柊つかさが精神科に入院した。

1 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 02:00:58.78 ID:Vehv+UveO
「……以上、精神保健指定医の診察の結果、柊つかささんは精神保健福祉法第23条により、措置入院となります」
保健師さんが淡々と告げる。
「入院加療により、回復に努めてください」

3 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 02:10:12.79 ID:Vehv+UveO
白い診察室。白衣の人々。
お医者さんの前に座っているつかさ以上に、後ろのソファーにいる私達家族の方が呆然としていた。

あのつかさが?精神病院に入院?
これはなんの冗談なの?私は悪い夢を見てるの?
つかさが私の方を振り返り、弱々しく笑った。

「お姉ちゃん……この人、なに言ってるの?」

5 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 02:20:28.86 ID:Vehv+UveO
つかさのやつれた笑顔を見ながら、私は現実を認めようと努力する。

私の双子の妹の柊つかさは、心を病んでいる。そう、そのために入院しなければならない。

ただそれだけの話なのに、私の頭の中では『精神病院』『入院』『妹』という単語がグルグル回っているだけで、まるで理解には程遠い。
横に座っているお父さんもお母さんも、いのり姉さんもまつり姉さんも、私と大差の無い、困惑した表情をしていた。

7 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 02:29:04.28 ID:Vehv+UveO
「御家族の方も、よろしいですね?」
つかさに入院を告げた保健師さんが立ったまま、お父さんとお母さんに向かって尋ねる。

「え……ええ……」
「入院って……そのどのくらい……」
お父さんはうまく話せないみたいにうなずく。
お母さんは、お医者さんに向かって小さな声で聞いた。

「それは娘さんの症状の回復次第です。まずは入院して、治療する事が先決ですね」

お医者さんは笑顔で優しく話しているのに、なぜか響きが冷たく感じられた。

9 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 02:38:12.47 ID:Vehv+UveO
「では御家族の方は入院の手続きをしていただいてから病棟の方に行っていただきます」
お医者さんは机の上のカルテや書類のような物をまとめながら言った。
「ではご本人だけ、先に病棟へ行き入院していただきます」

その時、つかさがきっぱり言った。
「病院に入院なんてしない。私、お父さんとお母さんとお姉ちゃんたちと、おうちに帰る」
「つかさ……」
お母さんが、涙の滲んだ目を拭った。

「お母さん、いっしょに帰ろう?私、ここに居たくないよ」

12 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 02:51:00.52 ID:Vehv+UveO
「柊つかささん。先程も説明したように」
保健師さんが諭すように、つかさにたくさん文字が印刷された書類を見せる。
「あなたは精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第23条により、都道府県知事に申請された」
「そんなの知らないってば!!」

つかさが爆発的に叫び、保健師さんの持っていた紙を手で払った。
気が弱く内気だった双子の妹が、ここ最近時折見せる、乱暴な仕草。
「私はどこも悪くない!病気じゃないし、入院なんてしないよ!!」
つかさは椅子から立ち上がり、私達家族の方へ歩いてこようとした。
にっこり笑って、私達に言う。
「ねえ、いっしょに帰ろう?私、今夜はカレーがいいなぁ」

16 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 02:59:16.82 ID:Vehv+UveO
「つかさ……」

お父さんもお母さんも、まつりお姉さんも困惑した表情でつかさを見ることしかできない。
いつもマイペースで冷静ないのり姉さんでさえ、私やお医者さんに救いを求めるように目線を動かすだけ。
そう、つかさより誰より、私達家族の方が混乱しきっていた。

「お姉ちゃん、どうしたの?」
つかさが小首を傾げて、私を見る。

「まさかお姉ちゃんまで、私が病気なんて思ってないよね?」

いつの間にか診察室には、白衣を着た看護師さん達がたくさん集まっていて、私達家族を見つめていた。

20 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 03:10:41.52 ID:Vehv+UveO
「……つかさ」
私は唾液を一回飲み込むと、双子の妹に向かって言った。双子だからこそ、姉だからこそ、言わなくては。

「私もお医者さんや保健師が言ったみたいに、入院したほうがいいと思う。入院して、悪いところを治して」
「私に悪いところなんてないよ!!」
怒声のような悲鳴のようなつかさの声が、私の言葉をかき消した。
「私は悪くない!どこも悪くないのにお姉ちゃんまでなんでどうして私のことみんなでみんなして」

目を閉じ耳をふさぎ、立ったまま呪文を唱えるように喋るつかさ。黙る私達家族。

そんな私達を見ていたお医者さんが、看護師さんたちに向けて頷き、そしてお父さんとお母さんに言った。

「ご本人が興奮しないよう、眠っていただいてから病棟に入っていただきます。よろしいですね?」
お父さんが曖昧に頭を下げた後、それは始まった。

24 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 03:23:53.99 ID:Vehv+UveO
急に白い服を着た人々で視界が埋まった。

「な、なにするの!?離して!!触らないでよ!!」
つかさの悲鳴が、白衣の壁の向こうから聞こえる。

「大丈夫ですよ」「落ち着いて」「はい、力を抜いてくださーい」
男女入り混じった看護師さんたちはみんな優しい声で穏和な笑顔で、だから余計に手慣れた感じでつかさを押さえ込んでいるのが恐かった。

「いやだ!いやだってば!!なにするのよ!?離してよ!離せぇ!!」
いつの間にかつかさは、診察ベッドの上に仰向けに押さえ込まれていた。

私達家族はただ呆気に取られたまま、中腰でそれを眺めているだけ。
「助けて!お母さん、お父さん助けて!私なにも悪いことしてないよ!!」
つかさが叫ぶ。
「なんでみんなこんなことするの!?やっぱりみんな私のこと嫌いなの!?」
今度は、私が耳を塞ぎたかった。

25 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 03:36:48.12 ID:Vehv+UveO
つかさは押さえ込まれたまま、叫び続ける。
「やっぱりみんな私のこと嫌いなんだ!だから私にイジワルするんだ!!」
白衣のすきまから、つかさの顔が見える。
あの優しくて、内気で、素直だったつかさ。
その表情はまるで悪い何かに取り憑かれているとしか見えなかった。

「嫌い!みんな嫌いだよ!お父さんもお母さんもいのりお姉ちゃんもまつりお姉ちゃんも!!」
お母さんは口を両手で覆い、涙を流してつかさを見つめていた。
いつの間にかお医者さんが、マンガに出てくるような大きな注射器を持っていた。
「こなちゃんもゆきちゃんも、お姉ちゃんも、みんな、みんな大嫌い!!」
注射器から伸びる、管とその先についた奇妙なツマミのついた短い針。

「全部大嫌い!!みんな、みんな、死んじゃえぇぇ!!」

喉から血が出そうな勢いで、つかさは叫んだ。

26 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 03:47:21.03 ID:Vehv+UveO
「いゃあ!痛い!痛いってば!!なにしてるの!?止めてよぉ!」

お医者さんって、あんなに簡単に注射できるものなの?
「ゆっくり入れるから呼吸注意してー」「サーキュレータ繋げました」「血液逆流OKでーす」

必死で暴れようとするつかさ。絶句したままそれを見つめる私達家族。
病院の人達はまるで対照的に淡々としていて、冷静だった。

「止めてぇ!お母さん助けてぇ!」
つかさの声に、お母さんが耐えられないようにイスに座り込む。

「いやだ!……なにコレ!?なんの薬入れてるのぉ!?」
「んー、休めるお薬ですよー」
お医者さんの冷静な声に、なぜか怒りさえ感じた。どうして?

31 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 03:58:32.73 ID:Vehv+UveO
やがて、つかさの声がトーンダウンし始めた。

「やめてよ……離して。手が痛いよ、痛いよ……」
涙とヨダレと鼻水で汚れた顔。半分閉じた目。
できるなら、今すぐハンカチで拭いてあげたかった。

「SpO2は?」「96。ちょっと顎上げますか」
なんでそんな平気な声で話せるの?私の大事な双子の妹を押さえつけておいて。

「……眠い。やだ、眠りたくないよ……怖いよ……」
トロン、とした半開きのつかさの目が、私の顔を確かに見た。

「……おねえちゃん……なんで、ないてるの……?」

やがてつかさは目を閉じ、静かに眠り始めた。

35 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 04:16:04.94 ID:Vehv+UveO
つかさは車輪のついた担架みたいな物――ストレッチャーっていうの?――に乗せられて、つかさは診察室を出ていった。
看護師さんもいなくなり、つかさも運ばれていった部屋は静かすぎて逆に耳が痛い気がする。

「……先生、つかさは、あの子は、あの」
お父さんが何か聞こうとしてるけど、さっぱり言葉になってない。多分私でも同じだろうけど。
「はっきりした事は少し入院中の状態を見ないと言えませんが」
お医者さんはカルテに忙しく字を書きながら言う。

「今一番可能性が高いのは統合失調症の急性期ですかね」

え?

