元々細い目をさらに細めた。
それはなんだか、怒るのを我慢しているように見えた。
すっかりタケシさんの話に聞き入っていたあたしは、
失礼のないように続きを急かしたけど、
タケシさんはそれ以上、「これで終わりだよ」と言って話してくれなかった。
次の日も、その次の日も、
あたしはウツギ博士を待つ間に何度かタケシさんに昔話を聞かせてもらおうとした。
でもタケシさんがわざとあたしと二人きりになることを避けているみたいに、
あたしはその機会を持つことができなかった。
丘に中腹あたりで振り返ると、
丁度真っ赤に燃えた太陽が、サファリパークを囲うように連なる山の端に触れるところだった。
- 12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/27(土) 21:14:39.88 ID:ZHzuB4Ep0
- 目の前の光景は相変わらず綺麗だけど、
夕陽の光を遮るように厚く雲が張っていて、昨日の夕焼けに比べると見劣りする。
透き通った橙色も、鈍色の雲を反射した途端にくすんだ色になってしまう。
もちろん、それに照らされたサファリパークも。
丈の低いススキを掻き分けて、昨日、アンズちゃんと一緒に腰を下ろした位置を探す。
サファリパークの草原を一望できる、とても見晴らしのいい場所だ。
見つけるのに少し時間がかかってしまって、
腰を下ろす頃には夕陽は半分沈んでいた。
隣を見る。アンズちゃんはいない。
当然よね……。アンズちゃんはあの年で既に、立派なセキチクシティジムリーダーなんだから。
- 13 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/27(土) 21:37:10.81 ID:ZHzuB4Ep0
- あたしよりずっと年下のアンズちゃんでさえ、
遠く離れたお父さんに会えないことを理解した上で、
今自分に出来ることを実践してる。
ジム戦に負けて一旦は落ち込んだリュウジだって、
タケシさんの保護下から抜け出して、一人で修行に打ち込むことを決心した。
何も決めてないのはあたしだけ。
現実から目を逸らして。
カエデの助言も突っぱねて……。
お父さん探しを旅の目標に据え直せない理由は、
ピカチュウに対する罪悪感、ただそれだけだった。
でも、たったそれだけのことが、どうしても振り切れなかった。
今頃ピカチュウはあたしの助けを待っているのかもしれない。
お父さんを探すことに時間制限はないけど、ピカチュウ救出の手がかりは刻一刻と失われていく。
ここであたしが諦めたら、ピカチュウは二度とあの組織から逃げ出すことが出来なくなるかもしれない。
それを解った上で、ピカチュウのことを忘れて、ポケモンリーグに臨むことなんて、あたしには出来ない。
そんな思考がぐずぐず居座って、あたしの決心を邪魔していた。
でも、もういい加減決めなきゃ。
- 16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/27(土) 21:54:05.97 ID:ZHzuB4Ep0
- 腰のベルトに視線を合わせる。
二つのモンスターボールと一つのハイパーボール、そして、あの夏の日から空いたままのアタッチメント。
カエデは道を示してくれていた。
がむしゃらにピカチュウを探しても時間の無駄になるだけ。
とりあえず今はポケモンリーグを目指して、副次的にあの子の手がかりとなる情報を集める。
それが最善策よ。
自分を正当化するわけじゃないけど、ピカチュウだってきっとこの決心を誉めてくれる。
きっと、あたしを咎めたりしない。
きっと、あたしのことを恨んだりしない。
きっと、きっと………、
「ごめん……、ひくっ……、ごめんね……、あたしを許して……、ピカチュウ」
- 18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/27(土) 22:19:42.81 ID:ZHzuB4Ep0
- 失神する前の記憶を取り戻した僕は、酷く消耗していたらしい。
サカキは僕から情報を引き出すのを延期して、
半ば看護婦さんに怒られるようにして退室してしまった。
「薬剤性健忘症を勝手に治療しようとするのはやめてください」
「私は待つのが嫌いなのだ」
「この短期間で意識を取り戻しただけでも奇跡なんですからね」
「私は待つのが嫌いなのだ」
「ピカチュウの見当識が回復するまで我慢して下さい」
「私は待つのが――」
「駄目です」
甲斐甲斐しく僕の世話を焼いてくれる彼女は、
ポケモンセンターのジョーイさんによく似た格好をしていて、
自然とリラックスすることが出来た。
人語を扱えたなら僕は真っ先に
"ここは何処だ"
"君もサカキの配下なのか"
"僕があの施設を脱出して何日が経つ"
と聞いていたところなのだが、生憎僕に許されているのは人語を理解することのみで、
彼女とのコミュニケーションには翻訳役が必要不可欠になる、
ああ、どこかに人語とポケモン語を操るシャム猫ポケモンでもいないだろうかと嘆いていたところに絶妙な闖入者が現れた。
- 24 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/27(土) 22:33:04.35 ID:ZHzuB4Ep0
- 初めに軽快な跳躍で窓を飛び越えたペルシアンが現れ、
「どうかニャ、元気にしてるかニャー」
次によっこらしょっとコジロウが窓枠に身を乗り出し、
「ピカチュウ、目は覚めたのか」
最後にムサシがコジロウの尻を蹴飛ばしつつ、病室の床に降り立った。
「喜びなさーい、お見舞いにきてやったわよー」
「ちょ、ちょっとあなたたち――!!」
がしゃがしゃと医療器具を漁り、
その中から注射器を見つけて、彼らに構える看護婦さん。
「こ、来ないで下さいっ、刺しますよっ」
ムサシは迷いなく彼女に近寄り、
「ハイハイ、こんな物騒なモンは仕舞いましょうねー」
赤子の手を捻るが如く、一瞬で注射器を分解した。
- 26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2008/12/27(土) 22:47:06.91 ID:ZHzuB4Ep0
- 「あわ、あわわ……」
「ちょっとムサシ、手荒な真似はよせって。
あの、俺たち全然怪しいものじゃないんで」
僕は苦笑する。
コジロウ、君の自己紹介はいささか信頼性に欠けているぞ。
看護婦さんは僕に覆い被さるようになって叫んだ。
「このピカチュウは渡しませんっ。
サカキ様から何があってもお守りするよう言い付かっているんです!」
「あーらあら、大した忠誠心だこと」
ムサシが弄り甲斐のある獲物を見つけたように舌なめずりする。
「どこまでその言い付けを守れるか見物だわぁ」
しかし元ニャースのペルシアンが寸劇に幕を下ろした。
「ピカチュウも罪なポケモンだニャー。
ボスへの忠誠心だけではそこまで出来ないニャ。
それは即ち、君がピカチュウへの庇護欲に取り憑かれていることを意味するニャ」
「え、今ボスって、」
「コジロウ、身分を証明するもの出すニャ」
「えっと、ちょっとだけ待ってくれ」
「早くするニャ!」
ぺシッ、と艶やかな尾が床を叩く。
「そんなに怒るなよぉ……、はいコレ」
「こ、これは――」
- 29 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/27(土) 22:59:43.20 ID:ZHzuB4Ep0
- 看護婦さんは目を丸くして、
「しっ、失礼しました」
「解れば良いニャ」
ペルシアンが偉そうに言う。
「でも、どうして窓なんかから、」
「細かいことは気にしナーイ。
んでもって、あたしたちはピカチュウと話があるから、
あんたにはしばらくこの部屋から出てってて欲しいの」
分かった? とムサシが凄みの効いた声で言い聞かせる。
看護婦さんはコクコクと頷き、心配そうに僕を一瞥して部屋を出て行った。
彼女に代わって僕は尋ねた。
「チュウ?」
君たちはどうして窓から入って来たんだ?
侵入にドアを用いないポリシーでも持っているのか?
- 31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/27(土) 23:20:07.13 ID:ZHzuB4Ep0
- 「失礼ニャ!
ニャーたちにも常識はあるニャ。
ただ今回は少し特殊なケースなんだニャ」
「徹底された面会謝絶に情報封鎖……」
ようやっとあんたの療養場所がボスのお屋敷と解ったときには、
こりゃもう侵入するしかないと思ったのよ」
「ボスの許可が下りるの待ってたら一ヶ月はピカチュウに会えなかっただろうし」
「ま、ミャーはこんな苦労しなくてもピカチュウに会えたに違いないけどニャ」
「そりゃニャースは特別だけどよー」
「あたしとコジロウが会えないんじゃ意味ないでしょうが」
憤慨するムサシとコジロウに、ペルシアンを通して訊いてみる。
「ピカ、ピーカ?」
君たちはどうしてニャースの呼び方をペルシアンに変えないんだ?
「どうしてって……こっちの方がシックリくるだろ?」
「今更ペルシアンって呼ぶのもね。なんか腹立つし」
「そんなことないニャ。
むしろいい加減、ミャーのことは畏敬の念とともにペルシアン様と呼ぶニャ」
「ふざけんな馬鹿ニャース!」
「誰がそんな呼び方するもんですか!」
些細な切欠で口論し始めるところも、昔と変わっていない。
「……ピ、ピカチュ」
ま、まあ落ち着いて。
そういえば、ニャースがペルシアンに進化した経緯も聞いていなかったな。
- 33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/27(土) 23:31:22.98 ID:ZHzuB4Ep0
- 途端、三人が一斉に静まりかえる。
やがてニャースがポツリと言った。
「それはまた時間のある時にでも話すニャ」
禁句、だったのだろうか。
それにしてはムサシもコジロウも、進化した張本人であるペルシアンも、
温かみに満ちた、気恥ずかしいような表情を浮かべている。
その空気を破るように、ムサシがぱんぱんと手を打って、
「あーもー、そんなことはどうでもいいのよ。
あたしたちがやってきた理由はこっち。
ピカチュウ、あんた調子はどうなのよ?」
僕の顔を覗き込んできた。
「生きてるか死んでるか、三人で賭けてたんだぜ」
コジロウがへらへら笑いながらその横に立つ。
そしてペルシアンが右の前足を寝台にかけて、
「三人とも生きてる方に賭けて、賭けにならなかったけどニャ」
左の前足を僕の手に置いた。
近くで見た三人の顔は、一目で分かるほどに老けていた。
ムサシの目元には誤魔化しきれない皺があって、
コジロウは一丁前に細い髭をこしらえていて、
ペルシアンの左目には、斜めに鋭い古傷の痕が入っていた。
- 38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2008/12/27(土) 23:49:44.24 ID:ZHzuB4Ep0
- ロケット団が壊滅してから今までの15年間に、彼らにも色々あったのだろう。
少なくとも現役からは退いて久しいはずだ。
でも、彼らは僕を助けてくれた。
若かりし頃とは勝手の違う身体に鞭打って、駆けつけてくれた。
彼らにはどんなに感謝しても足りない。
僕は精一杯の笑顔を浮かべて言った。
「ピッカァ!」
君たちのおかげで僕は生きているんだよ、と。
ペルシアンが僕の言葉を翻訳する。
すると、何を思ったのかムサシとコジロウは抱き合って、滂沱の如く涙を流し始めた。
寝台の下を見るとペルシアンも目をぐしぐしと擦っている。
「……よかったニャ。ホントに生きててよかったニャ」
彼らが泣き止むのを待ちながら、僕は密かにホッとしていた。
世の中には変わるものもあれば、決して変わらないものもあるのだ。
それは例えば、そう、彼らの涙もろい性格とか。
- 88 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/28(日) 20:53:37.84 ID:ULo+lGzl0
- ―――――――
―――――
―――
ほとおりが冷めた彼らは、口々に先日の救出作戦の経緯について語ってくれた。
要約すると以下の通りになる。
数日前、突然サカキから連絡があった。
『オレンジ諸島最北端の孤島に存在する、
セキュリティ・レベルA、地下15mの研究施設に侵入、
拉致監禁中のピカチュウを奪取せよ。
計画立案、資金増強、人員補填等々の全権は貴様らに一任する』
何故僕の救出作戦に、元ロケット団の三人組が抜擢されたのか。
その理由は単純に、彼らが老練した(こう言うとムサシに怒られそうだが)ポケモン遣いだからだけでなく、
僕専門の強奪のエキスパートだったからではないか、と思う。
- 96 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/28(日) 21:25:45.18 ID:ULo+lGzl0
- 彼らは早速作戦会議を開き、大論争の末に実に彼ららしい突飛な案を編み出した。
全権が一任されている→どんなポケモンを使ってもいい→そうだボスのポケモンお借りしようそうしよう
彼らの申し出にサカキは嫌な顔一つせずに応じてくれたらしい。
かくして『地上の混乱に紛れてピカチュウゲットでチュウ大作戦』は実行に移された。
手始めにペルシアンが、地上から地下研究施設へと潜入する。
それから時間差でサカキのポケモン、バンギラスが、超長距離からの破壊光線で、
ほぼ外張り状態の地上建築物を計算通りに爆破する。
ヘリから眺めたその光景に、ムサシとコジロウは腰が抜けそうになったらしい。
突然の襲撃に研究施設内部は、落成以来初めての大混乱に見舞われる。
その隙にペルシアンが深部、即ち僕が囚われている場所に到達し、
当初予定していた脱出口から脱出する手筈だったのだが……。
時既に遅し、僕は最終被験体と凌ぎを削った末に、無我夢中で逃げ惑っている最中だった。
ペルシアンは冷静に僕を探索した。
そして殺気を放ちながら駆けている僕を発見した。
しかし脱出口への道は既に封鎖されていた。
彼はムサシとコジロウに連絡しながら、僕を巧妙に新たな脱出地点へと誘導した。
その後の話は、僕の記憶があるので改めて語るまでもないだろう。
- 99 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/28(日) 21:41:03.97 ID:ULo+lGzl0
- 「あの時のピカチュウはメチャクチャ怖かったニャ。
ちょっとでも話しかけたら一瞬で感電死させられそうだったニャ」
ペルシアンが髭を撫でながら言う。
「ピカ、ピーカ?」
僕が君を感電死させるだって? まさか。
「それほどの極限状態にあったってことニャ
あの時のピカチュウにはもう二度と御目にかかりたくないニャ〜」
「それ見てみた……くはないわね」
ムサシが渋い顔になり、
「うんうん」
コジロウが共鳴する。
僕は耳を欹て、ドアの近くで止まった複数の足音を聞きながら彼らに尋ねた。
なるべく口元に笑みを浮かべないよう努力しながら。
「チュ、ピカ、ピーカ、チュウ?」
そういえば君たちは、ロケット団の解散後はどうしていたんだ?
