- ピカチュウ「昔はよかった・・・」
- 6 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/27(火) 19:43:56.92 ID:ZRcfC7LK0
- 帰ってきたエアームドが嘴で指したのは、
ヤマブキシティに本社を有する巨大企業にして、
ポケモン産業の中核を成すシルフカンパニーだった。
それからのあたしたちの行動は早かった。
タイチは既に荷物を小さく纏めていたし、
あたしの準備もあっという間に完了して、
エアームドは帰還早々、空の道を往復することになった。
「体力は大丈夫なの?」
「今なんか言ったか?」
声を張り上げるタイチ。
地上で十分だった声量は、空に上がった途端、小さな囁き声になってしまう。
「エアームドの体力は大丈夫なの?」
「問題ない。こいつは見かけ通りタフだからさ」
- 8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/27(火) 19:58:15.63 ID:ZRcfC7LK0
- タイチの言葉を裏付けるように、エアームドが甲高い鳴き声を上げる。
「それよりヒナタ、お前の方は大丈夫なのか?」
「どういう意味?」
「寒いのが我慢できなくなったり、休憩したいときは無理せず言えってことさ。
空は地上と全然気温が違うし、夜になると寒さは段違いに酷くなる。
なあヒナタ、さっきも言ったと思うが、俺は別に一晩どこかで野宿しても、」
「いいの」
アヤの居場所は判明している。
けど、アヤがそこに留まり続けるという保証はどこにもない。
だから――。
「一刻も早くヤマブキシティに辿り着かなくちゃいけない。そうでしょ?」
「ああ」
- 15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/27(火) 20:24:43.38 ID:ZRcfC7LK0
- エアームドは風に進路を揺さぶられることもなく、一直線に飛び続けた。
時々、野生ポケモンの群れが大移動しているのが見えたり、
鳥ポケモンの群れがあたしたちよりも低い空を横切っていくのが見えたりした。
茫漠とした森を越え、川を越え、丘陵を越えていくうちに、
あたしは距離の感覚が希薄になっていくのを感じていた。
カエデやリュウジと随分離れてしまったんだ、という実感が持てなかった。
やがて、あたしを僅かなりとも暖めてくれていた日差しが弱まっていく。
夕陽が地平線に沈んでいく。
なんだか妙な感じだった。理由はすぐに分かった。
普段と違う高い視点から入り日を"見下ろしている"から、落ち着かないんだ。
眼下の森、くすんだ茶色に染められた葉は赤い光に重ね染めされて、綺麗な黄金色で満ちている。
写真に収めたくなるほどの絶景は、
けれど数分も経たないうちに消えてしまう。
世界は夜の帳に包まれる。
地上も空も関係なく。
「そういえば、肝心なことを聞き忘れていたわ」
あたしがそれに気付いたのは、
丁度タイチが「行程の四分の三を翔破した」と告げた辺りのことだった。
「タイチは退院してから、どこで何をしてたの?」
- 16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/27(火) 20:37:16.45 ID:ZRcfC7LK0
- 「ああ……、それは……」
反応は鈍かった。
「まさかつい最近まで病院にいたってわけじゃないんでしょう?」
「病院は割と早く退院できたんだ。
ヒナタとカエデがクチバを発って、半月くらいした辺りかな」
「その後は?」
「修行」
……………。
三点リーダ五つ分くらいの空白をおいて、
「え、それで終わり?」
「ああ、もうひたすら修行。
明けても暮れても修行。
精根尽き果てても修行。
地獄みてえな毎日だった。
ま、おかげでマグマラシはバクフーンに進化して、
エアームドも手に入れることが出来たんだが……」
タイチの背中がぶるっと震う。
それが寒さによるものでないことは、なんとなく解った。
後ろから覗き込んだタイチの横顔は、
悪夢から目覚めた直後のように強張っていた。
「た、大変だったのね?
どうしてすぐにあたしたちに追いつこうとしなかったの?」
- 25 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/27(火) 21:12:10.48 ID:ZRcfC7LK0
- 「最初はそうするつもりだったんだ。
でも、リハビリがてら、バクフーンの調整がてらのつもりで声をかけた相手がただ者じゃなかった。
そのカレンのババア――」
と言いかけたところで、
タイチは病的なまでに素早い動きで周囲を警戒し、
「じゃなくて"カレンさん"は炎タイプのポケモン遣いでさ。
それを聞いた時は、マグマラシの腕試し出来るしラッキー、なんて調子こいてたんだ、俺は。
結果は惨敗だった。一瞬でやられちまった。
もしかしたら親父とタメはれるんじゃねえかってくらいカレンさんは強かった。
で、その後、何を思ったのかカレンさんはこう言ったんだ。
『筋は良いが若すぎる。これも何かの縁だ、私が鍛えてやろう』ってさ。
まるでそうすることが最初から決まってたみたいによ」
「そのカレンさんはどんな人なの?」
「さあ、カレンさんは自分について、あんまり多くを語ろうとしなかったからな。
グレン出身で、妹が一人いて、とんでもなくポケモンバトルが強くて、クチバには休暇目的で来ていたってこと以外は、」
「違うわ。あたしが聞いてるのは……そのカレンさんの人となりのこと」
「背は高かったな、俺と同じか、それよりちょっと高いくらい。
歳は30過ぎてるみたいだったけど、明眸皓歯、眉目秀麗とかの四文字熟語がぴったりの、とんでもない美人だった。
胸も大きかったっけ、いやでもヒナタほどでは……ごふっ」
延髄に手刀をたたき込む。
なに勢いで口走ってんのよ、バカ。
「あー、まあ、あれだ。とにかくファッション雑誌からそのまま出てきたような人だったんだ。
でも修行をつけてもらっているうちに、俺はカレンさんに男の影がない理由を、身をもって知ることになった。
そりゃ誰もよりつかねえよ。あの人は真性のサディストだったんだからな。
カレンさんは修行期間中、色んな技術を教えてくれたけど、修得までの過程はスパルタ教育なんてもんじゃなかった。
古代スパルタにいたら表彰モンの教鞭の執り方だったね」
- 34 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/27(火) 21:32:51.36 ID:ZRcfC7LK0
- 「でも実際に頑張ったのはタイチじゃなくて、バクフーンなんでしょ?」
厳しい指導で精神的に疲れるのは分かるけど、
肉体的に疲れるのは、ポケモンだけなんじゃないかしら。
タイチは力なく首を振って、
「違うんだ、ヒナタ。
俺が教えられたことを守らなかったり、忘れたりする度に、
カレンさんは心底嬉しそうに笑って、こう言うんだよ」
――貴様の記憶力にはうんざりさせられる。ギャロップ、物の覚え方を教えてやれ――
「辺りは一瞬で火の粉の雨だ。
カレンさんは逃げ惑う俺を見ても、恍惚の表情浮かべるだけでさ。
一回こっそり傘を持っていって広げたら、速攻で真っ二つに折られて、倍の火の粉浴びせられたっけ。
きっとあの人は俺を虐めたいだけだったんだろうな」
- 43 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/27(火) 21:57:40.91 ID:ZRcfC7LK0
- 悟りを開いたように、ほう、と息を吐くタイチ。
「そんな感じの毎日が一ヶ月ほど続いて、
俺はそろそろ仲間のところに追いつきたいから、修行を終わりにして欲しいと申し出た。
カレンさんはあっさり認めてくれた。
しかも徒歩は辛かろうということで、今俺たちが乗ってる、このエアームドまで貸してくれた。
ただし、一つ条件付きでな。
色んなゴタゴタが終わって、ポケモンリーグ出場に必要なバッジを全部集めたら、
エアームドの返却ついでに、グレン島の私の許に来い、ってカレンさんは言った。
それだけじゃないぜ、それまでの態度を一遍して、私は結構お前のことが気に入っていたのだぞ、なんて言いやがったんだよ」
「それで、タイチはなんて返事したの?」
焦りに似た感情が込み上げてくる。
背が高くて、綺麗で、胸が大きくて、ちょっと性格が歪んでいるけど、女性の理想のような人となりをしているカレンさん。
あたしは無意識に自分とカレンさんを比較していた。
タイチは答えた。
「曖昧にしてある。
カレンさんは普段から白黒ハッキリ付けたがる人なんだけど、その時は珍しく、その返事で許してくれたよ。
実際にどうするかは、エアームドを返しに行く時になってから考えようと思ってるんだ。
あの人性格は真面目にキツイけど、あの人のトコでポケモンリーグに向けて修行するのも悪くはなさそうだしさ」
- 49 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/27(火) 22:23:21.45 ID:ZRcfC7LK0
- ヒナタはどうしたらいいと思う、と訊いてきたタイチに、
「あたしに聞かないでよ。タイチが決めることなんだから」
反射的につっけんどんな答え方をしてしまう。
あたしは気付き始めていた。気付くまいとしていたことに。
遭逢は別離への布石である――。
誰かが言っていたその台詞の意味が、今ならよく分かる。
今は一緒に旅をしているカエデやタイチとも、いつかはバラバラになる。
あたしたち三人が大人になる頃には、
今流れている時間は時折思い出されるだけの、ただの記憶になってしまっている。
三人の関係もママとシゲル叔父さまの関係みたいに、
疎遠と親密の中間地点に落ち着いてしまう。
そう思うと無性に切なくなった。
「……タ、おい、ヒナタ」
「えっ、何?」
「ぼーっとすんなよな。どうしたのかと思って心配になるじゃねーか……」
「ご、ごめんなさい」
「進路に雨雲が確認できるんだが、どうする?
エアームドは悪天候の中でも飛べるが、乗ってる俺たちは無事じゃ済まない。
どこかで雨宿りするか、それともこのまま突っ切るかは、ヒナタの判断に任せるよ」
- 55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/27(火) 22:51:28.13 ID:ZRcfC7LK0
- 「雨雲はどれくらいの大きさなの?」
「暗くて正確な雲量までは測れない」
「雲の上を飛ぶことはできない?」
「エアームド単体ならな。
でもその高さまで上がると、空気は薄くなるし、
気温も極寒で生身の俺たちは耐えられない」
あたしは考える。
いつ晴れるともしれない雲をいちいち障害と認めていたら、いつまでたってもヤマブキシティに近づけない。
「……突っ切るわ」
「そう言うと思ったぜ」
エアームドが加速する。
「正面からの雨は俺の体で防げるけど、目は俺がいいって言うまで瞑っとけよ」
タイチがそう言ってから数秒後、
細やかな霧状の雨があたしの頬を撫で、その次の瞬間には、小粒の雨が容赦なくあたしを打ち始めた。
どっちが空で、どっちが地面なのか分からなくなるほどの雨の中、エアームドは確かな方向性を持って進んでいく。
どれくらい雨雲の下にいたのだろう、時間の感覚を失いかけていたあたしは、
「見ろよ」
というタイチの声で、恐る恐る瞼を開き、眼下の光景に息を呑んだ。
立体的な迷路を思わせる高層建築物の群れ。
昼と夜の境界を失わせる人工的な光の戯れ。
黒く濡れたヤマブキシティに、山吹色の華やかさはなかった。
- 5 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/29(木) 20:19:17.72 ID:2mgx24bx0
- 「同じ国の中にある街とは思えねえな」
クチバシティのような張りぼてじゃない。
けど、タマムシシティのように娯楽と道楽の香りが満ちているわけでもない。
ヤマブキシティは本当の意味での"都市"だった。
第三次産業を中心に急成長を遂げ、
近年では第四次、第五次産業の発展が目覚ましい――とカエデが語っていたことを思い出す。
- 8 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/29(木) 20:26:09.30 ID:2mgx24bx0
- 「とりあえず降りる場所を探そう」
とタイチは言った。
「地図を見てくれ」
あたしは言われたとおりに、バッグから地図を取り出した。
風に吹き飛ばされそうになるのを指で押さえながら、現在位置を確認――
「できるわけないじゃない」
「だよな」
二人揃って項垂れる。
整然と立錐する高層建築物の群れは、
まるで申し合わせたように灰色で、
大小の違いはあれど、どれも同じような形をしていた。
- 14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/29(木) 20:50:07.89 ID:2mgx24bx0
- 途方に暮れかけたその時、タイチは「閃いた」という感じに手を打って、勢いよく振り向いた。
エアームドが軽く揺れる。
「シルフカンパニーの社標を探そう」
シルフカンパニーの社標を知らない人間はいない。断言できる。
テレビで、インターネットで、雑誌で――様々なメディアを通して、あたしたちはその社標を認知している。
紫と白に塗り分けられ、上部にMの文字が刻印された、
モンスターボール最上位互換、マスターボール。
捕獲率は驚異の99.9パーセント。
年間十数個しか製造されず、極めて稀少価値が高い。
その理由をシルフカンパニーは技術的な問題だとしているが、真実は定かでない。
ポケモンリーグ優勝者には、スポンサーであるシルフカンパニーから、
マスターボールが授与されるのが通例となっている。
価格は一般公開されていない。
でも、例え公開されていたとしても、とても一般人が手を出せる金額じゃないことは確か。
完全なオーダーメイド方式で、オーダーできるのはVIPに限られている。
ポケモントレーナーなら、誰でも知っていることだった。
- 16 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/29(木) 21:10:06.45 ID:2mgx24bx0
- 「見つかるかしら?」
「シルフカンパニーはヤマブキシティでも五指に入る高層ビルらしいぜ。
しばらく飛んでりゃ嫌でも目に入ってくるんじゃねえか?」
と楽観的にタイチは言い、続いてエアームドに高度を下げるよう指示した。
甲高い鳴き声が応え、徐々に街の風景が迫ってくる。
サーチライトの光が幾本も夜空を貫いている。
ビルとビルの隙間のずっと下の方から、微かに喧噪の気配がする。
「ヒナタも俺と一緒で、目が良かったよな?
俺は前方を担当するから、後ろの方を頼む」
「分かったわ」
あたしは前を向いたままのタイチに頷き、すぐに視線を斜め下に降ろした。
通り過ぎる景色は10分経っても変化を見せなかった。
同じようなビルばっかり。
雨に降られた体が、急速に冷え始めてきたのが分かる。
あたしはふと視線を上げた。そして暗闇に紛れて飛翔する四つ――いや、まだいる――五つの点を見た。
「……タイチ、あれを見て」
「どうした、何か見つけたのか?」
- 18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/29(木) 21:27:05.26 ID:2mgx24bx0
- あたしは指さした。タイチはその方角に目を凝らし、
「なんだありゃ」
「分からないわ。いつの間にかいたのよ」
さっき見た時よりも、距離は更に詰まっている。
それがただの大きな鳥の群れではなく、飛行ポケモンの編隊であることは明白だった。
「追跡……されてると考えるのが妥当だよな」
「とりあえず着陸するというのは?」
「ダメだ。大体の位置が割れてるんだ、すぐに包囲されちまう」
振り切れ、とタイチがエアームドに命令する。
あたしが反射的にタイチにしがみつくのと同時に、エアームドが安定を犠牲にして加速する。
振り向く。揺れる視界の先に、滑るように接近してくる紫色のポケモンを捉える。
何度数えても5体。それ以上増えもしなければ減りもしない。
- 23 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/29(木) 21:54:43.35 ID:2mgx24bx0
- 距離が狭まるにつれてそのポケモンの特徴が明らかになっていく。
両腕は大きな鋏で、尻尾の先端は蠍のように尖っている。
手と足にかけて鮮やかな青の飛膜がある。
でも、そんなことが分かったところで、あたしには何もできない。
ただタイチを信じて、その体にしがみつくことが精一杯だった。
先頭の飛行ポケモンが数mのところに迫る。
「タイチっ!!」
「今からちょっと派手な飛び方する。
だから、何があっても俺を離すな。余計なこと考えずに掴まってろ」
背中に向かって頷く。
刹那、エアームドは上昇に転じた。
眼下の空を、鋏をいっぱいに広げた飛行ポケモンが切り裂いていく。
ロールしつつ角度が垂直になったところで失速。
重力と推力が釣り合い、まるで宙に放り出されたような感覚に襲われる。
追撃にかかっていた別の飛行ポケモンが勢いを維持したままあたしたちを通り過ぎる。
「エアカッターだ」
タイチの声が聞こえる。エアームドの赤い羽が僅かに震え、
目に見えない空気の刃が放たれる。
その技の威力を知る前に、
エアームドは重力に身を任せ、街の光に向かって落ちていく。
恐怖は感じなかった。タイチを離さない――そのことだけしか頭になかった。
- 30 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/29(木) 22:13:33.75 ID:2mgx24bx0
- 地上と空の距離なんて、垂直降下すればあっという間に尽きてしまう。
視界に収まっていた風景の範囲が狭まっていく。
まるで航空写真を拡大するみたいに。
あたしは一瞬後ろを振り返る。
三体に減った飛行ポケモンはぴったりと後ろをついてきている。
個々による攻撃は効かないと判断したのだろうか。三体は固まって飛行していた。
前を向いたとき、既にビルは目前に迫っていた。
給水塔や室外機を細かく描写できるぐらいに。
ぶつかる――そう思った次の瞬間、
エアームドは軌道を僅かに反らし、ビルとビルの間に潜り込んだ。
信じられないほどの数の窓から漏れる白い光が、あたしの両脇を駆け抜けていく。
それを綺麗だと思う暇もなく、エアームドは身体を水平に戻す。
一時たりとも静止しない。視界に移る景色は目まぐるしく移り変わる。
- 33 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/29(木) 22:30:05.85 ID:2mgx24bx0
- 幅が4mにも満たないビルとビルの隙間を抜けていく。
ヤマブキシティを初めて見た時に感じたことは正しかった。
立体的な迷路とはまさにこのことだと思った。
ただしその迷路には、きちんとした出口が用意されていない。
左、右、右、左、右――。
いったいいくつの曲がり角を曲がったんだろう。
どれだけのビルを通り過ぎたんだろう。
突然目の前に現れた建設工事中のビルを見て、あたしは絶句した。
それはタイチも同じはずだった。
上昇に転じるにも下降に転じるにも遅すぎる。
残された道は、複雑に絡み合った鉄筋に突っ込んでいくことだけ。
背後の追跡ポケモンがどうしているのかを知る余裕なんてない。
「伏せろ!!」
タイチの怒鳴り声が聞こえる。
エアームドが外側の鉄筋を躱す。
柵状の骨子を飛び越える。
でも、そこまでだった。
金属と金属が激しくぶつかりあう音が聞こえ、あたしの視界は暗転した。
- 47 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/29(木) 23:44:34.72 ID:2mgx24bx0
- 夢の終わりは現の目覚め。
見開く。即時に状況を確認する。
相手の数は?
属性の相性は?
推定レベルは?
総合戦力は?
地形の特徴は?
制限事項は?
趨勢はどちらに傾いている?
「ピィ……ピィ……」
"何を"しているんだ、僕は。
倒すべきポケモンなんてどこにもいないじゃないか。
さあ落ち着け。呼吸を整えろ。
どこかに焦点を合わせるんだ。
自分を落ち着かせるために言葉を並べ立てる。
それでも胸騒ぎが収まらない。
どうやら僕は飛び切り酷い悪夢を視ていたようだった。
タオルケットを除けて身を起こす。
シーツは汗でぐっしょり濡れていた。
僕は夢の内容を思い出そうと努力した。
光と影の対比が眩しい場面が連続する。
視点はまるで空を飛んでいるみたいに縦横無尽に動き回る。
しかしそれにも終わりがやってくる。
僕は耳慣れた誰かの声が、悲痛な叫びに変わるのを耳にした……。
「チュウッ!」
ヒナタ! そうだ、あの声は間違いなくヒナタのものだった。
- 55 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/29(木) 23:56:55.11 ID:2mgx24bx0
- いてもたってもいられなくなる。
僕はベッドを抜けて、それまで一度も触れたことのなかったドアノブに手を掛ける。
身体の痛みは大分引いている。これも一重に看護婦さんたちの治療のおかげだ。
ヒナタを助けに行かなければ。
彼女はきっと今頃助けを求めている。
彼女はそれを、夢を通して僕に伝えようとしたんだ。
「ピカ、チュ……」
でも僕は結局、理性に従わざるを得なかった。
ノブに数秒ぶら下がったあと、それを内側に開かないまま床に着地した。
身体の痛みは引いている?
笑えない冗句だ。
僕は未だ元の力の半分も取り戻していない。
無理に動かそうとすれば、四肢が、内臓が、引き攣られるように痛む。
それにヒナタが自分の危険を夢で知らせようとしたという推測も、あまりに非現実的かつ非科学的すぎる。
夢と現実を混同してはならない。
境を見失ってはならない。
- 58 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/30(金) 00:07:37.86 ID:rSd4PGrz0
- 「チュッ」
僕は未だに調子の戻らない電気袋を両側から叩き、ベッドに戻った。
サカキは最後の面談以来、一度も姿を見せていない。
必要な情報を聞き出したからもうお前と話す必要はない、私は多忙なのだ。
そういって約束を反故にされる可能性も十分にあったが、僕は彼を信じていた。
否、信じていたと言うと誤謬がある。
彼は一度交わした約束を――例えそれが口約束であったとしても、だ――破らないという確信があった。
仰向けになって天井を眺める。
黒というより青藍に近い色合いは僕の気分を落ち着かせてくれる。
浅い眠気が押し寄せてくる。
けれど言わずもがな、僕はその夜のほとんどを眠りの縁で過ごした。
- 63 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/30(金) 00:31:40.54 ID:rSd4PGrz0
- 瞬きを数回繰り返す。
あたしは荒削りな床に横たわっているようだった。
ゆっくりと身を起こす。激痛を覚悟する。
傷ついているのはどこ?
浅い傷が広範囲にあるのと、深い傷が狭い範囲にあるのとでは、どっちがマシなのかしら?