「急性一過性精神病性障害かも知れませんが、取り合えず投薬治療を」

38 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 04:27:18.84 ID:Vehv+UveO
「せ、先生!」

私は思いきって声を出した。
「はい?あ、お姉さんですか?」
いかにも頭の良さそうな、オジサンと言うよりお兄さん、という感じのお医者さんが私を見る。

「つかさは、あの……治るんですか?」
一番聴きたくて、そして聞きたくない答えを待つ。
「ん〜」お医者さんはちょっと困ったような表情で手を頭の後ろに回した。
「……お薬を試して、それが効くか試してみないと、何とも」
「どれぐらい……入院するんですか?」
「まあ、長くても三ヶ月を目安に考えて――どうしました?」
「かがみ!?」「大丈夫?どうしたのかがみ?」


41 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 04:37:02.49 ID:Vehv+UveO
お医者さんやお父さんやお母さんや姉さん達の声も顔も、頭の中でグルグル回って区別がつかない。

大丈夫?そんなわけ無いじゃない!
お母さんのお腹の中からいっしょだったあの子。
ゆりかごの中で、七五三の写真の中で、幼稚園で小学校で中学校で高校で、いつもいっしょに、笑ったり泣いたり怒ったり許したり。

ガマンできない。あの子と三ヶ月も離れていられない。
膝が冷たい床についていて、お母さんとまつり姉さんから両脇から支えられていて、私はようやく自分が貧血を起こしている事に気がついた。

こうして、私、柊かがみと柊つかさ、双子の姉妹の生まれて初めての別々の生活が始まった。

45 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 04:40:53.83 ID:Vehv+UveO
>>4
>>17
やっぱり簡単にわかっちゃうもんだね……ワンパターンだもんねぇ。

48 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 04:55:36.20 ID:Vehv+UveO
私――柊かがみが、双子の妹、つかさの様子がおかしいことに気がついたのは、一ヶ月ほど前だった。

「つかさー、ドア開けるよー」
私はつかさといっしょに世界史の宿題をしようと、妹の部屋に入っていった。
「ん?なにやってんの?つかさ」

つかさはその時、ベッドに腰かけたまま、ぼんやりと天井と壁の会わせ目当たりを見つめていた。
「つかさってば。おーい」
時々こんなふうにボーッとしている子なので、私は現実に帰還させようと頬を人指し指でつついた。
「……あれ?お姉ちゃん?」
つかさはまだボンヤリした目つきで私を見た。
その目の焦点が合っていない気がして、私はなんとなくゾッとした。

思えば、あれが始まりだったんだ。

52 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 05:10:21.72 ID:Vehv+UveO
「つかさ……どこ見てるのよ」
私はなんとなく自分のツインテールの位置を指で直しながら聞いた。

「う〜ん」
つかさは焦点の合わない目のままでまた上のほうを見る。
「お姉ちゃんには聞こえない?」
「はあ?何が?」

「あそこからねぇ、私のこと、からかうような声がするんだよ」
「……え?」

私は慌てて、つかさの視線の先を追った。
やはりそこは、なんの変わりも無い、ただの壁だった。

56 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 05:18:37.42 ID:Vehv+UveO
「えっと……からかう声って、今も聞こえてるワケ?」
「うん」
つかさはボンヤリうなずく。うさぎの耳のようなリボンが、それに合わせて揺れた。

「……私には、なにも聞こえないけど」
なんとなく、恐る恐る言う。

「……ふ〜ん?」
つかさが不思議そうに首を傾けた。
「そうだね。お姉ちゃんがそういうなら、気のせいかもね」
急にまた焦点の合った目で私を見たのは、もういつものつかさだった。
その笑顔が、逆になぜか恐かった。
「宿題、わからないトコ教えてね?私、できるだけ頑張るから。ね?お姉ちゃん」

61 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 05:29:38.29 ID:Vehv+UveO
それからも違和感を感じる、奇妙な言動が続いた。

「ねぇ、お姉ちゃん」
いっしょに下校する道の途中で、つかさが私に声を掛けてきた。ちなみに、こなたとは駅で別れた後だった。
「ん?どうした?」
「こなちゃんがね、私とお姉ちゃんのお弁当に毒を入れてないかなぁ」

「……はぁ!?」
内容のおかしさより、つかさの口から『毒』なんていう単語が出たことにビックリした。
「なによ、こなたがお弁当に何かイタズラしたの?」
あのこなたでも、さすがに有り得ないだろう。

「イタズラじゃないよ、毒だよ」
あくまでも真剣なつかさの表情。

66 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 05:37:07.94 ID:Vehv+UveO
「あのさぁ、つかさ」
私はちょっと指でこめかみを押さえなが言った。
「ひょっとして、この前から私のこと、からかってる?」
「からかってなんかないよ!!」

私だけじゃなく、無関係な通行人まで振り向くような大きさで、つかさが怒鳴った。
「……ど、どうしたのよ、つかさ」
「お姉ちゃんが毒で死んじゃわないか心配してるのに!なんで信用してくれないの!?」
こんなに早口で大声を出すつかさを見たのは初めてだった。

71 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 05:45:13.53 ID:Vehv+UveO
私はお父さんやお母さんに、つかさのことを相談した。
「つかさも受験が近くて疲れてるんじゃないかな?」
「でも、あの子がかがみに大声だすなんて……考えられないわ」
腕組みしながら楽観的なお父さん。手を頬に当てて心配するお母さん。

でも、本当はその頃からわかってたんだ。

つかさが、もう以前のつかさとは変わってしまったんだって。

私はただ、そのことから目をそらせたくて、時間稼ぎをしているだけなんだって。
そして、その時間がつかさをもっと悪くさせるだけなんだって。

心のどこかでは、わかっていたんだ。

132 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 20:11:20.19 ID:Vehv+UveO
・・・・・・・・
急に、目がさめた。
「……どこ?ここ」

私は変な部屋にいた。
木目の壁。鉄線入りの窓。床に固定されたベッド。
トイレは金属性の洋式の便器が部屋の隅にあるけど、仕切りもなにもないから、使ったら誰かに見られちゃいそう。
そして、すごく頑丈そうな扉。

「私、なんでこんなところにいるのかな……」

頭がはっきりしない。あの眠くなる注射のせいかな?
「……注射?」

そうだ。私、家のみんなといっしょに病院に来て、へんなおじさんが難しいこと言って、たくさんの看護婦さんに押さえられて――

「ひどい……みんなして、私のこと、騙したんだ」

133 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 20:13:04.08 ID:Vehv+UveO
私をここに閉じ込めるために、みんなで最初から決めてたんだ。

「……お父さんのうそつき。お母さんのうそつき。お姉ちゃんの……」

お姉ちゃんは、無理矢理私が眠らされるのを見て、泣いていた、気がする。

「でもお姉ちゃんも最初から私のこと騙そうとしてたんだ。やっぱりみんな、私をワナにはめようとしてたんだ」

『そうだよ、ワナにはめようとしたんだよ』

「あ……!」

『お前なんか、ここでずっとひとりでいるといいよ』
まただ。ここでも『声』が聞こえる。

『そうだよ。ここでも声は聞こえるよ』

「う、うるさいな!やめてよ!放っておいて!!」

『クスクス』『ほら怒ってる』『騙されて怒ってる』『みんなに嫌われてるよ』
「うるさいうるさいうるさい!!静かにしてよぉ!」

134 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 20:14:34.45 ID:Vehv+UveO
私は耳を両手で塞いだ。
でも『声』は音を電波に切り替えて、頭に直接送ってきた。

『耳塞いでるよ』『無駄なのに』『クスクス』『そんなこともわからないんだ』『ダメな子だからね』『そうだね』

「やめてよぉ!うるさい!黙って!ひとりにしてってば!」

ひとり?私、ひとり?
一人、独り、ひとり、私一人。

壁が急にせまくなった。天井が低くなった。扉が大きくなった。

「いやだ、いやだぁ!!出して!ここから出してよぉ!」
私はベッドから転げ落ちると、扉を手でたたいた。
「開けて!ここどこ!?なんで閉じ込めるの!?」
ガンガン鳴って、手がいたい。
「お母さんに、お姉ちゃんに、みんなに会わせて!私、ウチに帰る!みんなのところに帰るの!!開けて!開けてよぉ!!」

いつのまにか、叩く手の皮が破れて、扉に血の手形がたくさんついていた。

135 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 20:15:52.71 ID:Vehv+UveO
ガチャン、ガチャン!と何かカギの鳴る音がして、扉が開いた。
「目が覚めましたか?柊つかささん……」
私は現れた白い服を着た女の人を押しのけて、部屋から出ようとした。
「出して!どいてください!私、家に帰る!」

でも白い服の人はたくさんいて、私はベッドまで無理矢理押しもどされた。

「落ち着いてください」「ここは保護室といって」「ちゃんと休んでから」「ゆっくり治療しないと」

また『声』が聞こえる。
「やめて!離して!もう騙されないんだから!」
私は手足を振り回した。

「また食べ物や水に毒を入れるつもりなんでしょ!?ここで私のこと殺すつもりなんでしょ!?」
この人たちも『声』の仲間だ。誰かに頼まれて、私に毒を飲まそうとしてるんだ。

「離して、出して!私家に帰る!帰るんだったら!やめてよ!助けてよ!お姉ちゃん、お姉ちゃあん!!」

140 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 20:34:14.63 ID:Vehv+UveO
またベッドの上で白い服の人に押さえられていると、私をここに入れた男の人が来た。
「柊つかささん、あなたはここの閉鎖病棟の保護室でね」「知らないってば!」
きっとこの人も悪い人なんだ。『声』に頼まれて、私のことをダメにするつもりだ。
「このままじゃ危ないねー」「拘束は?」「もうちょっと様子見たいな」
『お前はここにいなきゃダメだよ』『クスクス』『毒を入れられるよ』『死んじゃえ』

「は、離してぇ!私、どこも悪くない!薬も毒もいらない!家に帰らせて、帰らせてよ……」

男の人は、また注射器をもっていた。
「イソゾール?」「0・5を20です」「あんまり入れると、呼吸ヤバいね」「6cc?7cc?」「そのくらい?」

「や、やだ。また眠らされるんでしょ?毒が入ってるんでしょ?」

殺される。毒を入れられて殺される。

「いやだ、いやだぁ!!助けて、こなちゃん!ゆきちゃん!お姉ちゃあん!!」

148 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 22:02:41.58 ID:Vehv+UveO
・・・・・・
「……つかさっ!」

ガバッ!とフトンを跳ねのけて、目覚めた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
カーテンの隙間から朝の日差しが漏れ、光る埃がゆっくりと舞っている。チュンチュン、と雀が鳴いている。
「また、夢……?」
パジャマが寝汗で湿って不快だ。
夢の中で、つかさに会った。
私を罵倒し、泣きじゃくり、そして助けを求めていた。
『なにも悪いことしてないのに、なんでこんなコトするの?』
『お姉ちゃんのうそつき!』
『家に帰りたいよ、助けてよ、お姉ちゃん』

単なる夢なのに、胸が苦しくなるほど生々しかった。

「……起きなくちゃ」
私の、つかさのいない日常が今日も始まった。

150 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 22:20:04.43 ID:Vehv+UveO
汗でぐっしょり濡れたパジャマを洗濯籠に入れて、顔を洗って洗面所を出る。
「あ……おはよう、お母さん」
洗濯物を抱えたお母さんと顔を合わせた。
「……おはよう、かがみ。よく眠れた?」
明らかに自分も寝不足な赤い目で、お母さんが答える。
いや。また、泣いていたのかな。
よく、いのり姉さんと私にそっくりだと言われ、母と言うより姉妹のような感覚で過ごしてきたけど。
私もこんな風に、朝から疲れた顔してるのかな。