- 107 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/28(日) 21:59:05.40 ID:ULo+lGzl0
- 「先にピカチュウから話すニャ」
「あ、それあたしも知りたーい」
「聞かせてくれよー」
ぐっと詰め寄ってくるロケット団三人組。
「ピカチュ」
おっほん。
僕は咳払いしてストーリーテラーの雰囲気を醸しつつ、事細かに語って聞かせてあげた。
冒頭にカスミとマサラタウンで暮らし始めた経緯を簡単に説明した後は、
幼いヒナタが可愛すぎるあまりにカスミに嫉妬したこと、
幼稚園に入園したヒナタが僕を一緒に連れて行くと言い出して困ったこと、
感受性豊かに育った小学生のヒナタと遊ぶ度に色々な発見をしたこと、
「お家のポケモン」という作文課題で僕を取り上げてくれたこと、
中学生に進級しても相変わらず僕の姿が見えないと心配していたこと、
14歳の時にやっと僕を抱き枕にするのをやめたこと、
高校に入学してからはポケモンマスターを目指すことによる僕との別れを意識し始めて、
より一層僕を大切に扱ってくれたことを話し、
まあ、実際はカスミに監督役として、ヒナタの旅に同行することになったわけだけどね――と締めくくった。
目を開ける。彼らは一様に幻滅の表情を浮かべていた。
「堕ちたニャ」
「堕ちたな」
「堕ちたわね」
三人揃って、深い溜息。
やれやれ。サトシから離れた僕にいったいどんな冒険譚を期待していたのやら。
- 111 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/28(日) 22:15:23.89 ID:ULo+lGzl0
- さて次は君たちの番だぞ。
誰から話す、と顔を見合わせる三人組。
やがてペルシアンが肉球を掲げて、
「ミャーから話すニャ。
……聞いて驚くでニャーでニャースよ?」
「勿体ぶらないで早く言っちまえよ」
「後ろつっかえてんだからねー」
「こういうのは間が大切なんだニャ。
まったく、おミャーらにはミャーの役者魂が理解できないのかニャ?」
「ピカ」
手短に頼む。
「ピカチュウがそういうなら仕方ないニャ。
実は、ミャーは今、ボスに仕えているニャ」
「ピカー!?」
薄々予感はしていたが、まさか本当にサカキ直属のポケモンになっていたとは。
ペルシアンが勿体ぶる気持ちも理解できる。
大出世じゃないか。
「ミャーの通訳としての能力が買われたのニャ。
ボスは能力の有無で人事ならぬポケモン事を行うお方ニャ」
ペルシアンは僕の反応を見て誇らしげだ。
先程ペルシアンは、自分はそう苦労せずとも僕に面会することが叶うと言っていた。
今なら解る。サカキが僕と話す際に通訳を用いる。それがこのペルシアンだったのだ。
- 117 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/28(日) 22:31:21.54 ID:ULo+lGzl0
- 「そんじゃあ次は俺たちの番かな」
「ニャースに比べるとつまんないかもしんないけどね」
ムサシとコジロウが、顔を見合わせて穏やかに笑う。
「ピカピィ?」
てっきり、君たち二人もペルシアンと同じく出世街道を歩んだとばかり思っていたのだが?
コジロウが取り出した身分証明書に看護婦さんは目を丸くしていたしね。
「まあ、幹部に昇進する話はあったにはあったんだけど……」
「それが決定される直前に、あんたの元飼い主がロケット団を潰しちゃって……」
ムサシは遠い眼をして言った。
「白紙になった上に焼却処分された、って感じよね」
「ピ………」
……それは悪いことをしたな。
僕が過去にしたことは社会的にとても評価されていることなのに、
こうして元ロケット団員の、それも馴染み深い相手の声を聞くと妙な背徳感に襲われる。
- 119 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/28(日) 22:49:11.93 ID:ULo+lGzl0
- その後は?――そう尋ねようとした時、ペルシアンが一口に言った。
「その後、婚期を逃した二人は相棒の関係をちょっとだけ進展させて、
養子を貰ってその子を育てつつ、その他にも新たな人材育成に貢献しましたとニャ。
めでたしめでたし……ニャアァッ」
ボコ、と嫌な音がペルシアンの頭上で響く。
「ちょっと、勝手に終わらせてんじゃないわよ!」
「ピ、ピカピ……?」
け、結婚していたのか? それに養子って……。
ペルシアンが涙声で通訳すると、コジロウは照れくさそうに鼻の頭を掻きつつ、
「いや、籍は入れてないんだ。
俺とムサシは相棒のままでいいんじゃないか、って二人で相談して決めたんだよ」
「ほんと不器用だニャ。素直に結婚すれば良かったのにニャー」
「お前は黙ってろっ」
ボコ、と再び嫌な音が響きペルシアンが沈黙する。
ムサシは目頭を押さえながら言った。
順序立てて説明するつもりが、ペルシアンに邪魔されて混乱しているのだろう。
「養子って言っても、孤児を引き取って育ててあげただけよ。
15の時には自立して、今はボスの下で立派に働いてるわ」
「育ての親には連絡の一つもよこさない馬鹿息子さ。
タマムシで元気にやってるって昔の仲間に聞いて、安心するくらいだよ」
- 11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/11(日) 13:44:17.11 ID:xUS/eKOW0
- 「ピ、カ……」
ちょっと待ってくれ。
一度に入って来た情報が多すぎて混乱する。
ニャースがペルシアンに進化しサカキの手元に置かれたのはまだ納得できるが、
ロケット団を解雇されたムサシとコジロウが、
籍を入れずに共に生きることを決め、立派に養子を育て上げていただって?
君たちには悪いが、
「おミャーら二人にそんな甲斐性があるようには思えニャいと言ってるニャ」
おいペルシアン、僕はまだそこまで言っていないんだが。
「むっ」
「失礼ね」
ムサシとコジロウが、それぞれ僕のほっぺたを摘む。
そしてその伸縮性をいいことに、
「あたしたちにも子育てくらいできますよーだ」
「そうだそうだ。馬鹿にすんな」
ぎゅうぎゅうと引っ張り始めた。
「ピィーカァー」
待て待て、自分で言うのもなんだが僕は病床の身なんだぞ。
- 12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/11(日) 14:02:43.10 ID:xUS/eKOW0
- 「うるせぇ。どうせロクにポケモン育てられない俺たちが
子供を育てられるわけがないと思ってたんだろ?」
「そりゃまあ最初は苦労したわよ」
「でも軌道に乗ったら結構楽しいもんだったぜ」
「あんな小生意気に育つとは思ってなかったけどね」
「誰に似たんだろうなあ」
「それ嫌味でいってんの?」
懐古に浸りながら、僕の頬を引っ張る力の加減を失っていく二人。
「そろそろ終わりにするニャ」
一閃。ペルシアンの爪が、二人の手の甲を浅く引っ掻く。
「「ぎゃっ」」
「いってぇなあ」
「急になにすんのよー」
「ミャーたちが潜入前に約束したことを復唱するニャ」
「隠密行動を心がけ……」
「ピカチュウの容態を確認した後……」
「痕跡を残さず静かに立ち去る……」
「全っ然守れてないニャ。
確かに久ぶりの再会でミャーも舞い上がってたニャ。
でも、いい加減に撤退しないと不味いことになるニャ」
しゅん、とムサシとコジロウが項垂れ、
パイプ椅子を元あった場所に戻す。
ペルシアンが注意しなければそれこそ限界まで長居するつもりだったのかもしれない。
- 14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/11(日) 14:21:30.99 ID:xUS/eKOW0
- 「目的は達成したわけだし」
「これ以上は蛇足よね。あたしとしては思い出話に延々浸っても良かったけど……」
看護婦さんが荒らした医療器具を片付ける二人を尻目に、僕はペルシアンに尋ねた。
「ピカ、ピーカ?」
君たちとはまた会えるのかな。
「会えるニャ。特にミャーとは、ピカチュウが予想しているよりもずっと早くに会えると思うでニャースよ」
解体されたロケット団のその後や、
あの施設の全貌、そして今僕が何処にいるのかは、
追々サカキが――君にとってはボスが馴染み深いか――が教えてくれるんだろうね。
「時期がくれば解るニャ」
ペルシアンは優雅に尻尾を揺らしながら窓際に寄り、ムサシとコジロウの真ん中に収まった。
「じゃあな、ピカチュウ」
コジロウが揃えた二本の指をこめかみから僕の方へ振り、
「しっかり療養しなさいよ」
ムサシが頬の筋肉を引っ張るようなウインクをし、
「………やれやれニャ」
ニャースが疲れ切ったような声を上げて、窓の外に飛び降りて行った。
- 16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/11(日) 14:42:24.08 ID:xUS/eKOW0
- ムサシもコジロウも心は若かりし頃のままなのだろう。
ペルシアンは自覚しているみたいだが……と、かく言う僕も結構な年齢だったな。
人間の年齢に換算すると30を過ぎた辺りだろうか。
……そういえば、サトシもそれくらいの年齢だ。
彼の老けた顔など想像もできない。
僕の脳裡には元気いっぱいの少年期の彼がそのまま保存されている。
彼の脳裡には僕はいったいどんな風に保存されているのだろう。
いや、もう保存されていないか。
例え、再びどういうわけか外見に老いが見られない僕を見ても、
彼は僕を「僕」だと解らないかもしれない。
そう考えたほうが自然だ。
――コン、コン。
感慨に耽る僕の耳に、小気味良いリズムのノックが響く。
「入るぞ」
返事をする暇もなく開扉される。
何のためのノックだったんだろうなと思っていると、
サカキは悠然たる足取りで僕の側に立つと、おもむろに僕の頬を摘んだ。
「ふむ。柔らかい」
そりゃ柔らかいだろうね。
「あ、いいな……」
後ろで縮こまっていた看護婦が思わず声を漏らす。
なんなんだこの空気は。
- 18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/11(日) 14:57:58.99 ID:xUS/eKOW0
- サカキは僕の頬の伸縮性を堪能した後、厳かな声で言い放った。
「お喋りは楽しかったか?」
僕は首肯した。
看護婦は退室した後、真っ先にサカキの元へ報告に行ったのだろう。
サカキは重い腰を上げたものの、
部屋の前で、三人組が自ずと立ち去るのを待っていた。
彼らの気持ちを汲んだのだ。
「私とて感動の再会に水を差すほど空気の読めない男ではない。
また奴らの越権行為に関しても目を瞑ってやろうと思う。
だが、お前自身よく分かっているだろうが、
お前は未だ万全とはほど遠い状態にあるのだ。
今は療養に専念しろ。次に報告を受けたときは然るべき処分を奴らに下す」
分かったな、と視線で釘を刺される。
「ピィ……」
僕は頷きを繰り返しながら、微弱電流をサカキの指に流した。
「………」
微動だにしない。もう一度。
「………」
「チュ……」
いや、離せよ。
- 29 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/11(日) 16:44:13.08 ID:xUS/eKOW0
- 手の甲で目を拭って、立ち上がる。
夕陽はとうに落ちて辺りは薄暗くなっていたけど、不思議と怖くなかった。
最後に思い切り泣いたのはいつかしら。
思い出せない。
涙は心の中に溜っている後悔や悲しみや怒りを洗い流してくれる。
誰かがそんなことを言っていたのを思い出す。
本当にその通りだと思った。
「ピカチュウのことは、今は諦める」
ほら。
こうやって口に出しても大丈夫。
あたしが泣いてすっきりしたところで、
それは感情の整理がついただけであって、
ピカチュウが囚われている現実は何も変わらない。
けど、前に進むことはできるようになった。
落ち着いて今あたしに出来ることを見つめ直せるようになった。
- 30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/11(日) 17:01:50.85 ID:xUS/eKOW0
- バッジを集めて、
ポケモンリーグの参加資格を得て、
セキエイ中枢のコンピュータに登録されたお父さんの情報を知る。
あたしが今持っているバッジは五つ。
次に目指すのは、ヤマブキシティジムのゴールドバッジだ。
またゴールドバッジを手に入れると、あたしはレベル70までのポケモンを強制的に従えられるようになる。
つまり、ゲンガーの暴走を押さえ込むことができるようになる。
「さ、帰ってヤマブキシティに向かう準備しなくちゃ」
お尻についた枯れ草を払って、暗い足下に注意しながら丘を下る。
今夜と明日一日を出発準備に当てて、
そのあいだに、カエデに冷たくした埋め合わせをしよう。
ピッピやスターミーをポケモンセンターに預けて、軽く体調を見てもらっておこう。
予定を立てながら、墨を流し込んだみたいに暗いサファリパークを眺める。
園内の常夜灯が放つ仄かな明かりが、豆粒みたいに小さく見える重機を照らしていた。
……タケシさんの言うとおり、工事の進捗状況は芳しくないみたいね。
「早く諦めればいいのに」
あたしは溜息をついて、足を早めようとした。
その時だった。
―――くぅん。
- 38 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/11(日) 17:30:03.85 ID:xUS/eKOW0
- 肌が粟立つ。
一気に動悸が激しくなる。
―――くぅん。
幻聴じゃない。
ガラスを震わせたような澄んだ音。
あたしの耳に刻み込まれたその音が、サファリパークに広がる闇のどこかから、
ともすれば夜風に掻き消されてしまいそうなか細さで聞こえてくる。
あたしは泣き腫らした目をいっぱいに開いて、広大なサファリパークの敷地を見つめた。
それは一瞬の出来事だった。
常夜灯とは決定的に違う炎の玉が暗闇を払い、すぐに暗闇に飲み込まれる。
錯視じゃない。大きく開いた距離の所為でどんな技かまでは分からなかったけど、
あの火の玉は確かにポケモンの技で、自然に発生したものじゃない。
気付けば、無我夢中で駆けだしていた。
「アヤだわ……!!」
例え全てがあたしの夢幻なのだったとしても、確かめずにはいられなかった。
どうして立ち入り禁止のサファリパーク園内にアヤがいるのか。
どうしてキュウコンを出して技を使っているのか。
そんなことはどうでも良かった。
あれだけ納得したつもりでいたのに。
あれだけ未練を断ち切っていたつもりでいたのに。
今のあたしの頭の中からは、
アヤを捕まえてピカチュウの行方を問い質すこと以外に何もなくなっていた。
- 43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/11(日) 17:54:58.41 ID:xUS/eKOW0
- 「はぁっ……、はぁっ……」
サファリパークの入場口で、あたしは立ち尽くしていた。
鉄扉はいつか来たときと同じように堅く閉ざされていた。
工事中の看板の文字は濃くなった暗闇に覆われて読めなくなっていた。
息を切らして入場口を見上げるあたしを、時々通りすがる人が不審そうな目で眺めていく。
どうすれば中に入れる?