けれど、いつまで経っても来るべき痛みがやってこない。
これはもしかして、頭を強打して痛みの感覚が麻痺しているということなのかな。
頭にそっと手を這わしてみる。特に陥没しているところはなかったし、血を流しているところもなかった。
つまるところあたしは、まったくの無傷だった。
「九死に一生とはこのことね……」
カエデに自叙伝を書くことを薦められていたけど、本気で考えてみようかな。
工事途中の高層ビルに突っ込んで無傷でした、なんてそうそう起こりえることじゃない。
平たく言えば奇跡よ。
なんだか奇妙な感覚だった。全然面白くないのに笑ってしまうような、そんな感じだった。
あたしは辺りを見渡した。
柵状の骨子はあらぬ方向にねじ曲がっていた。
組み立て過程の配管は継手からバラバラになって散乱していた。
そしてふと視線を傍らに降ろすと、エアームドに寄り添うようにしてタイチが寝ていた。
最初は寝ているんだとばかり思っていた。だって、全然苦しいとか、そういう表情をしていなかったから。
「タイチ、起きて」
「…………」
「タイチ、あいつらはもうどこかにいっちゃったみたい。
あたしたちが死んだと思っているのかもしれないわ。だから――」
早くこのビルを出ましょう、と言いかけたところで気付く。
タイチは頭から血を流していた。
- 70 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/30(金) 00:42:50.58 ID:rSd4PGrz0
- 「イヤ! 起きて! 起きてよっ!!」
身体を揺さぶる。
怪我に響くかもしれないことなんて頭の中になかった。
ずっと昔に習った応急処置のやり方なんて跡形もなく吹き飛んでいた。
死んじゃったらどうしよう。
焦りがあたしを支配していた。
「…………ん」
小さく声が漏れる。目が薄く開かれる。
「タイチ!?」
「……ああ……どうしたんだ……、ヒナタ………?」
その瞬間、あたしは自分の感情を抑えることが出来なかった。
「……うっ……ひくっ……」
「おい……なんで……、お前が……、泣いてんだよ」
「良かった……タイチが生きてて良かった……」
- 75 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/30(金) 00:52:28.76 ID:rSd4PGrz0
- 「ははは……勝手に殺されちゃ、たまらないからな」
タイチの言葉がはっきりしてくる。
起き上がろうとする身体を、あたしはその場に押しとどめた。
「ま、待って!」
「どうしたんだ?」
「タイチ、怪我してるのよ。頭からたくさん血が出てるの」
頭に手を遣り、暗闇の中で血を眺めるタイチ。
もしあたしがタイチならパニックを起こしているに違いないのに、
何故かタイチの表情は冷静で、今にも空気の読めない行動に走り出しそうに見えた。
「ヒナタ、お前に一つ質問がある」
「なっ、何?」
涙は収まったものの、声がまだ少し裏返ってしまう。
「お前ってさ、生まれてきて頭に怪我したこと、ねえだろ」
「え……う、うん。ないよ」
タイチはあたしの手を押し返して起き上がり、あぐらをかいて言った。
「あのな、頭部からの出血っつーのは、大抵大袈裟なモンなんだよ。
マジでヤバイ時は血が出ないんだ。どうだ、知ってたか?」
あたしは横に首を振る。
- 79 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/30(金) 01:05:30.38 ID:rSd4PGrz0
- 「じゃあ、タイチの怪我は大したことないの? 平気なの?」
「怪我の程度は分からないが、命に関わるほどじゃねえと思う。
ちょっとクラクラするくらいだ。
あと、身体の色んなトコが痛む。
骨は折れてないみたいだけどな」
ヒナタはどうなんだ、とタイチは質問を返してきた。
あたしは声が裏返らないよう努力しながら答えた。
「元気よ。どこにも怪我はないわ」
「良かった。俺なんか怪我しまくっても全然かまわねーけど、ヒナタはそうもいかないからな」
「タイチは怪我してよくてあたしは怪我しちゃだめなの?」
タイチは真顔で言った。
「……だってほら、ヒナタは女だろ」
「…………」
束の間、言葉を失う。
そこでエアームドが苦しげな鳴き声を上げなかったら、
あたしは一時的な失語症になっていたかもしれない。
「降りよう」
とタイチは言い、エアームドをボールに仕舞った。
「エアームドの羽は片側が完全に折れてた。
多分俺たちを庇って、自分を犠牲にする姿勢でビルに突っ込んだんだろうな。
応急処置でどうにかなるような怪我じゃない。ポケモンセンターを探そう」
- 147 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/30(金) 18:27:56.99 ID:rSd4PGrz0
- ――――――
――――
――
「ねえタイチ、あたし、ヤマブキシティとタマムシシティの共通点を見つけたわ」
「……なんだ?」
「路地裏の汚さよ」
「はは……言えてる」
あたしたちが突撃したビルの高さはそう高いものではなかった。
作業用に設置されていた外周の足場を使って、なんとか地上に降りることはできた。
けど、そこからが問題だった。
ビルの正面はちょっとした騒ぎになっていた。
脇の影から野次馬の姿をのぞき見ると、会社帰りと思しき人たちが群れを成し、互いに何かを囁きあっていた。
『何があったんだ?』
『さあな。俺も今来たところだ』
『物凄い音がした後に、あの部分から煙が上がったらしい』
『爆発か?』
『火は上がってないみたいだし、化粧板の繊維物質でも散ったのが煙に見えたんじゃないか』
『その繊維物質が飛び散った理由は?』
『それが分かれば苦労しないさ。けど、何にせよ非日常な事件には違いない』
あたしとタイチはしばらくそのまま身を潜めていた。
けど、野次馬はいっこうに立ち去ろうとせず、
仕舞いにはサイレンの音まで聞こえ始めたので、
あたしたちはそのまま裏道に逃げ込んだ。
うかつに出て行ったが最後、事情聴取されるのは目に見えていた。
- 148 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/30(金) 18:37:58.77 ID:rSd4PGrz0
- 「タイチ、苦しくない?」
「……ん……ああ、大丈夫だよ」
俯けていた顔を上げ、その勢いで前髪を払い、小さく口角を上げて見せる。
カエデなら卒倒していたかもしれない。
でも、それを間近で見たあたしは全然嬉しくなかった。
頭からどくどくと流れ続ける血が、何もかもを台無しにしていたから。
「本当のことを言って」
あたしを安心させるための嘘なんて聞きたくない。
「ちょっと血、出過ぎかも」
やっぱり。ハンカチを押し当てる力を強くする。
繊維はとっくに、それ以上血を吸うことができなくなっていた。
- 155 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/30(金) 19:08:08.44 ID:rSd4PGrz0
- 野良猫が異物を見るような目であたしたちを一瞥し、どこかに去っていく。
ゴミ溜めから発散される饐えた匂いは、吸った分だけ身体に害を与えているような気がする。
見上げる。長方形に切り取られた夜空だけが、この路地裏で唯一清浄な光景だった。
あたしは言った。
「メインストリートに出るわ」
「おいおい、今の俺たちはびしょ濡れでしかも埃塗れなんだぜ。
この街でこの格好は浮きすぎる。
メインストリートに出るのは、もう少し人通りが減ってからに……」
数度目の遣り取り。でも、今度ばかりは違っていた。
「そんなの待ってられない。
これ以上、タイチの怪我をほっとくことなんてできない!」
「ちょ、ちょっと待てって!」
もうタイチの言うことなんか聞かない。
強引に腕を引っ張って、それまで避けて歩いていた、目映い光の筋に近づいていく。
- 162 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/30(金) 19:34:15.93 ID:rSd4PGrz0
- そして――。
「………………」
言葉が出ない。
首を背中にくっつけなければ果てが見えないほどのビルが乱立し、
その足許でヤマブキシティに相応しい身なりの人々が、
ヤマブキシティに相応しい歩き方で、どこかへ向かっている。
「やれやれ。
またひとつ、ヒナタについて覚えることが増えたよ。
一旦決心したらテコでもそれを曲げない頑固者」
時折、脇道から出てきたあたしたちの存在に気付いた人が、
「気付かなければ良かった」という顔をして足を早めていく。
「これからどっちに向かう?
とりあえず雑踏に紛れてみるのもいいかもな。
頭から血を流した人間に近づく奴は警官以外にいないだろうし、すいすい進めると思うぜ」
皮肉を言ってくるタイチを睨みながら、
あたしはどうやってポケモンセンターを探すか思案する。
けど、妙案が思い浮かぶよりも先に、嫌な視線を首筋に感じた。
雑踏の中、二人組の男がじっとあたしたちを凝視していた。
片方が何か囁き、片方が頷く。
- 171 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/30(金) 19:59:33.61 ID:rSd4PGrz0
- 「逃げないと」
「今度はどうしたんだ?」
「見つかったかもしれない」
「誰に?」
「追っ手に」
「そりゃ一大事だ」
タイチの手を引いて路地裏に引き返す。結果は既に見えていた。
タイチは身体の各部を痛めていて走る事ができないし、あたしはそのタイチを支えるので精一杯だった。
「ちょっと待て!」
路地裏に男二人の声が響き渡る。
あたしが観念しようとしたその時、
「ちょっと待ってくれってば!
あんたたちが誰か確認したいんだ。俺たちの知り合いかもしれないんだよ」
「え……?」
反射的に振り返る。片方の男が邪気のない笑顔を見せて、片方の男の肩をどついた。
「ほら、言った通りじゃねーかよ」
間髪入れずにどつき返しながら、
「お前の直感はたまにしか当たらねーから信頼性に欠けるんだよ」
「あの、あなたたちは一体……?」
「うわ、ちょっとショック。でもま、俺らもここ来て変わったし仕方ないか。
お久しぶりっす、ヒナタさん。確かクチバ以来っすよね?」
- 180 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/30(金) 20:19:38.80 ID:rSd4PGrz0
- タイチは深々と溜息を吐いて言った。
「いい加減気付いてやれよ。
十番道路の発電所近くで、ヒナタとカエデが氷漬けにした、あいつらだ」
"その二人組"のことならよく覚えている。
クチバシティからシオンタウンの間にあるイワヤマトンネルを抜けるために、
フラッシュが使えるマルマインを貸して貰ったことも、
別れ際、二人が『これからヤマブキシティに向かう予定なんです』と言っていたことも。
でも、その二人組の外見と、目の前の二人組の外見は余りにもかけ離れすぎていた。
髪は黒で、ピアスは着けていなくて、服はそれなりに高そうなグレイのスーツで、靴は黒の革靴で。
頭の中で小さな混乱が起こる。
- 183 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/30(金) 20:33:14.54 ID:rSd4PGrz0
- そんなあたしを余所に、二人組はテキパキと行動を始めていた。
片方がタイチの腕を取って自分の首に回し、
もう片方があたしとタイチの荷物を抱える。
「お久しぶりです、タイチさん。
何があったかは聞きませんけど、ひでぇ怪我っすね」
「こんな予定じゃなかったんだけどな。
あといい加減タメ語使えよ。クチバにいた時何度も言っただろ。
お前、俺より一つ年上なんだぜ」
「恩人相手だと自然と敬語になっちまうんですよ。いや、マジな話」
- 185 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/30(金) 20:43:48.95 ID:rSd4PGrz0
- 荷物を抱えた方の男は小さな声で尋ねてきた。
「カ、カエデさんは一緒じゃないんですね?」
頷き返す。男はホッと息を吐いた。
あたしはその仕草でやっと、目の前の二人組とクチバで出会った二人組が同一人物であると信じることが出来た。
タイチに肩を貸した男は言った。
「ここから数ブロック離れたところにポケモンセンターがあります。
案内しますよ」
- 208 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/30(金) 21:53:35.89 ID:rSd4PGrz0
- ―――――――
――――
――
濡れた髪を梳りながら、名刺の上に小さくプリントされた文字を読む。
Gardevoir――『高級』『上質』が売りの、服飾系有名ブランドだった。
もちろんその知識はカエデから教わったものだ。
「カエデがいないのが残念ね……」
いたら飛び上がって喜んだあと、
あの二人組に掛け合って、格安でGardevoirの服を購入していたに違いなかった。
ポケモンセンターまでの道すがら、
二人組のうち背の高い方は、クチバで分かれてからの経緯を短く話してくれた。
『実はあのとき、俺は親父に出頭命令食らってたんスよ。
才能がないお前がポケモントレーナーを続けても無意味だ、いい加減諦めて俺の仕事を手伝え、って。
親父は服飾プランナーって仕事で、俺は正直そんな仕事を手伝うのは嫌でした。
友達も一緒に連れてこい、って言われても乗り気じゃなかった。
もしクチバでヒナタさんやカエデさんに会ってなかったら、
俺とこいつは今もバカやってたかもしんないっスね。
あの時氷漬けにさせられて、マジ目が覚めたっつーか』
- 212 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/30(金) 22:12:12.16 ID:rSd4PGrz0
- 名刺から視線を外し、ナイトランプの明かりを残して消灯する。
ダブルベッドに一人で横になる。
タイチが部屋に帰ってくる気配はなかった。
「医務室で一晩過ごすつもりなのかしら」
まあ、もちろんあたしとしてはその方がいいんだけど。
タイチと一緒の部屋で眠れば、"不慮の事故"がいつ起きても不思議じゃない。
年頃の男の子は色々と我慢が利かないものなのよ、とママが言っていたことを思い出す。
それはタイチとて例外じゃない……のよね。
ああもう、どうして今日の夜に限って、部屋が一つしか空いていないんだろう。
あたしにカードキーを手渡した時の、ジョーイさんの生暖かい笑みが忘れられない。
確かにヤマブキシティのポケモンセンターは真新しくて、職員の教育も行き届いていて、設備も最新の物が用意されているかもしれない。
でも、肝心なことを忘れてるわ。部屋の数が少なすぎることよ――。
- 223 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/30(金) 22:28:26.98 ID:rSd4PGrz0
- みしり。
物音が聞こえた気がして身体を起こす。
「タイチ!? 帰ってきたの?」
……………。静寂が耳に痛かった。
タイチ、と口に出してしまったことがだんだん恥ずかしくなってくる。
断熱材か何かの軋みにいちいち反応するなんて、全然あたしらしくない。
ボールを三つまとめて展開する。
「ぴぃっ、ぴぃー」
ピッピが飛び出す。
「…………」
眠気たっぷりといった感じのスターミーが現れる。
「うー?」
最後に展開されたゲンガーが、人差し指を頬に当てて首を傾げる。
こんな時間にどうしたんだい、とでも言うように。
あたしは言った。
「一緒に寝ましょ。
大きなベッドだから、みんな入っても狭くないわ」
- 230 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/30(金) 22:55:43.23 ID:rSd4PGrz0
- 翌朝。
普段よりもずっと早く起きたあたしは、
わざとゆっくり服を着替え、わざとゆっくりシーツを直し、
わざとゆっくりポケモンにポケモンフードを準備して、
フロントに朝食のルームサービスは要らないことを内線で伝えた。
それだけのことをしても、時計の短針はほとんど動いてくれなかった。
あたしは施錠を済ませて、タイチがいる医務室に向かった。
医務室の端のベッドで、タイチは案の定爆睡していた。
保険医はタイチのだらしない寝顔を見て微笑み、あたしに視線を移して言った。
「額の傷は綺麗に治ります。
体質的に血の気が多いようなので、失血による心配もありません。
また体の至る所に打撲傷がありましたが、どれも浅く、数日で痛みは引くでしょう」
ただ――、と保険医は顎に手を当てて、
「かなりの疲労が溜まっていたようですね。
縫合中に眠る人はなかなかいませんよ。本当に」
- 234 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/30(金) 23:16:31.19 ID:rSd4PGrz0
- 「あれから一度も目を覚まさなかったんですか」
ええ、と保険医が頷く。
タイチの寝顔を見つめる。後悔が押し寄せてくる。
アヤを追うことに夢中になって、タイチの疲労を慮ることを忘れていた。
あたしとカエデにセキチクで追いつき、あたしをアヤから助けだし、そのままヤマブキシティに飛ぶ。
熟練の飛行ポケモン遣いでも尻込みしそうなその行程を遂げて、
タイチはその間、ちっとも疲れている素振りを見せなかった。
「……タイチ?」
不意にタイチの瞼が震える。保険医が誰ともなしに頷き、静かにベッドから離れていく。
「タイチ?」
「ふぁ……あぁ……、ん……ヒナタか?
悪ぃ、ちょっと眠っちまってたみたいだ。
縫合はもう終わったのか?」
「ばか」
「ばか?」
「もうとっくに縫合は終わってるわ。
今は朝よ。朝。あれから一晩、タイチは眠りっぱなしだったの」
「マジかよ」
むくりと起き上がり、額のガーゼに触れるタイチ。
- 248 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2009/01/31(土) 00:15:16.90 ID:xFFL6vxx0
- 「エアームドは? エアームドはどうしてる?」
「昨日の夜、タイチが寝た後で容態を聞いたら、
やっぱり片側の羽がかなり傷ついていたみたい。
数日でなんとか飛べるまでには回復するけど、しばらくは長距離飛行は避けて、
戦闘も避けた方がいいって、ジョーイさんが言ってたわ」
「そうか……」
沈黙が流れる。あたしもタイチも、同じ事を考えていた。
「迎えに行けなくなっちゃったね、カエデのこと」
「ああ。エアームドがああなった以上、どうしようもねえな」
- 253 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/31(土) 00:31:45.47 ID:xFFL6vxx0
- エアームドが怪我をする切欠になった、あの飛行ポケモンたちについて議論するつもりはなかった。
情報が不足しすぎているし、得られる結論にしても憶測の延長に過ぎないことは分かっていた。
「エアームドが完全に回復するまでは、俺たちだけでなんとかするしかないな」
「うん……」
カエデなしでアヤの組織に挑むのは、正直に言うと不安だった。
タイチにはアヤのヘルガ―と渡り合うほどのバクフーンがいるし、
あたしにだってピッピやスターミー、そして暴走する心配がなくなったゲンガーがいる。
でも、所詮は多勢に無勢。
相手の数や戦力は未知数で、正面から行って切り崩せる見込みはまずない。
「これからどうする?」
「ヤマブキシティジムに行って、ジムリーダーのナツメさんに話を伺いましょう?」
タマムシシティでエリカさんに助言を求めたように。
「それが一番無難だな。
まさかシルフカンパニーに乗り込んで、アヤを出せっていうわけにもいかねーし」
そんなことをしたが最後、あたしたちの存在はすぐに組織の人間に知れて、
アヤはピカチュウの端緒と共に、あたしの手の届かないところへ消えてしまうかもしれない。
「よし、それじゃあ早速行こうぜ」
「ちょっと。体は大丈夫なの?
保険医さんの話では、体のあちこちに打撲傷があるって……」
「それくらいどうってことねえよ。
一晩ぐっすり眠ったおかげで、元気は有り余ってるからな」
- 256 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/31(土) 00:41:06.29 ID:xFFL6vxx0
- それよりもさっきから気になってたんだが、とタイチは目を細めてあたしの顔を覗き込んだ。
「お前さ、目の下にクマできてるぞ」
「嘘でしょ?」
朝、鏡を見た時には気付かなかったのに。
「マジだよ。どうしたんだ? 寝不足か?」
無言でタイチを睨み付ける。
誰の所為だと思ってるのよ。
昨夜は何か物音がする度に、タイチかと思って目が冴えて、また眠るの繰り返しで、ろくに眠れなかったんだから。
あたしは言った。
「荷物はここにあるわ。
あたしは外で待ってるから、早く準備して」
- 11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/31(土) 19:30:32.80 ID:xFFL6vxx0
- 隣接する建物と一線を画したビルの正面で、あたしとタイチは立ち止まった。
視線を少し上げると、『YAMABUKI CITY GYM』の文字が、灰色の壁に並んでいるのが見えた。
「すげぇ……、このビル丸ごとジムなのかよ。親父のジムがログハウスに見えるぜ」
タイチがワッチキャップを被り直す。
ガラスの扉に映り込んだあたしたちは、
どうみても目の前のビルに相応しくない人間のように思えた。
後ろのメインストリートを行き交う人々の視線を感じる。
- 15 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/31(土) 19:50:57.09 ID:xFFL6vxx0
- けど振り返ってみればあたしたちを見ている人なんて誰もいなくて、
結局はあたしの考え過ぎなのかもしれなかった。
ジムに出入りする条件は、ポケモントレーナーであること、ただそれだけ。
年齢なんて関係ない。
「入りましょ」
「ああ、行こう」
ガラスの扉を押す。
あたしたちと一緒に入ろうとした冷たい外気が、
中の人工的な暖気に、逆に押し流されていく。
扉を閉めると屋外の喧噪はおどろくほど小さくなって、やがて、完全に聞こえなくなる。
内装は高級ホテルのロビーを連想させた。
目に優しい暖色の照明。
僅かに色褪せたクリーム色の壁。
見る角度によって表情を変えるワイン色のカーペット。
- 18 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/31(土) 20:21:20.67 ID:xFFL6vxx0
- 意匠を凝らしたオーク製のチェア。
高い天井を支える四本の黒い支柱から、等間隔の位置に飾られた大輪の花。
色はもちろん山吹色だった。
「誰もいないのかしら」
しん、と静まりかえった空間に、
あたしの呟きは予想外に大きく響き渡った。
「奥に進もうぜ」
とタイチは言って、あたしを追い越して歩き出す。
乱暴な歩き方が奏でる乱暴な足音は、しかし厚いカーペットに吸い込まれて静寂を乱さなかった。
この場所では言葉以外の全ての物音が意味を失うのかもしれない。
本気で無人なのかと心配になったその時、
あたしとタイチはフロアの奥のカウンターに人影を見つけた。
向こうもあたしたちに気がついたのか、静かに立ち上がって一礼する。
「ようこそ、ヤマブキシティジムへ。
応対が遅れて申し訳ありません」
- 20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/31(土) 20:44:35.63 ID:xFFL6vxx0
- 中指で眼鏡のずれを直し、柔らかい微笑みを浮かべて、
「私としては常に注意を払うよう心懸けているつもりなのですが、
このジムの扉が叩かれる頻度を思うと、つい他の事務的な処理に没頭してしまいまして」
二枚の申込用紙と二つのボールペンが差し出される。
女性と見間違えるほどに綺麗な指だった。
でも、その人の声と外見が、タイチよりも何歳か年上の男性であることを示していた。
「ご記入願います。
概要は熟知しておられると存じますが、もし不明な点が御座いましたら申しつけ下さい」
再度一礼。
その男の人がワーキングチェアに戻る前に、あたしは言った。
「待って下さい。
あたしたちがここに来たのは、ジムに挑戦することが目的じゃないんです」
- 24 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/31(土) 21:05:59.47 ID:xFFL6vxx0
- 「ジムリーダーのナツメさんと会って話がしたいんだ」
こんな時はタイチの率直な言葉遣いの方が有効かもしれない。
そう思って、後の遣り取りを任せることにする。
「あんたの方からナツメさんに掛け合ってくれないかな。頼むよ」
男の人は驚きの表現を瞬き二回で済ませて言った。
「……申し訳御座いませんが、できかねます」
「迷惑なこと言ってるのは分かってる。でも、ほんの少しでいいんだ」
「やはり、できかねます」
「それじゃあナツメさんが良いっていう日、教えてくれよ。出直すからさ」
「やはり、できかねます」
タイチは声に苛立ちを滲ませて言った。
「どうして無理なんだ?」
- 31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/31(土) 21:30:43.99 ID:xFFL6vxx0
- 「彼女が面会を望んでいない。理由はそれに尽きます」
「どうしてあんたにナツメさんが俺たちに会いたくないって分かるんだよ」
「それは別段、あなた方に限ったことではありません。
彼女は"他人"との接触を極力避けるようにしているのです」
私も含めてね、と男の人が付け足す。
タイチは舌打ちしたげな表情であたしを見て、アイコンタクトを送ってきた。
"埒が明かねえ。どうする?"