「大丈夫。ちゃんと眠っているから」
私は母に無理に作った笑顔を見せると、リビングに向かった。

153 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 22:30:36.73 ID:Vehv+UveO
リビングではもう、お父さんといのり姉さん。まつり姉さんがイスに座っていた。
「おはよう、お父さん。姉さん」
おはよう、うん、う〜っすと三つの挨拶が帰ってくる。
私は席に座って朝食を食べ始めた。簡単なメニユー。

お父さんは別にして、いのり姉さんもまつり姉さんも家事にはルーズで、実は私もそこだけは苦手だ。
唯一お母さんの家事を手伝っていたのがつかさだったんだけど、いないんだからお母さんが大変なのはしょうがないよね。

……なにを考えても、最後はつかさの事になる。私は軽く頭を横に降って、パンを食べ始めた。

156 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 22:44:10.00 ID:Vehv+UveO
「お父さん。そろそろ御朱印書かないと足りないわよ」
私の家――神社――で、巫女をしている一番上の姉、いのり姉さんが言い、同じく神主のお父さんが、ああ、と生返事をする。顔はテレビを向いたまま。
「かがみ、私今夜サークルの集まりあるから、晩御飯いらないって母さんに言っておいて」
二番目の姉のまつり姉さんが私に言う。気楽な大学生……のはずだが、なんとなく今朝はお化粧に気合いが入っていない。

……だれもが注意深く、つかさの話題を避けていて、だからこそ私達が、どれだけ痛感しているかを思い知らされた。
一番下の妹の、不在ゆえの存在感を。

165 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 23:01:34.29 ID:Vehv+UveO
白い息を吐きながら登校する。
一人での学校までの道のりは、いまだに慣れない。なにか、左右のバランスが取れない不安定感。

「やふー、かがみん。今朝も寒いね〜」
駅を出た所で、友人の泉こなたが声をかけてきた。
「……おはよう、こなた」
ほ、と息を吐いて、私は明るい声を出した。

「おんや?今日もつかさは休みなのかな?」
こなたが言った。
「う、うん。まだ体調が……ね」
学校の先生にはともかく、友人たちには、つかさは『体調の不良』で通している。
どうして正直に、精神科に入院してるって言えないんだろう……。
私はふと、基本的な疑問を感じ、すぐに打ち消した。
言えるわけない。親しい友人であればあるほど。

169 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 23:20:06.71 ID:Vehv+UveO
「つかさも、この時期に大変だよね〜」
こなたは緊張感のない顔と口調で言う。

「そうね……大変」
私は話題もそらせず、曖昧に3センチほどうなずく。

「でさ、かがみ、結局つかさ、どこが悪いの?」
「ん……え?」

いつの間にか、こなたが私の顔を見ていた。
身長が低いので、正確に言うと見上げていた、なんだけど。

「その……勉強頑張りすぎて、あの、ちょっと疲れたみたいで」「そう」

こなたは再び視線を前に戻すと、歩き始めた。
視線が外れる直前、こなたの表情に浮かんでいたのは――失望?
私は慌てて歩調を早め、こなたを追った。

177 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 23:41:29.11 ID:Vehv+UveO
「あー、それでは今日もインフルエンザにかかるのは禁止だぞー」
桜庭先生が相変わらず無茶な言葉を吐いて3年C組から出て行った。

「……ふう」
「おーい、柊ぃ〜」
「なによ日下部。宿題なら見せないわよ」
「いや、そんなん違くてよ……」
クラスメイトの日下部みさおが、鼻の頭をポリポリ書きながら言う。
「最近、柊元気無いから、どうしたのかと思ってよー」

……ガサツなヤツだと思ってたけど、やっぱりコイツも女の子ってワケか。
「平気よ。でも心配してくれて、ありがと」
「柊ちゃん、何か力になれる事があったら言ってね?」
日下部の女房役、峰岸あやのも、おっとりと私に言う。
気を遣わせないよう、わざと軽く言ってるんだろうな。
「……うん」半分以上、本気の感謝をこめて、うなずいた。

179 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/08(月) 23:52:33.32 ID:Vehv+UveO
お昼休み。
「かがみ、お弁当それだけ?ノリ弁じゃん」
「チョココロネよりマシだって」
「ふふふ、このチョココロネにはウインナーソーセージ入りなのだよ」
「……」
「ゴメンさすがに嘘」

相変わらずくだらない会話。いつものお昼の風景。違うのは……。

「……やはり、つかささんがいないと寂しいですね」
3年B組の委員長、高良みゆきがおっとりと話した。

182 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 00:07:09.24 ID:Zmi8Ys0wO
「う……うん」
急にご飯が喉に詰まるような気がした。
「お休みになられてから三日になりますが、お加減はいかがなんでしょうか?」
朝、こなたが聞いたことと同じ内容だ。表現は10倍ぐらい上品だけど。

「まだ……ちょっとかかりそうかな」
私は意識して平静な声を出す。

「かがみさん、私少し以前から気にかかっていたのですが」
「ごめん、こなた、みゆき!」
私はイスから立ち上がった。
「ふえ?」
「どうなさったんですか?」
驚いた表情の二人に、
「私、桜庭先生に頼まれてたことがあったんだ!」
じゃあね、と急いでお弁当を抱え、B組を出た。

怖かった。
つかさが精神科病棟に入院したことがバレることが、じゃない。

友達がみんな優しすぎて、つい弱音を吐いて楽になりたがっている、自分が一番怖かった。

190 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 00:28:40.10 ID:Zmi8Ys0wO
・・・・・・
『また耳を塞いでるよ』『クスクス』『ムダなのにねぇ』

ずっと『声』は私の頭に直接話しかけてくる。
昼も夜も休み無しだから、全然眠れない。
でもいい。眠ってるうちに体に毒を入れられるよりはマシだ。
「負けないんだから……絶対毒なんか飲まないんだから!」
大声を出して、『声』を牽制した。

「柊つかささん、そろそろ食事や水分を取りませんか?」「お薬も飲まないと、退院も難しいですし」

「毒なんていらない!ここではなにもいらないし、欲しくない!家に帰して!お母さんとお姉ちゃんのところに帰してよぉ!」

別の所から聞こえる声にも対抗する。騙されない。みんな、みんな敵だよ!

「……どうする?」「拘束、やるか?」「水分と薬は入るけど……可哀想じゃないですか?」「でも、今のままでもだいぶ辛そうだしなぁ」「……やりますかぁ」
白い服を着た人たちが、またたくさん入ってきた。

202 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 00:52:23.73 ID:Zmi8Ys0wO
「な、なにするのよ!注射なんかしたってムダなんだから!」
少しの間は眠るけど、でも負けない。負けるもんか。

「え……な、なに?」
私はなにか、たくさんベルトがついたベッドに横にならされた。
「柊つかささん。今から拘束帯で体を固定させてもらいますね」
白服の男の人が言う。……固定?

「や……いやだ!!縛られるなんていやだぁ!!」
必死に暴れたけど、たくさんの人がいて抵抗できない。
「やめて!!お願い、離してぇ!!」
お腹に幅の広いベルト、手首、足首にもベルトが回されて、ベッドに黒いボタンのようなもので止められていく。
それから、服を下着を含め、全部脱がされた。
「いやだ……やめて、やめてください、お願い……」
両肩と脇腹にシールみたいのが貼られた。腕に点滴の針が刺された。おしっこの穴にビニールの管が入れられ、オムツをつけられた。
「痛い……痛いよ、助けて、お姉ちゃん、お母さん、助けて……」
枯れたと思った涙が、またどんどん流れてきた。

209 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 01:17:15.44 ID:Zmi8Ys0wO
あっという間に、体中をガチガチに縛られた。
「うわああ、あ、あ、あ、あぁ!!」
全身の力を込めて動こうとしたけど、柔道の服に似た分厚いベルトはビクとも動かない。
「柊つかささん。これで点滴から水分とお薬は入るし、おしっこも寝たままで袋に溜まります」
「ぎ……ぅ」
「便をしたい時には、お尻の下に便器を差し込みますね」
「……」
「ただ、口から食事や水分や薬を飲んでくれれば、拘束する必要も無いんですよ」
「……も、んか」
「だからできるだけ頑張って……え?なんですか」

「……毒なんか、毒なんか食べるもんか!はずせ!コレはずせよぉぉぉ!!」
ベッドがギシギシなる。奥歯が砕けるほど噛み締める。
「点滴もアソコの管も抜け!今すぐ抜けぇ!!帰る!家に帰るんだよおぉぉっ!!」

「……少し、点滴の中のオカズが効いてくるまで、離れよう。興奮させるだけだ」
部屋から、人が全部出ていった。

「ベルトをはずせええぇぇぇぇっ!!」

『クスクス』『いい気味』『ザマァ見ろ』

「うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」

251 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 12:16:31.51 ID:Zmi8Ys0wO
・・・・・・
私は重い足取りで、学校から帰宅した。駅でこなたと別れた後は、また独りきり。
「……」
やっぱり慣れない。いつも、私より半歩だけ後ろにいる妹のいない帰り道は。

「……ただいまー」
自宅の玄関を開ける。
「――でも――なんて」
「つかさ――ために――」
ん?なんだろう。
お母さんが泣きながら喋っていて、お父さんがそれを慰めている、感じ?
足早にリビングに向かう。
「お父さん、お母さん、どうしたの?つかさに何かあったの?」

「ああ……おかえり、かがみ」
言ったのはお父さんで、お母さんは涙を流してうつむいている。
「ど、どうしたのよ、お母さん!」
私は慌ててお母さんの脇にしゃがんだ。

「さっき、病院から電話があって……あの子が、つかさがご飯も薬も口にしないから……」
「そ、それで!?なんだって!?」

「……ベッドに拘束して、点滴を流しますって……」
しばらく、こうそく、という言葉が頭の中で変換できなかった。
「こうそく……拘束……?」
頭の中が真っ白になった。
「つかさが、あの子が縛りつけられてるっていうの!?」

252 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 12:17:56.82 ID:Zmi8Ys0wO
お父さんが重い口を開いた。
「先生から電話があってな。このままだと衰弱する一方だし、おとなしく点滴させはしないだろうということで」
「でもあの子が縛られてるなんて……一人ぼっちで……」
お母さんがまた涙を流し始める。
「事前に保護者に伝えると言われて……よろしくお願いします、と言った」

「そ、そんな――」
私もお母さんといっしょに泣き出したかった。
あの怖がりで、さびしがり屋で泣き虫な、つかさがベッドでグルグル巻きにされている光景を想像した。
(お姉ちゃんのうそつき!!)
(痛い!なにするのぉ!!)
(助けて、お姉ちゃん、お姉ちゃぁん!)