管理局の人にお願いしてみるというのは?
ダメ……仮にもジムリーダーのアンズちゃんが申し出ても無理だったのに、一介のトレーナーのあたしが入れる訳がないわ。
侵入するというのは?
それもダメ……どこから侵入すればいいの。
正面からは論外だし、サファリパークを囲うように巡らされた高い鉄柵は鳥ポケモンの"空を飛ぶ"ぐらいでしか乗り越えられない。
自問自答を繰り返しても、妙案は思い浮かばない。
こうしている間にも、アヤは――あのキュウコンの持ち主がアヤだという保証はどこにもないけど――どこかに行ってしまうかもしれない。
焦りだけが先行する。あたしはしゃがみこんだ。
どうすれば?
どうすればいいの?
「あり? ヒナタさんこんなとこで何やってるんですかあ?」
「うわっ、すっごい偶然〜。今はカエデさんは一緒じゃないんですかあ?」
「あ、あんたたちは……」
果たして自転車に跨って颯爽と現れのは、
サイクリングロードで出会ってセキチクまでの旅を共にした、
あの金髪と茶髪の女の子二人組だった。
- 48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/11(日) 18:15:14.03 ID:xUS/eKOW0
- 「あ、あんたたちこそ、こんなとこで何やってんのよ?」
「こんなとこでって、ここ地元だし。ウチらは今から飯行くとこなんですけど、ヒナタさんも一緒します?」
「ありがと、でも今はそれどころじゃなくて……」
「あーっ」
金髪ロングが、こっちがびっくりするような大きな声を上げる。
「もしかしてヒナタさん、サファリパークに忍び込もうとか考えてたんじゃないですかぁ?
キャハハ、図星でしょー?」
「う……」
茶髪ショートが金髪ロングの脇腹をつつきながら、
「んなわけないじゃん。夜のサファリパークがヤバいのはヒナタさんも解ってるよ。ですよね?」
「ごめんなさい。何がヤバいのか教えてもらえないかしら?」
「いやだって……暗くて視界が制限されるし、元々サファリパークには夜行性のポケモンが多いから、
そういうの刺激したらマズいことになるじゃないですか。
だから仲間内でも夜には忍び込まないことにしてるんですよ」
「夏にも肝試しと腕試し兼ねて深夜に忍び込んだ馬鹿が数人死んでるしぃー。
ま、要するに夜のサファリパークに一人で入るのは自殺行為ってことっすね」
サラリと怖いことを言う金髪ロング。
でも何故だろう、そんな物騒な話を聞いてもなお、あたしの心は揺るがなかった。
「ねえ、さっき仲間内でも"夜には"忍び込まないことにしてる、って言ったわよね?」
自然と威圧的な語調になってしまう。
茶髪ショートは何か失言したのかと、目を瞬かせながら答えた。
「え、ええ、言いましたけど?」
- 50 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/11(日) 18:23:16.02 ID:xUS/eKOW0
- 「ということは、日中なら忍び込んでるの?」
金髪ロングが強張った笑みを浮かべながら間に入ってくる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよぉ。
ヒナタさんて、サファリパークの不法侵入に目を瞑れないほど
お堅い人じゃないでしょ?
サファリへの侵入なんて誰でもやってることだし、そんな怒らなくったって――」
「案内して」
「ふぇ?」
「今すぐ忍び込める場所に案内して。お願い!」
- 75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/11(日) 20:30:35.07 ID:xUS/eKOW0
- 数分後、あたしは茶髪ショートのサドルに乗せてもらって、
二人がいつも不法侵入に使っているという秘密の抜け穴に案内してもらった。
真っ暗闇の木立の奥に進んでいくと、サファリパークとセキチクシティ居住区を隔てる鉄柵が見えてくる。
しかしそこの鉄棒は数本が押し広げられて、人一人がなんとか潜り抜けられるようになっていた。
「もう一回聞きますけどぉ、マジで入るんですか?」
「明日の朝まで待ちません? 夜はマジでヤバいんですよ?」
「心配してくれてありがとう。でも、今じゃないと意味がないのよ」
アヤが明日の朝まで待ってくれるとは思えない。
茶髪ショートは神妙な面持ちで、
「危ないと思ったらすぐに引き返して下さい。
この鉄柵を抜けるとすぐに一際高い常夜灯があるので、
サファリパークを歩いているときはいつも、その常夜灯を視野に入れるようにしてください。
そしたら迷いませんから」
「ありがとう。お礼は次に会ったときにするから」
「やめてくださいよぉ。なんかそれ、ヤです。
それがあたしたちが聞いたヒナタさんの最後の言葉だった――みたいな感じになりそうで」
金髪ロングが混ぜ返す。
おかげで少し緊張が解れた気がした。
「無茶はしないでくださいねーっ」
不安げな声を背に、あたしは身を縮めて鉄柵を潜り抜けた。
鉄柵の向こうも小さな木立になっていて、とにもかくにもそこを抜けなければまともな視界が手に入らない。
あたしはペンライトの明かりを頼りに茂みを抜けた。
そしてあの二人が連呼していた「夜のサファリはヤバい」という言葉の意味を思い知った。
- 80 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/11(日) 20:52:33.10 ID:xUS/eKOW0
- 夜の海に一人取り残されたような孤独感と、
狭い部屋に閉じ込められたような閉塞感が一緒になってやってくる。
丘の上からの俯瞰とは全然違う。
常夜灯なんて、その周りを薄朦朧と照らしているだけ。
明かりが届かないところでは生い立つ草木が視界を邪魔する上に、
暗闇の所為でほんの数m先を見通すことができない。
そこに何もないと分かっていたら、迷いなく歩を進めることが出来るだろう。
でも、もしそこに凶暴な野生ポケモンが潜んでいたら?
サファリパークのポケモンのレベルはそう高くないと聞いているけど、
集団になって攻撃されたら、あたしのスターミーやピッピは一溜まりもなくやられてしまう。
アヤとキュウコンはどこにいるのだろう。
鳴き声はあれきり聞いていない。
――もういなくなってしまったのかも。
ううん、いる。絶対にアヤはこのサファリパークにいる。
あたしは頭を振った。一緒に弱気な考えも振り落とした。
「慎重かつ大胆に行きましょう」
とりあえずは常夜灯を伝って、重機の群れを目指すことにする。
ペンライトを腰のベルトに向ける。
この子たちを使う機会が、一度きりであればいいのだけれど……。
- 83 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/11(日) 21:22:08.12 ID:xUS/eKOW0
- 「スターミー、"妖しい光"で混乱させて」
スターミーのコアが鈍い赤の光を放つ。
低い唸り声で威嚇していたニドランは、見当違いの方向へと駆けていった。
初めてサファリのポケモンと出会って、それを追い払って以来、
あたしはスターミーとピッピを外に出したままにしていた。
ポケモン召還時、格納時にボールが発する閃光で、
眠っている野生ポケモンを刺激してしまうと思ったからだ。
「絶対に騒いじゃダメよ?」
「……ぴぃ」
普段はわんぱくなピッピも、今は静かに後背の警戒を担当してくれている。
ほどなくしてあたしたちは重機の群れに辿り着いた。
「誰も見てない……わよね」
人の気配がないことを確認してから、油圧ショベルの上に勢いよくよじ登る。
ああもう、こんなことならスカートじゃなくてジーンズを穿いてくれば良かった。
- 96 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/11(日) 21:45:37.32 ID:xUS/eKOW0
- 束の間の俯瞰視点。
火の玉を見た辺りに視線を這わせてみても、同じ色をした暗闇が広がっているだけ。
流石に同じ場所に留まっているわけがないか。
せめてもう一度、あの薄いガラスを震わせたように綺麗なキュウコンの鳴き声を聞くことができたら、
大体の方角を掴むことができるのに――。
あたしは油圧ショベルから降りようとして屈み込み、
「……えっ………」
赤い目が二つ、弱々しい光を灯してあたしを見上げていることに気付いた。
いつの間に近づかれたんだろう。
反射的に構えてはみたものの、
攻撃してくるつもりはないみたいで、あたしは落ち着いて図鑑を取り出した。
「――コンパン――昆虫ポケモン――身を護るために細く堅い体毛が全身を覆っている―――
高度に発達した複眼を持ち――暗闇の中でも獲物も見逃さない―――」
- 100 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/11(日) 21:58:28.75 ID:xUS/eKOW0
- 「何よ。暗闇の中の獲物ってあたしのこと?」
スカートの裾を絞って飛び降りる。
品位ある女性にあるまじき蛮行だけど、誰も見てないから大丈夫。
さてと、あなたは一体あたしに何の用なのかしら?