"仕方ないわ"
あたしはボールペンを手に取って、男の人に尋ねた。
「挑戦者としてナツメさんの許に行けば、お話することは可能なんですよね?」
「ヒナタ、まさかお前……」
「ジムに挑戦するわ。
時間はかかるかもしれないけど、これがナツメさんに会える、唯一かつ確実な方法よ」
記入欄を埋めていく。
男の人は視線でさっとあたしの記入を撫でて言った。
「僭越ながらお訊きしてもよろしいでしょうか。
何故お二人が、ヤマブキシティジムリーダー・ナツメとの面会を望まれているのか」
「聞きたいことがあるんです」
「ナツメならあなたの問いに応えられると?」
「分かりません。
でも、この街のポケモンや、ポケモン関連の情報に詳しいナツメさんなら、
きっと、あたしの知りたいことのいくつかについて、知っていると思うんです」
- 41 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/31(土) 22:16:51.33 ID:xFFL6vxx0
- 書き終えて、その上にボールペンを乗せる。
男の人は思案するように数秒目を瞑った後、眼鏡を中指で押し上げて言った。
「このビルの向かいに、ヤマブキシティでは比較的小さなビルがあります。
そこの1階西にある喫茶店で、二時間ほどお待ちしていただけませんでしょうか」
突然の申し出に戸惑いを隠せない。男の人は続ける。
「今し方申し上げましたとおり、ジムリーダー・ナツメとの直接面会は実現できかねます。
しかしその代わりと言っては何ですが、私個人の力添えは可能です。
よろしければ、あなた方が直面している問題についてお聞かせ下さい。
或いは私の持っている情報で解決できるかもしれません」
男の人の手が、そっと申込用紙を脇に除ける。
柔和な微笑み。
断る理由なんてない。
「分かりました」
あたしはタイチの意見を聞かずに、その男の人の申し出を受け入れた。
- 64 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/01/31(土) 23:52:51.44 ID:xFFL6vxx0
- あたしたちが喫茶店の一角に席をとってから一時間半後。
男の人は約束通りに姿を見せた。
ジムの時とは違って邪魔な受付カウンターがなく、服装をはっきりと描写することができる。
下は黒のチノクロス、上は明るい白のシャツにモスグリーンのネクタイを締めていて、
眼鏡のフレームと同じ銀色の腕時計が、その男の人の唯一のアクセサリーだった。
初めて見た時は黒に見えた髪の色も、改めて見直すと、若干暗い茶色が混じっていた。
「お待たせしました」
と男の人は、記憶にある声よりもずっとくだけた声の調子で言った。
男の人が腰掛けると、すぐにウェイトレスがやってきた。
まるでその瞬間を待ちかまえていたみたいに。
「カフェラテを一つ」
「畏まりました」
注文の淀みのなさと寛ぎ方から、この男の人がこの喫茶店の常連客であることが分かる。
男の人は指を噛み合わせて言った。
「彼女が僕の飲み物を運んでくる前に、互いの自己紹介を済ませておきましょう。
いつまでも『私』と『あなた』では、円滑かつ誤解のない会話が出来ませんからね。
僕はフユツグと申します。どうです、古めかしい名前でしょう。
子供の頃は嫌で嫌で堪りませんでしたが、社会に出てからはこれも一種のアドバンテージだと考えるようになりました。
平々凡々な名前と僕のような珍しい名前では、与える印象の強さが全然違います。
つまり、相手に覚えてもらいやすいということです」
- 67 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/02/01(日) 00:14:52.09 ID:jH03cdBo0
- 「あんた、さっき話した時と少し印象が違うな………」
「一人称も『私』から『僕』に変わってるし……」
「あれは仕事用のペルソナですよ」
とフユツグは事も無げ言い切った。
意図的に性格をスイッチするなんて、本当に可能なのかしら。
あたしの疑問を余所にフユツグは如才なく微笑み、
「常日頃からあんな堅苦しい言葉遣いをしていたら流石に参ってしまいます。
周囲も、僕も、両方ね。さて、次はあなたたちの番ですよ」
「俺の名前はタイチ。トキワ出身だ」
「あたしはヒナタ。マサラタウン出身よ」
「ヒナタさんに、タイチさんですね。覚えました」
「あー、フユツグさん?
俺のことはタイチでいい。あんたの方が俺よりいくつか年上だ」
「僕はそういう考え方があまり好きではありません。
人に丁寧に接するのは、僕の癖のようなものです。
ですから、タイチさんやヒナタさんが僕のことを呼び捨てにするのもいっこうに構いません。
むしろその方が僕としては嬉しいですね。親しみを感じて」
- 72 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2009/02/01(日) 00:35:25.40 ID:jH03cdBo0
- タイチが横目でアイコンタクトを送ってくる。
"俺、こいつ苦手だわ……"
"そう? あたしはそうは思わないけど"
と否定的な意見を返すと、タイチは黙って7杯目のコーヒーを飲み干し、大きな溜息をついた。
「お待たせしました、カフェラテです」
「ありがとう」
ウェイトレスがカフェラテをテーブルに置きながら、フユツグに含みのある視線を送る。
でもフユツグはそれにまったく気がつかない様子で、カフェラテに口を付けた。
フユツグを待つ間、馬鹿みたいにコーヒーをお代わりしていたタイチとは決定的に違う気品がそこにはあった。
軽く辺りを見渡して、
「さて。聞き耳を立てられる心配はなくなったことですし、本題に移りましょうか。
ヒナタさんはジムリーダー・ナツメに聞きたいことがあるのでしたね。
その質問の内容を、詳しく聞かせて下さい」
- 127 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/08(日) 17:22:04.15 ID:qgxWxkco
- ―――――――
―――――
―――
「お二人のお話はかつて史上最悪と謳われたロケット団を想起させますね。
当時彼らが働いていた悪行ほど、その組織は表だった行動を見せていないようですが」
とフユツグは昔を懐かしむように言った。
「あのう、失礼ですけど、フユツグさんはロケット団のことを覚えているんですか?」
あたしたちよりも少し年上くらいなら、ロケット団が壊滅したその時、フユツグはまだ幼い子供のはず。
「朧気ながら。当時は連日、ロケット団解散についての特集が組まれていましたね。
それほど彼らの解散は衝撃的でした。彼らを崇拝する者にとっても、彼らを忌避する者にとっても」
「フユツグはどっちだったんだ?」
早速タイチはフユツグのことを呼び捨てにしている。
「といいますと?」
「その頃のフユツグの目に、ロケット団はどんな風に映っていたんだよ?」
「僕は彼らをダークヒーローか何かのように見ていましたね。
この街がロケット団の占拠をしていた時のことは知りませんし、直接的な被害はありませんでしたから。
TVに映るRの大文字を見て意味も知らずに喜んでいましたよ」
- 128 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/08(日) 18:04:47.60 ID:qgxWxkco
- 話が横道に逸れてしまいましたね、とフユツグは微笑んだ。
「結論から申しますと、僕はお二人に力添えできる"かもしれません"」
「どうして"かもしれない"なんて余計なもんがくっつくんだ?」
「僕はあなたたちに協力するべきかどうか、決めかねているんですよ」
「なんだよ、俺たちの話が信用できないっていうのか?」
笑顔で首肯するフユツグ。
「お前――」
「仕方ないわ、タイチ」
さっきの話でフユツグに信用してもらえるとは思っていなかった。
何故なら、あたしたちの話には決定的なものが欠けているから。
「あなたたちの話には動機と、達成すべき目的がない。
何故その組織についての情報を求めているのか。理由が見えてこないんですよ。
単純な正義感に駆られて行動を起こしているなら、国家権力、即ち警察に頼ることを勧めます。
組織に対して個人で出来ることなど、所詮は氷山の一角を削る作業に過ぎません」
- 131 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/08(日) 18:30:10.40 ID:qgxWxkco
- タイチが軽く舌打ちしてあたしを見た。
ピカチュウの件は秘密にしよう。
それがフユツグが喫茶店に来るまでに、タイチと話し合って決めたことだった。
あたしたちの目的は、その組織を潰すことじゃない。
勿論実現できたらできたで良いことだけど、何よりも優先すべきは、ピカチュウの救出。
でもそれをフユツグに明らかにすれば、一緒に、他の様々な事情まで説明しなくてはいけなくなる。
「あたしのポケモンが一体、その組織に拉致されたんです」
フユツグは表情を変えずに、
「なるほど。私憤ですか」
「ええ。あたしの……あたしたちの目的は、そのポケモンを取り戻すことなんです」
「拉致された経緯は?」
淀みない質問に言葉が詰まる。
「……それは、言わなくちゃダメですか」
あたしがそう言うと、
「いいえ」
フユツグはあっさり首を横に振った。
口角を上げ、お手本のような笑顔を作って、
「興味がないといえば嘘になりますが、
ヒナタさんのポケモンが拉致されたというのが事実であることは分かります。
冗談のように聞こえるかもしれませんが、僕には女性の嘘を見抜く力があるんですよ」
嘘くせー、とタイチが小声で毒づくのを無視して、
「それじゃあ、信じてもらえるんですね?」
- 136 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/08(日) 19:16:06.24 ID:qgxWxkco
- 「信じますよ。僕は因果関係さえはっきりすればいいんです。
ヒナタさんはある組織にポケモンを拉致された。だからそれのポケモンを奪還すべく行動している。こんな風にね。
ところで、そのポケモンの名前を聞いてもよろしいでしょうか? 愛称ではなく、正式名称で」
「ピカチュウ、です」
「ふむ……こういっては何ですが、さして希少価値もないポピュラーなポケモンですね。
何故ヒナタさんのピカチュウが狙われたのか、心当たりはありますか?
例えば、何か他のピカチュウにはない特殊な能力があったとか」
「なかったと思います」
確かにあたしのピカチュウには、特殊能力なんてなかった。
でもあの子の経験値と、それに裏付けされた実力は、
それだけで特殊能力と呼べるくらいに秀でている。
それにあたしが知らないだけで、本当にあの子には、何かの特殊能力があるのかもしれない。
「そのピカチュウの居場所について、大体の見当はついているんですか?」
タイチがぶっきらぼうに答えた。
「シルフカンパニーだ」
フユツグは首を傾げて、
「それは推測ですか。それとも、確信ですか」
「確信だよ。つい最近その組織の一人と接触したんだ。
その時は逃げられた、っつーか逃がしたんだが、鳥ポケモンに追跡させて行き着いたのがシルフカンパニーってわけだ」
「なるほど。よくわかりました」
- 137 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/08(日) 19:26:36.06 ID:qgxWxkco
- フユツグは満足げに頷いて、
「とりあえずはシルフカンパニーを中心に情報を収集、整理してみます。
連絡先を控えさせていただいてもよろしいでしょうか」
あたしがポケモンセンターのルームナンバーを伝えると、
フユツグは手馴れた手つきでメモをとり、財布からカフェラテの代金を取り出し、綺麗に並べ、
「何か分かり次第、連絡します。
それと、これはとても重要なことなのですが……。
どうか僕がお二人に助力していることは、内密にお願いします。
個人的な依頼を受けているという噂が広まると困りますので。
それでは午後からも仕事が残っていますので、失礼します」
颯爽と去っていった。
- 139 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/08(日) 19:55:30.59 ID:qgxWxkco
- 涼しいドアベルの音が鳴り止んだ頃に、タイチがちょっと得意げに言った。
「あいつはアレだな、あいつがもし数学の先生だとしたら、
絶対に途中式の有無で採点を厳しくするタイプだな」
「それって採点者として当たり前のことなんじゃないの?」
「…………」
あたしが昨夜から抱えていた懸案事項について思い出したのは、
ポケモンセンターに戻り、ジョーイさんの生暖かい出迎えを受けたその時だった。
エレベーターに乗ろうとするタイチを置いて、受付に直行する。
「どこ行くんだよヒナタ?」
「タイチはロビーの椅子に座って待ってて………ジョーイさん?」
受付に現れたのは気さくな感じのジョーイさんだった。
「何かしら?」
「部屋の空きはありますか?」
「ごめんなさい、今朝はいくつか部屋が空いたんだけど、
すぐに他の人で埋まっちゃったのよ」
絶句する。
どうして朝一番に言わなかったんだろう。自分で自分が許せない。
「何故新しい部屋が必要なのかしら?
今の部屋が気にいらなかったの?」
「それは……分かるでしょう?」
暢気にロビーに設置された大型TVを眺めているタイチを視線で示す。
ジョーイは朗らかに答えた。
「あら、あなたたちもしかして"ただの友達"だったの?
でもまあ、それならそれでいいじゃない。若いっていいことよ」
「よくありません!」
- 156 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/09(月) 17:18:11.86 ID:GCR478so
- 「あら、そう?
それじゃあ、また明日の朝にいらっしゃいな。
特別に部屋を一つ、ストックしておいてあげるから」
「ありがとうございます」
「でも、」
ジョーイさんは邪な微笑みを見せて言った。
「今夜だけは我慢してね?」
「なあ、ヒナタ。やっぱこれ間違ってるんじゃねえの?」
「おやすみ」
「確かに俺は怪我人だけどよ、
それでもお前をソファーセットに寝かせるのは納得いかねえんだよな」
「おやすみ」
「もう何度も言ってるけどさ、場所交代しようぜ」
「おやすみって言ってるじゃない!」
ぴっ、と隣で小さな悲鳴が上がる。
起こしちゃってごめんね、ピッピ。
あたしはいつまでもゴネるタイチを黙らせるべく、
「我儘いわないで。静かにして。今すぐ寝て。
相部屋を認めてあげてるんだから、この部屋ではあたしの言うことが絶対なの」
「いや、それなんか矛盾してないか?
フツー主権者っていうのは自分が有利なようにルールを作るわけで、
それに倣うならヒナタはこの柔らかもふもふベッドを占有して然るべきなんだよ」
「難しいこと言われてもわかんないわよ。
とにかく、タイチはそのベッドで一人でぐっすり眠ればいいの」
- 157 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/09(月) 17:36:12.15 ID:GCR478so
- 暗闇を睨み付ける。
ささやかな静寂の後、タイチは最も口にしてはならない言葉を口にした。
「妙案があるんだが」
「無理」
「このダブルベッドさあ、一人じゃ大きすぎるんだよな」
「却下」
「だからお前もこっちに入って来てもスペースには全然余裕が……」
「絶対嫌」
「はい、分かりました」
撃墜完了。
下心が見え見えなのよ、馬鹿。
と蔑みつつも、あたしの中には、純粋な思い遣りで提案してくれたのかな、と思う気持ちもあったりして、
あたしはとりあえずタイチに背中を向けるように寝返りを打った。
けど、やっぱり昨夜体感したベッドと、今夜のソファの堅さには文字通り雲泥の違いがあった。
とてもじゃないけど明日は気持ちの良い目覚めを迎えられそうにない。
数分後。
寝付けずにいるあたしの耳に、再びタイチの声が聞こえてきた。
「もう寝たか?」
また蒸し返すつもりなのかしら。そう警戒しながらも、狸寝入りするのは可哀想なので、
「なによ」
「お前さ………」
躊躇いを見せつけるような沈黙。あたしは嘘を吐いた。
「眠いから、話があるなら早くして」
「あ、ああ。俺が初めてヒナタに会った時の話なんだが、
やっぱ、まだ思いだせないか?」
- 159 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/09(月) 18:01:26.46 ID:GCR478so
- あたしにとってタイチと初めて出会った場所は、三ヶ月ほど前の、カントー発電所近辺だった。
でも、タイチにとってあたしと初めてであった場所は、もう10年も昔マサラタウンだった。
食い違いの理由は単純で、あたしがシゲルおじさまに連れられた幼いタイチと一緒に近くの森に遊びにでかけたことを、完璧に忘れてしまっているから。
タイチと一緒に旅をしているうちに思い出すかもしれない。
そんな望みをかけてみたこともあったけど、これまで、記憶の欠片さえ浮かんでこなかった。
「うん……残念だけど。
小さい頃のタイチは、影が薄かったんじゃない。
その所為で、あたしの印象に残らなかったとか」
「かもな」
タイチの声は沈んでいた。
あたしに思い出してもらえないのがそんなにショックだったのかな。
「タイチはその時のこと、覚えてるのよね」
「ああ、あの時のことは克明に記憶してる」
「確かあたしがキャタピーに襲われて、タイチはあたしを放って逃げちゃったって話だったけど。
もっと詳しく教えて。聞いてるうちに思い出すかもしれないわ」
タイチの思い出話が揺籃歌がわりになるかもしれない。
そんな軽い気持ちでタイチにお願いしたことを、あたしは深く後悔することになった。
あたしが密かに目を瞑るなか、タイチは訥々と話し始めた。
「俺が炎タイプのポケモン使いになろうって決心したのはさ、
初めてお前に会った、あの日からのことなんだ―――」
- 238 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/20(金) 20:37:14.25 ID:RmDkrbco
- あの頃の俺は良い言葉で言えば活発で、悪い言葉で言えばやんちゃでさ。
親父に「マサラタウンの友達に会いに行く、その人にはお前と同じくらいの女の子がいるが、失礼のないようにしろよ」って言われたときも、
上っ面だけは素直にうんうん頷きながら内心は悪戯する気まんまんだった。
でもいざお前と会ってみると、そういった気持ちが一気に凋んじまったんだよ。
大袈裟かもしれねーけど、こいつを泣かせたら罪悪感でしねると思ったよ、あの時は。
ヒナタは一言で言っちまうと世間知らずだった。
友達もいねーみたいだったし、話し相手はお母さんとポケモンだけだったんじゃないかな。
そして単純馬鹿な俺は、ヒナタの友達第一号になってやろうと決心したわけだ。
早速俺は不安げなヒナタの手を引いて、こっそり家を抜け出した。
親父とカスミおばさんの二人はピカチュウも交えて談笑してて、特に注意を向けられなかった。
さて、大人の目から逃れることができた俺たちだったが、
マサラタウンの地理にあかるくない俺と引きこもりがちなヒナタには、これといった行く当てがなかった。
しかもヒナタは抜け出した頃になって「どうしよう、ママに怒られちゃう」とか言って不安がってるしさ。
ここはびしっと俺がリードしてやらないとなー、なんて勝手に責任を感じた俺はヒナタに尋ねた。
「ヒナタはポケモン持ってるのか?」
「う、うん。持ってるよぉ……えっと、ピカチュウと、ヒトデマンと、バリヤードと、ギャラドスと……」
「それはヒナタのお母さんのだろ。ヒナタだけのポケモンはいないのか?」
すると、ヒナタはちょっと哀しそうに頷いた。実は俺もなんだ、と告白すると、その表情が少し和らいだ。
俺はそこで提案した。「今から俺たちだけのポケモンを捕まえに行こうぜ!」
ヒナタはそれからしばらく、家の方を見て悩んでたよ。バレたらカスミおばさんと俺の親父にダブルで叱られると思ったんだろうな。
俺はそれを察して、ヒナタの手を掴んで言った。「行くぞ」
それでヒナタの決心は固まったみたいだった。早速俺たちはショップに向かった。
店員は俺の年齢やトレーナー免許の有無を尋ねたりと訝しがってたが、そこは俺の演技力で切り抜けて、なけなしの小遣いで二つのモンスターボールを買った。
当時……つっても今もだろうが、ヤマブキやタマムシみたいな都会と違って、マサラはポケモンと人間の居住地域の線引きが曖昧だった。
舗装された道路を脇に逸れて、小径を適当に歩けば木の壁に行き当たって、そこを潜り抜ければもう野生ポケモンの住処だった。
森に入るとき、一瞬だけヒナタは引き返そうとした。
「ママに、森には入っちゃダメって言われてるの……」
そして俺の手をふりほどこうとした。けど、手には力が全然入ってなくて、掴み直すのは簡単だった。
邪推するようだが、ヒナタは幼いながらに大義名分が欲しかったんじゃないかと思う。
タイチくんに無理矢理行こうって言われたの――そんな言い訳の種が欲しかったんだ。
俺は「ここまで来たんだから入るだけ入ってみようぜ。危ないと思ったら引き返せばいいし」と言って、軽くヒナタの手を引っ張った。
ヒナタは今度はほとんど抵抗せずに、茂みに片足を突っ込んだ。
- 242 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/03/20(金) 21:04:30.02 ID:RmDkrbco
- そっからは、俺がヒナタについて行くのに精一杯だったよ。
俺も野生ポケモンとの邂逅を予感して興奮してたが、ヒナタのそれは俺の比じゃなかった。
あの頃、どうしてカスミおばさんがヒナタをあまり外に出さないようにしてたのか、俺は知らねえけどさ、
きっとヒナタはそれに素直に従いながらも、好奇心や冒険心を殺してたんだと思うよ。
服が汚れるのも、蚊に噛まれるのもおかまいなしに、ヒナタはどんどん奥に進んでいった。
マサラタウンを囲う森は、なんていうか、綺麗でさ。
月並みな文句だけど、空気が澄んでて、ところどころに日溜まりが出来てて、
虫の鳴き声や風に葉っぱがそよぐ音以外は何も聞こえなくて、野生ポケモンの気配は微塵もなかった。
危険な香りはちっとも漂ってなかった。
「見てぇ、タイチくん! これ、キャタピーの吐いた糸かなあ」
ヒナタは野生ポケモンの痕跡を見つけては無邪気にはしゃいでいた。
本当ならどちらか一人は冷静に周囲に気を配っていなくちゃならなかったんだが、俺も子供だ、ヒナタと一緒になって、
キャタピーの吐いた糸が、太陽の光を反射して光るのを興味津々に眺めていた。
指で触って、その粘着性や弾力性、伸縮性にびっくりした。
「うわっ、指にくっついてとれねえっ!」俺がヒナタに糸をくっつけたまんまの指を近づけると、「もうっ、タイチくん、やめてよぉ」ヒナタは笑いながら逃げていったっけ。
楽しかった。その日初めて出会った女の子と、未知の森に入り込んで、あわよくばポケモンを捕まえようと探検、いや、冒険している……。
そう思うとさらに楽しさが増した。どんどん周りが見えなくなっていった。
俺はすっかり失念していたのさ。
野生ポケモンにはきちんとした縄張りがある。
それを侵した人間は子供だろうが大人だろうが老人だろうが無関係に排除される。攻撃されたって文句を言えない。
気付けばキャタピーの群れに包囲されてた。木と木の隙間にはまんべんなく糸が張り巡らされていて、逃げ道は完全に塞がれていた。
- 245 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/03/20(金) 21:15:07.76 ID:RmDkrbco
- 流石にあの時は終わった、と思った。
十匹近くいるキャタピーに対して、俺とヒナタにあるのは空のモンスターボールが一つずつだけだ。
ノーダメージのキャタピーを捕獲できる可能性はゼロに近いし、仮に奇跡が二回起こって二匹捕まえられても、
残りの八匹を相手に出来るとは到底考えられなかった。
「タイチくん、どうしよう……」
でも、ぶるぶる震えるヒナタの手前、弱気な態度は見せられない。
- 248 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/03/20(金) 21:37:31.17 ID:RmDkrbco
- 「大丈夫だ」
俺は足許に転がっていた木の枝を掴んで、糸の包囲網の一端に思いっきり叩きつけた。
でも、糸の頑丈さはさっきの観察で証明済みだ。
何度木の枝を叩きつけてみたところで、所詮は子供の腕力、糸の束を切り裂けるわけがない。
それでも俺は諦めなかった。頭では無理だって分かってたんだが、諦めることができなかった。
「破れそう……?」
今にも泣きそうな声で聞いてきたヒナタに、俺は何の根拠もなく
「ああ、あともう少しだ」
と答えた。でも、ヒナタはそれを馬鹿正直に信じたんだ。
「あともう少し時間稼ぎできればいいんだよね」
実はその時、キャタピーの群れはじりじりと近づいてきていて、あと数メートルで俺とヒナタを繭にすることができる距離にまで迫ってきていた。
俺の言った"もう少し"が、キャタピーの接近に間に合わないと踏んだヒナタはとんでもない行動に出た。
自分からキャタピーの前に飛び出して、ヒナタの分の空のモンスターボールを、思いっきりキャタピーの群れの一体にぶつけたんだ。
思わず木の枝を取り落としたよ。キャタピーはその投擲を攻撃と見なして、標的をヒナタに絞った。
確かにこれで俺が作業を邪魔されることはなくなったが、その間、ヒナタの安全はどうなる?