「つかさ……」
なんでこんな事になっちゃったの?今までの騒がしくて、でも楽しかった家族六人での生活。
もう、あの頃には戻れないの?

253 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 12:19:18.93 ID:Zmi8Ys0wO
それからどうやって自分の部屋に戻ったのか記憶に無い。
気がつくと私はベッドに横になり、放心して天井を眺めていた。

あの焦点の合わない瞳。
あの奇妙な言葉。
あの唐突な行動。

今から思えば、兆候はたくさんあったんだ。
でも、まさか、つかさがそんな大変な事になるなんて……

「……違うわ」
私は自分に嘘をついている。
あの子がどこかおかしくなっていることに、私は気がついていた。早く病院につれていくべきだった。

でも、認めなかった。一時的なもの。すぐ治る。元のつかさに戻ってくれる。
そんな根拠のない希望にしがみついた。

認めたくなかったんだ。つかさの心がおかしくなっているなんて。

(お姉ちゃんのうそつき!)
「アンタの言うとおりよ……つかさ」
その時、携帯の着信音が鳴った。

255 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 12:20:32.54 ID:Zmi8Ys0wO
携帯を手に取り、メッセージウィンドウに表示される名前を確認する。

「……こなた」
着信ボタンを押した。

『やふー、かがみ、家についてた?』
「……」
『あの後ゲーマーズに注文してたギャルゲが届いたの思い出してさぁ』
「……」
『慌ててアキバに寄って、また電車に乗ったら、偶然みゆきさんに会っちゃって』
「……」
『それで二人で相談して、つかさのお見舞いに行こうって話になってね〜』
「……」
『でさ、つかさに何か食べたいモノあるか聞いてくんない?やっぱりアレ?バルサミコ酢パフェとか?』
「……」
『……もしも〜し、かがみん、生きてるかーい?』
「……」
『あれ?間違い電話……はしてないか、アンテナも三つたってるし』
「……助けて」
『あ、聞こえた。もしもしかがみー。声聞こえてる〜?』
「助けて、こなた……」 『……かがみ、どうしたの?』
「私、もうどうしたらいいかわからないよ……助けてこなた、みゆき」
私は堪えきれずに、携帯電話を持ったまま泣き出した。

266 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 13:54:07.53 ID:Zmi8Ys0wO
場所はこなたの家。
私、柊かがみ、こなた、みゆき。三人が三角形に座り、互いを視界に納めていた。
「つかさが……」
「……精神科病棟に入院、ですか」
デフォルトで猫笑い顔なこなた、冷静で穏やかなみゆき。
その二人が、さすがに驚きの感情を隠しきれずに呟いている。
私は小さくうなずいた。
この二人とは――つかさも含め――高校生活のほぼ全ての時間を共有した友人だ。
でも、その二人にさえ、「つかさが精神科に入院した」と告げることに、凄まじいほどの抵抗を感じた。
「本当は、絶対誰にも言わないつもりだった……でも、今日ベッドに縛られてるって聞いて、それで……」
私の声は自分自身にすら聞こえ辛いほど小さかった。この二人に喋ったことを聞いた、つかさは、家族はなんて思うだろう……。

「かがみさんは」みゆきがゆっくりと話し出した。

「精神科に通う事や入院する事が、隠すべきこと、恥ずかしい事だとお考えなんですか?」

270 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 14:11:37.49 ID:Zmi8Ys0wO
「え……?」
みゆきの質問に、私は間の抜けた声しか出せなかった。
「つかささんが、精神障害――最近は障がいとも呼びますが――になったことを、恥ずかしいことだとお思いなんですか?」
みゆきの顔は相変わらず穏やかでわずかに笑顔で、だけど話す内容が私には理解できなかった。

「ん〜、みゆきさん、何が言いたいのか、よくわかんないよ」
少しこまった表情になったこなたが、私の思いを簡潔に代弁してくれた。
「そうですね……」
みゆきが少し考えながら言った。
「質問を変えますね。かがみさんは、つかささんがもし風邪で内科病棟に入院していたとしたら、私達に風邪だという事を隠しましたか?」

272 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 14:23:14.07 ID:Zmi8Ys0wO
「みゆきさん、それはさすがに極端だよ……」
お行儀悪くアグラをかいて座っているこなたが、ポリポリと頭を掻きながら言う。
「そうですね。わざわざ風邪で入院したことを言いふらす人もいないでしょうし」
みゆきが言う。

「みゆき、ゴメン……私、アンタが何を言いたいのか、よくわからない」
私は力なく呟いた。
「わかりました」
みゆきが少し膝をずらして楽な体勢になった。

「知っていますか?私達の身の周りに住んでいる人、その中の50人に一人は、なんらかの精神疾患をもっていることを」

277 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 14:36:57.94 ID:Zmi8Ys0wO
「ご、50人に一人!?」
「はい」
私の驚いた声に、みゆきは平然とした声で言った。
「ちょ、ちょっと待ってよ。50人に一人っていったら」
こなたが指を折りながら、何かを計算している。
「……私らのクラスが二つあったら、一人はそういう病気を持ってる人がいるってこと?」
「その通りです」みゆきは言った。
「今、日本には258万人、精神疾患を患っている方がいらっしゃいます」
私もこなたも声が無い。みゆきは続ける。
「それにアルコールや薬物、ギャンブル等の依存症ないしその予備群の方が、少なくとも200万人から300万人」
数のスケールについて行けない。
「もちろん、これには毎年三万人以上自殺される方は含めていません。そのうちの多くはうつ状態やうつ病とあるといわれていますが」

279 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 14:51:10.13 ID:Zmi8Ys0wO
「……みゆき、つまりこう言いたいワケ?」
私はなんとなく苛立ちながら言った。
「そんなにたくさんの人がかかる病気なんだから、つかさがかかっても全然おかしくないって」

「まったく違います」みゆきはキッパリ言った。
「言いたいのは私達の認識の方です。泉さんもかがみさんも、不思議に思いませんか?」
こなたと私を見て、みゆきは言った。

「それだけたくさん、精神疾患にかかっている人がいるのに、なぜ私達はその姿をあまり見ないのか。そして」
みゆきは続ける。

「なぜ会ったことも無い人々に、私達はネガティブなイメージを持っているのか」

282 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 15:06:47.87 ID:Zmi8Ys0wO
私とこなたは、ただみゆきの話を聞くしか無い。
「後者の答えは簡単ですね」
みゆきの言葉にようやくこなたが反応する。
「えっと……犯罪とか犯しやすくて、危険だから?」
私の方をチラッと見たのは気分を害さないか心配したからだろう。
「そうですね。よく聞く意見です」
みゆきがうなずく。
「テレビや新聞で、時折大きく報じられますね。理由もなく、脈絡もない、突発的な犯罪」
私はつかさが入院するきっかけになった出来事を思い出して、胃がギュッと絞めつけられる。
「でもさあ、あれネットとかで見ると、病気じゃない人が犯罪を起こす確率のほうが、統計的には多いって聞くけど」
こなたが私を気遣ったのか、援護するような意見を言った。

283 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 15:20:41.30 ID:Zmi8Ys0wO
「……それについても、様々な意見があるようですね」
みゆきは少しウェーブのかかった長い髪を手で後ろに払う。
「曰く、サギなどの知識を有する犯罪を犯さないだけで、殺人・放火・傷害などの危険な行為は、やはり犯す確率は高い、などという意見もあるようです」

私は以前、テレビや新聞で知った事件を思い出す。
突然、なんの関係も無い人々に凶器を向け、裁判では病気を理由に無罪を主張する人達。
なんて勝手なんだろうと思っていた。病気でもなんでも、自分の行為は自分で責任を負うべきだと。病気を言い訳にするなんて卑怯だと。

身内が、自分の妹が、その病気にかかるまでは。他人事であるまでは。

286 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 15:35:55.36 ID:Zmi8Ys0wO
「しかし、やはり泉さんが言われたように、精神疾患イコール犯罪、というイメージは、やはり誇大的だというのが真相のようですね」
みゆきは私を安心させるように笑いかける。私はそれに答えられなかったけど。

「最初の疑問に戻りますが……これほどありふれた疾患なのに、どうして私達の身の周りで、そういった方々を見ないのでしょう?」

私は無理に声を出した。
「入院してる……から?」

「半分正解、ですね」

289 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 15:53:28.72 ID:Zmi8Ys0wO
「ん〜、半分ってどゆこと?みゆきさん」
こなたが本気で困ったような表情を浮かべる。珍しい。
「つまりですね」みゆきがまた座り直す。
「疾患を持っている方が258万人。入院を必要とするほどの重症でない方も含めてですが」
みゆきはメガネの奥から私を見つめた。
「かがみさん。今現在、精神科に入院されてる方は、どれくらいいらっしゃると思います?」
「わからないわよ……」

「約33万人だと言われています」
多いのか少ないのかわからないな、と思った私に、みゆきは続けて言った。

「そのうちの30%の方々は、10年以上入院されているんです」

292 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 16:20:46.35 ID:Zmi8Ys0wO
「「じ、10年以上!?」」
さすがに驚いて声をあげたら、こなたとハモった。

「はい」みゆきはうなずいた。
「日本のほぼ二倍の人口をもつアメリカでも、入院患者は日本のほぼ三分の一。その他の経済先進国と比べても……やはり入院患者数は突出しているようです」