「ぴぃっ?」
ピッピがあたしの前をまるでボディーガードのように胸を張って歩き、コンパンと対峙する。
威勢と背丈が釣り合っていないところが可愛い。
コンパンは身をゆっさゆっさと左右に振り、
サファリパークの奥地に視線を投げかけた。
「………?」
何かを伝えたがっていることは分かるんだけど。
「きぃ、きぃ」
弱々しく鳴いたコンパンは、最後に横に一回転しつつ大きく飛び跳ねると、ぽさっと地面に倒れ伏した。
ピッピが恐る恐るコンパンに触れる。動かない。
「嘘……、倒れるのもジェスチャーの一つじゃなかったの?」
あたしは慌ててコンパンに近寄った。
そしてその背中の針金のような体毛が無残に焼け焦げているのを見た。
- 127 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/12(月) 00:39:17.25 ID:keM795BI0
- 「……酷い」
あたしは無意識のうちにコンパンに触れていた。
「ッ……」
尖った体毛が手に刺さるのを無視して、
体毛を掻き分け、特に火傷の酷い皮膚の部分を、傷薬で応急手当する。
あたしは気絶したままのコンパンを油圧ショベルの座席に乗せてあげた。
野生ポケモンは本来、人間や人間の痕跡がある物を嫌うから、
これで少しは他の野生ポケモンに襲われる危険が減るはず。
コンパンが火傷を負った理由は、考えるまでもなく炎タイプの技を受けたからだろう。
サファリパークに炎タイプのポケモンはいない。
その技を放ったのは、外部のトレーナーが持ち込んだポケモン――即ちアヤのキュウコンということになる。
でも、どうしてアヤがこのコンパンを傷つけたのかが解らない。
捕まえるために弱らせるならまだしも、
あのコンパンは捕獲されずにいたし、そもそもキュウコンという強力なポケモンを従えているアヤが、
サファリレベルのポケモンを捕まえようとするとは思えない。
あたしは悩んだ末に、コンパンの複眼が指し示していた方向に進むことにした。
- 129 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/12(月) 01:05:52.95 ID:keM795BI0
- ――――――
――――
――
ペンライトの明かりが、煙を燻らせる茂みの真ん中に倒れ伏したニドリーノを照らし出す。
これで何体目だろうか。
傷薬はとっくに尽きてしまっていて、あたしは為す術もなく、そのニドリーノを見て見ぬふりをするしかなかった。
「ごめんね」
自然に治癒することを祈って、歩を進める。
コンパンの指し示した道には、コンパンが受けた火傷と同じくらい、
もしくはそれ以上に酷い火傷を負ったポケモンが何の法則性もなく倒れていた。
これだけ炎タイプの技を使った痕があるのに、
いずれも火事に発展していないという事実には、流石と言うべきなのだろうか。
アヤの目的がますます解らなくなっていく。
あの子のことは全然知らないけれど、ポケモンを傷つけて快楽を感じたりするようなトレーナーではないと思う。
でも同時に、あの子はポケモンに対する思いやりを欠いていて、
野生のポケモンを傷つけることに何の躊躇いも持たないだろうな、とも思う。
自然と駆け足になる。
「早く止めなきゃ……!」
火傷を負った野生ポケモンを辿っていくうちに、
あたしの中で、アヤを追いかける理由が変っていった。
あの子を止めなきゃ。何の罪もないポケモンが火傷を負う前に、アヤを止めなくちゃ。
茶髪ショートと交わした約束はとっくに破ってしまっている。
今、自分がサファリパークのどこにいるのかさっぱり分からない。
でも、なんとなく自分がエリアの境界線上に向かっていることは分かった。
- 133 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/12(月) 01:34:09.98 ID:keM795BI0
- サファリパークは三つのエリアに分けられていてる。
ちなみに縮小工事とはエリア1とエリア2の統合のことで、
エリア1のポケモンをいかにしてエリア2へと追いやるかが、
縮小工事成否の鍵を握っているとタケシさんは言っていた。
焦げ臭い匂いが強くなる。
火傷を負って倒れた野生ポケモンの間隔が狭くなっていく。
近い。そう思った矢先、視界の遙か前方で炎の渦が巻き起こる。
闇にポケモンの呻き声が短く響き、すぐに何事もなかったかのような静寂を取り戻す。
無我夢中で走った。
――アヤ。
燻ったカイロスを一瞥して、でも立ち止まることはせずに、エリアの境を表す常夜灯を目掛けて走った。
闇が薄まっていく。
常夜灯の心許ない明かりが、今では太陽のように感じる。
果たして常夜灯の支柱の許、アヤは夜風に深紅のドレスを棚引かせて、十数体もの野生ポケモンと対峙していた。
- 3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/12(月) 20:09:58.07 ID:keM795BI0
- ――――――
――――
――
ペンライトの明かりが、煙を燻らせる茂みの真ん中に倒れ伏したニドリーノを照らし出す。
これで何体目だろうか。
傷薬はとっくに尽きてしまっていて、あたしは為す術もなく、そのニドリーノを見て見ぬふりをするしかなかった。
「ごめんね」
自然に治癒することを祈って、歩を進める。
コンパンの指し示した道には、コンパンが受けた火傷と同じくらい、
もしくはそれ以上に酷い火傷を負ったポケモンが何の法則性もなく倒れていた。
これだけ炎タイプの技を使った痕があるのに、
いずれも火事に発展していないという事実には、流石と言うべきなのだろうか。
アヤの目的がますます解らなくなっていく。
あの子のことは全然知らないけれど、ポケモンを傷つけて快楽を感じたりするようなトレーナーではないと思う。
でも同時に、あの子はポケモンに対する思いやりを欠いていて、
野生のポケモンを傷つけることに何の躊躇いも持たないだろうな、とも思う。
自然と駆け足になる。
「早く止めなきゃ……!」
火傷を負った野生ポケモンを辿っていくうちに、
あたしの中で、アヤを追いかける理由が変っていった。
あの子を止めなきゃ。何の罪もないポケモンが火傷を負う前に、アヤを止めなくちゃ。
茶髪ショートと交わした約束はとっくに破ってしまっている。
今、自分がサファリパークのどこにいるのかさっぱり分からない。
でも、なんとなく自分がエリアの境界線上に向かっていることは分かった。
- 5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/12(月) 20:11:26.88 ID:keM795BI0
- サファリパークは三つのエリアに分けられていてる。
ちなみに縮小工事とはエリア1とエリア2の統合のことで、
エリア1のポケモンをいかにしてエリア2へと追いやるかが、
縮小工事成否の鍵を握っているとタケシさんは言っていた。
焦げ臭い匂いが強くなる。
火傷を負って倒れた野生ポケモンの間隔が狭くなっていく。
近い。そう思った矢先、視界の遙か前方で炎の渦が巻き起こる。
闇にポケモンの呻き声が短く響き、すぐに何事もなかったかのような静寂を取り戻す。
無我夢中で走った。
――アヤ。
燻ったカイロスを一瞥して、でも立ち止まることはせずに、エリアの境を表す常夜灯を目掛けて走った。
闇が薄まっていく。
常夜灯の心許ない明かりが、今では太陽のように感じる。
果たして常夜灯の支柱の許、アヤは夜風に深紅のドレスを棚引かせて、十数体もの野生ポケモンと対峙していた。
否、包囲されていた。
つがいのニドリーノとニドリーナ、
成熟したサイホーン、鎌を展開したストライク――。
その種に共通性はない。
でも、そこには種族を超えた共通意識が確かに存在していた。
『一匹を追い立てると、二匹になって戻ってくる。
その二匹を追い立てると、次は四匹になって戻ってくる。
そしてその四匹を追い立てると……あとは同じことの繰り返しだ。
仕舞いには種族を超えた徒党で、縄張りを奪い返しにくる』
タケシさんの言葉に偽りはなかった。
- 7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/12(月) 20:13:56.29 ID:keM795BI0
- アヤにどんな理由があったにせよ、
サファリの野生ポケモンを傷つけたことによって、
彼らは団結してアヤを追い返そうとしている。
あたしは木立に身を隠しつつアヤに近づいていった。
威嚇の合唱が大きくなる。
もしあたしがあの輪の中心にいたら、足が竦んでとても立っていられないぐらい、声には怒りと憎しみとが満ちている。
アヤはカントー発電所で初めて見たときと同じように傍らのキュウコンを愛撫していた。
更に近づく。
暗闇が薄まる。
アヤの横顔が露わになる。
口元に浮かんだ冷笑が、彼女がちっとも焦りを覚えていないことを示していた。
「………………ぴぃ」
「静かにして」
ピッピの唇に人差し指を当てながら、考えを巡らせる。
折角アヤに追いついたのに。
ピカチュウの手がかりが目の前にあるのに。
これじゃあ問い質すことは勿論、接触することもできない。
あたしは場に躍り出たい思いを抑えて、傍観するしかなかった。
アヤを囲う輪が半径を狭めていく。
それでもアヤは余裕を崩さない。
一触即発の雰囲気の直中、意外なポケモンがその輪を割って入って来た。
ラッキーだった。
卵のような形をしたふくよかな身体はウィングピンクの毛で覆われていて、
鳥の羽が退化したような耳は歩く度に上下し、
お腹のポケットには大きくて真っ白な卵が収まっていた。
思わず右手で握った空のモンスターボールを左手で押さえつける。
ダメ、いくら可愛くても逸ってはダメ――。
気配を察して、アヤが目を開ける。
- 8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/12(月) 20:17:25.84 ID:keM795BI0
- ラッキーは今にもアヤに飛びかからんとする他の野生ポケモンに何か語りかけながら、
アヤに向かって優しい微笑みを見せた。
そしてペコッと頭を下げ、短い手をエリア2の反対側、入園口の方へ差し向けた。
交渉しているんだ……。
ポケモンの言葉が分からないあたしでも分かる。
ラッキーは戦いを望んでいない。
アヤのしたことを咎めずに、ただこの場から立ち去って下さいと言っている。
アヤはキュウコンの耳に口を近づけ、何かを囁いた。
樹上を渡る風に耳を澄ませてみても、他のポケモンの唸り声が邪魔をして内容を拾うことができない。
やがてキュウコンは天を仰いだ。
朱い瞳が細められ、口が僅かに開かれる。
あたしは無意識に信じていた。
キュウコンの喉は、あの澄んだ音色を響かせることしか知らないのだと。
「オォ―――――ン」
野卑た咆吼が夜空に渡る。
制止する間もなかった。
垂直に据えられた口が下ろされたと同時に、ラッキーは火柱と化していた。
"火炎放射"の残り火が射線に散る。
今すぐラッキーを助けなければ死んでしまう。
頭では分かっているのに、身体が動いてくれない。
キュウコンの"吠える"に硬直していたポケモンたちが、
ラッキーの惨状を見て、思い出したように輪を詰めていく。
「オォ――――――ン」
二度目の咆吼。包囲網はいとも簡単に崩壊した。
かつてあたしを襲った"炎の渦"が、
アヤとキュウコンを護るように広がり、瞬く間にポケモンの輪を押し返していく。
- 14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/12(月) 20:40:14.12 ID:keM795BI0
- カシャン。
熱割れした常夜灯のガラスが舞い落ちる。
燃えさかる炎の輪の真ん中で、アヤはキュウコンの九尾に護られながら、
光を反射するガラス片を綺麗なものを見るような目で眺めていた。
のたうち回るラッキーのことなど眼中にないようだった。
野生ポケモンの群れは炎の渦の前で右往左往していたが、
やがて一匹のサイホーンがその中に飛び込んでいき、
時間差で他のポケモンが後ろに続いた。
火傷を覚悟でアヤを仕留めるつもりなのだろう。
しかし、その特攻はアヤに読まれていた。
すべてのポケモンが炎の渦の中に入ったことを確認した後、
アヤはキュウコンの背に腰掛けた。
跳躍。
炎の渦の外に躍り出る。
中にはラッキーを含めた十数体の野生ポケモンが取り残されたままだ。
嫌な予感がした。
あたしが木立から飛び出すのと、アヤが命令を下すのは同時だった。
「火力を強めて密閉しなさい」
――くぅん。
キュウコンは上品な鳴き声で応えた。
火力を増した紅蓮の炎が渦の中のポケモンを容赦なく炙っていく。
アヤは本気で、あのポケモンたちを"殺す"気なんだ。
「スターミー、水鉄砲で消火して」
何故もっと早くにこの命令を出さなかったんだろう。
そうすればあのポケモンたちは軽い火傷ですんだかもしれないのに。
- 17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/12(月) 20:54:10.98 ID:keM795BI0
- キュウコンの狼の如き吠え声に竦んでいた足は、既に力を取り戻していた。
あたしは熱気に乾いた唇を舐めて、
「どうして……どうしてこんな酷いことをするの?」
アヤは驚きの表情を作りながら、
「答える義理はありません。邪魔をしないでください」
心底迷惑そうにそう言った。
「邪魔するわ。あんなの、見てられない」
「これだからアノマリーは嫌いです。目標達成に遅延が生じてしまう」
- 18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/12(月) 21:05:34.30 ID:keM795BI0
- あたしは一歩詰め寄った。
「あなたはポケモンを傷つけて、心が痛まないの?」
「何故痛めなければならないんですか。
ポケモンはオルタナティブの利く道具です。
そして人間はその道具を使う側です。
愛でようが殺そうが、わたしの勝手でしょう?」
「違うわ。ポケモンは道具なんかじゃない。
あたしたち人間と平等な生き物だわ」
「そういう甘い考え方が一般論であることを、わたしはとても残念に思います。
そしてその考えを絶対だと思っているあなたを、とても哀れに思います」
饒舌に語るアヤは、あたしの記憶にある物静かなアヤとは大きく異なっていた。
- 20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/12(月) 21:19:10.77 ID:keM795BI0
- 「それで結構よ。あたしはあなたの方がよっぽど哀れだと思うわ」
「なんとでもどうぞ。
わたしは無理にわたしの価値観を理解してもらおうとは思っていません。
あなたとわたしは相容れない人間のようですから。
しかし、邪魔をするというのなら、排除するしかありません。
一応警告しておきます。直ちにこの場から立ち去って下さい。
サファリパーク内で見たことを全て忘れると誓って下されば、無傷で園外に返してあげます。
不法侵入についてのも咎めません」
「お断りするわ」
さらに一歩詰め寄る。
側で細々と燃えていた"炎の渦"の残り火が、あたしを照らし出す。
「そうですか。なら、こちらも断固たる―――、」
アヤの表情が凍り付く。
- 26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/12(月) 21:33:18.76 ID:keM795BI0
- まるで友人とはしゃいでいるところを親に見られた子供みたいに、決まり悪く下唇をかんでいる。
アヤは今まで、自分を邪魔したトレーナーがあたしだと気付かずに喋っていたのかもしれない。
でも、それならそれで、どうして急に大人しくなる必要があるんだろう?
「……どうしてこんなところにいるんですか」
「あなたを追ってきたのよ。カントー発電所でのこと、忘れたわけじゃないでしょ?」
アヤは小さく首を振る。
「今日はあの男とは一緒じゃないのね」
「いつもハギノと一緒にいるわけじゃありません」
オツキミヤマで初顔合わせしたあの男の名前は、ハギノというらしい。
「そう。それならそれで好都合だわ」
「な……何が好都合なんですか」
「あなたを捕まえやすいからよ」
- 29 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/12(月) 21:46:12.03 ID:keM795BI0
- 「捕まえる?