しかもヒナタが望みをかけた俺の作業が、報われる見込みはないんだぜ?
俺は焦った。俺がついたくだらない嘘の所為でヒナタの身に何かあったら、俺はカスミおばさんにどう謝ればいいんだろうと思った。
でも同時に、俺はどうしようもなくビビッてた。
体を盾にしてヒナタを庇ったり、今度は俺がキャタピーの注意を引きつけることも考えたが、行動に移せなかった。
今思い出しても、あの時の俺は最低だったな……。
そうこうしてるうちに、キャタピーは完全にヒナタを追い詰めた。
ヒナタは大きな大木を背にしてしゃがみこんで、それでも泣かずに、潤んだ目で俺の方を見てた。
「逃げ道が出来たぜ!」って俺が言うのを期待してたんだろうな。
馬鹿だよな。今更逃げ道が出来たところで、ヒナタはどうやってそこからこっちまで戻ってくるっていうんだ。
- 250 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/03/20(金) 22:15:41.50 ID:RmDkrbco
- いよいよキャタピーが頭をもたげて、糸を吐く準備をする。
俺は恥も外聞もかなぐり捨てて叫んだ。「助けて下さい! 誰でもいいから、ヒナタを助けてください!」
冷静に考えれば、こんな町外れの森の奥を、都合良く探検中のトレーナーなんているわけがなかったんだ。
当然返事はなかった。でも、その代わりに、空から炎が降ってきた。
最初はヒナタが炎に包まれたのかと思った。
でもよく見ると、その炎はヒナタの盾になって、キャタピーの糸を一瞬で蒸発させてるようだった。
炎が止むと、今度はその辺りの草木に燃え移りかけてた残り火を簡単に吹き消すくらいの風が吹き始めた。
物凄い風圧に目を瞑って、次に開けると、炎の壁の跡に、尋常じゃないでかさのリザードンが着地していた。
一目で分かったよ。
こいつは親父のポケモンや、ジムの観戦席から見たトキワジム挑戦者のポケモンとは格が違う。
その気になれば、数時間でここら一帯の緑地を焦土に変えられる。
それくらいリザードンの外見は凄まじかった。
羽はところどころ破れていて、体の表面は古傷だらけで、色も図鑑で見たのよりずっと褪せてる感じで、
でも、尻尾の炎は、どんなに水をぶっかけても消えないって断言できるくらい激しく燃え盛っていた。
キャタピーの群れはリザードン着地の風圧で吹き飛ばされたのか、怖れをなして逃げ出したのか、いつの間にかいなくなっていた。
俺は勇気を出してリザードンに近づいていった。死ぬほど怖かったけど、それ以上にヒナタが無事かどうか確かめたかった。
- 252 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/03/20(金) 22:37:52.79 ID:RmDkrbco
- リザードンを避けるようにして横から回り込むと、どうやらヒナタは木の幹にもたれるようにして、眠っているみたいだった。
その前にはリザードンのトレーナーと思しき白髪混じりの男が、片膝をついてヒナタの手を握ってた。
「君はヒナタの友達かな」一瞬、誰がその言葉を発したのか分からなかった。
俺はガキで、目の前の男は白髪まじりのおっさんで、
若い男の声を出せる人間なんているはずがなかったからだ。
まさかこのリザードンが?と思って見上げてみても、虫けら見るような目で見下ろされるだけで、すぐに有り得ないと思い直した。
「すぐに大人を呼んでくるといい」また声がして、今度はその若い男の声が、目の前のおっさんが発したことが分かった。
その人の横顔をよく見ると、その人は実はおっさんじゃなくて、髪が灰色ががって見えるほど若白髪の多い青年であると分かった。
「私がその間、この女の子を見ているから」俺は混乱していた。
「ヒナタは大丈夫なんですか!?」「気絶しているだけだ。余程怖い思いをしていたんだろうね」
俺はその人が妙に優しい目をしている理由や、リザードンを従えてヒナタを助けに来てくれた理由も聞かずに走りだした。
昼の盛りで森の中でも明るかったのと、森の構造が複雑じゃなかったことから、俺はすぐに森を抜け出して、ヒナタの家に駆け込んだ。
親父たちはまだ談笑の途中で、俺とヒナタが居なくなったことにも気付いていない様子だった。
だから俺がなんとか事情を説明し終えた時には、二人とも血相変えて、怒るよりも先にまずその場に案内するように言った。
- 254 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/03/20(金) 23:08:44.28 ID:RmDkrbco
- 親父のウィンディに乗って元の場所に戻ったとき、ヒナタは俺が最後に見た時から変わらない姿で眠っていた。
でも、俺が不在の間ヒナタを見守ってくれているはずの男は、どこにもいなくなっていた。
無責任な野郎だ、と俺はそいつを心の中で罵った。もし無防備なヒナタが野生ポケモンに襲われたらどうするんだ、って。
けど、そんな憤りを露わにする暇もなく、俺は親父の鉄拳食らってぶっ飛んでた。
家に運び込まれたヒナタは、次の朝まで目を覚まさなかったらしい。
そして奇妙なことに前日、つまり俺と親父が訪問して冒険の末に気絶した日のことを、完璧に忘れていたんだそうだ。
俺はその話を、だいぶ後になって親父から聞かされた。
一日限りの記憶喪失……精確には心因性部分健忘っていうらしいな。
原因となる出来事は疑うまでもなくあの恐怖だろう。
こんなこと言うと言い訳じみてるけど、俺はそれからしばらく罪悪感に苦しめられたよ。
一日分の記憶が消えたってことは、ヒナタと友達になったことも無かったことになったってことだ。
でも、それも仕方ないと思った。
そしていつかあの時ヒナタを守ったトレーナーみたいに強いポケモントレーナーになるまで、お前には会わないでおこうと思ったんだ。
- 266 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/22(日) 20:12:57.65 ID:4eTKnkUo
- 「だから発電所で偶然お前に会った時はマジでびっくりしたな」
とタイチは笑い混じりに言った。
タイチの話を聞いているあいだに、あたしの頭はすっかり冴えていた。
「あの時は、キャタピーにびびってた情けない俺を忘れたままでいてほしい気持ちと、
もしかしたら俺と友達になったことを……あの冒険を思い出してくれたらいいなって気持ちが半々だった。
ま、結局ヒナタは親父の話通り、完璧に俺のことを忘れてくれてたわけだが」
それは、あたしがタイチと一緒に家を抜け出して、森に入って、キャタピーに囲まれて、
見知らぬトレーナーに助けられて、気を失うまでの経緯を聞かされた今でも変わらない。
あたしの瞼の裏にはちっともそれらにリンクした映像が立ち上がらなかった。
「こうやって一緒に旅出来る今では、その方が良かったと思ってるんだ。
あの頃俺たちはまだ子供で、攻撃的なキャタピーの群れとか、
お前を救った炎の壁とかは、結構怖いものとしてお前の目に映っていたはずだ。
わざわざ思い出して怖い思いする必要はねえよ。思い出し損だ」
お母さんもシゲルおじさまも、あたしが二度も怖い思いをすることはないと思って、あたしに何も教えなかったのだろうか。
でもそれなら、
「……それならタイチは、どうして今になって、あの時のことを詳しく話す気になったの?」
「お前だけには、本当のことを話しておこうと思ってさ」
本当のこと?
「今の昔話に、嘘が混じってたの?」
「嘘は混じってない。実は親父とカスミおばさんに黙ってたことがあるんだ。
落ち着いた後で、カスミおばさんはヒナタを助けてくれた人の特徴を俺に訊いてきたんだが、
ガキの記憶力なんてたかが知れてる、俺の拙い情報でその人が見つかるわけもなくて、結局お礼はできなかった。
けれどそれから何年かして……俺はパソコンの画面の中に、そのトレーナーを見つけ出したんだ」
- 270 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/22(日) 21:12:41.61 ID:4eTKnkUo
- 「ポケモンバトルの修行の格言に、上手いバトルを見て技術を盗め、ってのがあるだろ。
俺は親父がジムリーダーだから、好きなだけトキワジム挑戦者と雇いのトレーナー、或いは親父との戦いを観察できた。
けど……こんなことを言うと贅沢かもしれねーけどさ……やっぱり何度も見てると飽きてきて、他のポケモンバトルも見たくなってくるんだよ。
親父も雇いのトレーナーもポケモンは固定だからな。
そこで俺は親父のパソコンにこっそりアクセスして、アーカイブから過去のポケモンリーグ中継動画一年分を拝借することにした。
ランカークラスのバトルは想像してたよりもずっと凄かった。
そしていよいよ決勝の時になって、俺は昔ヒナタを助けてくれたトレーナーを見つけたんだ」
……まさか。
不意に、胸が苦しくなる。
あれほど会いたかったお父さんと、あたしはずっと昔に会っていた……?
「画面の中のそいつの髪は真っ黒で、ぴしっとしたスーツを着てて、落ち着き払っていた。
やがてそいつはリザードンを召喚した。羽がところどころ破れてて、全身が古傷だらけのリザードンだ。
俺はそこでほぼ確信した」
タイチはそこで一度言葉を切り、
「ヒナタを昔助けたのは多分、お前の親父だ」
タイチの言葉で現実感が増す。同時に、大量の疑問が生まれる。
あたしが質問するのを見透かしていたかのように、タイチは釘を刺した。
「でも、"絶対"とは言えねえ」
「えっ……」
「俺はその人の顔の造形と、リザードンの外見的特徴が、お前の親父……サトシの顔の造形と、サトシのリザードンのそれと似ているから、そう思った。
俺がヒナタと冒険した時の年齢と、その頃の記憶力を考えたら、ただの思い違い、勘違いってこともあり得る。
この話を親父やカスミおばさんにしなかったのは、これが理由なんだ。
お前の親父の話は、なんつーか、親父やカスミおばさんの前ではタブーでさ。
いや、別にしてもいいんだけど、空気が重くなるっつーか、あまり好ましくない雰囲気になるんだよ。
それにもし本当にお前の親父だったとして、辻褄が合わねえところが多すぎたし、
その辻褄合わせができるほどガキの俺は賢くもなかった。
だから俺はその発見を誰にも話さなかった。
いつかヒナタがその記憶を取り戻して、それでも自分を助けてくれたトレーナーに心当たりが無い時に、この話をしてやろうと思ってた」
- 272 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/22(日) 21:36:00.96 ID:4eTKnkUo
- あたしは知らず、髪がぐしゃぐしゃになることも厭わずに、頭を強く押さえていた。
幼い頃の自分を呪う。
ばか。
どうして気を失ったりしたのよ。
もし恐怖に目を瞑ったりしないでいたら、あたしはお父さんを間近で見て、話して、記憶に留めることができたのに。
「どうしてお父さんは、あたしを置いていなくなっちゃったのかな」
せめてお母さんやシゲルおじさまが来るまで見ていてくれてもよかったのに。
「どうしてお父さんは、戻ってきてくれないのかな」
忙しくて長くマサラタウンに留まれないないなら、たとえ一年に一日顔を見せてくれるだけでもよかったのに。
「勝手、すぎるよ」
会いたいよ、お父さん――。
「泣いてんのか?」
「なっ、泣いてなんかないっ!」
これじゃあ「はい」と言ってるようなものだ。
それでもタイチはからかいも慰めもせずに、淡々と言ってくれた。
「ま、いつかきっと、ヒナタの溜め込んだ気持ちを全部はき出せる時が来るだろ。
お前がお前の親父に向かって、これまでほったらかしにした理由を訊ける時が」
- 275 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/22(日) 22:02:39.66 ID:4eTKnkUo
- 本当にそんな時が来るのだろうか。
来るとしても、それはいつになるんだろう?
「いつになるかは分からねえけど、そう遠くない未来に、親父さんの手がかりは見つかるぜ」
「どうしてそんなことが言えるの?」
あたしの憂いを察したのか、声を弾ませてタイチは言った。
「どうしてもなにも、俺も協力してやるからさ。
ピカチュウが拉致られる前は、セキエイのコンピュータを調べるために、ポケモンリーグ優勝を目指してたんだろ?
二人でリーグ優勝を狙えば可能性は倍じゃねえか。
ピカチュウを取り戻した後は、ちゃちゃっとバッジ集めて、上位ランカーになって、リーグ優勝すりゃいいのさ」
「タイチ……」
「流石に喋り疲れたから寝る。
明日は俺が自主的に起きるまで起こさないでくれ。
フユツグから連絡が来るまでに寝溜めしておきたいんだ」
早口でそうまくし立て、わざとらしく寝返りをうつタイチ。
照れ隠しのつもりなのかしら。
「ねえ、待って」
「…………」
「あたし、タイチの昔話聞いても、タイチが何も出来なかったことを聞いても、タイチのことを情けないなんてちっとも思わなかったよ」
「…………」
「だってタイチはそれから何年も経った後で、あたしを何度も、危ない目から助けてくれたじゃない。
それに……それにね……、」
あたしのお父さん探しに協力してくれるって言ってくれて、すっごく嬉しかった。
ピカチュウを助け出した後もタイチと一緒に旅が出来ると思ったら、すっごく安心したのよ。
こんなこと言ったらあんたが調子に乗るのは目に見えてるし、
あたし自身恥ずかしいから、絶対口には出さないけどね?
- 277 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/22(日) 22:26:58.49 ID:4eTKnkUo
- 「順調に回復しているようで何よりだ」
そりゃどうも、とペルシアンの通訳を経て僕は答えた。
サカキは今日も今日とて仕立てのいいダブルのスーツを着ていた。
暑くないのだろうか、と不思議に思い、何十年とこの服に慣れ親しんだ彼にその疑問は野暮だな、と思い直す。
「ピカ、ピカチュウ?」
随分とこの前の面会から間が空いたね?
「私も組織の統轄で多忙なのだ。
無論、その内容をお前に語る気はないが」
別に聞きたくないよ、ロケット団解体後の内情なんて。
……ちょっと興味はあるけどね。
「さて」
とサカキは近くの椅子に深く腰掛け、ペルシアンを足許に侍らせた。
「約束だ。お前の疑問に答えられる範囲で答えてやろう」
僕は尋ねた。
「ピカ、ピカー?」
ここの精確な所在地を答えてくれ。
「七島という諸島群は知っているな?」
僕は頷く。その名の通り七つの島からなる列島で、カントー地方から定期船が出ているはずだ。
「ここはその諸島群の一つ、五の島のリゾート地区にある私の別荘だ」
- 279 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/22(日) 22:58:32.79 ID:4eTKnkUo
- 道理で日夜問わず快適な気温・湿度で、天気も安定して晴れているはずだ。
この建物はその気候を前提とした場所に建てられているのだから。
それにしても、木の葉を隠すには森の中とはよく言ったものだ。
この島では隠れ家も別荘と呼び名を変えられるし、
別荘のオーナーであるサカキもたくさんいる富豪のうちの一人でしかない……。
「ピィカ、チュ?」
この島に定期便は一日に何本やってくるんだ?と僕が尋ねると、
「よもや脱出でも考えているのか?」
「ピカ」
監禁された時のことを想定して、一応ね。
隠しても無駄なので正直に告白すると、サカキは唇の端を歪めて笑った。
「案ずるな。お前の自由は保障してやる。
それに元々この別荘にはお前が元いた場所ほどの上等な牢がない。
初めに言っただろう、ここはリゾート地区に建てられた保養所なのだと」
そして律儀に質問にも答えてくれた。
「観光客の増加に伴い定期便の数は増えている。
天候にも左右されるが、大抵は日に六本程度だな」
「ピカ」
ありがとう、参考にさせてもらうよ。脱走する機会はないだろうけど。
「さて、前座に興じている時間の余裕はない」
サカキが雰囲気を変える。
「お前が真に尋ねたいことは何だ」
所在地の確認も一応必要ではあったんだけどね。
まあ確かに、この質問と比べれば前座扱いも仕方ないか。僕は尋ねた。
「チュウ、ピカ、チュウ」
すかさずペルシアンが翻訳する。
「ピカチュウを監禁していたあの組織について、詳しく知りたい、と言っていますニャ」
- 287 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/03/23(月) 21:50:30.33 ID:iD07T5Eo
- 「システムを語るにはポケモンと人の交わりの原初から歴史を紐解かねばなるまい」
システム?
僕はその言葉のイントネーションから、それが単なる"機能"という意味以上の意味を持っている、
或いは、一つの固有名詞として使われていることを推察する。
次いで、僕があの施設から脱出した際に、ムサシとコジロウのどちらかが、
「システムの連中が追ってきている」などと言っていたことを微かに思い出す。
「この情報を知る者は私と、私が信頼を置く幹部のみだ。
システムに関する情報は機密なのだ。それは何も"私の組織"に限ったことではない。
この世に存在するあらゆる組織、機関、団体の一握りの、上層部だけが知る真実だ。
それをお前に話してしまうことに抵抗はないが……フフ、これは前例のないことだろうな。
正直に言えば、私が全てを話し終えた時点で、お前がポケモンという立場からどういった感想を抱くのか、非常に興味深い」
僕のような一介のポケモンに最高機密を明かす決意をしてくれてどうもありがとう。
それでその「システムと」いうのは、一体全体、何なんだ?