「いや、でも……」
私は衝撃が大きすぎて、ついみゆきに質問していた。
「人口の違いもあるし、保険制度だって違うし、一概には言えないんじゃない?そういう事」
「いいえ」みゆきはピシャリ、と言った。
「明らかに日本は精神疾患患者を、治療ではなく隔離を前提とした政策を続けてきました。これには歴史的な裏付けがあるんです」
「歴史的な、裏付け…?」
私とこなたは顔を見合わせた。

296 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 16:33:22.00 ID:Zmi8Ys0wO
「先程アメリカを例にしたので、それの続きと言うわけでは無いですが……」
みゆきは一回咳払いする。
「1963年、大統領だったJ・F・ケネディは『精神病及び精神薄弱者に関する教書』を発表しました」

撃たれて暗殺された人だっけ、と曖昧な知識が浮かぶ。

「それ以来、施設ではなく地域で支援を、という施策が続いたせいで、そもそもアメリカにはあまり精神病院という収容前提の施設が無いんです」

「アメリカっていえば刑務所だらけってイメージあったけど、考えてみたら刑務所と病院は違うよね〜」
こなたがもの凄い偏見に満ちた感想を言った。

301 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 16:49:21.04 ID:Zmi8Ys0wO
「それとは対照的な事件が、同時期に日本で起こりました」
みゆきはこなたの問題発言を聞かなかった事にしたらしかった。
「一年後の1964年――昭和39年――に起こった、いわゆるライシャワー事件ですね」

聞いた事があるような、無いような……。

「アメリカの駐日大使を、精神疾患患者の方が刃物で襲い、傷つけた事件です。結局大使は、この時に受けた輸血が元で肝臓を患い、後年亡くなりました」

全然知らなかった。

「それから日本は、精神疾患に対し、収容主義を取るようになりました」
「どうしてそれがわかるの?」こなたが聞く。
「病床数の増加です」みゆきがメガネの位置を直す。
「1954年には、精神病床は約3万床。ところが1965年には17万床。1970年には28万床。『精神病院ブーム』と言われた程です」

307 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 17:13:12.62 ID:Zmi8Ys0wO
淡々と数字を並べるみゆきに気を圧されながら、私は言った。
「で、でもそれだけ病院が立ったって事は、やっぱりそれだけ需要があったってことじゃ……」

「地域での受け皿や家族の理解の低さ、という観点からは、正にそうですが」
みゆきがちょっと話疲れたように紅茶を飲んだ。
「純粋な医学的観点から見ると、まったく話は逆になります」

私は不意に、この友人が医師を目指していることを思い出した。

「1955年にクロルプロマジン、1964年にハロペリドール、近年ではリスペリドン、オランザピン、アリピプラゾールといった第2、第3世代抗精神病薬が開発され、劇的に薬物治療の成果が現れ始めたんです」

モビルスーツの名前みたいだ、と呟くこなたに対して、私はみゆきにすがりつくように近寄った。

「な、治るの!?」

313 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 17:33:05.08 ID:Zmi8Ys0wO
つかさが、あの子が治る?元の、優しくて気弱なあの子に。
「話が遠回りしすぎましたけど」みゆきが珍しく苦笑した。

「もちろん、症状はよくなりますよ。かがみさん、『レナードの朝』という映画をご存じですか?」

「え?い、いえ、知らないけど」

「ロバート・デニーロが主演した映画なんですが……この映画の原作は、オリバー・サックスの『Awakenings』なんですけど」
私はおとなしくみゆきの話を聞く。
「この話は、先程言った新世代抗精神病薬によって劇的に症状がよくなり、かえって患者の方が戸惑う、『目覚め現象』という言葉の由来にもなっているんです」
「目覚め現象……」

その時、みゆきがふと私から目をそらしたが、その時の私は気がつかなかった。

つかさが治る。私の側に、家族の元に帰ってくる。
私はその希望で頭の中がいっぱいだった。

317 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 17:50:23.11 ID:Zmi8Ys0wO
「要するにさぁ、みゆきさん」
あまり話を理解していない感じで、こなたがポリポリと頬を人指し指で掻きながら聞く。
「つかさがちゃんと薬を飲めば、良くなる可能性は高いってことかな?」
成績はともかく頭の回転自体はとんでもなく早いオタク少女は、みゆきの渾身の演説をあっさり要約した。

「え、ええ……そのはずです」
みゆきが言う。
「ですが、私が最初にかがみさんに聞きたかったのは、良くなった後のことなんです」

「良くなった……後?」私はキョトン、とした。

「そうです」みゆきはまた真面目な表情になった。

「かがみさん。かがみさんとそのご家族は、つかささんの病気を受け止め、退院したつかささんを、受け入れることができますか?」

318 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 18:01:00.21 ID:Zmi8Ys0wO
「そんなの、当たり前じゃ……」

不意に、つかさの姿がフラッシュバックした。

『お父さんもお母さんも、お姉ちゃんたちもだいきらい!!』

『みんな、みんな死んじゃええぇぇぇぇぇッ!!』

「かがみさん?」「かがみ?」

みゆきとこなたが、心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
「だ、大丈夫……」
私は目元を指で押さえて言った。

「つかさが良くなって、帰ってくるのを信じてる。私、あの子の双子……いえ、家族だもの」

こなたは不思議そうに、みゆきは心配そうに、私の顔を見つめていた。

322 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 18:13:14.99 ID:Zmi8Ys0wO
段々親指が利かなくなってきたので、少し休みます。すみません。

448 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 22:05:01.31 ID:Zmi8Ys0wO
「……ただいまー」
こなたの家を出たのが遅くなって、自宅についたのはもう八時過ぎだった。

「おかえりなさい、かがみ」台所からお母さんが現れた。
「遅かったのね……みんな、もう晩御飯済ませちゃったわよ」
「う、うん。ゴメン」

お母さんはこの頃ますます疲れた顔になってきた。
「残ってるもの、レンジで温めて……」語尾が消え入りそうだった。

リビングでは、お父さんが黙ってテレビの前に居た。
番組を見ているのかはわからない。普段、お父さんはポップスばかりの歌番組なんて見ないから。
「ただいまお父さん。姉さん達は」
「いのりは部屋に帰った。まつりは遅くなるらしい」

452 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 22:15:23.36 ID:Zmi8Ys0wO
私は黙々と温めなおした夕飯を一人で食べた。
テレビからは軽薄なトーク、薄っぺらな笑い声、聞いたような音楽。
お父さんは無言で画面を眺めている。

賑やかな家族だった。
無口だけど優しいお父さん。
いつもみんなの世話を焼いて忙しそうなお母さん。
クールだけど意外に面倒見がいい、いのり姉さん。
ちゃっかりしてて、いつも私達をからかって明るく笑う、まつり姉さん。

そして……。

この家はこんなに静かだった?こんなに広かった?こんなに寒々としていた?

『ご家族は、つかささんを、つかささんの病気を、受け止めてあげられますか?』
耳に、さっきのみゆきの言葉が響いていた。

465 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 22:28:43.94 ID:Zmi8Ys0wO
・・・・・・

腕が痛い。
足が痛い。
腰が痛い。
首が痛い。

体中の、全部の関節が痛い。
「はずしてえぇっ!コレはずしてよおぉぉっ!はずせえぇっ!」
叫びすぎて喉が痛い。
点滴の刺さった腕が痛い。
おしっこの管が痛い。

「なによぉ!なんでこんな事するのよぉ!なんでイジワルするのぉ!?」

女の人が時々来て、点滴を変えたりおしっこを袋から出したりして、私に声をかけたけど、絶対ベルトをはずしてくれなかった。

「いやだああぁぁぁぁッ!」

夜は暗い。夜は怖い。独りは怖い。

「助けてえぇぇっ!お母さぁぁんっ!お姉ちゃぁぁんっ!」

473 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 22:44:39.48 ID:Zmi8Ys0wO
誰も答えてくれない。
私を取り囲んでるのは機械だけ。

ジーッ、ジーッと点滴の管について、薬を送る機械。

私の胸についたシールから延びたコードの先で、よくわからない数字や線を映している機械。

プシュ、プシュ、と足に巻き付いて、定期的に膨らんで足の裏をマッサージする機械。

機械、機械、機械、機械、機械ばっかり。

「誰か……誰でもいいよ、お願い……助けてよ…」

『……だよ』『だから……』『……が』

あの『声』まで、不思議と小さくなっている。今はなんでもいいから聞きたいのに。

みんなに会いたい。お母さんに、お父さんに、いのりお姉ちゃんに、まつりお姉ちゃんに。

「……お姉ちゃん、こなちゃん、ゆきちゃん、お願い、助けて……」
私の声はかすれて、まるで違う人の声のように聞こえた。
「みんな、どうして私のこと、いじめるの……?」

なにも悪いこと、してないのに。

487 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 23:01:54.42 ID:Zmi8Ys0wO
・・・・・・
「いい加減にしなさいよ!」
はかどらない勉強を無理にしていた私の耳に、怒声が聞こえてきた。
「……いのり姉さん?」
部屋を出て玄関の方へ行く。
帰ってきたらしいまつり姉さんと、パジャマ姿のいのり姉さんが睨み合っていた。
「アンタ、よくこんな時に酔っぱらってられるわね!」
いのり姉さんがこんなに大きな声を出してるのを聞いたのは久しぶりだ。
「お酒飲んで何が悪いのよ!」
お化粧しても、顔が赤いのがわかるまつり姉さんが言い返す。
「前からの予定だったんだもん、しょうがないでしょ!」
「はん、大学生ってのは気楽でいいわね!」
「何よ!」

「止めないか二人とも!」
後ろから更に大きな声が響いて、姉さん達も、私ですら首をすくめた。

廊下の奥から、姉さん達を睨んでいるお父さん。その後ろでオロオロしているお母さん。

「……二人とも、もう夜遅いんだから、寝なさい」
抑えた低い声で言って、お父さんは部屋に戻っていった。

女が四人、しらけた空気の中、無言で立っている。

つかさを受け入れるべき家族。私達の家族。

「……本当に、受け止めてあげられるの?」

私の独り言に、誰も反応しなかった。

490 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 23:11:17.88 ID:Zmi8Ys0wO
翌日、学校の廊下を歩いていると、声を掛けられた。