甘く見ないで下さい。あなたはわたしより弱い。
それは発電所での戦闘で証明したはずですが」
「まあね。でも、あたしだって強くなるために、何もしなかったわけじゃない。
あなたはピカチュウに繋がる重要な手かがりなの。
だから、この機会は絶対に逃さない」
あのキュウコンに勝てるかどうかは分からない。
確率で言えば、悔しいけど負ける可能性の方がずっと高い。
でも、負けは許されない。
ここでアヤに逃げられたら、もう二度とピカチュウに会えない。
そうやって自分に暗示を掛ける。
「……渡しません」
冷静に一蹴してくるかと思いきや、アヤは感情の籠もった声で言い返してきた。
「あのピカチュウはわたしの物です。
いえ、最初からわたしの物だったんです」
「な、なに言ってるの?
あたしのピカチュウを、あなたたちの組織か何かが勝手に奪っていったんでしょう?」
- 37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/12(月) 22:03:41.93 ID:keM795BI0
- アヤは丈の短いドレスの裾を握りしめて叫んだ。
「違いますっ」
「違わない。ピカチュウだってあたしに会いたがっていたはずよ。
それが何よりの証明でしょ?」
「……っ」
言葉に詰まるアヤ。
あたしはその反応で、今もピカチュウがどこかに監禁されていると確信した。
「きっと、きっと今頃は、あなたのことなんて忘れてます。
ピカチュウはわたしを受け入れてくれました。
あの子のマスターはわたしですっ」
「どういうことなの?」
本当に訳が分からない。
ポケモンを躊躇無く痛めつけ、冷淡に「ポケモンはただの道具だ」と語ったアヤと、
あたしとの再会に動揺を見せ、声高に「ピカチュウはわたしのもの」と嘯くアヤ。
アヤはあたしのピカチュウと、カントー発電所で出会うまで面識がなかったはず。
なのにどうして、あたしのピカチュウに固執するの?
あまつさえそれが自分のポケモンだと言えるの?
- 47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/12(月) 22:17:06.99 ID:keM795BI0
- アヤは答えない。
それ以上の問いを聞くまいと両手で耳を塞いでいる。
あたしは感想を兼ねて挑発した。
「まるで子供ね」
「うるさい……です」
「聞こえてるなら、質問に答えて」
「答える義理はありません」
「義理なんて関係ない。ただ単に、あなたが答えたくないだけじゃない」
アヤの身がぴくりと震える。
それが臨界点だったようだ。
「……もういいです、消えて下さい」
アヤはそっとキュウコンの耳に口づけし、冷笑とともに言い放った。
「"火炎放射"」
風呂
戻るかも戻れないかも
- 73 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/12(月) 23:50:34.29 ID:keM795BI0
- ラッキーを火柱に変えた紅蓮の炎が迫る。
発電所の時は為す術が無かった。
でも、今のあたしはあの時のあたしじゃない。
「相殺して、スターミー」
大出力の水鉄砲が状態変化で熱を奪い、火炎放射を無力化する。
濛々と立ちこめる水蒸気の中、あたしは続けざまに命令した。
「ピッピ、"小さくなる"で暗闇に紛れて」
「ぴぃっ」
テニスボールほどに縮まったピッピが、サファリパークの茂みに潜り込んでいく。
「無駄なことを」
「さあ、どうかしら」
- 74 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/13(火) 00:02:42.71 ID:5km0+/IU0
- アヤのポケモンはキュウコンのみ。
レベル差を考えれば不利な相手だけど、
ピッピを上手く撹乱に使えば、スターミーの相性の優位性で勝つことが出来るはずよ。
「ピッピ、"歌って"」
暗闇から聞く者を眠りに誘うような優しい歌声が響いてくる。
- 5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/15(木) 20:03:35.54 ID:7vPV3m/x0
- 「そんな小手先の技がキュウコンに通じるとでも?
大体の見当をつけて"炎の渦"で囲いなさい。
酸素を奪えば歌も歌えなくなります」
「させない。スターミー、バブル光線の後にスピードスターを発射して!」
泡の群団がキュウコンとピッピのいる暗闇に壁を作る。
そしてその壁を突き破るようにして、"スピードスター"がキュウコンを狙い撃つ。
しかしキュウコンは鮮やかな跳躍でそれを躱した。
――ただえさえ命中精度の高い技を、限界まで視認させずにいたのに。
スターミーの攻撃も虚しく、炎の渦が巻き起こる。
「ぴぃっ、ぴぃっ……」
歌声が苦しそうな咳にで中断される。
このままじゃ、ピッピは酷い火傷を負う以前に、煙で窒息してしまう。
あたしはやむなくスターミーに水鉄砲を命じた。
「仲間を助けている余裕があるんですか?
キュウコン、"電光石火"」
キュウコンの闇に映える白い身体が消え、一瞬にしてスターミーの傍に現れる。
――速い。
「迎撃して!」
咄嗟の命令が間に合わなかった。
突進をもろに食らったスターミーが、壊れたスプリンクラーのように水を撒き散らしながら転がっていく。
くぅん、と喉を鳴らして指示を仰ぐ余裕たっぷりのキュウコンに、アヤは楽しそうに言った。
- 6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/15(木) 20:04:51.46 ID:7vPV3m/x0
- 「どうしたの?
再起不能になるまで攻撃を続けなさい。
自己再生を使われたら面倒です」
「お願い、スターミー、起き上がって!」
頭の隅では分かっている。
キュウコンの身体性能はスターミーのそれを遙かに上回っている。
体勢を立て直す前に追撃を食らえば、後はその繰り返しで、
連鎖的にスターミーはダメージを受け、いずれ起き上がることさえ出来なくなる。
そうなれば終わりだ。
主力のスターミーを失って、アヤに勝てる確率は万に一つもない。
せめてもう一度、体勢を立て直すことが出来れば――
「"火炎放射"」
アヤの声が、あたしを現実に引き戻す。
スターミーはまだやっと起き上がったところだ。ふらつきが残っている。
キュウコンが長く首を伸ばす。
避けて!
そうあたしが叫ぶよりもずっとずっと迅く火炎放射が野原を駆け――。
スターミーのいるところとは全然別の場所を焼き払っていた。
「な……」
キュウコンは炎を吐いた姿勢のまま硬直していた。
横顔の毛並みは不自然に乱れている。
まるで誰かに思い切り『叩かれた』みたいに。
- 14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/15(木) 20:22:29.54 ID:7vPV3m/x0
- 「ぴぃっぴぃ〜」
ご機嫌な鳴き声が茂みを渡る。
あたしは俄に信じられなかった。
炎と煙に巻かれて咽せていたピッピが、
自分でそこを抜けだし、スターミーを助けるためにキュウコンの顔を叩いたなんて。
「……油断しました」
アヤはあたしにというよりは、自分を戒めるようにそう言った。
口ぶりは冷静でも、太股のあたりではぎゅっと拳が握りしめられていて、
あたしはピッピの攻撃が、アヤに予想以上の屈辱を与えていたことを知る。
硬直が解けたキュウコンは、落ち着き無く尻尾を揺らしてアヤの指示を仰いだ。
反撃しようにも、サファリパークの自然と暗闇が、小さくなったピッピを完全に視認できなくしていた。
「スターミー、"保護色"で身を隠して"自己再生"で回復して」
ピッピと同様に、スターミーの身体も背景に溶け込んでいく。
キュウコンが帯びている神秘的な光は、今は存在を誇示する余計な装身具でしかない。
- 17 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/15(木) 20:39:01.45 ID:7vPV3m/x0
- 「"火の粉"を撒き散らしなさい」
とアヤは言った。広範囲攻撃で炙り出すつもりなのだろうか。
しかしスターミーに対して火の粉はあまりに効果が薄すぎるし、
炎の渦を通り抜けた(水鉄砲で火力は弱められていたけど)ピッピがそれに動じるとは思えない。
キュウコンが九尾を波打たせる。
大量の火の粉が舞い上がる。
あたしは一瞬、夜空の星の数が倍になったように錯覚する。
「ポケモンよりも、自分の身を案じた方がいいですよ。
火の粉の攻撃範囲はあなたにまで及びます」
目は降り注ぐ火の粉に注がれたまま、
耳はアヤの自信に満ちたソプラノを聴いている。
花火の真下にいるようなものだ。
避けようがない。
- 19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/15(木) 20:49:21.08 ID:7vPV3m/x0
- 「……っ」
恐怖に目を瞑る。
でも、いつまで経っても火の粉は降り注がなかった。
代わりにあたしは頭の上に若干の重みを感じて、
傘が雨粒を弾くようなパラパラという音を聞いた。
目を開ける。
溜息が出た。
「ピッピ、スターミー……。
もう、どうして隠れていないのよ。奇襲作戦が台無しじゃない」
頭の上には、あたしを守るようにピッピが乗っかっていて、
さらにその上で、スターミーが発動したのだろうか、
"光の壁"がゆっくりと舞い落ちてきた火の粉を受け止めている。
姿をさらしたピッピは当たり前のこと、
コアを発光させたスターミーの居場所は、
完全にアヤとキュウコンにばれてしまった。
折角立て直せたと思ったのになあ。
これで溜息を吐くなというほうが無理な話よ。
- 20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/15(木) 21:01:23.82 ID:7vPV3m/x0
- 「トレーナー想いのポケモンですね」
アヤの皮肉を黙って受け止める。
アヤはピッピとスターミーの優先順位を読んでいた。
戦況が不利になると知った上であたしを助ける、という確信があった。
でも、あたしにはこの二匹のポケモンを責めることが出来ない。
余計なことしてくれちゃって、と思う一方で、その優しさに感謝しているから。
「どちらから仕留めましょうか。
キュウコン、好きな方を選びなさい」
朱い瞳がピッピを鋭く見据える。
先程の"叩く"はキュウコンのプライドをアヤと同じかそれ以上に傷つけていたのかもしれない。
- 25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/15(木) 21:19:01.48 ID:7vPV3m/x0
- 咆吼が空気を震わせる。
暗闇の向こうで、身体の輪郭をぼんやりと光らせたキュウコンが低く身を屈めるのが分かる。
あたしは腹を括ることにした。
アヤとキュウコンから慢心は消えている。
もう奇襲の体勢を取ることは叶わない。
スターミーとピッピの二匹で、真正面からぶつかるしかない。
そしてそこには、今まで封印してきた運に頼るという選択肢も含まれている。
「"指を振って"、ピッピ」
ピッピは頷き、あたしから離れていく。
思考の縁には今も、キクコお婆さんの言葉が引っかかっている。
――ヒナタちゃんが危機に陥ったときも、そのピッピは見当違いの技を発動させていたのかえ?――
お婆さんはあの時、とりもなおさずピッピが"指を振る"の乱数的な特性を制御できると言いたかったのではないだろうか。
その仮定に一縷の望みを掛ける。
- 31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/15(木) 21:38:52.84 ID:7vPV3m/x0
- 「ピッピを援護して、スターミー」
あたしがそう言い終わるよりも先に、キュウコンは"電光石火"を発動していた。
疾走。
跳躍。
踏みつぶされれば小さなピッピは一溜まりもない。
指の振りが止まる。
欲はなかった。
その瞬間、あたしが望んだのはピッピがキュウコンの速攻を切り抜けられること、ただそれだけだった。
「キャウンッ!」
短い鳴き声が上がり、
キュウコンの体躯が不自然な方向に転がっていく。
果たしてピッピが発動したのは"リフレクター"だった。
物理攻撃を防ぐためじゃない、キュウコンの移動を制限するための防護壁。
「……ぐ、偶然ですっ」
「かもね。でも、凌いだことに変わりはないわ」
間髪入れずにスターミーが水鉄砲を発射する。
- 41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/15(木) 21:53:30.20 ID:7vPV3m/x0
- キュウコンのブレスが水の塊を水蒸気に変え、
辛うじて届いた水飛沫でさえ体表熱で尽く気化されていく。
でも、それは発電所で戦ったときに一度見た光景だった。
「スターミー、移動しながら角度を変えて、小刻みに"水鉄砲"を撃って」
一発一発の威力は低くて構わない。
元よりこのレベル差だもの、水鉄砲をいっぱい浴びせたところで決定打になるとは思っていない。
動きを封じることができればそれでいい。
あたしの命令は上手く機能した。
キュウコンはピッピに接近しようとしているものの、
変則的な間隔で変則的な角度から放射される変則的な水量の水鉄砲の相殺に追われて身動きが取れない。
「……なんて鬱陶しい……。
ピッピは後回しで構いません。スターミーから潰すのです」
- 43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/15(木) 22:12:53.53 ID:7vPV3m/x0
- 「ピッピ、もう一度"指を振る"のよ。
スターミーは"光の壁"を前面に張って、できるだけキュウコンを寄せ付けないで」
キュウコンが駆ける。
水鉄砲を相殺することをやめて、素早い身のこなしで水鉄砲の全てを躱しながら、
スターミーの"光の壁"の領域内に侵入する。
- 80 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/15(木) 23:28:40.05 ID:7vPV3m/x0
- 迎撃はまったくの無駄に終わった。
鈍い音が響き渡り、五芒星の身体がくるくると宙を舞った。
「くっ……」
スターミーが地面に落ちる頃には、既にキュウコンは"電光石火"で移動を済ませていた。
弱々しく点滅するコアに容赦なく前脚をかける。
ミシミシという音が聞こえてきそうなほどに。
アヤは余裕に満ちた声で言った。
「降服してください。
わたしは余分にポケモンを殺して快感を覚えたりはしません。
できるならこのスターミーのコアを砕きたくない」
- 84 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/15(木) 23:45:39.47 ID:7vPV3m/x0
- 「…………」
「早く答えて下さい。
キュウコンが加減を間違えないうちに。
それともまだピッピの"指を振る"が奇跡を起こすと信じているんですか」
急かすアヤ。
でもあたしは知っている。
半ば勝ちを確信して気を緩めているアヤと違って、
キュウコンはピッピの"指が振る"に焦りを感じている。
恐らくは今まで他のポケモンに触れられたことがなかっただろう頬を思いっきり叩かれ、
予想外の"リフレクター"で足下をすくわれたキュウコンは、
予測不可のピッピの攻撃を少なからずとも怖れている。
「いけるわね、ピッピ?」
「ぴぃ」
スターミーを踏みつけたキュウコンとピッピの距離は、今や数メートルしか離れていない。
ピッピの小さな指が静かに止まる。
それと同時に、キュウコンは首を横に逸らして"火炎放射"を吐きかけた。
ポケモンの独断専行を、しかしアヤは咎めなかった。
――どうせ結果は変わらない。
そう思っているに違いない。
劫火が迫る。
- 94 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/16(金) 00:03:15.95 ID:xSA9ZpyW0