「巨大な管理機構、と説明するのが最も適当なのだろうな。
ポケモンと人間の共生社会を統轄し、監督し、補正し、保持するのがシステムの役割であり、存在意義だ。
実を言えば、システムという名は便宜的に付けられたものだ。
その組織に正確な呼び名はない。私が知らないのではない。初めから無いのだ。
表社会にその存在が漏れることは有り得ない。
情報は即座に揉み消される。言論の自由の象徴とされるインターネットにも奴らの手が回り、徹底的な情報操作が行われている」
そんなことが可能なのか。
「可能だ。何故ならこの情報化社会の枢軸となる企業には、遍くシステムの息が懸かっているのだからな。
ある時、システムの影を追ったフリーのジャーナリストがいた。
数日後、彼は重篤な記憶障害に陥って路上に立ち尽くしているところを警察に保護された。
言わずもがな、システムの連中に処理されたのだ。殺されなかっただけマシだった、と言える」
- 291 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/23(月) 22:34:24.33 ID:iD07T5Eo
- 僕はサカキの言葉から導き出される一つの事実に驚愕していた。
サカキは指を組み合わせ、そこに視線を落としながら、
「誰もシステムには逆らえない。
それは表社会の正規企業や勇気ある個人に限った話ではない。
フフ、俄には信じられんだろうが、かつて栄華を極めた私のロケット団も、システムの管理下にあったのだ」
「ピ……ピカチュ……」
君たちは……必要悪だったのか……。
「その通りだ。ロケット団という悪の"記号"はシステムにとって使い勝手の良い調整装置だった。
大衆の注意を惹きつけてシステムの存在を目立たなくさせ、
同時にポケモンの捕獲、売買を行って、人為的にポケモンの個体数を増減させていたのだ。
私はその真実を、かつてはロケット団のボスであった臨床の母から聞かされた。
当時の私は他の無知蒙昧なロケット団構成員と同じように、ロケット団は悪事に手を染めた人間の逃げ場であり、
社会不適合者が価値を見出される自由な組織なのだと信じ切っていただけに、その真実を受け入れることができなかった。
しかし、受け入れざるを得なかった。数日後に母が他界し葬儀が終わると、私はすぐに母の後継者として、ロケット団を束ねなければならなかった。
システムの指示を受け、いかに自然な悪事に見せかけて、中堅・末端構成員を踊らせるか。
私は"真実"を知る、母の腹心であった最高幹部の何名かの協力を仰いだ。
いつしか私は彼らの協力を必要としなくなり、システムにも一目置かれる存在となった。
その頃には、私は一種の満足感を得ていた。
システムの言いなりになっていると知りながら、これが正しいロケット団の在り方なのだと自分を納得させていたのだ」
だが、とサカキは愉快げに逆説を口にする。
「一人の子供が現れて、私の価値観を粉々に破壊していった」
「ピカピ……」
サトシ……か。
- 293 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/23(月) 23:07:32.52 ID:iD07T5Eo
- 「そうだ。奴は幾度に渡り私の計画を邪魔してきた。
ポケモントレーナーとして経験の浅い奴をひねり潰し、トレーナー生命を絶つことは容易かった。
幹部クラスのトレーナーを数名宛がえばそれで終わりだ。
だが、何故か私は奴を放置した。見て見ぬふりをしていた。
今から思えば、私は怖かったのだ。奴はあまりに無垢だった。
ポケモンを悪事に利用し、真実を知ってシステムの奴隷となってからは完全に物として見ていた私に、
奴は私が初めてポケモンに出会った頃の記憶を呼び起こさせた。
私が育て上げたポケモンを全て打ち負かした後で奴が語った言葉は、私が何十年も前に置き去りにした、ポケモンを愛することを思い出させた」
僕は目を丸くする。
まさか冷酷非道が身上の君の口から、そんなに優しい言葉が飛び出すなんて思いもしなかったよ。
「くっくっく、お前でもそうなのだから、
当事者の私がどれほど自分の変化に困惑したかは、想像に難くないだろう?
それから私がどうしたかは、世間に報じられている通りだ。
ロケット団内部からの反発や、システムからの警告、それら一切を無視して、私はロケット団という組織を解体した。
バカバカしくなったのだ。
私が母の跡を継いでからというもの、私はずっとシステムに疑念を抱いていた。
人とポケモンの共生社会を繁栄に導く方法で、何故人とポケモンが悲しみ、苦しまなければならないのか。
システムがロケット団を隠れ蓑にし、その正体を公にせず、影役者に徹する理由とは何なのか。
私は元ロケット団員の中から優秀かつ信頼のおける人材を引き抜き、
様々な形で裏社会の需要に応える事業を展開しながら、システムについて情報を集めることにした」
- 298 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/24(火) 00:57:18.27 ID:VW3jMv2o
- いくらサカキに求心力、統率力に優れ、元ロケット団員の助けがあったとはいえ、
システムに睨まれないよう再び裏社会で基盤を作るまでには、相当な苦労があったことだろう。
「私が知る中で、システムほど不透明な組織は他にない。
当然、調査は困難を極めた。だが、いかにシステムの防諜能力が秀でていようと抑制できないものがある。
人間の感情、即ち、システムへの不満だ。
私はそこに目をつけた。システムの差配によって不利益を被ることになったシンジゲートの幹部と接触し、
不良在庫を処分を引き受ける見返りとして、システムの内情を探るよう依頼した」
その、不利益を被ることになったシンジゲートというのは?
「ポケモンの能力アップを専門に研究・開発を重ね、タマムシシティを中心に事業を展開していた企業の集合体だ。
一昔前に法改正が行われ、ほとんどの製品の生産中止をやむなくされた。
製造に携わっていた人員の解雇や、製造工場の閉鎖、大量の不良在庫の処理……連中が受けた打撃は凄まじかった」
勿論、その法改正にはシステムが関わっているんだろうね。
君の組織が不良在庫の処分を引き受けたというからには、当然、そのシンジゲートが被った損害の補償もシステムは行わなかったわけだ。
サカキは頷き、
「だがしかし、ロケット団のような孤立した組織と違い、シンジゲートやコングロマリットといった巨大組織に対しては、システムもある程度は慎重な対応を見せる。
例えば企業のトップが参加するカンファレンスには、システムの人間が直々に出席する。
そして私は、その機会を狙えば、システムの派遣員から情報を引き出せると考えたのだ。
結果的に、その目論見は成功した。
が、得られた情報は決して芳しいものではなかった」
- 310 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/03/27(金) 16:07:31.36 ID:ZLjzWcwo
- どうやって情報を吐かせたのかは聞かないでおくとしよう。
「システムの全体像を把握しているのは極一部の人間のみ。
末端は与えられた役割を粛々と果たすだけだ。余計な情報は与えられない。
例えるならば、システムという機械を形作る歯車といったところだな。
システム上層部の人間は、通常、一纏めにすればいい仕事をわざと細分化し、
それがどのような影響を社会にもたらすのか、末端に悟らせないようにしている」
「ピィ……ピカチュ?」
しかし、何かしら得るものはあったんだろう?
「勿論だ。その男を徹底的に絞り上げた結果、
システムの一員になるまでの経緯と、今日までにこなしてきた仕事の概要を聞き出すことができた。
調べたところ、その男の経歴は実に華やかだった。
幼少の頃からポケモンの扱いに長け、
ポケモン遺伝子工学を専攻、タマムシ大学遺伝子工学科を次席卒業。
某製薬会社で勤務する傍ら、遺伝子治療の研究を続けて7年目の春に、差出人不明のメールが届く。
そこにはその男が持つコネクションの範囲で聴取可能なある情報を仕入れろと記されていた。
見返りは破格の報酬だ。男は、当時予測されていた不況に備える小金稼ぎのつもりで、その依頼を承諾した。
支払いは完璧だった。味をしめた男はそれからも従順に仕事をこなし続け、
やがて大企業のトップが参加するカンファレンスのオブザーバーを務めるようになった……ということだった。
そして、仕事の中には他の人間と連携するものがあり、その時その男は、
システムに引き抜かれる人間は、誰もが何か一つの分野を極めているということに気付いたそうだ」
サカキは語りながらベッドテーブルにある水差しから隣にあったガラスのコップに水を移す。
「予測していたことではあったが、私は驚いた。
システムがいつ創設されたのかは現時点でも定かでないが、
もし男の話が正しければ、この世に名声を轟かせた世界の偉人・賢人の幾人かは、
システムにその能力を捧げていたということになる。
男が言うには、システムが最も欲している人材は、ポケモンを自在に駆ることのできる優秀なトレーナーらしい。
システムに不服を示す組織と交渉が決裂した時、或いはフリーのジャーナリストに嗅ぎ回された時。
最もスマートな解決方法は暴力で相手を黙らせることだ。
話し合いとは潤沢な時間と金があって初めて成立するもであり、どちらかが欠けたが最後、必ず泥沼化する。
かつてのロケット団に実働部隊が存在したように、システムにも汚れ仕事を請け負う実働部隊が存在する。
構成員の大部分は、ポケモンリーグで不正を働き追放された悪質トレーナーや、
ポケモンを使用して凶悪犯罪を犯した、元服役囚――実力は相当だろうが、まったく、システムも見境が無い」
溜息を吐いて、コップの水を飲み干すサカキ。
確かに、そんなゴロツキたちの統率が取れるのか疑問だね。
- 314 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/27(金) 16:35:06.04 ID:ZLjzWcwo
- 「統率はとれているらしい。
強い者が弱い者を従える。実力主義という奴だな。
もっともその男にポケモンバトルの才は無く、実働部隊に直接関わる機会はなかったようだが……。
男が語った仕事の内容は、先に言った通り、それ単体では何を目的としているのか推測できないものばかりだった。
結局私はシステム上層部の情報を何も聞き出せないまま、その男を返さざるを得なかった。
長期間の拘留はシステムに怪しまれる可能性があったからだ」
いやいや、待ってくれ。
システムに返せば、君に色々と尋問されたことがすぐにバレてしまうじゃないか。
「その男は何も覚えていない。私はエスパーポケモンの使い手であるナツメに協力を依頼した。
当時の彼女にとって、薬で見当識がぐらついている大人一人の記憶を弄ることは、簡単なことだった」
よく彼女が元ロケット団首領である君の願いを聞き入れたな。
「フフ、私は悪の組織の首領であり、同時にトキワのジムリーダーでもあったのだ。
裏の顔を見せている時は強い風当たりも、表の顔を見せている時は和らぐというものだ。
それにナツメも私と同様、システムの暗躍に不信感を抱いていた。
それから私はシステム構成員の疑いがある人間を片端から調べ上げ、確証を得た時は拉致し、
情報を吐かせ、ナツメに記憶を修正して元の生活に送り返す作業を繰り返した。
気の遠くなるような作業だったが、私は五年かけて、十何人かの構成員から情報を引き出すことに成功した。
作業は順調に思えた。しかしある時ナツメが精神を病み、その方法は使えなくなった」
- 321 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/03/28(土) 14:56:23.52 ID:.up2eEAo
- ナツメが精神を病んだ……? そんな話、僕は一度も……。
「世間に公表されていないのだから当然、お前が知るはずもない。
原因はエスパーポケモン使いの宿命とも言える、脳の過剰負荷だ。誰の責任でもない。
ナツメという協力者を失った私は、別の方法を考えねばならなかった。
ナツメの代わりを探す道もあったが、ナツメほど繊細かつ緻密な記憶操作が可能なエスパーポケモン使いもいまい。
私は熟考の末、二重スパイを使うことにした。
だが、既に構成員となった人間は「ポケモンと人間の共生社会の監視」というシステムの高尚な文句を信じ切っているか、
選民意識に酔っているかのどちらかで、籠絡するのが難しい上に、二重スパイに寝返る可能性もある。
そこで私はスパイの養成に向けて、一足早い段階から手を打つことにした」
なるほど。
予めシステムにスカウトされそうな人材に唾を付けておいたのか。
「そうだ。
才能の卵からとりわけ将来性のあるものを選び出し、システムの情報を仕込み、
もしそれらしき連絡があれば、私に伝えるよう指示した。
これは賭けだった。私が選んだ人間にシステムが興味を示さない可能性は多いにあった。
しかし、私の人選の目は確かだった。
私はシステムという堅牢な組織に、三人ものスパイを送り込むことに成功したのだ」
- 323 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/03/28(土) 15:24:06.29 ID:.up2eEAo
- 「が、前途は多難だった。三人のスパイのうち、一人は実働部隊員の補佐役に、
一人は諸般のフィールドワークに、一人はポケモンが有するESP能力の研究に配属された」
下積みから始まったのか。
システムにもヒエラルヒーはきちんと存在しているというわけだ。
「ああ、まったくもってその通りだ。
先に言った通り、構成員の横の繋がりは皆無に等しい。
必要以上に干渉しないよう、命令されているからだ」
恋愛なんてもっての他だな、と僕が冗談を言うと、サカキは薄く笑って続けた。
「無論、下手に横の繋がりを持とうとすれば怪しまれる。
私は三人に、とにかく最初はシステムという組織における地位を向上することに全力を注ぐよう指示した。
元々才能は保証されているのだ、数年の歳月が過ぎ、三人はそれなりの肩書きを得た。
一人は実働部隊の精鋭として一目置かれるようになり、
一人は実地調査を行う側から管理する側へ異動し、
一人はESP研究の功績が認められ、遺伝子研究の精粋とも言える秘密研究施設に臨時配属となった」
その秘密研究施設というのが、僕が囚われていたところ、と考えていいのかな。
「そうだ。お前がどれほどあの施設で自由を許されていたのか知らないが、
その一人と顔を合わせていても不思議ではない。何しろ奴の上司はマサキなのだからな」
僕の脳裡に、マサキに窘められていた哀れな青年の姿が浮かぶ。
まさか彼が? いや、考えるだけ無駄だな、彼の顔の造形は殆ど覚えていないし、例え本当にそうだったとしても、得るものがない。
「心当たりがあるのか?」
「ピィカ」
何でもない。続けてくれ。
- 324 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/28(土) 16:02:59.19 ID:.up2eEAo
- 「地位が向上すれば、枠からはみ出た行動も多少は認められるようになる。
三人の精力的かつ密やかな情報収集により、システムはようやくその全貌を覗かせ始めた。
「人間とポケモンの共生社会の監視」という標語は、概ねその通りに実行されている。
通常、摘発から法の裁きにかけられるまで莫大な労力と時間を要するポケモンを乱獲・殺害する組織も、
組織の実働部隊の手に掛かれば、二日三日で壊滅する。腰の重い国家権力より余程頼もしく思える。
また、独善的な道徳観念を振りかざされ中止に追い込まれたクローン研究も、
システムの庇護の下では気兼ねなく行うことができる。これも一見は迫害される科学者を憂慮し、援助しているように思える。
だがしかし、私はこれらのプロジェクトの影に、何か巨大な陰謀が潜んでいるように思えてならんのだ」
根拠は?
「直感だ」
僕の記憶が正しければ、君はどんな状況でも冷徹に論理を優先する人間だったと思うんだけど。
サカキはペルシアンの翻訳を意に介せず言った。
「不審な点がいくつかある。
システムはポケモンと人間の繁栄を謳いながら、
それとは関係ないように思える行動を起こしている。
代表例を挙げれば、先に言ったポケモンの能力を永続強化させる薬物の取り締まりや、
ジムリーダーが管理するバッジの能力の弱体化だな」
へえ。ヒナタが初めてバッジを得た時に不思議に思っていたが、そんなことにまでシステムが関与していたとはね。
- 326 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/03/28(土) 23:22:31.07 ID:.up2eEAo
- 「私は根気よく三人からの報告を待った。
三人が寝返ったり、スパイ活動がシステムの情報員に露悪したりはしなかった。
まあ、その三人にはシステムが出す報酬の倍を渡してやっていたのだから、当然と言えば当然だな。
そして私は今から丁度八ヶ月前に、興味深い情報を得た。
システムは今まで調和と安定を第一に優先してきていたが、近い将来、
ポケモンと人の在り方に変革を起こす計画が企てられているという噂があると、スパイの一人は語った。
私は初め、その情報を見逃していた。
だが、他のスパイから寄せられる情報を組み立てていくうちに、私は一つの仮説を立てるようになった。
ミュウツーが創られた孤島の再調査、
グレン島で秘密裏に行われているクローン技術の実質的な完成、
強化骨格を媒介してポケモンを自動制御する構想――。
システムはMU研究の再開、そしてクローン技術の応用によるMU量産を企てているのではないか、と私は考えたのだ」
そして僕の報告を以て、その仮説は立証された。
残念ながらな、とサカキは唸る。
「ピカ、ピーカ?」
でも、予め分かっていたなら、何故ミュウスリーの完成を阻止しなかったんだ?
「しなかったのではない。出来なかったのだ。
システムに真っ向から刃向かうなど、全盛期のロケット団でも無謀というものだ。
その残滓である小さな組織で、一体どれだけのことが出来ると思っている?」
じゃあ、君は何も出来ないと知りながら、あくせく情報を集めてるのかい?
「それも違うな。私は時期を待っているのだ。
確かに真正面からの対決では分が悪い。あっという間にひねり潰される。
が、背後からの奇襲、とりわけ狙う相手がシステムのトップであれば、可能性は見えてくるだろう」
- 330 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/03/29(日) 13:47:21.39 ID:qVHjA6wo
- サカキは不敵な笑みを浮かべて言った。
「近日、ヤマブキシティのシルフカンパニー本社2Fにおいて、新型特殊ボールのレセプションが執り行われる。
クライアントのみならず、各界の著名人も招待される大掛かりなものだ。
そしてその参加者の中に、システムのトップ――管理者が紛れているという情報があるのだ」
管理者?
「これもシステムと同じように、便宜的に名付けられたものだ。
といっても、システム構成員のほとんどは、管理者という呼び名を使っているようだがな。
管理者がレセプションに参加する目的は不明だ。
単純に新型ボールの性能に興味を示したからか、システム傘下のシルフカンパニーの監督のつもりか、或いは私の想像の及ばぬ計画のためなか。
それは分からん。が、管理者が公の場に姿を現すのは、私がシステムを追い続けて十年余り、初めてのことだ」
捕縛する、つもりなのか。
「そうだ。これは出来る、出来ないの問題ではない。
ミュウツー、いやミュウスリーを量産し、制御する……システムがその先にどんな構想を描いているのかは知らん。
だが、どんなに科学技術が進歩しようとも、奴を制御することは不可能だ。
私はそれを知っている。何故なら私は過去に一度それを試み、失敗しているのだからな。
ミュウツーに高度な自我が生まれたように、ミュウスリーにも同じものが生まれるだろう。
そうなれば、人間の道具となる可能性は万に一つも有り得ない。
仮に奴を深い微睡みに導き、その躯だけを傀儡にするとして、どれほど巨大な演算・制御装置が必要になると思う。
たった一体を動かすために、それだけの代償が必要なのだ。
数十体のミュウスリーを同時に動かすなど、現在の科学技術では到底不可能というものだ。
制御に失敗した個体が未だ微睡みの中にあれば、回収するだけで事無きを得るだろう。
しかし、もし制御が解けた瞬間に覚醒すればどうなる?」
答えるまでもない。
僕とサカキは、人類への復讐に取り憑かれたミュウツーをよく知っている。
「ミュウスリーの暴走は人類史に深刻な出血を強いるだろう。
だから私は、是が非でもシステムの構想を打砕かねばならんのだ」
しかし実際問題、管理者を人質にとったとして、システムが取引に応じるだろうか。
首を挿げ替えられれば人質の意味はなくなるし、
もし取引に応じたとして、その後、MV計画が再発しないという保証もないだろう。
- 331 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/03/29(日) 13:58:31.83 ID:qVHjA6wo
- 「何を勘違いしている。私が欲しているのは、管理者の身柄ではなく、奴の頭に入っている情報だ。
捕縛した後は自害されぬよう厳重に管理し、自白剤で全てを吐かせた後、解放する」
僕は「なるほどね」と聞き流したが、
審問が終わった頃、管理者の精神が崩壊していることを想像し、僅かに寒気を覚えた。
「システムが唯一怖れているのは、その存在が大衆に知れ渡ることだ。
私がシステムの者に暗殺されたところで、私が遺したあらゆる情報媒体が消えて無くなるわけではない。
取引終了後、システムが少しでもMV計画を再開させる素振りが見えれば、
私の遺志を引き継ぐ者がシステムの存在を世間に公表するだろう」
- 332 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/29(日) 14:21:05.34 ID:qVHjA6wo
- 「チュウ、ピカチュ」
君は本当に変わったな。
「私は何も正義感に燃えているわけではない。
私と同じ過ちを犯そうとしている人間を、見て見ぬふりは出来ん。
それだけだ」
サカキはやおら立ち上がり、ペルシアンを一瞥して言った。
「システムの話は以上だ。
他の質問はまた後日、シルフカンパニー潜入当日のお前の配置を伝える時に聞こう。
それまでは精々リハビリに専念しろ。中庭を貸してやる。
リハビリ相手には、有閑を持て余している屋敷内の部下を使うがいい」
ああ、ありがとう――って、今君は何かおかしなことを言わなかったか?
「リハビリ相手が部下のポケモンでは不足か?」
いや、もう少し前だ。
「他の質問はまた後日、シルフカンパニー潜入当日のお前の配置を伝える際、一緒に聞くと言ったはずだが?」
そう! そこだよ。
何故僕が君の計画に荷担することになっているんだ。
「ふむ、お前と私の間に、齟齬が発生しているようだな」
サカキは物憂げな口調とは裏腹に愉快そうな表情を浮かべて言った。
- 334 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/03/29(日) 14:31:21.41 ID:qVHjA6wo
- 「お前には管理者の捕縛に一枚噛んでもらう。これは既定事項だ」
僕は首を横に大きく振って、
「ピカ、ピーカ!」
認めないぞ。確かに君には助けてもらった恩があるし、
システムとMV計画の深刻さも理解しているが、
僕にはまず、ヒナタに会って、彼女を安心させる義務があるんだ。
「ほう。私の命令を無視し、ここから脱出すると?」
残念だけど、そうなるね。
「冷静になれ、ピカチュウ。
この屋敷から一歩でも外に出たが最後、お前は野生ポケモンだ。
ヒナタという娘の居場所を探す手がかりをどうやって得る?