「柊かがみさん?少し、お時間いただいて良いかしら?」
寝不足で頭痛のする頭で振り返る。
「……天原、先生?」
保健医の天原先生はニッコリ笑ってみせると、
「少し、お茶に付き合ってもらえないかしら?」
私を保健室に誘った。

「……はい」

多分、つかさの事なんだろうな……。

495 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 23:20:34.11 ID:Zmi8Ys0wO
「柊さん、ミルクは入れますか?」
「いえ、このままで……」

天原先生は茶道部の顧問も兼ねているけど、保健室では紅茶を飲んでいるところしか見たことが無い。

「どうですか?お味は」
「は、はい。美味しいです」
ニコニコ笑う天原先生の笑顔は大人の余裕たっぷりだ。
噂によると、この天原先生を『ふゆきちゃん』、私の担任の桜庭先生を『ひかるちゃん』と呼んでいる二年生がいるみたいだけど、私にはとてもそんな勇気は無い。
「私はミルクと砂糖を少し、ですね。疲れてる時は甘いものも良いですよ?」
天原先生は笑顔のまま、私に言った。
「……」

498 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 23:29:11.74 ID:Zmi8Ys0wO
「……天原先生」
「なんでしょう?」
暖かい笑顔。
「妹……柊つかさのこと、ご存じですよね?」
「はい」
この笑顔で、先生は。
「学校に電話があった時……」
「はい」

「……つかさの事を、保健所に電話したのは、天原先生ですよね?」

「はい、そうですよ」

天原先生は、相変わらず、笑顔だった。

503 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 23:39:19.48 ID:Zmi8Ys0wO
あの日。
帰り道の駅の側で、つかさは突然道路に飛び出した。

「な、なにしてるのよ、つかさ!危ないじゃない!」
「さっきの車だよ!さっきの車から『声』が流れてたんだよ!」
私は慌ててつかさを歩道に引きづりこんだ。
「つかさ!危ないって!何言ってるのよ!」
「早く!早くあの車を止めないと、また毒を入れられちゃうよぉ!」
つかさの体の上に乗って押さえていた私を、つかさは何度も跳ね飛ばそうとした。
「ダメだよお姉ちゃん!早く、早く追わないと!」
「つかさぁ!」
私は汗まみれになって、つかさを押さえ続けた。何時間にも感じられた。
やがて救急車のサイレンが近づき、つかさと私の隣に停まった。

509 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/09(火) 23:54:23.53 ID:Zmi8Ys0wO
「あの日、うちの高校の制服を着た女生徒が、道路でもみ合ってると、一般の方から通報がありまして」
天原先生の柔らかい声で、私は回想から覚める。

「どうも意味不明な事を叫んでいるというので、消防署に私が連絡しました」
どうして笑顔でいられるの?
「それから管轄の保健所にも連絡して、保健師さんに病院に行ってもらいました」
つかさは今、ベッドに縛られてるのよ?

「後は措置解除申請ですね……状態が良くなればいいんですけど」

「どうして……」
「はい?」

「どうしてつかさを入院させたんですか?」

初めて、天原先生の表情が曇った。

516 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/10(水) 00:07:23.97 ID:2TDgEquLO
天原先生は、それまでとはちょっと種類の違うような笑顔になった。
「柊さん?」
「はい……」
「もしあの一件が無かったら、つかささんは今でも普通に生活できていたと思いますか?」

私は唇を噛んだ。
わかってる。つかさは、あのままじゃもっとダメになっていた。
でも、私も、家族も精神科に連れていこうなんて、全然考えなかった。考えなかったんだ。
私は単に、天原先生に八つ当たりしているだけなんだ。
「もうひとつ」天原先生は人指し指を立てた。

「実はほとんど同時に、警察からも問合せがあったんですけど」
「え?」警察?

「『もう救急車を呼んだので大丈夫です』って、誤魔化しちゃいました」
天原先生はいたずらっぽく片目をつぶった。

519 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/10(水) 00:18:59.40 ID:2TDgEquLO
もしあの時、警察が来ていたら……。
私は正直寒気を感じた。
間違いなくつかさは、お巡りさん相手にも抵抗してただろう。
いくら小柄な女の子相手でも、あの勢いだったら、お巡りさんはつかさを、どうしただろう……?

「結局、医療保護入院じゃなく、措置入院になってしまったので、大変は大変ですけど……」
天原先生はちょっと残念そうに言う。

「保健所通報だったのは不幸中の幸い……と言ったら柊さんに怒られますね。でも正直、24条緊急措置だと、もっと面倒なんですよ」
措置?24条?
そういえば、あの時保健師さんが23条がどうとか……。
「天原先生。その、なんとか入院って、どういう意味があるんですか?」

679 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/10(水) 21:42:46.62 ID:2TDgEquLO
私の問いに、天原先生は少し唇に指を当てて考え込んだ。
知らないのではなく、どう説明すべきか、迷っているような様子。

「柊かがみさんは、確か……法学部志望でしたね?」
「え?あ、はい、そうですけど……」
どうして保健医の天原先生が私の進路希望を知ってるのかとびっくりしたが、考えてみれば担任の桜庭先生から聞いたのだろう。友人らしいから。

「でしたら、知っておいても損は無いかもしれませんね」
天原先生は続ける。

「柊かがみさん、つかささんが入院される時、保健師さんが入院に関しての事を詳しく説明してませんでしたか?」
「はい……」

まるで外国映画で、悪人が刑事に逮捕される時、『お前には黙秘権がある』と言っているシーンとダブッて不快だった。

「措置入院とは、他の入院形態と比べて、少し特殊なんですよ」

683 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/10(水) 21:52:59.88 ID:2TDgEquLO
「そもそも、精神科と他の科に入院される患者さんの、一番の違いはなんだと思います?」

「……病気なのが、体じゃなく、心、なことですか?」
私の気弱な答えに、天原先生は「違いますね」とあっさりダメ出しした。

「正解は、『自分を病気だと思っていない』、です」

「あ……」

『私、どこも悪くないよ!』
『入院なんかしない』
『帰ろう、お姉ちゃん』

「自分を病気だと認識できない……病識がない、と言いますが、そういう方を入院させるための法律が」
天原先生は一息ついて言った。
「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律、いわゆる精神保健福祉法ですね」

685 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/10(水) 22:04:23.98 ID:2TDgEquLO
「精神科の最大の特徴は、本人の同意が得られなくても、強制的に入院させられることです」
天原先生の流暢な説明を聞きながら、私は泣き叫びながら押さえ込まれる、つかさの姿を思い出していた。

「医療保護入院というのは、患者の保護者の同意があった時に入院させられる形態ですね。お茶、もう一杯いかがです?」

一瞬話の繋がりを見失ったけど、自分が冷えたティーカップを握り締めていたことに気づいて、慌てて遠慮した。

「そうですか……話を戻しますが、つかささんの入院形態は、もう少し厄介なんです」

「措置入院、ですか」
私は少しイスに座ったまま、前に体を進めた。
「それってどんな入院なんですか?」

688 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/10(水) 22:16:57.22 ID:2TDgEquLO
「つまり」天原先生は説明を続けた。

「本人どころか、保護者の同意が無くても、病院に強制的に入院させる形態です」
「誰の同意も無しに、ですか?」
私は少し信じられなかった。それじゃ、私だって誰かに病院に強引に入院させられる可能性もあるってことじゃない?

「さすがに、そんな乱暴な話じゃないですよ」
天原先生は苦笑して言った。
「その人が、間違いなく精神的な障害を持っていると診察できる医師、精神保健指定医の、それも二人の診察の結果、疾患があると判断されなければ、入院はさせられません」

先生の話に、頭痛が少しひどくなってきたけど、我慢して質問を続ける。
「その、23条とか24条っていうのは……」

「病院に通報した機関の違い、によるものですね」

698 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/10(水) 22:30:19.17 ID:2TDgEquLO
「これは大雑把な分け方で、正式な呼び方ではないようですが」
天原先生は長くて黒い前髪を少し気にするような仕草をする。
「第23条が保健所通報、第24条が警察官通報、第25条が検察官通報、第26条が刑務所通報、と呼ばれるようですね」

私は呆気にとられた。
「警察に検察に、刑務所、ですか?」言葉にすると、物騒な響きだと思った。

「はい。それぞれの機関で精神疾患を疑われる人物がいた場合、精神科に通報して診察を仰ぐわけです。いわゆる、触法患者と呼ばれますが」

「え、ええと、つかさの場合は、その……」
「23条、保健所通報。触法ではありませんね。単に一般人の通報で、保健所所長が依頼しただけですから」
天原先生は涼しい顔で、紅茶を一口含んだ。

701 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/10(水) 22:43:11.73 ID:2TDgEquLO
私は天原先生の、いかにも大和撫子然とした、和風でおとなしそうな顔を見ながら少し驚いていた。

あの時のつかさを警察官が見たら、間違いなく力ずくで『保護』したに違いない。
双子の妹が手錠をはめられている姿を想像して、少し身震いする。
そう、決してありえないことじゃなかった。

それを、天原先生が先回りして消防署や保健所に連絡してくれたお陰で、あれだけの騒ぎで済んだんだ。

私の視線に気づいたのか、天原先生は珍しく、いたずらっぽく笑った。

「他の人には内緒ですよ?これ、ある意味ズルなんですから」
「天原先生……」
「まあ、可愛いい生徒を守るためなら、なんでもしますけどね」

706 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/10(水) 22:56:11.76 ID:2TDgEquLO
「……先生には感謝します。でも……」
「やっぱり納得はいきません、か?」
天原先生は柔らかく私に言った。
「私、つかさとは双子で、あの子は昔から要領が悪くて、でも優しくて……」
私、何を言いたいんだろう。
「なんで、どうして、よりによってつかさなんですか?どうしてあの子なんですか?」

天原先生はただ優しく、泣いている私を見守ってくれていた。

730 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/11(木) 00:33:09.95 ID:RH1C5qF8O
「……天原先生が?」