- キュウコンの"火炎放射"を凌げる技があるとしたら何だろう。
それが"指を振る"によって選び取られる確率は何パーセントくらいだろう。
そしてもし仮に凌げたところで、その次の攻撃を凌げる確率は何パーセントくらいなんだろう。
絶望的に低い数字であることは分かる。
でもあたしは信じていた。
ピッピも信じていた。
ピッピが大きく口を開く。
「ぴぃ〜〜〜!!!!」
今までに聞いたことがないくらいの高い鳴き声とともに放射されたのは、
キュウコンの"火炎放射"と同等かそれ以上の劫火だった。
"物真似"――相手が最後に使用した技をコピーする特殊技。
「凄い……」
炎が混じり合う。
熱気が遠く離れたあたしにまで伝わってくる。
- 109 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/16(金) 00:28:25.90 ID:xSA9ZpyW0
- 炎の直中から、パリンという涼しい音が聞こえてくる。
幸運の女神様はピッピに味方してくれていた。
スターミーが展開した"光の壁"はキュウコンの"火炎放射"を減衰させていた。
もしそれがなかったら、ピッピは特殊能力値の差から撃ち負けていたかもしれない。
ピッピの"火炎放射"がキュウコンを包み込む。
炎タイプの技を吸収するキュウコンの特性『貰い火』で、ダメージを与えることはできない。
でも、あたしの狙いはそこじゃない。
「キャウンッ!」
キュウコンが反射的に怯み、スターミーを踏みつけていた脚が持ち上がる。
スターミーはあたしが言わずとも理解していた。
あたしがピッピを信じていたように、スターミーもピッピを信じていた。
渾身の"水鉄砲"が零距離で放たれる。
大量の水がキュウコンの全身を打つ。
あたしは勝利を確信した。
その時だった。
「避けてはダメ。耐えなさい」
命令するアヤの表情に色は無かった。
あたしはようやく感覚的に、自分とアヤの違いが分かった気がした。
アヤは言った。ポケモンは人間の道具に過ぎない、愛でるも殺すも人間の思惑次第だ、と。
アヤは勝利のためなら自分のポケモンが瀕死になることを厭わない。
例えそのポケモンを常日頃愛する"素振り"を見せていたとしても、瀬戸際に立てば少しの逡巡もなく酷薄な指示を出す。
あたしにはそんなこと、絶対に真似できない。
- 118 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/16(金) 00:40:20.13 ID:xSA9ZpyW0
- 水鉄砲が止まる。
キュウコンは辛うじて持ちこたえているように見えた。
呼吸は遠目に見ても荒く、全身が幽かに震えている。
アヤは淡々と言った。
「割って」
ピシ、と耳障りな音が鳴る。
コアに亀裂が入ったスターミーから無声の悲鳴が上がる。
「嘘……嘘よ、こんなの」
「嘘ではありません。現実です。
キュウコン、"炎の渦"でピッピを捕らえなさい」
迫力を失った、それでも十分すぎる火力の炎がピッピを囲う。
「ぴぃっ……、ぴぃ……、ぴぃっ……」
激しく咳込みながら炎の壁を突き抜けてきたピッピは、そのまま草むらに倒れこんだ。
身体のいたるところに火傷を負っているようだった。
- 126 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/16(金) 00:56:09.58 ID:xSA9ZpyW0
- キュウコンが退く。
入れ替わりにアヤが前に進み出る。
「勝敗は決しました」
戦闘途中の感情の起伏があたしの幻覚だったみたいに、声音は冷たいものに戻っていた。
アヤは事務的に言葉を連ねていく。
「もう一度言います。直ちにこの場から立ち去って下さい。
サファリパーク内で見たことを全て忘れると誓って下さればこのまま園外に返してあげます。
不法侵入についても咎めません」
「……………」
あたしは酷く傷ついた二匹のポケモンを眺めた。
瀕死だ。一目見れば分かる。特にコアを割られたスターミーは危険な状態のようだった。
でも今すぐにポケモンセンターに連れて帰れば大丈夫のように思えた。
また、仲介しようとして火炎放射を浴びせかけられたラッキーも、
今すぐポケモンセンターに連れて行けば回復するかもしれなかった。
冷静に考えるのよ。
ここで一番に優先しなければならないことは何?
ポケモンの命に決まってるじゃない。
この子たちはあたしを守ることを第一に考えてくれた。
なら、トレーナーもそれに報いるのが道理というものでしょう。
理性はアヤに従うことを受け入れていた。
でも感情はその選択肢を頑なに拒んでいた。
- 144 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/16(金) 01:15:47.53 ID:xSA9ZpyW0
- このチャンスを逃せば終わりかもしれないのよ?
ピカチュウに繋がる手がかりを永遠に失ってしまうかもしれない。
本当にそれでいいの?
諦めていいの?
スターミーもピッピはあたしが折れることを望んでいるかしら。
ううん、きっと望んでいない。
あと一歩のところまで来ているのよ。
あの子たちが受けた傷を無意味にしてはダメ。
あたしはアヤに勝たなければならない。
絶対に。
「まだ……じゃない」
「え?」
「まだ、終わりじゃない」
「感情的になるのは見苦しいですよ。
あなたの使えるポケモンは全て戦闘不能になったはず――」
あたしは首を振る。
スターミーとピッピをボールの中に戻す。
そして長い間閉じたままにしてあったアタッチメントを解放する。
迷いはなかった。心は都合の良い麻酔によって感覚を失っていた。
ボールを落とす。無名の闇にHの文字だけが浮かび上がる。
あたしは言った。
「出て、ゲンガー」
- 227 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/16(金) 20:33:09.49 ID:xSA9ZpyW0
- 閃光に照らされた輪郭はすぐに失われ、
あたしはまるでゲンガーのいる場所の暗闇が、質量を持ったように錯覚する。
戦いが始まったときからずっと、ゲンガーはボールをカタカタと震わせていた。
場に出されるまでもなく、ゲンガーは我を失っていた。
「ゲンガー……?
主力はスターミーではなかったということですか」
アヤの精緻な顔が驚きに歪む。
あたしはそれにささやかな優越感を感じる。
ゲンガーの強さが裏打ちする趨勢の転換に安心感を抱く。
言うまでもなく、あたしの頭の中から冷静な判断力は失われていた。
「何故初めからそのポケモンを使わなかったのか疑問です」
「色々と事情があるのよ」
「そうですか。しかし、あなたは後出ししたこと後悔することになります。
二対一でしかも不確定要素が存在した先程の戦闘に比べて、
一対一の純粋な力比べでわたしのキュウコンが負けることはありえないのです」
あたしは思った。
アヤは生まれてから一度もポケモンバトルで負けたことがないのかもしれない。
そうでもない限り、最終進化形態のポケモンを相手にして自信満々でいられるわけがない。
- 237 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/16(金) 20:54:34.43 ID:xSA9ZpyW0
- 「後悔するのはアヤ、あなたの方だと思うわ」
「時間の無駄ですね」
アヤはキュウコンの首を抱いて、
「キュウコン、手早く済ませなさい。
水を浴びせかけられた所為で寒いでしょう。
帰ったら暖めてあげます」
甘いソプラノでそう言った。
それはポケモンに愛情を惜しみなく注ぐトレーナーの模範的な図で、
至近距離からの水鉄砲を受け止めろと命令したその時のアヤの声を、表情を、あたしはもう思い出すことが出来ない。
――くぅん。
キュウコンは九尾を大きく広げながらアヤの元を離れた。
スターミーの攻撃でダメージを負っていることは確かだけど、
それを感じさせない力強い足取りであたしの方に向かってくる。
目の前の濃密な闇がぬらりと動いたのはその時だった。
風が止まる。
波打っていた草原が項垂れる。
虫の音がフェードアウトする。
星が、月が、どこからともなく沸きだした雲に覆い隠されていく。
- 242 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/16(金) 21:13:48.74 ID:xSA9ZpyW0
- 完全といっても良いほどの闇の中で、
キュウコンだけがまるで蛍光塗料を塗られているかのようにぼんやりと光っている。
首を忙しなく動かしてゲンガーの気配を察知しようとしている。
「警戒を怠ってはダメ。そのまま四方に気を配りなさい」
とアヤはあくまで冷静に言った。
でもキュウコンと同じく、ゲンガーがスターミーやピッピとは違う特別なポケモンであることを薄々勘付いているはずだった。
あたしはただ目だけを動かして状況を見守る。
命令したところでゲンガーが従ってくれることはあり得ない。
それはエリカさんとの戦いで嫌と言うほど思い知っている。
そうして、あたしの意志がどこにも存在しないポケモンバトルが始まった。
- 249 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/16(金) 21:34:00.89 ID:xSA9ZpyW0
- 時間帯は夜。
月明かり星明かりは封じられて、人工的な明かりは遙か遠い。
ゴーストタイプにとっては最高のフィールドと言える。
ゲンガーの移動は音も無ければ視界を掠めもしなかった。
「ウゥ」
唸り声が静謐を破る。
「……いつの間に?」
胸に蓄えられた見事な毛並みが、鮮血で濡れていた。
恐らく攻撃を受けたキュウコン自身でさえ、
いつ攻撃されたのか分かっていないのだと思う。
キュウコンの動きが乱れ始める。一時たりともじっとしていない。
あたしにはその気持ちがよく分かった。
ポケモンタワーでゲンガーに襲われたとき、
あたしは自分を包む暗闇が怖くて怖くて仕方なかった。
- 251 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/16(金) 21:42:24.90 ID:xSA9ZpyW0
- 「"火の粉"を明かりの代わりにするのです。
消費のことは気にしなくて結構。発動限界までに仕留めればいいことです」
ボッと火の粉が舞い散り、キュウコンの付近一帯を明るく照らし出す。
よくよく見てみれば、キュウコンは左足の付け根や背中にも浅い切り傷を受けていた。
胸の傷も明かりの下で見直すとそう深くないようだった。
あたしはその痕跡から、ゲンガーの意志を読み取ることが出来た。
傷が浅いのはキュウコンの回避能力が高かったからじゃない。
ゲンガーは多分、戦いを長引かせて愉しんでいる。
――エリカさんのラフレシアを嬲った時と同じように。
- 256 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/16(金) 22:10:33.83 ID:xSA9ZpyW0
- 視界を得て同事に恐怖も消えたのだろう。
「オォ―――ン」
キュウコンは控えめに吠え、"火の粉"を纏いながら野原を駆け巡る。
ゲンガーは呆気なくその姿を晒した。
寸胴の身体。
尖った耳。
ルビーの原石のような暗い赤の瞳。
短い腕と脚のうち、
左腕だけが漆黒の氷刃と化している。
それがラフレシアに振り上げられた時の記憶を、あたしは何故かよく思い出すことができない。
まるで誰かに蓋をされたみたいに。
「"火炎放射"」
キュウコンが数メートルの距離を挟んで身を屈める。
"火の粉"が消え、僅かなタイムラグの後、凄まじい劫火がゲンガーを焼き尽くした――かに思えた。
いいえ、それは嘘。
あたしは最初からゲンガーがやられるなんて思っていなかった。
「ァ……アァ……、…アぁ……、ァ……」
ゲンガーの悶絶らしき響きが聞こえてくる。
「奇襲に特化したポケモンでも、居場所を暴けば何のことはありません」
暗闇の向こう側、あたしは憫笑しているアヤの姿を想像することができた。
- 260 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/16(金) 22:26:50.60 ID:xSA9ZpyW0
- だから、その表情が凍り付くところを想像するのはそう難しくなかった。
――くぅん。
弱々しい鳴き声が、倒れ伏したキュウコンの口から、
細い炎のブレスとともに吐き出される。
ゲンガーはその傍らで、血のように紅い舌を出して笑っている。
"舌で舐める"攻撃は相手を麻痺させる追加効果がある。
「"火炎放射"は命中したはずなのに……躱せるわけがないのに……
キュウコンが接近を許すわけがないのに……どうしてっ………」
「ゲンガーは影を移動できるのよ」
「でも、"火の粉"でキュウコンの周りから影はなくなっていたはずですっ」
「"火炎放射"を発動する直前はどうだったかしら」
キュウコンは全力を持って焼き尽くすために、"火の粉"を纏うのをやめて"火炎放射"に力を集中させた。
その一瞬のうちにゲンガーは移動を終えていた。
ただそれだけの話よ。
- 273 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/16(金) 22:47:03.54 ID:xSA9ZpyW0
- アヤが叫ぶ。
そこにはあたしが初めて耳にする焦燥の色があった。
「今すぐ立ちなさい!」
キュウコンが前脚を地面に立てようとする。
体重をかけた途端に頽れる。
その繰り返しを、ゲンガーは長い舌を出したまま面白そうに眺めていた。
「立って! "電光石火"で一旦退くのです!」
胸のすくような気持ちだった。
罪のないサファリパークのポケモンを傷つけ、
スターミーとピッピを戦闘不能にしたキュウコンが無様に倒れ、
驕っていたアヤも今では見る影もなく、必死になってキュウコンに呼びかけている。
……当然の報いよ。
あたしが罪悪感を感じたりする必要はどこにもないわ。
- 277 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/16(金) 22:51:32.23 ID:xSA9ZpyW0
- あたしは無意識のうちに目を瞑った。
そうするのを待っていたかのように、
ゲンガーがキュウコンを嬲る音が、キュウコンの擦り切れた悲鳴が、アヤの懇願が響き始めた。
- 310 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/17(土) 00:15:43.94 ID:16FxcguE0
- 「負けは許しません。立ちなさい!」
「たかが麻痺でしょう、どうして動けないんですか!」
「もう……もういいです。キュウコン、あなたには失望しました」
「この勝負はわたしの負けで構いません。ゲンガーを止めて下さい。
今の状況ではボールに戻すことができないのです」
「お、お願いですっ。このままではキュウコンが死んでしまう」
アヤの言葉は時間が経つごとに震えを増していった。
あたしは全て無視した。聞こえないフリをした。
ゲンガーを制御できないことを明かさなかった。
「ああっ、もう見ていられません。不本意ですが――」
不自然に声が途絶える。
ゲンガーの暴行は何事もなかったかのように続けられている。
あたしはアヤが黙りこくった理由を知りたくて目を開けた。
厚い雲の切れ間から覗いた月の光が、
ガーターベルトに取り付けられたボールに手を触れたまま停止したアヤを淡く照らしていた。
瞳には赤い光。
あたしは否応なく、同じように硬直させられたエリカさんを思い出す。
- 317 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/17(土) 00:28:33.02 ID:16FxcguE0
- 心の麻酔が解けていく。
そして視線をゲンガーとキュウコンに向けたとき、
どれだけ自分が最低なことをしたかを思い知った。
「あ……ああ……」
ポケモンは道具じゃないなんて、どの口が言えたんだろう。
ゲンガーを「アヤを倒す道具」として使ったのは誰?