それ以前に、まずどうやってこの五の島から脱出する?」
ぐうの音も出ない。
僕とコミュニケーション出来る人間は極々限られている。
サカキとこうやってスムースに会話出来ているのだって、ペルシアンの存在あってこそだ。
ポケモンが誰の手も借りずに、現在位置を刻々と変えるトレーナーを探し出せる可能性は零に等しい。
- 335 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/29(日) 14:50:53.44 ID:qVHjA6wo
- 「ようやく自分の置かれている立場を理解したようだな」
初めからこれが目的だったのか。
「老いてなお、お前は貴重な戦力だ」
君に少しでも心を許した僕が愚かだったよ。
「そう悲歎に暮れるな。
私はお前にチャンスを与えてやろうと思っているのだ。
かつての主と再会するチャンスをな」
言葉よりも先に、耳がぴくりと反応する。
「管理者には当然、護衛が付く。
それも管理者の顔を知るほどに信頼され、かつ咄嗟の戦闘にも反応できる最高のトレーナーが配備されるだろう。
三人のスパイのうち、一人は実働部隊の精鋭であると言ったな。
その一人の報告によれば、今から約十五年前、実力主義の実働部隊に配属後、
異例の早さで昇進し、システム要人の護衛を常任するに到った少年の逸話があるそうだ。
約十五年前、ポケモンリーグ制覇後、防衛戦を除いて公の場に姿を見せず、
永世の名を冠されてからは完全に姿を眩ましたお前の元主と、符号する点がいくつか存在すると思わないか?」
- 336 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/29(日) 15:08:54.72 ID:qVHjA6wo
- サトシはシステムの一員となるために、過去を捨てた。
考えられない話ではなかった。
あの施設にいた頃、マサキは言っていた。
『年がら年中、こんなとこで研究を続けて、死亡説が流れたりしたら大変やろ。
ま、ここにはそれでもいい、っていう研究者もおるけどな。
ワイは違う。表社会で築いた名声や、居場所をいつまでも残しときたい、欲張りなんや』
サトシもマサキと同じ気持ちだったのだろうか。
カスミを捨て、カスミのお腹の中にいたヒナタを捨て、それでもポケモンリーグの栄冠だけは捨てられなかった。
そして永世の名を得たと同時に未練も消え、完全に姿を眩ました。そういうことなのか。
でも、システムの構成員のほとんどは、表の仕事とシステムの仕事を両立させているとサカキは言っていた。
どうしてサトシは表の世界に見切りをつけなければならなかったんだ?
システムのことを隠しながらカスミやヒナタと暮らす道だってあったはずなのに――。
感情が昂ぶる。それを見計らったかのようにサカキは言った。
「今一度訊こう。私に協力するか?」
僕は先程とは正反対の言葉を口にした。
- 340 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/03/29(日) 15:41:40.94 ID:qVHjA6wo
- ―――――――
―――――
――
ぼやけた視界に、10:46の数字が映る。
「こんな時間まで寝過ごすなんて」
自覚のないうちに、疲れが溜まっていたのかしら。
「ふぁ〜あっ……」
大きな欠伸と伸びを一緒くたにしてから、ソファーセットの上で丸まっているタイチの存在に気付く。
見られてない? 見られてないわよね?
あたしはタイチの長い睫を指先でそっとつついて、
熟睡していることを確かめてから、急いで着替えを済ませて、1Fのロビーに向かった。
「こんにちは」
昨夜の気さくなジョーイさんが話しかけてくる。
「あっ、おはようございます」
「ふふ、あなたには"おはよう"と言った方が良かったわね」
赤面する。ジョーイさんはくすくす笑って、
「お出かけ?」
「はい。ヤマブキシティは初めてなので、軽く見回ってみようと思って」
「急ぎの用じゃないなら、今伝えておきましょうか。
9時頃、ヒナタさんに電話が入っていてね。フユツグさんっていう男の人から。
あなたがまだ眠っていることを伝えたら、無理に起こさなくていい、って仰っていたわ」
シルフカンパニーのことで何か分かったのかしら。
でも、たった一日で?
「電話をお借りしてもいいですか?」
「ええ、自由に使ってね。彼の電話番号は分かる?」
- 341 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/29(日) 15:54:24.93 ID:qVHjA6wo
- 「いえ……」
あたしのルームナンバーを教えただけで、フユツグの番号は聞いていなかった。
「それなら、はい、これ」
ジョーイさんが渡してくれたメモには、着信履歴が書かれていた。
「ありがとうございます!」
早速電話を借りる。
スリーコールで繋がった。
「もしもし、どちら様でしょうか?」
事務的な口調とは違う、優しい声。
「フユツグさん、ですか? ヒナタです。
今朝はお電話してもらったのに、あたし、まだ寝てて……。
あの、いつもはもっと早起きなんですけど、その、」
「構いませんよ。
長旅の疲れもあったでしょうし、
それを考慮せず、早朝から電話を掛けた僕に非がありました」
「あの、それで、何か分かったんですか?」
期待を込めて言うと、
「いえ、何も」
とフユツグはあっさり否定した。
- 342 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/29(日) 16:18:54.21 ID:qVHjA6wo
- あたしの困惑を電話越しに察したように、フユツグは「すみません」と謝って、
「実は今朝の電話は、私的なお誘いのためでして。
ヒナタさんは今日一日、何か御予定がありますか?」
「いえ……暇、ですけど……」
「それは良かった。
ヒナタさんがお暇でなければ、僕も退屈を持て余していたところです。
最近はジムの仕事ばかりで、休日の過ごし方を忘れてしまいまして。
ヤマブキシティで、何か興味を惹かれた建物や、文化財がありませんか?
ご迷惑で無ければ、僕が案内しますよ。
もっとも、依頼の内容を優先しろと仰るなら、そちらを優先しますが」
私は数秒の間を空けてから、「案内してください」と告げた。
シルフカンパニーの調査は確かに優先すべきだけど、
何故かその時のあたしには、フユツグの素性を深く知ることの方が大切に思えた。
それから待ち合わせ場所を話し合って受話器を置くと、笑顔のジョーイさんがやってきて言った。
「デートの約束?」
もうっ、この人は。
「違います!」
- 347 名前: ◆ihjpPTk9ic sage 投稿日:2009/03/29(日) 21:56:32.18 ID:qVHjA6wo
- 昨日待ち合わせした喫茶店があるビルの前に着くと、フユツグは支柱に凭れて雑踏を眺めていた。
服装は昨日の雰囲気と似た、落ち着いたものだった。
腕時計で時間を確認する。
約束の時間より、まだ15分も早い。
「ごめんなさい、待ちました?」
「僕もつい先程着いたところです。それでは行きましょうか」
と自然に嘘を吐くフユツグ。
「行き先は決めてあるんですか?」
「いえ、ノープランです。とりあえず歩き回ってみませんか。
時折僕がガイドとして、ヒナタさんの興味がありそうなところにお連れしますよ。
ところで、ヒナタさん」
「は、はい?」
「僕に対して敬語を使う必要はないと、以前言ったはずですが?」
「あっ……でも、それを言うならフユツグさんだってあたしには敬語を使っているじゃないですか」
「僕のは職業病で治しようがない。けれどヒナタさんの口調は意識一つで変えられる。
どうしても、と言うなら無理強いはしませんが、できればこんなささやかな年齢差など気にせず、気さくに接して下さい」
「わ、分かりました……じゃなくて、分かったわ、フユツグ。これでいいの?」
「結構です」
満足そうに白い歯を見せるフユツグ。
フユツグが良くても、あたしはなんだかちぐはぐした気分だわ……。
あたしはフユツグに連れられて、ヤマブキシティの各所を回った。
シルフカンパニーの展示ブースに敵情視察ではなく見学としてして訪れたり、
超高層ビルの最上階からの展望を写真に撮ったり、
電車とは比べものにならないスピードで走るリニアモーターカーを眺めたりした。
フユツグは冗談が上手くて、機転が利いて、常にあたしが退屈を感じないようにしてくれた。
でも、その居心地の良さに気持ちが流れそうになる度、
今も爆睡しているタイチのイメージが浮かんできて、それを邪魔した。
昨日の夜に聞いた、あたしが小さい頃にお父さんに会っていたという事実が、あたしを沈ませた。
- 348 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/29(日) 22:45:37.09 ID:qVHjA6wo
- 「ヒナタさん?」
「何?」
「いえ、気分が優れないように見えたので」
「何でもないわ。大丈夫よ」
フユツグはあたしの言葉の真偽を確かめるように目を細め、最後には微笑を浮かべて言った。
「次は、かつてこのヤマブキシティのジムを任されていた、格闘道場に参りましょうか」
格闘道場と呼ばれる建物は、遠目に見ても老朽化しているようだった。
「創設から一度も改修工事が行われていないことと、
師範代が昔気質の硬派な方で、滅多に入門生を取らないことで有名です」
と説明しながら、フユツグは門を開く。
勝手にお邪魔してよかったのかしら、と不安に駆られたのと、
「道場破りか? 入門希望か? どっちだ?」
海鳴りのような大声が降ってきたのは同時だった。
すっかり萎縮したあたしの隣で、フユツグが静かに、よく通る声で答えた。
「見学希望です」
「勝手にしろ。ただし邪魔と判断すれば放り出す」
「ありがとうございます」
筋骨隆々という言葉がぴったり当てはまる師範代らしい大男は、鼻を鳴らして門下生の監督に戻っていった。
フユツグが振り返り、「見学の許可を戴きました」と嬉しそうに言う。
- 355 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/03/30(月) 15:30:15.57 ID:RdsTZlIo
- あたしは軽い放心状態に陥ったまま、道場を見回した。
色褪せた畳の上で、これまた着古した道場着を纏った門下生が、
自分の体ではなく、自分のポケモンに組み手をさせている。
タイプはどれも格闘タイプで、エビワラーやサワムラーがほとんどだった。
「皆さん熱心ですね。
通常練習でフルコンタクトですから、怪我は当たり前。
いやはや、気合いの入れ方が違います」
藺草と汗の匂いで満ちた空気を吸い込むと、鼻の奥がつんとする。
時折寄せられる門下生の視線が、居心地の悪さに拍車をかける。
「ほら、ヒナタさん。見て下さい。
あのサワムラーの蹴りの鋭さ……。
軟弱なポケモンが食らえば、一撃で伸びてしまいそうです」
なのに、どうしてフユツグはこんなに暢気に解説なんか出来るんだろう。
「ねえ、フユツグ」
「なんですか?」
「あたしたち、ひょっとしたらお邪魔なんじゃないかしら?」
フユツグはあたしを安心させるように微笑んで、
眼鏡のフレームを押し上げ、
「僕たちが遠慮する必要はありませんよ。
師範代の許可は得ているのですから」
「そうは言っても……」
と、あたしがなんとかお暇する方向へ話を持っていこうとしたその時、
「おい、そこの兄ちゃん」
- 359 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/03/30(月) 15:55:23.09 ID:RdsTZlIo
- あたしたちの遣り取りを横目に伺っていたらしい門下生の一人が、組み手の相手に休憩を告げてこちらにやってくる。
年は二十代半ば、髪は角刈りで、師範代ほどではないにしても、
鍛え上げられた肉体は道場着で隠しきれないほどに盛り上がっている。
さっきから気になっていたんだけど、この道場ってポケモンを鍛えることが目的なのよね?
どうしてトレーナーまで筋肉もりもりになってるの?
「僕のことですか?」
突然話しかけてきた門下生に、笑みを絶やさず答えるフユツグ。
「そうだ。隣の別嬪さんは疑いようもねえが、お前は男だろ?」
「はあ」
「ポケモンは持ってるか?」
「護身用に一体だけ、携帯していますが」
「なら一丁腕試しといこうや」
フユツグは困ったようにあたしを一瞥してから、門下生に答えた。
「すみませんが、僕たちは見学希望なもので」
「女々しいこと言ってんじゃねえ。
この道場に一歩でも入ったからにゃあ、一戦交えるのが作法ってもんだ」
「あの、あたしも戦わなくちゃダメ、ですか?」
と恐る恐る尋ねてみると、門下生は急に表情を和らげて言った。
「や、この道場は女の入門生を認めてないんだ。
姉ちゃんが頑張る必要はねえ。後ろの方で彼氏さんを応援してな」
「か、彼氏とかじゃありません!」
フユツグはあたしの彼氏と間違われてどんな反応をしているんだろう、と思って様子をうかがうと、
あたしと門下生の遣り取りが聞こえないくらい、
「弱りましたね」
本当に弱っていた。
- 360 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/30(月) 16:24:30.17 ID:RdsTZlIo
- 「もし僕があなたに勝てば、解放してもらえるのですね?」
「ああ。だが俺を負かしたとなりゃあ、他の連中が黙ってねえだろうな。
ここにいる奴らは強えトレーナーが大好きだからな」
「となればこの腕試し、ともすれば他流試合、即ち道場破りに発展するのではありませんか?」
「なあに、そんな小難しいことは考えなくていいんだよ。
兄ちゃんが俺に勝つなんて、万に一つも有り得ねえんだからよ……。
出ろッ、カポエラー!」
豪快なかけ声と共に、顔は黄土色、足裏は鮮やかな水色の、
あたしよりも頭一つ分背が低い人型ポケモンが現れる。
逆立ちした状態で、頭の天辺の突起で、巧くバランスを取っている。
それを見て、あたしは昔遊んだ独楽を思い出した。
「さあ、兄ちゃんもポケモンを出しな」
「……ふむ」
「そうビビるな。手加減は心得てるからよ」
もしかしたらこの人は、こうやって見学に来たトレーナーをあしらうことに慣れているのかもしれない。
もういいわフユツグ、帰ろう?――あたしがそうフユツグに声を掛けようとしたその時、
「僕が怖れているのは」
門下生を見据えたフユツグの目から、それまでの物腰柔らかな光は消え失せていた。
「僕が腕試しと称してあなたと戦ってしまえば、
なし崩し的に、道場破りを果たしてしまうことになるからです。
何故なら僕は、あなたたちが大嫌いなエスパーポケモンの使い手ですから」
- 361 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/03/30(月) 16:48:14.41 ID:RdsTZlIo
- 途中まで笑いを堪えていた門下生の目つきが一変する。
真面目に組み手をしていた他の門下生たちも、動きを止めて、あたしたちに注目する。
「今なんつった?」
「僕はあなたたち格闘ポケモン使いの天敵、エスパーポケモンの使い手だ、と」
なにがなんだか分からないあたしを置いてきぼりにして、
一触即発の空気が流れ始める。
なに? 何なの?
どうしてみんなこんなにピリピリしてるの?
「てめえ、まさか……」
「お察しの通りですよ。僕は"現"ヤマブキシティジムの者です」
その一言で、さらに周囲の門下生たちが殺気立つ。
しかも間の悪いことに、
「何の騒ぎだ?」
師範代が奥からこっちにやってくる。
フユツグは涼しい顔で余裕を見せてるけど、本当は心臓バクバクに違いないわ。
ここはあたしが何とかしないと……。
必死に門下生や師範代の注意を反らせそうなものを探して、
自分の真後ろの壁にずらりと並んだ、門下生の名前が刻まれた小さな木板に気付く。
「あの……これっ! この板のことなんですけど!」
あたしが木板を指さして叫んだのと、師範代が近くにやってきたのは同時だった。
フユツグ、門下生、師範代。皆、あっけにとられてあたしに注目している。
何か言わなくちゃ言わなくちゃ……そう思う度に頭の中が真っ白になっていく。
あたしは何度も数十の木板に視線を往復させた。
そして門下生のものでも歴代師範のものでもない、奇妙に統一感のない名前の連続を見つけ出した。
「師範代の右隣にあるいくつかの名前は、一体誰のものなんですか?」
- 363 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/30(月) 17:07:55.54 ID:RdsTZlIo
- 師範代はしばしの黙考の後、
『そんな下らんことで騒いでおったのかッ!!』
とあたしを一喝したり、門下生が騒いでいた本当の理由を問い質したりすることなく、
「それはこの格闘道場創設から約半世紀、
他流試合を申し込み、見事師範代に到るまでを勝ち抜いた者の名だ」
昔を懐かしむように木板に触れた。
「そ、そうだったんですかあ」
内心ホッとして、改めて木板に刻まれた名前を確認する。
そして四つ目の木板に目を通したところで、あたしは雷に打たれたみたいに、身動きが取れなくなった。
「―――?、―――さん?」
異変に気付いたフユツグが声をかけてくれたけど、
その意味が分からないくらい、あたしは周りのことが見えなくなっていた。
「これ……この、名前……」
師範代があたしの指さす木板を見つめて、表情を崩す。
「サトシか。この小僧のことは昨日のことのようによく覚えているぞ。
良い機会だ。お前ら、組み手は終わりだ!
近くに寄れ。知っている者もいるかもしれんが、あのサトシがこの道場にやって来た時のことを話してやる」
- 367 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/30(月) 17:58:27.42 ID:RdsTZlIo
- 有無を言わせぬ師範代の言葉に、
フユツグに詰め寄っていた門下生も、その他の門下生も、
大人しく円を描くようにして座り込む。
「あれは十六、いや、十七年も昔のことだ。
保護者みてえな男と女を連れたサトシは、見るからにガキだった。
顔つきもやっと幼さが抜けてきたぐらいで、
ポケモントレーナーとしてもまだまだ未熟そうに見えた。初見ではな。
サトシは当時師範代を務めていた俺の親父に向かって開口一番、こう言った。
『バトルしようぜ』
一気に肝っ玉が冷えた。
親父は癇性で生意気な口の利き方をする奴はたとえガキでも殴り飛ばす人間だった。
ところが親父は笑い出した。自分のことをちっとも怖れていないサトシが気に入ったんだ。
一頻り笑った後で、『この道場に入門したいのか』と親父は尋ねた。
サトシは首を振って『ただポケモンバトルしたいだけ』と答えた。
奴はガキで、恐らく道場破りの意味が分かっていなかったんだろう。
だが親父は真剣な顔つきになって、すぐに試合の準備をするよう、俺や兄弟弟子に言った。
当時俺たちは親父の気が触れたんじゃないかと心配していたが、
もしかしたら親父は、サトシの実力をその時既に見抜いていたのかもしれん。
そして結果は、あの木板が示す通りだ」
師範代の視線が木板に注がれ、門下生たちの視線もそれに続く。
「全てが終わったあと、サトシは『どうもありがとう』と一礼して去っていった。
自分より十歳以上も歳の離れたガキに負けた俺や兄弟弟子の悔しさは、相当なものだった。
が、誰よりも悔しい思いをしているはずの親父が、何故か誰よりも満足そうな顔をしていたのを、俺はよく覚えている。
サトシがポケモンリーグで優勝したのは、それから二年後のことだ。
それを知って、やっと俺はあの時の敗北を納得できるようになった。
トレーナーとして早熟なサトシが、俺や親父に勝ち得た理由とは何か。
それは奴がポケモンとほぼ完全に対話できていたからだ。
修練に修練を積んだ親父でさえ成し遂げられなかった奇跡を、奴は生まれ持ち、しかも昇華させていた。
ポケモンの感覚を介して敵を知り、人の智慮によって最大の攻撃を生み出す。
お前たちにもいずれ理解できる時が来るだろうが、それにはまず……」
おもむろに師範が息を吸い込み、
「修行だ!
持って生まれた才能が無い人間に出来ることは、努力だけだ!
組手を再開しろ!」
「押忍!!!」
大合唱が道場を震わせ、門下生が散っていく。
- 368 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/03/30(月) 18:10:21.30 ID:RdsTZlIo
- あたしはその波に逆らって、師範代の背中に向かって言った。
「貴重なお話、ありがとうございました」
「話したくなったから話した。それだけだ。
お前らもいい加減に帰れ。見学はもう十分だろう」
「はい」
会釈して、踵を返す。
「フユツグ、帰りましょ」
師範代がお話をしてくれるまで門下生に塞がれていた入り口は、今では解放されている。
あたしは無言で後ろを着いてくるフユツグの気配を確認しながら、
逃げるように道場の外に出た。
別に門下生とフユツグのいざこざを怖れているわけじゃない。
誰かに、今のあたしの動揺を悟られたくなかった。それだけだった。
けど、フユツグには全部バレていた。
「ヒナタさん」
「な、なに?」
普段通りの声を出そうと頑張ってみても、こんな時に限って、いつもの声の調子を思い出せない。
フユツグは自然と早歩きになるあたしの腕を、すぐに捕まえて言った。
「あなたはサトシの娘ですね」
- 390 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/04/01(水) 20:26:01.84 ID:.k/g0B6o
- 「ちがっ……」
否定できない。
言い逃れすることを一瞬で諦めてしまうくらい、フユツグの声が自信に満ちていたから。
「昨日、ジムに戻ってから、失礼を承知で調べさせていただきました。
ヒナタさんの話に真実味はありましたが、あなたという個人が確かに存在していることを確かめたかったからです。
実際、他人の替え玉でジムに訪れる方が偶におられまして。職業病とも言えますね。
調査の結果、僕は副次的にあなたが元ハナダシティジムリーダー・カスミの娘であること、戸籍上、私生子として登録されていることを知りました。
失踪したあなたの父が誰なのか……。
憶測に必要なファクターは、当時の記録に全て揃っていました」
「…………」
「ですが、憶測はどこまでいっても憶測です。
僕は積極的にこの話題を出そうとは考えていなかった。
しかし先程のヒナタさんの反応を見て、僕は直截確かめずにはいられませんでした」
――無闇に自分のお父さんがあのサトシだと言わないこと、いいわね、ヒナタ。
小さな頃にお母さんと結んだ古い約束も、ここまで感付かれれば、守ろうが破ろうが一緒だ。
「そうよ。フユツグの言ってることは、ほとんど合ってるわ。でも――」
フユツグの細い目を、眼鏡越しに睨み付ける。
「あたしのお父さんがどうしていなくなったのかは、勝手に想像しないで」
「僕はただ、」
「お父さんが失踪したのには、理由があるの。
お母さんは何も教えてくれなかったけど、
お父さんがあたしをおいて失踪したのには、絶対、ちゃんとした理由があるんだから」
目頭が熱くなる。
お父さんが失踪した事実を誰かに修辞なく突きつけられるのは、これが初めてだった。
「すみません。僕は少々――いえ、大いに思慮の欠けた好奇心を膨らませていたようだ。
ヒナタさんを傷つけてしまったことに謝罪します。
決して興味半分、面白半分で尋ねたわけではないんです。
僕はただ純粋に、子供の頃から尊敬しているサトシの娘に出会えたことが、嬉しかったんですよ」
- 397 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/04/01(水) 21:28:17.13 ID:.k/g0B6o
- 「あたしのお父さんを……尊敬してる……?」
「ええ。別段珍しいことでもないでしょう?