みゆきが少し驚いたように言った。

今日も私達三人、こなた、みゆき、そして私、柊かがみは学校が終わったあと、こなたの家に集まっていた。
天原先生から聞いた話を伝えるため、みんなの意見を聞くため。

……違う。自分に言い訳しても仕方がない。
認めよう。私はつかさのいない、あのギスギスした家に帰りたくなかったんだ。

「ふ〜ん、ゆーちゃんは優しい先生だって言ってたけど、やる時はやるんだね〜」
こなたが相変わらず間延びした声で言った。

変わらないことこそが、今の私の救いだと知っているように。

735 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/11(木) 00:43:52.99 ID:RH1C5qF8O
「それにしても、さすがに保健医の先生ですね」
みゆきが感心したように言う。
「普通、そこまで詳しく知らないと思いますよ」

ツッコミを待ってるの?みゆき。

「まあ、入院がなんちゃらかんちゃらっていうのは、わかったけどさ」
間違いなくあまりわかっていない口調で、こなたが言う。
「結局、つかさの病気ってどんなんなの?」

……。

「あ、あれ?なんか、まずいこと言っちゃったかな?」
こなたが珍しく焦った顔で言った。

738 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/11(木) 00:53:57.92 ID:RH1C5qF8O
「……かがみさん、お医者さんは、なんとおっしゃっていたんでしょうか」
気まずい沈黙のあと、みゆきが私に聞く。

「混乱してて、詳しくは覚えてないんだけど……」
私は自分の制服についたホコリを摘みながら言う。
「統合失調症の急性期か、急性一過性精神病性障害の可能性が高い、って……」

「急性とか失調とか、なんか難しい名前だねぇ……」
こなたが呆れたように言う。
「で、それってどんな病気?いつ治るの?」

……。

「な、なんで私が喋る度、みんな黙っちゃうかなぁ!?」

744 名前:愛のVIP戦士@ローカルルール7日・9日投票 sage 投稿日:2008/12/11(木) 01:04:55.05 ID:RH1C5qF8O
「後者の急性一過性精神病性障害なら」
みゆきが咳払いしたあとに言った。
「さほど心配はいらないと思います。主にきっかけとして、ストレスが元で色々な症状が出ますが、すぐに良くなって後遺症も残らないですから」

やっぱり、しっかり調べてるわね。

「ふむふむ」こなたが座ると床につきそうな、長い髪を気にしながらうなずく。

「それで、もうひとつの、統合失調症ってのはどんな病気?」

「……泉さん?」
「み、みゆきさん、笑顔なのに目が怖いよ?」


861 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/11(木) 21:46:40.97 ID:RH1C5qF8O
・・・・・・
もう、ベッドの上に縛られて、何日ぐらいたつのかな。
相変わらず腕から点滴でお薬を入れられて、おしっこの穴から管で出してるだけ。

……お薬?

違う違う違う違うあれは毒だ、毒なんだ。そうでしょ?
『 』『  』『 』
あれ?なんで『声』が聞こえないの?何か言ってよ。何か言ってよ。何か言ってよ。アナタが私に教えてくれたんでしょ?

「このままじゃ不味いですよ……」「食事も薬も、経口駄目?」「液剤もザイディスも、全部口から出しちゃって……」「マーゲン、やる?」「大丈夫かな……」

うるさい。うるさい。アンタ達は呼んでない。私は『声』が聞きたいの。
「柊さん。口から食事や薬を入れてもらえないので、鼻からチューブを入れて、直接胃に送り込みますけど、かまいませんか?」
そんなこと、できるもんか。
「やるか……。キシロカインゼリー、準備して」

……え?

868 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/11(木) 22:01:38.44 ID:RH1C5qF8O
「え?……な、なに、ゲホッ!ガハッ!」
もうこれ以上ひどいことにならないなんて、私はなんで勘違いしてたんだろう。
「や、やめ……ゲホゲホッ!」

私の鼻の穴から、ヌルヌルしたのがついた管が押し込まれてきた。

「い、いた……ゲフッ!痛い、鼻の奥が痛いってば!やめ、ゲェッ!!」
「柊さん、喉まで来たら、飲み込むようにしてください。気道に入ったら大変ですよ」

「グェッ!ゲホッ!……お、お願い……やめ、やめて、助けて……ゲホッ!!」

「胃に空気入ってる?」「確認しましたー」


お姉ちゃん、助けて、助けてよ、お姉ちゃん




893 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/11(木) 23:05:20.15 ID:RH1C5qF8O
・・・・・・
みゆきはしばらく、こなたを呆れたように見ていたけど、やがて諦めたように説明を始めた。
「統合失調症は、精神疾患の中でも、双極性気分障害――いわゆる躁うつ病――と並ぶ、代表的なものですね」
「代表的って言っても、あんまり聞いたこと無いような……」
こなたが首を傾げる。
「少し前までは、精神分裂病と呼ばれていました」
みゆきの言葉に、こなたの顔が緊張する。
「前にも少し触れましたが、発病率は約1.0%から1.5%」
こんなに数字を暗記しているみゆきが、なぜ文系クラスにいるのだろう?という普段からの疑問が、こんな場合なのに頭をかすめた。

899 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/11(木) 23:19:53.50 ID:RH1C5qF8O
「その、統合失調症って、その」
なかなか言葉にならない私の思考を読み取ったように、みゆきは続ける。
「生物学的遺伝的素質に、生育史上の問題やストレスが加わって発病する、と考えられています」
「遺伝……」
「ちなみに、患者さんから見て」
みゆきは、淡々と続ける。
「兄弟や子供の発病率は約10%、両親とも統合失調症の子供で約40%、一卵性双生児で40%から50%」
ちなみに私、柊かがみとつかさは、二卵性双生児だ。
「神経伝達物質である、ドーパミンによって作動するドーパミン系神経ニューロンの過剰活動、最近ではセロトニンや、他の神経伝達物質との関連も考えられています」
つまり、とみゆきは言った。

「心の病というより、もっとも純粋な体の病気とも言えるかも知れませんね」

うんうん、と無意味にうなずくこなたを責められない。私だって半分もみゆきの話を理解できてないもの。

913 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/11(木) 23:37:24.76 ID:RH1C5qF8O
「次に、症状ですが」なんとなくみゆきが講義口調になってきた気がする。
「いろいろな妄想、幻覚、緊張性の興奮など、いろいろなタイプがあるようです。一口には言えませんね」
「そこをあえて一口で!」こなたが音をあげたように言った。

「えっと……」
みゆきは少しの間、視線を宙に泳がせた。
「幻覚では、幻聴が多いようですね」

『私をバカにする、声が聞こえるんだよ』

「妄想は、被害妄想など、誰かに見られているとか、追われているとか、毒を盛られているとか」

私はヒュッと息を吸い込む。

「アメリカの精神医学会で作成された、DSM-IV-TRや、WHOで定められたICD-10など、いろいろな診断基準はありますが……今、素人の私達がどうこう言っても、仕方がない問題、ではありますね」

921 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします sage 投稿日:2008/12/11(木) 23:54:07.75 ID:RH1C5qF8O
そう、今私が一番聞きたいのは……

「みゆき、入院した場合、どんな治療をするかわかる?」
「ええ、だいたいは」
みゆきはあっさり言った。
「薬の服薬。服薬の必要性の説明、及び服薬の練習」

「『薬の服薬』って意味が被ってる気がするけど」こなたが言った。
「なんだか薬ばっかりだねぇ」
「他にも支持的精神療法、認知行動療法、精神分析的精神療法、様々な治療法がありますが」
みゆきは全然舌を噛まずに言ってのけて、
「でもやはり、薬物による治療がメインでしょうね。前にも言いましたが、最近の抗精神病薬の効果は絶大です」
この子、わざわざ医大に行く必要あるんだろうか……?

925 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2008/12/12(金) 00:08:16.85 ID:9IMvfC8cO
「薬の大事さはわかったんだけど、あの」

『私、病気なんかじゃない!』

「……自分が病気だと思わない場合、薬を飲まないってことも、有りうるじゃない?そんな時はどうするの?」

みゆきは少し驚いたような顔をした。

「そうですね……精神科に限らず、医療現場でのコンプライアンス――最近ではエビデンスやアドヒアランスと言いますが――は、重要視されています」
「みゆきさん、日本語で……」
こなたが小さな声で言う。珍しく私とこなたの意見がさっきから合いすぎだ。

「つまり、治療の必要性、目的、副作用などの、治療側と彼治療側との徹底した周知、話し合い、でしょうか」
みゆきが続ける。
「要するに、薬を飲むことを本人に納得してもらうことが大事ということですね。でなければ、強制的に飲ませてもあまり意味はありません」


215 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/18(木) 21:51:29.41 ID:VpYc8cDO
「その、医者と患者の話し合いが重要だっていうのはわかったんだけど」
私、柊かがみはなんとか言いたいことをまとめようとする。

「病気で、薬を飲むことが大切っていうのは、冷静だから理解できることじゃない?」

「ええ……そうですね」
高翌良みゆきは、私にうなずいてみせた。

「だから、その、本人が病気だって自覚しなくて、薬を絶対飲まなかったりしたら、その」

『いゃあ!痛い!痛いってばぁ!!』
『何の薬入れてるのぉ!?』

「……どんな風に薬を飲ませたり、注射したりするのかなって」
私はたくさんの人に押さえ込まれて悲鳴をあげる、つかさの姿を頭を振って忘れようとした。

「いんや、そりゃお医者さんがなんとか説得してくれるんじゃないの?」
隣に座っていた泉こなたが、キョトンとした声で言った。

218 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/18(木) 22:01:22.40 ID:VpYc8cDO
「説得は、その、難しいと思う……」
私は消えそうな声で言った。
目の前の友人二人は、つかさが入院する時の凄まじい拒否を知らない。私ですら、あのおとなしいつかさの暴れ方がいまだに信じられないのだから。

「確かに治療の協力を患者さんから得られない、というのは精神科の特徴ではあると思いますが」
みゆきが子首を傾げながら言った。
「なんらかの手段を取るなら、保護義務者――つかささんの場合、お父さんでしょうか――に、事前に許可を求められるはずですね」
私の喉の奥で、ぐ、と変な音がした。

「かがみさん、病院から、何か具体的に許可を求める連絡はありませんでしたか?」

220 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/18(木) 22:16:15.81 ID:VpYc8cDO
「あった……みたい」
私の声はますます消え入りそうになる。
「拘束しますとか、後、なんか鼻腔経菅栄養とか」
みゆきの顔が、サッと蒼くなった。

「コウソク?それってどんなんなのかな?」
こなたがピョコン、と身軽に立ち上がり、パソコンの前にテクテク歩いていった。
「えっと、精神科、コウソク……ん?拘束っと」
「泉さん、あの、今はまだ、その」
パソコンを起動させて検索エンジンをみようとするこなたを、みゆきはなぜか慌てて止めようとしていた。

「どうしたの?みゆきさん。……と、画像画像」
カチャカチャと立ちながらキーボードを叩いていたこなたの手が停まった。

「ウソ、何コレ!?」
こなたのこんなに驚いた声を聞いたのはいつ以来だろう。

223 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/18(木) 22:37:07.65 ID:VpYc8cDO
私はベッドに縛られている、ということは聞いていたので、ある程度の覚悟はできていた。

モニタの前で絶句しているこなたに、みゆきが声をかける。
「も、もういいでしょう泉さん」
「いいのよみゆき、そんなに気を使わなくても」
立ち上がり、こなたの横に行ってモニタを見た私は、そこに映る画像を見て立ちくらみを起こした。

「かがみ!?」
「かがみさん!?」

両脇から二人が声をかけてくれるけど、耳でワンワン響くだけで全然頭に入らない。

……今、つかさが、あの子がこんな状態で一人でいるの?本当に?