暴走は免れない。
それを止める術もない。
全て分かっていた上で、同じ轍を踏んだのは誰?
「やめ、て……」
ゲンガーがキュウコンを一蹴する。
既に抵抗力を失ったキュウコンは、受け身を取ることもできずに転がっていく。
- 321 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/17(土) 00:37:01.45 ID:16FxcguE0
- あたしはゲンガーを裏切った。
危険だから、何が起こるか分からないからと言ってボールの中に閉じ込めてきたゲンガーを、
その場の感情を満たすためだけに、暴走を利用する形で解き放ってしまった。
スターミーやピッピの仇なんて、その裏切りを正当化するための言い訳だった。
「もう……やめて……お願い……」
届かない。
どんなに声を張り上げても、あたしの思いは届かない。
ゲンガーは散歩中に脚を引っかけたような軽さで、
キュウコンの脇腹を蹴り上げる。もうキュウコンの喉は掠れた声さえ上げなかった。
- 329 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/17(土) 01:01:38.78 ID:16FxcguE0
- やがて嬲るのにも飽きたらしいゲンガーが、左腕を天高く掲げにんまりと笑う。
あたしは戦慄した。震えが止まらない。
状況はタマムシでのジム戦を擬えている。
ただ一つ違っていることは、エリカさんのお父さんのような強いポケモントレーナーが近くにいないということ。
あの氷刃がキュウコンを貫くところを黙って見過ごすしかないということ。
「いや……こんなの、いや………」
悔しくてたまらない。情けなくてたまらない。
あたしが強ければ、ゲンガーを使わないでアヤに勝てるくらいに強ければ、こんなことにはならなかった。
涙でぼやけた視界の先で、月光に薄められた暗闇の中、
ゲンガーがゆっくりとキュウコンに歩み寄るのが見えた。
まるで風前の灯火のように、キュウコンの瞳が"妖しい光"を放つ。
- 332 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/17(土) 01:09:10.14 ID:16FxcguE0
- しかし瞳術の扱いはゲンガーの方が上だった。朱い光はすぐにかき消えた。
「もうやめて……おねがい……」
ゲンガーは刃と化した腕を天高く振り上げた。
一点で静止。
そのまま、ずっと振り下ろさないで。
振り下ろされたとしても、どうか、外れて――。
何かを突き立てるような鈍い音のすぐ後に、耳を塞ぎたくなるような苦悶の呻き聞こえてくる。
キュウコンは今や血塗れになっている。
咄嗟の祈りはやっぱり神様に届かなかった。
『……元に戻って、ゲンガー』
でも、無意識に呟いたその一言は、あの不器用で心優しいゲンガーに届いていた。
「……うー……」
影の刃はキュウコンに向かうことなく、ゲンガーの胸を深々と貫いていた。
- 431 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/17(土) 19:33:51.59 ID:16FxcguE0
- しかし瞳術の扱いはゲンガーの方が上だった。朱い光はすぐにかき消えた。
「もうやめて……おねがい……」
ゲンガーは刃と化した腕を天高く振り上げた。
一点で静止。
そのまま、ずっと振り下ろさないで。
振り下ろされたとしても、どうか、外れて――。
何かを突き立てるような鈍い音のすぐ後に、耳を塞ぎたくなるような苦悶の呻き聞こえてくる。
キュウコンは今や血塗れになっている。
咄嗟の祈りはやっぱり神様に届かなかった。
『……元に戻って、ゲンガー』
でも、無意識に呟いたその一言は、あの不器用で心優しいゲンガーに届いていた。
「……うー……」
影の刃はキュウコンに向かうことなく、ゲンガーの胸を深々と貫いていた。
暴走状態なのかそうでないのかは確認するまでもなかった。
前世の記憶に乗っ取られたゲンガーは、あのヘンテコな鳴き声を出さない。
でも、尋ねずにはいられない。
「……ゲンガー? ゲンガーなの?」
「うー、うー」
大きな口が三日月の形に歪む。
ポケモンタワーで出会ってからというもの、ずっと不気味にしか思えなかったその表情も、
今見直すと、ゲンガーの精一杯の笑顔であることが自然に理解できた。
- 4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/17(土) 20:21:55.23 ID:16FxcguE0
- 『心配しなくていい』
穏やかな赤色の瞳が語っていた。
『もう二度と暴走したりはしないから』
痛くてたまらないくせに、苦しくてたまらないくせに、
間延びしたチェロの音のような、昔聞いた子守歌のような鳴き声で、
涙が止まらないあたしを宥めようとしてくれている。
「あたしが憎くないの? あたし、あなたのことを利用したわ。
その所為で傷つけたくないポケモンを傷つけて、あともう少しのところで殺しそうになって、
それで、それで――」
「うーう」
ゲンガーはゆるゆると首を振った。刃が引き抜かれる。
黒々とした血がどっと噴き出し、足許のキュウコンの身を濡らす。
「うぅ……」
それを境にして、ゲンガーは輪郭を失っていった。
ゆっくりと闇に溶け出していく。
まるで水に浮いた氷が溶けて、見分けがつかなくなるみたいに。
「待って! 消えないで!」
咄嗟にハイパーボールを投げる。
閃光がゲンガーを周りの暗闇ごとボールの中に取り込む。
それでもあたしは安心できなかった。
跳ね返ってきたボールを拾い上げ、僅かに増えた重みを確かめてみても、中にゲンガーが入っていると実感できなかった。
- 9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/17(土) 20:39:44.57 ID:16FxcguE0
- 全てが悪い夢の中の出来事だったような気がした。
「キュウコンっ」
瞳術が解けたのだろう、
たたた、とアヤがキュウコンの元に駆け寄ってくる。
雪のように白い手が血濡れた毛を撫でる。
アヤは言った。
「よく頑張りました……ええ、あなたはわたしの誇りです……」
「…………」
キュウコンは応えなかった。
閃光。
ポケモンのいなくなった血溜まりの真ん中で、アヤは静かに顔を上げた。
小さな瞳から流れる大粒の涙が、
キュウコンがゲンガーに嬲られる間に感じた怒りや悲しみの度合いを示していた。
殺意の籠もった視線に、今度はあたしが身動きがとれなくなる番だった。
「わたしは二つ、間違いを犯していました」
- 12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/17(土) 20:54:15.73 ID:16FxcguE0
- キュウコンのボールがガーターリングに装着され、
別のボールのアタッチメントが解放される。
「一つは、キュウコンはわたしが思っていた以上に大切なポケモンだったことです。
あなたのゲンガーがキュウコンを瀕死にした時、
わたしは心の底からキュウコンを救いたいと感じました。
今し方のポケモンバトルは、わたしの固定概念を変えてくれました。
それには感謝しなければなりません。
この切欠がなければ、わたしはきっとこれからも、
キュウコンに上辺だけの愛情を注いでいたに違いありませんから」
ボールが掌の上で膨らむ。
Hを模した黄色のラインがあたしの目にはっきりと映る。
- 25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/17(土) 21:11:47.66 ID:16FxcguE0
- 「そしてもう一つは、わたしがあなたのことを過小評価していたことです。
今までの言動、情動、行動から、
あなたは冷徹にはなれないタイプの人間だと思い込んでいた。
しかし、それは大きな間違いでした。
あなたはわたしよりもずっと冷酷なポケモントレーナーです。
そしてあなたに忠実だったあのゲンガーは、
わたしのキュウコンよりもずっと残虐なポケモンです。
もし最後の"妖しい光"でゲンガーが錯乱し自傷しなければ、
確実にキュウコンは死んでいたでしょう」
違うわ、ゲンガーは"妖しい光"によって錯乱したんじゃない。
暴走を止めるために自分を傷つけたのよ……。
誤解を解くための言葉は、所詮、アヤにとっては言い訳の羅列でしかない。
それに、一時でもポケモンを道具扱いしたあたしに反論する資格なんてないように思えた。
- 29 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/17(土) 21:29:55.46 ID:16FxcguE0
- 「あなたには……報いを受けてもらいます」
一瞬の逆光が、暗闇を背景に大きな獣の姿を浮彫にする。
キュウコンと対極に位置するような黒い肢体のそのポケモンは、
写真を含めて、あたしが初めて目にするポケモンだった。
呼吸に合わせて漏れる炎が鋭い牙を照らし、
反り上がった角は月光を静かに弾いていた。
アヤは言った。
「予告します。
今からわたしはあなたを一度だけ攻撃します。
ポケモンを盾にするか、そうしないかはあなたが選択することです」
- 35 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/17(土) 21:39:22.08 ID:16FxcguE0
- 「そんなの、考えるまでもないわ」
ベルトから全部のボールを取り外していく。
アヤは失望を深めた白い視線をあたしに向け、
「あなたがポケモンを盾にする選択をすることは分かって――」
困惑したように下唇を噛んでいた。
取り外したボールは、今では遠く離れた草むらのどこかに転がっている。
- 43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/17(土) 21:50:55.53 ID:16FxcguE0
- 「さあ、あたしを攻撃して」
それであなたの気が済むのなら。
あたしが犯した罪が償われるのなら。
「手加減はしませんよ。考え直すなら今の内です」
「これでいいの」
――怖くなんかない。
そう強がってみたところで震えはちっとも止まらなくて、
あたしは両腕で自分を抱き締めた。
膝が笑う。へたり込む。
恐怖で身体の自由が利かない。
それでも視線だけは真っ直ぐにしていようと努力した。
- 54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/17(土) 22:38:26.54 ID:16FxcguE0
- 「ヘルガー……」
アヤは傍らのポケモンにそう呼びかけてから、長い間沈黙を保っていた。
でも、キュウコンの無残な姿が脳裡を過ぎったのかもしれない、
太股のあたりの視線に落とし、次の瞬間には毅然と命令を下していた。
「"火炎放射"」
キュウコンの"火炎放射"と比べものにならないほどの劫火が、視界を埋め尽くす。
庇ってくれるポケモンはいない。
あたしにあの炎が避けられるはずもない。
不意に、カントー発電所の中枢であたしをキュウコンの"炎の渦"から守ってくれた男の子のことを思い出す。
ねえタイチ。
自分の身体を盾にしてあたしを助けてくれた時、あんたはどんな気持ちだったの?