僕がトレーナー免許をとった当時は、
尊敬、あるいは目指しているトレーナーは?と聞かれれば、
百人が百人、老若男女問わずに彼の名を挙げるような時代でした。
彼は生ける伝説でした。
ですから彼が永世チャンピオンとなってメディアの前から姿を消した時は悔しかったですね。
幼い僕は勝手に彼をライバル視していて、勝ち逃げされたような気でいたんですよ」
どうです、可笑しいでしょう?と自嘲するフユツグはの顔は清々しかった。
自然と頬が緩むのを我慢できない。
誰よりもたくさんのトレーナーから尊敬されているお父さんが誇らしかった。
「お父さんは、どんな風に凄かったの?」
「そうですね。ヒナタさん自身も当時の彼について調べておられるでしょうし、
評論家の受け売りのような、形式的なものになってしまいますが……。
彼の戦い方は洗練されていました。
彼が初めてポケモンリーグに挑んだ時の、予選中継を御覧になったことは?」
「ある、けど……試合が始まってからは遠くからの視点ばっかりで、あんまりよく分からなかったわ」
- 398 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/04/01(水) 22:04:14.61 ID:.k/g0B6o
- 「俯瞰、距離を置いた撮影方法は、
大衆向けのメディアが試合中にままある過激な場面を暈かすためです。
ポケモンリーグなどのハイレベルな試合では、ポケモンの死傷が珍しくありませんから。
しかし試合後の審議や論判を目的とした撮影では、
様々な距離やアングルで、試合の経過を悉に記録します。
この資料が一般に公開されることはありません」
「フユツグはその資料をジムのパソコンを使って手に入れたのね」
「よくわかりましたね」
「…………」
タイチが昨日の夜に似たようなことを言っていたことは黙っておく。
「僕はその資料を見て、あることに気付きました。
彼は試合中、ほとんどポケモンに命令していないんです。
時たま観戦者には理解できないような指示があって、
それまで自由に判断・行動していたポケモンは、瞬時に彼の命に従う。
それが重要な布石であったことに対戦者を含む第三者が気付くのは、決まって試合が終わってからです。
また試合中の彼や彼のポケモンには、緊張や焦りが無い。
チャンピオンの座を奪われるかもしれない状況で冷静に挑戦者を下す様は、
さながら試合が始まる前から、勝利を確信しているように見えました」
- 404 名前: ◆ihjpPTk9ic sage 投稿日:2009/04/01(水) 22:43:50.20 ID:.k/g0B6o
- 「ポケモンに命令しないで、ポケモンに行動を任せるなんて……」
フユツグは人差し指と中指で眼鏡を押し上げながら言った。
「一般的なトレーナーが実践するなら、無謀の愚策でしょうね。
しかし彼が実践すれば、それはたちまち無敵の権謀に変わります。
先程、師範代が仰っていたことを思い出してください。
ポケモンバトルで実際に戦うのはトレーナーではなく、ポケモンです。
相手の攻撃がどれほどの威力を持っているのか、
現在の位置関係から考えて、どの場所へ回避するのが最適か、
それが成功した後は、どのような反撃に転じればいいのか。
経験の浅いポケモンならまだしも、十分に経験を積んだポケモンは、
多くの場合、トレーナーの判断よりも素早い判断を下すことができます。
しかし、それらの判断は本能的な反応から生まれたもの故に、往々にして読まれやすく、
結局は客観的な視点を持つトレーナーの判断に頼ることになります。
例外的に知能の高く、かつハイレベルなポケモンは経験則を生かして、
トレーナーの指示なしに変則的な行動ができるという話がありますが、これはあくまで例外です。
では、サトシは何故、ポケモンに自律戦闘を任せることができたのか。
これは今でこそ言えることですが、
彼は先天的に、或いは後天的に、ポケモンの思考を読む能力を得ていたのだと思います。
ポケモンにあえて自由を与えることで、命令というワンクッションを置かずに、流れるような攻めを実現し、
彼の慧眼が彼のポケモンの目を通して相手ポケモンの弱点、あるいは彼のポケモンが突かれるであろう隙を見出し、最適の指示を出す。
これが、彼が最高のポケモントレーナーたる所以です」
- 444 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/04/03(金) 19:43:36.98 ID:qE38.pUo
- 「お父さんって、そんなに凄いポケモントレーナーだったんだ」
あたしは今まで、ポケモンバトルの強さは、
ポケモンのレベルの高さと、トレーナーの指示の巧さによって決まるものだと思っていた。
でも、それは間違いだった。
高みには単純な言葉では語れない、特殊な能力を持ったポケモンやトレーナーがいる。
そしてあたしのお父さんは、そんな強豪がひしめき合うポケモンリーグで、何年も頂点の座を守り続けていた。
「……追いつけるのかな」
口について出た言葉を、
「追いつけますよ」
フユツグが拾ってくれる。
「僕はポケモントレーナーとしてのヒナタさんの技量を知りませんが、
あなたが彼の娘であり、彼の血を受け継いでいることは、紛れもない真実じゃないですか。
ポケモンと思考を共有する特別な力。
それがこの先、ヒナタさんに顕れる蓋然性は十二分にあります」
「ほ、本当にそう思う?」
もしかしたらあたしは、自覚しないまま、ずっと気にしていたのかもしれない。
永世チャンピオンサトシの娘でありながら、
少しずつ成長している実感はあるにせよ、凡庸なポケモントレーナーという枠に縛られているということを。
だからフユツグの言葉は、あたしの心を揺り動かした。
「あなたには眠れる逸才があります。
それが開花し、ヒナタさんの自由な意思の許に働かせられるようになれば、
ヒナタさんは彼と同等、いえ、彼を超えるポケモントレーナーになるかもしれませんね」
今のうちからサインをもらっておきましょうか、と冗談も忘れない。
あたしは照れ隠しのつもりで早口に言った。
「フユツグだって凄いわ。ポケモンリーグの対戦資料を見ただけでお父さんの能力を見抜いて、
それをあたしにも分かる言葉で説明できるんだもの」
- 446 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/03(金) 20:10:52.65 ID:qE38.pUo
- 「僕が彼の能力を推測できたのは、僕がエスパーポケモンの使い手だからです。
驚かないでくださいね。 実は僕にも、彼の能力の真似事ができるんですよ」
「えっ」
フユツグにもポケモンの思考が読めるの?
「言ったでしょう。所詮は真似事です。
人並の知能を持つエスパーポケモンと、一定以上のESP能力を持つトレーナーとの間に回線を開き、」
「ちょ、ちょっと待って。そのESP能力っていうのは?」
「超感覚的知覚能力、俗に言う超能力のことです。
ESP能力に属するのはクレアボヤンス、サイコメトリー、プレコグニション等の静的な能力で、
動的な能力、即ちサイコキネシス、パイロキネシス、ソートグラフィー等はPK能力に属します」
とフユツグはゆっくり丁寧に説明してくれた。
その優しさは伝わってくるものの、台詞に鏤められたカタカナ語の八割が意味不明で、
それでもこれ以上質問を重ねたら話が脱線してしまいそうで、
「超能力にも色々あるのね……」
あたしは無難な言葉を口にする。
「そういうことです。
そして幸運にもESP能力に恵まれた僕は、
精神的遠隔感応能力――テレパシーを使うことで、ポケモンと思考の遣り取りをすることができるんです」
- 449 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/04/03(金) 20:53:42.92 ID:qE38.pUo
- 「テレパシーは知ってるわ。
でも人とポケモンがテレパシーで会話することなんて、本当に出来るの?」
お父さんがポケモンと心を通じ合わせられることは信じても、
エスパーポケモンと超能力者がテレパシーで会話できることは俄に信じられないあたしだった。
「様々な問題点は抱えているものの、現実には可能です」
フユツグは衒いのない言葉で語った。
「ヒナタさんが仰るとおり、人と人の意思疎通に比べ、人とポケモンの意思疎通には困難を極めます。
それは会話というよりは、ポケモンの意識を勝手に読み取る、と言った方が正しいですね。
ポケモンの澱んだ思考の海から、情動と、それから繋がる行動を汲み取り、濾過する。
この作業には慣れが必要ですし、慣れてからも、ポケモンの思考を読み間違うことはあります。
こちら側の脳の負荷も、時間の経過とともに増大します。無理矢理回線をこじ開けているんですから。
意思疎通における齟齬が皆無、かつ、脳に負担のないサトシの能力とは比べるまでもない、欠陥だらけの能力ですよ」
「ヤマブキシティの雇いのトレーナーは、
みんなフユツグみたいなESP能力を持ってるの?」
「さあ、どうでしょうね。
ヤマブキシティジム所属のトレーナーは、性質上、他のトレーナーと関わることを嫌っていますし、
仮に打ち解けたとしても、自分の能力を明かすようなことは滅多にしませんから。
ただ……」
「ただ?」
「ヤマブキシティジムリーダー・ナツメのESP能力は、
一つのESP能力に特化した超能力者を数人束ねてやっと匹敵するぐらいだと言われています。
先程説明したポケモンとのテレパシーや、ポケモンに暗示をかけるヒュプノシス、果てはマインドコントロールまで……」
まだ一度も会ったことのないナツメさんを想像して、身震いする。
ナツメさんのESP能力が無敵の能力に思えてくるのは、あたしだけかしら?
「それほどのESP能力に恵まれていながら、ナツメがジムリーダーに留まった理由は単純です」
不意に、フユツグを取り巻く空気が凍り付く。
「彼女は調子に乗って能力を酷使しすぎた結果、精神を病んでしまったんですよ。
以来、彼女は現実と夢幻の区別がつかない状態になってしまった。
彼女が正気に戻るのは、挑戦者がヤマブキシティジムの最上階、彼女の自室に現れた、その時だけです」
- 451 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/03(金) 21:13:17.62 ID:qE38.pUo
- あたしは愕然とした。そして同時に理解した。
最初、ナツメさんとの面会を拒まれた理由はこれだったんだ。
挑戦者としてナツメさんの目の前に立たない限り、ナツメさんが正気に立ち返ることはない。
「彼女の能力が最も冴え渡っていたと言われる全盛期……。
もし精神に異常をきたしさえしなければ、四天王にまで上り詰めていたに違いないのに……」
フユツグの語勢が荒くなる。あたしは不安になった。
「フユツグ?」
「すみません。ヒナタさんに不如意を吐露しても仕方ありませんでしたね。
ただ、これは分かっていただけるでしょうが、僕は残念なんですよ。
彼女はあんなところで立ち止まるべきではなかった。
例えそれが超能力者の宿命であったとしても、その時期を遅らせるよう、努力すべきだったんです――」
- 489 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/04/05(日) 00:12:22.30 ID:x8QpHDEo
- マサラタウンの春を思わせる麗らかな午後だった。
僕は中庭を目指して病室から抜け出した。
何故「外に出た」のではなく「抜け出した」なのかというと、
看護婦さんが僕の外出を許してくれなかったからだ。
しかしそれは彼女の行き過ぎた看護責任が僕の外出を認められないだけで、
僕の健康状態は数値敵にも表面的にも、それなりの回復を見せているはずだ。
サカキの允許もそれを見越してのものだろう。
病室の外の世界は新鮮だった。
一級リゾート地に建てられた別荘と聞いて、豪奢な建物を想像していたが、
なかなかどうして、ロココ様式の教会を想起させる落ち着いた保養所だ。
緩やかなカーブを描く階段を見つける。
一段一段を下るごとに、目に優しい装飾や丁度によって、良い意味で現実感がそぎ落とされていく。
この別荘に現代の知識や感覚は相応しくないように思える。
しかし現実として、ここには最新鋭の設備と有能な人材が揃っていて、
サカキはそれらを使ってシステムの情報を収集している。
階段の終わりに差し掛かるにつれ、草花の薫りが強くなる。
「ピィカァ……」
中庭は美事なものだった。
ジューンベリーの白とピンクが中央から溢れ出し、
それを受ける器のように、緑鮮やかなオリーブが生垣樹の役目を果たしている。
ただし、心安らげる場所であるかと問われれば、僕は首を横に振るだろう。
草花の色彩に紛れて中庭を監視する数台のカメラと、
単なる逍遙が目的とは思えない、暗い目をした男が、辺りに視線を走らせているからだ。
「来たな。そろそろ来る頃だと思っていた」
- 492 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/05(日) 00:44:35.96 ID:x8QpHDEo
- 男は僕の方を見て言った。
「君が"あのピカチュウ"か。
あのお方から君のリハビリを手伝うよう指示されている」
威圧的かつ理性的な、人を束ねるに相応しい声だ。
「チュウ」
よろしく、と僕は言った。
伝わらないことは分かっている。
「リハビリと言葉を弄したところで、つまるところはスパーリングだ。
今日は手始めに俺のポケモン二体とバトルしてもらおう。
君は病み上がり、僕はあのお方のスパイの一にしてシステム特殊機動部隊の部隊長。
実力は丁度均衡しているか、俺に僅かに分があるくらいだろう」
実働部隊の補佐から昇格を重ね、精鋭に到ったスパイの一人とはこの男か。
なるほど、確かに君は僕のリハビリ相手に適任だ。
だが――。
僕は視線を四方に投げた。
その仕草で僕の憂慮していることは彼に伝わったようだ。
「心配は要らない。僕のポケモンは氷タイプに限定されていてね。
リハビリの最中に中庭の植物が凍り付いたとしても、この五の島特有の温かい日差しがすぐにそれを溶かしてくれるだろう。
もし仮に中庭が荒れるようなことがあっても、ある程度までは目を瞑ってくださるそうだ。
その言葉一つをとっても、どれだけ君のリハビリがあの方に重要視されているか分かるな」
- 528 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/04/13(月) 18:45:16.49 ID:6WGCLuoo
- その言葉を素直に受け取れたらどれだけいいことか。
サカキにとってこのリハビリは、僕を病み上がりから即戦力に仕立て上げるための一つのプロセスでしかない。
そんな僕の嘆息を知る由もなく男は懐に手を伸ばした。
「デリバード、お前の出番だ」
閃光。現れたポケモンは僕の知らないポケモンだった。
黒く縁取られた目。
鮮やかな赤と優しい白に分けられた体毛はとても温かそうだ。
大きく広がった尻尾の先端を左手で掴み、袋のように扱っている。
サンタクロースと姿形が重なるのは、僕の錯覚だろうか?
「こいつは俺に捕まえられてまだあまり日が経っていなくてね。
躾がなっていないんだ。
こうしている今でも、早く自分の周囲を快適な環境に作り替えたがっている。
五の島の温暖な気候が気にいらないんだろうな」
と、男は苦笑する。やはり目は笑っていない。
「そういった深層心理は技を選択する際の傾向に少なからずとも影響する。
だから君のリハビリも兼ねて、こいつの甘い考えを矯正してやってくれないか」
いいだろう。
承諾の意を込めて頷くと、男は目を瞬いて、
「君が人語を完全に解している、という話は本当らしいな。
ムサシやコジロウから聞かされた時は半信半疑だったんだが、これで確証が持てたよ………」
彼の視線が、中庭の虫を啄んでいた鶫に止まる。
言葉は要らなかった。
鶫が愛らしい鳴き声とともに飛び立った瞬間に、僕たちは動き出した。
- 531 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/04/13(月) 18:58:47.42 ID:6WGCLuoo
- 「チュウッ」
駆ける。
脳内分泌物質の所為だろうか、不思議と酷い痛みは感じなかった。
これも一重に療養生活と看護婦さんの手厚い看病のおかげだ。
ただ痛みをあまり感じない代わりに、、駆けている途中に躯がバラバラになってしまう恐ろしい幻覚が、頭の隅から離れなかった。
無理をするな――。本能がそう、僕に訴えかけているのか?
彼我の距離は約10m。
デリバードの反応は素早かった。
「牽制しつつ距離をとれ」
技を指定しない命令。
その入力に対する出力は冷凍ビームによる迎撃だった。
輻射型の冷却光線が空気中の水分を凍らせ、風に揺れていた草花を遍く停止させる。
- 533 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/13(月) 19:42:44.37 ID:6WGCLuoo
- 僕が選んだのは迂回でも停止でもなく前進だった。
前方の局地的銀世界を飛び越える。
滞空中は方向転換することができず、必然的に無防備になりやすい。
が、デリバードにそのタイミングを狙うことはできないはずだ。
彼は「距離をとれ」という命令を重視せず迎撃に専念した。
この跳躍で元々の距離はゼロとなる。
眼下のデリバードが僕を見上げる。
そして次の瞬間、僕の視界は真っ暗になった。何かに包まれるような感覚。
「ピカ!?」
光が戻る。僕は再び宙を舞っていた。
受け身をとって体勢を立て直し、何が起こったのか考える。
僕は着地しなかった。頭からデリバードの袋の中に突っ込み、
勢いはそのままに半回転、デリバードの背中方向へと吐き出されたのだ。
「上手いぞ、デリバード」
確かに上手いカウンターだった。それは認めざるを得ない。
あの袋は飾りじゃない。戦闘補助具として立派に機能している。
- 552 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/18(土) 13:15:08.87 ID:qYDkzZEo
- 再び接近を試みる。
体には微かに"影分身"をかけながら。
頬には少量の電気を蓄えながら。
反対方向に受け流されたものの、彼我の距離は冷凍ビームによる迎撃を許さない程度に縮まっている。
充分に肉薄したところで直進に切り替え、タックルと見せかけて、
「ピカ!」
その脇を通り過ぎて反転、僕の十八番である"電磁波"を――。
「眩ませろ」
反転した時には既に、僕の視界は真っ白のヴェールで覆われていた。
デリバードの本体がどこにあるのか分からない。
緩い疼痛に堪えながら、大体の見当を付けて電磁波を照射する。
が、幸運の女神はデリバードに微笑んだ。
「"燕返し"だ」
尻尾が翻ると同時に、その影から手刀が放たれる。
僕の虚を突いた完璧な一撃は、しかし、僕がこれまで幾度も経験したものだった。
その手を引き寄せるようにして前にのめらせ、
体勢を崩したデリバードの腹に打撃を叩き込む。
バックステップするデリバードに一足で追いつく。
収束型の冷凍ビームが頭上を掠める。
―――逸ったな。
尾を硬質化させて反転。
僕の視界からデリバードは消えたが、僕は今デリバードがどんな状況にあるのか知っている。
刃と化した僕の尻尾は、デリバードの喉元に突き付けられている。
- 554 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/18(土) 13:28:08.66 ID:qYDkzZEo
- 「お見事」
男はデリバードをボールに戻しながら言った。
「やはりサトシの元相棒という肩書きは伊達じゃないな。
だが、俺の期待していたものとは違う」
どういう意味だい?
「君の強さはスピードとテクニック、そして何より、
大型ポケモンでさえ一撃で地に伏す強力な電撃技によるものだ。
それが今の一戦では、どうも君が体術にのみ頼っているように見えてね。
一度限りの"電磁波"もキレが無かった。
いや、一般的な観点から見れば充分な速度だが、どこか躊躇しているように感じた。
ピカチュウ。君は電気系の技を使うことに恐れを抱いているのではないかな」
「ピィカー」
やれやれ。
そこまで洞見されていたとはね。
「君の体はまだ回復途上にある。
リハビリに痛みが伴うのは致し方ないことだ。
君も知っているだろうが、あのお方の気はあまり長くない。
なるべく早くその躊躇を捨てることだ」
男が別のボールに手を伸ばすのを眺めながら思う。
残念ながら、君の言っていることは微妙に正鵠を外しているよ。
僕が極力電気技を控えている理由、それは――。
- 556 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/18(土) 13:47:56.45 ID:qYDkzZEo
- 「そんな! 約束したじゃないですか!」
ロビーにいた他のトレーナーが一斉にあたしに振り返る。
「ごめんなさいねえ」
とあくまでも穏やかにジョーイさんは言った。
「あなたに言われた通り部屋はとっておいたのよ。
でもお昼頃に名のあるポケモントレーナーが一人いらっしゃってね。
断れなかったのよ」
「その名のあるトレーナーっていうのは誰なんですか?」
「個人情報に関わることだから言えないわ。
また明日になったら部屋が空くかもしれないから、もう少しあの部屋で我慢してくれる?」
「……はい」
そう答えるしかなかった。
部屋に戻るとタイチはニュース番組を見ながらルームサービスの夕食を食べていた。
ベッドにはヒトデマンがびたーんと伸びていて、
バクフーンは部屋の隅で行儀良くポケモンフードを頬張り、
ピッピはゲンガーのお腹をトランポリンにして遊んでいる。
ねえ、なんでみんなこんなに馴染んでるの……?
- 558 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/18(土) 14:24:39.46 ID:qYDkzZEo
- 「おう、ヒナタ。帰ってきたか」
とあたかもこの部屋の主であるかのように笑顔でお箸を掲げるタイチ。
「夕方頃まで眠ってたんだ。おかげで体力は全回復だぜ」
「それは良かったわね」
「反応薄いな。ヒナタは俺が寝てる間、どこ行ってたんだ?」
「散策よ」
「嘘だな」
「嘘じゃないわ。
フユツグにヤマブキシティを案内してもらってたのよ」
「それは散策じゃなくてデートって言うんだよ」
「で、デートなんかじゃないわよ」
タイチは不意にTVを消して、あたしを見据えて言った。
「あいつを信用するのはまだ早いぜ、ヒナタ。
俺たちはまだ何の情報も貰っちゃいないんだ」
フユツグはあたしに、お父さんの過去に触れさせてくれた。
ESP能力の秘密や、ナツメさんが精神を病んだ事実についても説明してくれた。
「とにかく、あいつと二人だけで会うのはやめろ」
「どうして?」
「危険だからだ」
「危険って、フユツグが?」
「ああ。ヒナタは流されやすいところがあるからな。
もしフユツグが素性を偽って俺たちに協力しているとしたら……」
「フユツグのことをそんな風に言うのはやめて」
訳が分からない。
どうしてフユツグのことを疑わなくちゃならないのよ。
フユツグはあたしのお父さんを尊敬してると言っていた。
あたしにはお父さんの血が流れていて、いずれお父さんより強いポケモントレーナーになれる、とも。
- 559 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/18(土) 14:41:53.46 ID:qYDkzZEo
- しばしの沈黙の時を経て、タイチが
「………悪かったな」
と言い、夕食を再開する。
結局その夜、あたしたちは気まずい空気を引き摺ったまま眠ることになった。
ソファセットの寝心地は昨日と同じく最悪だった。
翌朝。
部屋の空きが出来たかどうか尋ねにロビーに降りると、
昨日と同じくジョーイさんが現れて、フユツグからの伝言を教えてくれた。
『今日の正午頃、例の喫茶店に、タイチさんとお二人でいらしてください』
あたしがそれを部屋に戻ってタイチに伝えると、
「今日は俺も一緒していいんだな」
あたしはそれを聞き流しつつ、
「何かシルフカンパニーについて掴んだのかもしれないわ」
「早すぎないか。一昨日からまだ二日しか経ってないんだぜ」
否定的な言葉を連ねるタイチ。
フユツグが何か情報を提供してくれれば、タイチもフユツグを認めるに違いないわ。
あたしは言い返さずに、約束の時間になるのを待った。
- 561 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/18(土) 15:25:11.14 ID:qYDkzZEo
- 「単刀直入に申し上げます。
ジムトレーナーの権限を濫用して様々な方面から探りを入れてみましたが、
流石はシルフカンパニーといったところでしょうか、
お二人の言っていた『組織』に繋がるような情報は得られませんでした」
先に席に着いていたフユツグは、あたしとタイチが坐るなり、開口一番そう言った。
「それは現時点での話だろ。
まだたったの二日しか経ってないのに、もう情報は得られない、って諦めるのか?」
「勘違いしないでください。僕は手間を惜しんでいるわけではないんです。
こういった即席の諜報活動は長く続ければ長く続けるほど、
相手側、つまりシルフカンパニーに感付かれる可能性が高まります。
だからこそ僕は短期集中的に情報を得ようと努力したのですが……」
「それじゃあ、もうフユツグにできることは何もないの?」
絶望の淵に立たされたような気分になって、
「いえ。他に方法はあります」
人心地に立ち返る。
「シルフカンパニーはモンスターボール製造の独占企業です。
業務提携に縁がなく、傘下の企業は数えるほどで、優秀な専属コンサルタントを抱えている。
そういったスタンドアローンな組織に外部から付けいる隙はほとんどありません。
従って、内部から直接探るのが最も効果的な方策だと思われます」
タイチが言った。
「まどろっこしい調査はやめにして直接忍び込め、と?」
「ええ。しかし真正面から侵入するのはあまりにリスクが高すぎる。
そこで僕に提案があります。
お二人はご存じでないでしょうが、実は三日後の夜、
シルフカンパニー2Fで新型特殊ボールの発表を兼ねたレセプションがあるんです」
「レセプションって何のこと?」
「直訳すれば招待会、となります。
要するに各界の著名人を集めて、その場で新型ボールの発表を行い、世間の注目を集めるのが目的です」
「あたしやタイチみたいな一般のトレーナーがそんなところに出席できるの?」
「ご心配なく。僕はヤマブキシティジムリーダー・ナツメの代理として出席する予定なのですが、
招待客は二名の家族・友人・知人の同伴が認められています」
「その同伴に俺とヒナタを選んでも大丈夫なのか?」
「ええ。元々僕は一人で出席するつもりでしたから。
ジムの者に咎められたりはしませんよ」
如才なく微笑むフユツグ。
- 573 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/04/19(日) 01:56:50.84 ID:No1HYnQo
- 「ただし」
人差し指を立てて、
「レセプション参加者にはその性質上、フォーマルな服装が求められます。
もしヒナタさんやタイチさんがそういった服をお持ちでなければ、三日後までに用意してください」
え?
思考が停止する。右隣を見るとタイチの思考も停止しているようだった。
「服飾店は……これといったものを僕が紹介する必要はないでしょう。
正装に分類されるなら、細かい装飾は自由です。
お二人の趣味に合わせた服を購入してくださって結構です」
ここは天下のヤマブキシティ。
フユツグの言うとおり服飾店に不足はないだろうけど、
シルフカンパニーのレセプションに出席して浮かないための服なんて、いくら出せば買えるんだろう?
財布の中にあるお金を全部使えばなんとかなるかしら?
でも、ここでそんな大金を使ったら、この先の旅費はどうやって工面すればいいの?
そんな恥ずかしいことをフユツグに聞くことができるわけもなくて、
「わ、分かったわ」
「お、おう。了解だ」
二人揃って見栄をはる。
- 576 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/19(日) 02:14:49.07 ID:No1HYnQo
- それではまた後日に連絡します――そう言ってフユツグが喫茶店を出た後、あたしとタイチは深々と溜息を吐いた。
交互に所持金を口にして、さらに重い現実があたしたちにのし掛かる。
「まさかこんなところで金に困ることになるとは思ってなかったぜ。
貯金しときゃよかったな。……後悔先に立たず、ってヤツか」
「シゲルおじさまから貰ったお金もこれまでの旅で随分減っちゃったし……。どうしよう」
「日雇いの仕事でも探すか?」
「そう簡単に見つかるかしら?」
「冗談だよ………。流石に三日で何万も稼げないだろ」
「あ……、そうよね……ごめんなさい」
気まずい。
笑えない冗談なら最初から言わないでよね。
昨日の夜にタイチと揉めて(?)からというもの、ずっとこんな調子だった。
- 579 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/19(日) 02:28:23.59 ID:No1HYnQo
- \WWWWWWWWWWWWWW/ \WWWWWWWWWWWWW/
≫ ≪ ≫ ≪
≫ ふ た り は ≪ ≫ 金 欠 ! ! ≪
≫ ≪ ≫ ≪
/MMMMMMMMMMMM、\ /MMMMMMMMMMMMMM、\
/ ̄ ̄ ヽ, / ̄ ̄ ヽ,
/ ', / ',
{0} /¨`ヽ {0}.', {0} /¨`ヽ {0}.',
l ヽ._.ノ ', . l ヽ._.ノ ',
リ `ー'′ ', リ `ー'′ ',
,' ⌒\ /⌒ ',
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', 、-^──ー´ / ヽ、 `ー──^-、 /
', '-───ーヘ ノ`ー───-' /
\ \ / ノ
_ノ ) / ∠
/` ̄ \ /| | | f\ ノ  ̄`丶
( _、 --─ーヽ__/ | | | | ヽ__ノー─-- 、_ )
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(__/ ヽ._<_./ \__)
- 592 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/04/19(日) 20:06:29.72 ID:No1HYnQo
- 「なあヒナタ、お前ヤマブキシティに知り合いとかいないのか?」
「いたら何なの?」
「金を借りようと思っただけさ。
まあ、その言い方からするにいないみたいだな」
「あたしにそんなことを聞いてくるってことは、
タイチもこの街に知り合いはいないのね?」
「ああ。金融業者に金を借りようにも、
俺たちは惜しいところで未成年だからな……。
こうなったらフユツグ追っかけて正直に金が無いこと打ち明けて、金借りるか」
「いやよ!
そんなの『私たちは貧乏人です』って言ってるようなものじゃない」
「外聞気にしてる場合じゃねえだろ。
それに俺たちが旅をしてることはフユツグも知ってんだ。
『これはこれは僕の思慮が足りませんでした。喜んでお貸ししますよ、返済はいつになっても構いません』って言ってくれるさ」
「………たしかにそんなこと言いそうだけど」
抵抗感は残る。あたしは間を持たせるためにコーヒーを飲みつつ窓の外を見た。
「あっ!」
「いきなりなんだよ。通りに誰か知ってるヤツでもいたのか?」
「違うわ。あれ見て、あれ」
お高くとまった感じの女の人が手に提げている袋を指さして、
「あのロゴ。どこかで見たことあると思ったら、
ヤマブキシティで再会したあの二人組が務めてるって言ってた服飾店のものよ。
もらった名刺に描いてあったから間違いないわ」
「それが思い出せたからなんだってんだ?」
「あの二人に頼むのよ」
「何を?」
「紳士淑女に相応しい服を今すぐ用意して、って」
タイチは遠い目をして言った。
「……ヒナタとカエデが従姉妹だってことを思い出したぜ」
「何か言った?」
「なんでもねえよ。そうと決まれば行くか。
服を一日借りるだけだ、断られはしないだろうさ」
- 596 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/19(日) 20:36:27.12 ID:No1HYnQo
- 病室に戻ると般若――じゃなくて看護婦さんが待っていた。
デリバード、ジュゴンを相手にリハビリを終えたばかり僕としては
今すぐ温かい夕食と柔らかいベッドにありつきたいところなのだけれど、
そういうわけにはいかないことは誰よりもよく理解している。
「わたし、言いましたよね」
「………」
「リハビリはまだ早い、って」
「ピ……ピカ……?」
「とぼけたって無駄です」
両耳を垂れて伏し目がちに俯きつつ、
「チュウ……」
と消え入りそうな声で鳴いてみる。
「しょ、悄げてるフリをしてもダメです!」
両手を大きく広げて熱弁してみる。
「ピカ、ピカチュウ?」
君もサカキの部下だろう?
ボスの命令は絶対なんじゃなかったのか?
それに期日はすぐそこに迫っている。
今リハビリせずしていつ鈍った体のコンディションを整えればいいんだ?
「わたしにピカチュウ語は分かりません」
「ピーカーチュー」
そこをなんとか。
「あなたの傷を癒すのがわたしの役目なんです。
傷がさらに増えるような激しいリハビリは認めませんからね」
- 597 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/19(日) 20:45:15.95 ID:No1HYnQo
- やれやれ、明日はまた脱走するしかなさそうだな。
サカキはどうしてこんなに頑固な娘を近くに置いているんだろう。
腕の良い看護士はいくらでもいるはずだ。
ひょっとして彼の趣味なのだろうか。
「明日は付きっきりで看病します」
困ったな。この看護婦さんに電気ショックは使いたくないし……。
夕焼けに染まった窓外の風景から焦点をずらして、
ガラスに反射した自分の顔を見つめる。
目と眉の間あたりを指でなぞる。
あの研究施設でライチュウに受けた切り傷は、跡形もなく癒えていた。
- 603 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/19(日) 23:42:42.36 ID:No1HYnQo
- フユツグに服を用意するようにと告げられたその日の夜。
名刺にあった住所を元に有名服飾系ブランド『Gardevoir』直営店を訪れたあたしとタイチは、
閉店まで30分ほど待たされた後、店の裏に通された。
あたしが店を訪れた理由を話すと、二人は二つ返事で快諾してくれた。
そこまでは良かったんだけど……。
話を聞きつけたショップのコーディネーターやオーナーさんまで協力してくれることになって、
今は貸し切り状態の店内で、それぞれ男女に分かれて服を選んでもらっている。
「ドレスアップスーツは普段スーツを着慣れていることが重要なんスよ。
その点タイチさんはポケトレとして旅をしてるだけあって、正装にはほとんど縁がない。
だから無理に飾り立てるよりは、いっそのこと開き直った方がいいと思います」
「いいのか、そんなんで」
「全然オッケーっスよ。これでも一応勉強してるんで、ここは一つ、俺に任せてください。
……次、レギュラーのダブルカフ持ってきて」
離れたところから聞こえてくる声に耳を澄ましていると、
「ヒナタさんが好きな色はなにかしら?」
コーディネーターの一人が話しかけてくる。
「ピンクです」
「普通ね?」
「ご、ごめんなさい」
「謝ることはないのよ。あなたのような年頃の女の子で一番好まれているのがピンクなの。
次点で赤や黒。次に青、橙と続いていって……。
とにかくフォーマルドレスにピンクは合わないわ。
特にあなたたち二人は少しでも大人に見えるようにならなくちゃだめなんだから。
ここは黒でいきましょう。いいわね?」
「は、はい」
最初の質問の意味はあったのかしら。
そう思ったけど、勿論口には出さない。
- 605 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/20(月) 00:04:32.55 ID:EFHZxGwo
- 「それじゃあ、このドレスから試着してみましょうか」
今まで着ていた服を脱いでいると、
コーディネーターの人が妖しく笑って、
「いいものを持ってるじゃない」
胸をまじまじと観察してくる。
「あ、あんまり見ないでください」
同性でも注視されると恥ずかしい。
「あらぁ?自慢の胸でしょう。これはいい武器になるわよー」
「武器って……」
「あなたの数年後が楽しみね。
よし、決めたわ。
妖艶と清楚、本来はトレードオフの関係にあるその要素を両立させる。
今回のコンセプトはそれにしましょう。
あなたならきっと出来ると思うから。いいわね、みんな?」
アシスタント二名が首肯する。
あたしはただ恐縮するばかりだった。
- 630 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/04/20(月) 21:41:30.78 ID:EFHZxGwo
- 次々に衣装を試していると、まるで自分が着せ替え人形になったような錯覚がしてくる。
五着目を試すあたしを遠見しながら、コーディネーターの人が言った。
「あなた、香水は持ってる?」
「香水ですか?」
いいえ、と答えかけて、
「持ってます。一つだけ」
「どんな香水?」
「えっと、これです」
バッグを開けて、小瓶を取り出してみせる。
エリカさんから貰った試作品の香水『sweetrose』を、
あたしはなんとなくいつも持ち歩くようにしていたのだった。
「これ、メーカーはどこかしら?」
「たしか、レッドベルだったと思います」
「ふーん、レッドベルねえ……って、嘘はダメよ。
あそこは香水業界の最大手で幅広い客層に対応してるけど、
あたしは仕事柄、それらほとんどの香水を把握してるの。
この香水は初めて見るわ。
ラベルも貼られてないし、個人で作られたものでしょう?」
「あのう、その香水はまだ一般には売られていないものらしいんです」
「試作品ってこと?」
曖昧に頷く。
「どうしてあなたがレッドベルの試作品を持ってるの?
家族にレッドベルの開発部門で働いている人がいるとか?」
アシスタントとコーディネーターの六つの視線が小瓶とあたしに注がれる。
「……エリカさんに直接もらったんです」
「それ、本当?」
「はい」
どこからともなく表れる三枚のサイン紙。
「今度エリカさんに会う機会があれば、サインもらってきてくれる?」
「は、はあ」
「エリカさんはOLの神様的存在なのよ。ねえ?」
アシスタント二名が満面の笑みで同意する。
コーディネートしてもらっている手前、断ることが出来るはずもなくて、
「い、いつお返しできるか分かりませんけど」
「いいのいいの。忘れた頃にでも貰えればサプライズプレゼントになるから」
あたしはサイン紙をバッグにしまった。
- 41 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/04/25(土) 16:23:39.33 ID:B35TIBEo
- それからさらに一時間後。
あたしは鏡を見ながら混乱していた。
魔女にドレスアップされたシンデレラも、今のあたしと同じ気持ちだったのかしら。
「終わったッス」
「こっちも今終わりました」
店を二分していた仕切りが取り払われる。
その間、あたしはずっと俯いていた。
タイチがどんな風に変わったのか知りたい気持ちよりも、
ドレスアップしてもらったあたしがどんな風にタイチの目に映るのか心配な気持ちが大きかった。
カエデならきっと、ポーズの一つでも華麗に決めているに違いないのに。
さっきまで騒がしかった店内は、水を打ったように静まりかえっている。
あたしは恐る恐る顔を上げて、
「………」
「…………ぷっ」
五秒と待たずに噴き出した。
タイチが直立不動の姿勢で、視線をぐっと中空に饐えていたから。
「わ、笑うことないだろ」
「だって、どこかのガードマンみたいよ、タイチ」
「ガードマンって……」
タイチが姿勢を崩す。
「今くらいが丁度いいわ」
「そ、そうか?
こんな服着るのは初めてだからさ、
どんな姿勢や歩き方がいいんだろうって考えてたら、余計にワケ分かんなくなっちまって……」
「まずはその喋り方を丁寧にすべきじゃない?」
それもそうだな、とタイチが笑って頭を掻く。
そして今更ながらにあたしの方を見て、「うお」とO字形に口を開けたまま絶句した。
- 49 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/25(土) 23:46:27.60 ID:B35TIBEo
- それが良い意味での絶句であることを信じて、あたしは少し勇気を出してみることにした。
シフォンミディアムドレスの裾を軽く持ち上げる。
「似合ってる、かな」
「…………」
「不相応に見えない?」
「…………」
どうして黙ってるのよ。
不安になって、すぐにそれが杞憂だったことに気付いた。
タイチの視線はドレスにではなく、開けた胸元に吸い寄せられていた。
どうしてタイチってこんなに馬鹿なんだろう。
自分の目線がどこに向いているか、見られてる本人から丸わかりだってことが分からないのかしら。
「タイチ?あたしが言ったこと、聞こえてる?」
「……はっ。
あ、ああ、すごく綺麗だな。マジで似合ってる」
白々しいことこの上ないわね。
「あっそ」
「嘘じゃねえ。本当だって。俺はドレスの知識なんてこれっぽっちもねえけど、その黒の生地、すごくヒナタに似合ってる。
普段着てない色の分、滅茶苦茶大人っぽく見えるぜ。それに……」
まだ適当な褒め言葉を並べるつもり?
「この匂い、香水付けてるのか?」
「わ、わかるの?」
- 51 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/26(日) 00:12:09.37 ID:Roq4pK2o
- タイチが一歩あたしに近づく。
「分かるよ」
身長の違いから、あたしはタイチを少し見上げながら言う。
「これね、エリカさんに貰った香水なのよ。
いつも使ってたらすぐに無くなっちゃうから、使い惜しみしてたの」
「へえ。それにしてもいい香りだな」
「あ、ありがと」
「ヒナタに合ってる」
誉められるたびに、むず痒い感覚が体を這い回る。
あたしはタイチの正装を至近距離で眺めながら、
ぼうっとした頭で、返す言葉を考えた。
さっきはガードマンみたいで似合わないと思っていたタイチのスーツも、
今一度見直すと、新人ホストのそれのように格好良く見えてくる。
なんて言ったらいいんだろう。
普通に「似合ってるわ」でいいのかしら。
あたしは妙に緊張しながら顔を上げて、その言葉を飲み込んだ。
「あたし、よく分かったわ」
「な、何が分かったんだ?」
「タイチがデリカシーの欠片もない最低の馬鹿だということが、よ」
そんなに女性の胸の谷間に興味があるなら、
このヤマブキシティに山とある風俗店に行ってくればいいのよ。
結局タイチにとってはあたしのドレスや香水なんて、どうでもいいことなんだわ。
- 53 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/26(日) 00:39:37.67 ID:Roq4pK2o
- タイチは慌てて視線を逸らして言った。
「ごめん。つい……」
「つい、で済まされると思ってるの?」
「だって仕方ねえだろ。これは不可抗力なんだ。男の性なんだ」
「開き直るのね」
「そうじゃないって。ヒナタが気にしすぎなんだよ」
口論に発展しそうな気配がしたところで、
「お披露目タイム終了ー」と生暖かい笑顔を浮かべたコーディネーターさんの止めが入る。
仕切りが元に戻され、あたしとタイチの間に壁が出来る。
ドレスを脱ぐのを手伝ってもらっているあいだも、
あたしはタイチへの苛立ちを鎮めることが出来なかった。
タイチ許すまじ。
あ、これ語呂いいわね――そんなことを考えて、なにくだらないこと考えてるのよ、と自分を詰る。
ふと我に返ると、既に最初の衣服に着替え終わっていて、
ほこほこした笑顔のアシスタント二人とコーディネーターさん一人が、じっとあたしを見つめていた。
「今日はありがとうございました」
「いいのよ。良い素材を磨くのは私たちにとって幸せなことなんだから。
それに面白いものも見られたし。ねえ?」
こくこく、とアシスタントが頷く。
- 54 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/04/26(日) 00:47:59.53 ID:Roq4pK2o
- 面白いものって何ですか?というあたしの問いに、
コーディネーターの人は「さあ。それよりエリカさんのサイン、忘れないでね」とお茶を濁すばかりだった。
章末
正直な話今何章か忘れた
もっと正直な話をすると章分けとか最早どうでもよくなってる