あたし、怖いの。
迫り来る炎が怖い。
熱いのが怖い。
火で肌を炙られるのが怖い。
いつかタイチがあたしに追いついた時、あんたはあたしの醜い火傷の痕を見てなんて言うのかしら。
折角あのとき俺が庇ってやったのに……とか言って怒るのかな。
ううん、それ以前に、あたしがあたしだと分からないかもしれない。
それはとても寂しいことのように思える。
諦めが全身を支配する。
そうして次の瞬間には、あたしは空を飛んでいた。
「助けに来たぜ、お姫様」
固く捕まれた右腕から力が抜けていく。
飛びっ切りに気障な台詞を責める言葉が出てこない。
代わりに込み上げてきた熱い塊が、「タイチ……タイチ……」と何度も喉を震わせた。
- 90 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/17(土) 23:49:08.07 ID:16FxcguE0
- 「ほらよっと」
タイチが軽々とあたしを引き上げてくれる。
「落ちないように手はここ……ってわざわざ言うまでもなかったな」
あたしはタイチの腰に手を回して、背中に頭を預けていた。
タイチの心臓の音が聞こえる。温かい。安心する。
泣き顔を見られたくなくてこうしているのに、次から次へと涙があふれ出してくる。
「怪我はないか」
「……うん」
「遅れて悪かったな」
「……うん」
「あれから俺も色々あってさ」
「……うん」
「でも話せば長くなるから、それはまた落ち着いた時に話すよ」
「……うん」
「今はアヤをなんとかしなきゃな」
「……うん」
「ま、俺が来たからにはもう大丈夫だ」
タイチは力強く言った。
「だから泣くな、ヒナタ」
するとまるで魔法がかかったように、涙がすっと引いていった。
顔を上げる。丁度振り向いたタイチと視線がぶつかる。
- 98 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/18(日) 00:00:25.26 ID:xLoNoizd0
- 「うわおっ」
と大袈裟に仰け反るタイチ。
あたしたちを乗せた鳥ポケモンがぐらぐら揺れる。
あたしは片手でタイチにしっかり掴まりながら、もう片方の手で急いで頬を拭った。
涙でべちゃべちゃだった。
顔が熱くなるのを感じる。
「なによ……あたしの顔、びっくりするくらい酷かったの?」
「いや、違えよ」
「じゃ、じゃあなんであんな声出したの?」
「そりゃあ、あの、近かったから」
「……はぁ?」
「予想外にお前との距離が近かったから」
バカじゃないの、と思う。
でも何故かその答えが嬉しくて、おかしくて、
あたしは涙の痕を頬に残したまま笑っていた。
- 112 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/18(日) 00:15:06.35 ID:xLoNoizd0
- 一度は離れたサファリの草原に再び降下していく。
タイチの鳥ポケモンは暗闇の中でも、地上との距離を完全に把握しているようだった。
まだ震えが残っている膝の所為で上手く歩けないあたしに、タイチは無言で寄り添ってくれた。
……本当、女性の扱いに不慣れなのか手馴れているのか分からない。
アヤはあたしたちを睨み付けて言った。
「離脱したのではなかったのですね。何をしに戻ってきたんですか。
ボールの回収なら放置しますが、これ以上わたしの邪魔をするというのなら、
本気でヘルガーに攻撃させます」
- 122 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/18(日) 00:28:04.19 ID:xLoNoizd0
- 傍らのシルエットが唸り声とともに荒々しい炎のブレスを吐く。
早く攻撃したくてたまらない、主人、今すぐ命令を――。
ヘルガーはそう言っているようだった。
歪んだ菱形の目からは獰猛な性格が伺えた。
「ヘルガー? 聞いたことのない名だな」
「新種の炎ポケモンよ。キュウコンより強いわ」
例えあれからタイチが成長していたとしても、勝てる相手じゃない。
せめてあたしのポケモンが万全で、それとタイチのポケモンが連携して初めて勝機が見えるくらいにヘルガーは強い。
でもタイチはあたしの言葉を軽く流して言った。
「へえ、じゃあ戦って確かめてみるか」
「後悔しますよ。わたしは滅多にこのポケモンを使いません。
それはヘルガーが加減を知らず、ほとんどの場合において相手ポケモンを死に至らしめるからです」
「面倒くせー御託はナシにしようぜ」
タイチがベルトからボールを外す。
閃光。
「行け、バクフーン」
- 130 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/18(日) 00:38:56.91 ID:xLoNoizd0
- 秋の涼気が一気に吹き飛ばされ、真夏の熱帯夜のような熱気が辺りを覆う。
マグマラシから進化を遂げたバクフーンは、
揺らめく陽炎の中で静かに主の命を待つ。
「一撃で葬ってあげます」
「やれるもんならやってみな」
「ヘルガー――」
「バクフーン――」
下された命令が同じなら、
「「"大文字"」」
放たれた爆炎も同等だった。
- 195 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/18(日) 15:01:09.32 ID:xLoNoizd0
- 炎と炎が互いを飲み込み合い、食らい合い、
そこに存在していた物を遍く焼き尽くし、灰燼に帰す。
暴れ回っていた炎と風が収まって、あたしがやっと直視できるようになった時、
ついさっきまで草原だった空間は地面ごと灼かれて、荒涼たる大地に様変わりしていた。
しばらくはこの場所に新しい命が芽吹くことはないだろうと確信できる光景だった。
「互角……!?」
「どうやらその通りみたいだな」
アヤは狼狽していた。
「有り得ません。わたしのヘルガーは特別です。
お父様だって認めてくれました。
バクフーンのような普遍的なポケモンとは違うんです」
「知らねえよ、そんなこと」
タイチはアヤとは違う意味で項垂れていた。
「ショックなのはアヤ、お前だけじゃないんだぜ。
俺としちゃあここで軽く力比べに勝ってカッコつけるつもりだったんだが……。
これじゃあ発電所の時から進歩したってヒナタに胸張れねえじゃねえか」
- 200 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/18(日) 15:18:10.95 ID:xLoNoizd0
- そんなことない。
あんたがあたしを間一髪のところで助けてくれたとき、タイチは凄く格好良かったわ。
それに今、こうやって目の前で戦っているタイチは、あたしの知っている誰よりも頼もしく思えるもの。
――なんて言葉は、今は胸に仕舞っておく。
タイチは聞こえよがしに言った。
「さあて、これからどうするかな。
あと数分かそこらで増援が来るから、
それまで時間稼ぎするだけでもいいんだが、それもつまんねえよな?」
「あ、あたしに聞かないでよ。それに増援ってどういうこと?」
「俺がヒナタの元にやってこれたのは、何も奇跡が起こったからじゃない。
一旦ポケモンセンターに行って、そこでカエデと派手な女の子二人から話を聞いて、
慌ててコイツで飛んできたんだよ」
タイチが指の関節で、鳥ポケモンが入ったスーパーボールをコンコンと叩く。
「だからあともう少ししたら、カエデとその子たちもやってくると思うぜ」
- 206 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/18(日) 15:39:12.54 ID:xLoNoizd0
- タイチはアヤに向き直って言った。
「かかってこいよ、アヤ。
せめて多勢に無勢になるまでの間は純粋なポケモンバトルを楽しもうぜ」
あたしは溜息を吐く。
まったく、すぐに調子に乗るんだから……。
アヤはタイチの挑発を無視して、指で輪を作り、それをそっと口に入れた。
ピィ―――――ッ。
甲高い指笛の音が夜空に響動む。
一時の静寂を経て、大きな羽音が聞こえてくる。
オニドリルだった。
「逃げるのか」
「計算に基づいた合理的な策です。
わたしは負け戦はしない主義なのです」
ヘルガーをボールに戻し、オニドリルの大きな背に跨るアヤ。
それまでタイチに向けられていた視線が、冷ややかにあたしを一瞥する。
喉は震わせずに、唇だけが動く。
――卑怯者――
そう読み取れた。
「…………ッ」
返す言葉が見つからなかった。元より、無かった。
- 208 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/18(日) 15:55:11.71 ID:xLoNoizd0
- 「行きなさい」
オニドリルは不気味な嗄れ声でそれに応えた。
アヤが、ピカチュウの端緒が、あたしの手の届く範囲から離れていく。
やがて羽音が聞こえなくなり、
アヤとオニドリルの姿が夜空の闇に紛れた頃、
タイチはベルトからボールを外して言った。
「追え、エアームド」
ついさっきあたしを背に乗せてくれた鳥ポケモンの名はエアームドと言うらしい。
無駄な突起のない流線的な身体は、あたしにジェット機を連想させた。
鈍色の表皮は僅かな光を反射していて、まるで鋼の鎧のようだった。
- 214 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/18(日) 16:23:28.03 ID:xLoNoizd0
- 「隠密飛行だ。追跡はアヤが着陸するまで続けてくれ」
頷き、一陣の風を残してエアームドは羽ばたいていった。
あたしが空を見上げた時、その姿は既に見えなくなっていた。
「ふうっ、これで一仕事終わったな」
タイチがどっかと草原に座り込む。
「あとはカエデたちが来るのを今か今かと待つだけだ」
「今か今かって、すぐにやってくるんでしょ……?」
「あれはブラフだ」
「え、じゃあカエデたちは、」
「まあ落ち着けよ」
タイチはあたしを遮って、仰向けになりながら言った。
「来るのは確かだ。けど空からヒナタを捜せた俺と違って、
この夜中に地上から俺たちを見つけ出すのは結構時間がかかると思う。
俺たちだけでサファリを脱出する手もあるが、
ヒナタのポケモンはみんな瀕死の状態にあるみたいだし、
バクフーン一体じゃ前から襲ってくる野生ポケモンを蹴散らせても、
背後から奇襲されたときにヒナタを守り通す自信がないからな」
「タイチ……」
「いやー、それにしてもアヤがすんなり撤退してくれて助かったぜ。
まさか自信満々で繰り出したバクフーンの必殺技が、
あっさり相殺されるとは思ってなかったからな――」
話すタイチを余所に、あたしはタイチが調子に乗っていると思い込んでいた自分を恥じた。
タイチはあたしよりもずっと深く考えていた。
- 219 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/18(日) 16:46:26.64 ID:xLoNoizd0
- あのまま真正面からヘルガーと戦ったとして、
もしもタイチのバクフーンが負けていたら、状況は最悪へと逆戻りしていただろう。
また、もし仮にタイチが勝利したからといって、
アヤがピカチュウの居場所を教えてくれるとは限らない。
アヤが固く口を噤んでしまえば、それで終わりだ。
タイチはそれを考慮してアヤに嘘をついた。
わざと泳がせ、アヤの拠り所の位置を探ろうとした。
「ありがとう、タイチ」
あたしはタイチに近づいて言った。
「あたし、どうしてこんな使い古された言葉しか言えないのかな。
もっと色々言いたいことがあるはずなのに、上手く言えないの」
「別に語彙ひねることねえよ。ありがとうの一言で充分だぜ」
「本当に?」
「本当に」
温かい沈黙が流れる。
あたしが心の中に渦巻く感情を頑張って言葉にしようとしたその時、
不意に近くの木立がざわめき、カエデが飛び出してきた。
「変な空気禁止ッ!!」
- 224 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/18(日) 16:56:37.31 ID:xLoNoizd0
- 「カエデ!?」
「ず、随分早かったな?」
驚くあたしとタイチを見据え、
「このあたしに不可能はないの。
視覚なんて必要ない。匂いで分かるもの」
ふぁさっと髪を掻き上げる。引っ付いてた葉っぱが舞い落ちる。
格好いいのか格好悪いのか分からない。
「あーあ、イイトコだったのに」
「もったいなーい……」
遅れて出てきた二人組を、カエデは恐ろしい形相で睨み付けた。
「今なんて言ったか聞こえなかったんだけど? もう一度言ってもらえる?」
「な、なんでもありません」
- 227 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/18(日) 17:16:44.23 ID:xLoNoizd0
- その反応で満足したのか、再びあたしたちに視線を移し、
「タイチくんのエアームドは?」
「"空を飛ぶ"での離脱なら諦めてくれ。エアームドにはアヤを追わせてる」
「じゃあ、本当にアヤがここに居たのね?」
厳しい口調に、あたしはおずおずと頷きを返す。
「どうして、どうしてあたしに一言、声をかけてくれなかったのよ」
「それは……急がないと見失うと思って……」
二の句が継げない。
カエデは感情を抑えるように一息吐いて言った。
「とにかくここを抜けましょう」
「ここまで来たカエデなら承知してると思うが、
サファリのポケモンは今、普通の野生ポケモンと比べてずっと警戒的になってる。
無難なのはそいつらを刺激しないよう迂回路をとる方法だが、」
「ダメよ、それじゃあ傷ついたポケモンの体力が持たない。
四方をあたしたちのポケモンで固めて、追い払いながら突っ切るの」
出来るわね、という確認に、茶髪ショートと金髪ロングがぎこちなく首肯する。
- 230 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/18(日) 17:32:19.77 ID:xLoNoizd0
- ただ漠然と、あたしは無力だな、と思った。
コアに罅が入ったスターミー。
自ら刃を胸に突き立てたゲンガー。
全身のいたるところに火傷を負ったピッピ。
そして、そのピッピよりも酷い火傷を被ったラッキー。
今あたしできるのは、この子たちが命を繋ぎ止めること、ただそれだけ。
強くなりたかった。
他の誰にもポケモンを傷つけさせないくらいに、強くなりたいと願った。
第十六章 下 終わり
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