252 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/20(土) 19:29:02.58 ID:ZtvxhQDO
目を閉じても消えない。こなたのパソコンのモニタに映った、『拘束帯』のカタチ。
胴を幅広に回る帯。肩を押さえる帯。手首を、膝を、足首を固定しているベルト。
出来の悪いマンガに出てくるような拘束のための道具は、その柔道着のような頑丈さと金属の鈍い光り、黒いボタンとあいまって、『ヒトの自由を奪うモノ』の凶悪さを私に見せつけた。

「嘘よ……こんなの、つかさに……人に使っていいモノじゃない」
私は吐き気すら覚えて、口を手で押さえた。
「だ、大丈夫?かがみ」
こなたが私の背中を撫でる。
私はそれに構わず、みゆきに向かって怒りをぶつけた。相手がみゆきで良いのか、と自問する余裕すらなかった。

「みゆき、こんなモノ、病人に使っていいの?手足縛って、動けなくして……こんな、こんなの人権侵害よ!!」

256 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/20(土) 20:05:26.27 ID:ZtvxhQDO
「確かに、こういった拘束帯の使用は人権を侵害している、という声はあるようです」
私の理不尽な怒りを受けて、みゆきはスッと視線をわずかにそらせた。
「近年、日本の裁判所でもそういった勧告が出たと聞きますし、これは本当かどうかわかりませんが、イギリスなどでは一人に対し、五人で24時間手で押さえることになっているとか」
みゆきの饒舌さも、私を苛ただせる役にしかたたない。
「イギリスなんてどうでもいいのよ!」
「かがみ、みゆきさんに怒ってもしょうがないよ」
こなたが言う。わかってる。わかってるけど。
「こんな、こんなガンジ絡めにしなくたって、薬で」「ですから、その薬を継続的に投薬するための拘束、なのでは?」
みゆきに切り換えされて、私は言葉を失う。
「それに」みゆきは話を続けた。
「こういった道具を使用して身体の安静を保たせるか、薬で安静を保たせるか。どちらがヒトの身体にとって安全なのか。いまだに結論が出ていないのが現状なようですよ?」

260 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/20(土) 21:05:41.82 ID:ZtvxhQDO
「んん?」
キョロキョロと私とみゆきの顔を見比べていたこなたは、みゆきの言葉に引っ掛かりを覚えたのか、視線を固定した。
「みゆきさん、どゆコト?道具と薬が安全がどうとか」
みゆきは豊かな胸に手を当てて一息つくような仕草をした。
「……興奮状態にある方を安静にさせる方法は二種類あります」
「一つが、えっと、拘束、かな?」
「はい。そしてもう一つが薬物です」

泣きわめくつかさを眠らせた、あの注射……。

「確かに薬物を持続的に投薬すれば物理的な拘束は必要ない、と思われがちですが」
みゆきは微妙に目線をずらしたまま言う。
「現実には薬物投与で意識を失わせるほうが、遥かにリスクが高いんです」
「リスク?」
「呼吸の抑制、精神状態の把握のし辛さ、内科・外科的合併症の見逃し、ですね」

261 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/20(土) 21:19:35.37 ID:ZtvxhQDO
「つまり、アンタはこう言いたいワケね……」「ええ、そう言いたいんです」
私の震える声にも、みゆきは冷静に応える。
「現在の医療のレベルでは、身体的拘束はやむをえない、と」
「……必要悪ってコト?」
「悪は言いすぎですね……」
いつの間にか、私とみゆきが対立するような雰囲気になっている。
私は完全に気が立っているし、みゆきも話の流れで引っ込みがつかなくなってしまったようだ。
こなたはその間でオロオロしている。

「……ゴメンみゆき。アンタに当たるのは間違ってた」
私は深呼吸を一回した。
「いえ、こちらこそ」
みゆきもぎこちなく咳払いをする。

みゆきは私の知らない事に、親切に答えてくれているんだ。
それなのに、どうしてこんなに悔しいの?腹がたつの?

263 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/20(土) 21:40:55.04 ID:ZtvxhQDO
・・・・・・

もうどれくらいベッドに横になっているのか、わからない。

鼻から入れられたチューブから牛乳のような白っぽい液体が点滴のように入っていく。お腹がじんわりと暖かくなる。最後にお湯に溶いた薬を入れられる。

ウンチをする時も、寝たまま。平べったいオマルのようなモノをお尻の下に入れられて、そこに。お腹に力が入らず、かなり時間がかかった。

オシッコも相変わらずチューブで袋に出す。カンセンヨボウとかで、一回抜かれて、またオシッコの穴に新しく入れられた。

手足はそれぞれ一本づつベルトを外され、関節を動かされる。最初は肘や膝を曲げる度、痛くて泣きわめいたけど、もう痛くなくなった。

あれほどしつこかった『声』も、今は全然聞こえない。あれはいったいなんだったんだろう?よく考えたら、壁から声が聞こえるはずがないのに。

265 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/20(土) 21:51:11.64 ID:ZtvxhQDO
「柊つかささん。今お加減はどうですか?」

「体が動かせないのが、辛いです」

「なにか、声のようなモノはまだ聞こえますか?」

「全然……。アレは、なんだったんですか?」

「聞こえないなら、それでいいんですよ。まだ毒とかは入れられてますか?」

「毒が入っていたとしたら、私、今頃無事じゃないと思います……」

「今、一番何が気になりますか?」

「今……このベルトを外して欲しい、のと」

「外して欲しいのと?」



「……お姉ちゃんにあいたい、です」



269 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/20(土) 22:04:33.65 ID:ZtvxhQDO
・・・・・・
駅まで三人で歩き、みゆきは一足先に東京行きの電車に乗った。
手を振ってみゆきを見送ったこなたは、私の方を振り返った。

「かがみ、いったいどうしたの?」
「ゴメン、こなた」
「謝るなら私にじゃなく、みゆきさんにだよ」
「それも、わかってる……」

二人で立つ駅のホームは寒くて、静かで、寂しかった。

「……最初にみゆきが私に言った言葉の意味、今わかったわ」
「ほえ?」
「精神科に入院してるのが恥ずかしいことなのか。隠さなくちゃいけないことなのか」
「あ〜、そんなこと言ってたね」

「私、家族が、双子の妹が精神病かも知れないってことが恥ずかしかった。認めたくなかった。隠しておきたかった」

「……え?」
こなたが愕然と私の顔を見つめるのが、視界の隅に映った。

270 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/20(土) 22:15:05.99 ID:ZtvxhQDO
私は偽善者だ。
心の病に偏見がないふりをしていた。
そういう人も世の中にはいると、理解した振りをしていた。
誰でもかかる可能性はあると、知識としては知っていた。

「でも、実際につかさが変になったらね」

私は笑いながら言った。

「なにもしなかった。見て見ない振りをした。ちょっとの間だけだって。すぐに良くなるって。今だけだって」

目からは涙を流しながら。

「……笑ってよ、こなた。アンタの隣にいるのは、世間体や学校の評判の方が大事で、妹がおかしくなっていくのを止められなかった、飛んだ馬鹿姉よ」

空虚な泣き笑いの声が、駅のホームに響いていった。


274 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/20(土) 22:28:51.03 ID:ZtvxhQDO
「かがみ、最低」

こなたの冷たい声が、私の声を上回って響いた。

「……って、言ったほうが、かがみんは気が楽になるのかな?」

「……え?」

こなたは優しい声で続けた。

「ダメだよかがみ。全部自分の責任だと思えば、自分を責めるだけだから楽だろうけど」

「……こなた?」

「責任はね、私にもあるんだよ。私もみゆきさんも、ホントはつかさの様子がおかしいこと、気がついてたんだよ」

どこが悪いの?と私に聞いて、言葉を濁された時にこなたが浮かべた失望の表情。

「ううん。責任なんて誰にも無いのかも知れない。風邪を引いた人に、『なんで風邪なんか引くんだ!』って怒る人なんていない」

こなたは話し続けた。

「それに、私もかがみと同じ……。つかさが、そんな病気だなんて、認めたくなかった」

こなたも、

「私にも、そういう病気に偏見があるんだよ。自分が偏見を持ってるコトを認めないと、それを治すこともできないんじゃないかなぁ?」

276 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/20(土) 22:42:28.12 ID:ZtvxhQDO
「もしも……」

私はヒック、ヒックと肩を揺らせて泣きながら、言った。

「もしも、つかさが家に帰ってきたら……私、どんな顔で迎えればいいの?」

「私にもわからないよ、かがみ」
こなたはちょっと淋しそうに言った。

「私はつかさの友達だけど……家族じゃない」

こなた?

「つかさが帰る家は一つだけ。かがみと、お父さんとお母さんとお姉さんがいる、あの家だけなんだよ」

私の家。私、柊かがみと柊つかさ。両親と姉達のいるあの家。

あの家は、まだつかさを迎えることができるんだろうか?

352 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/24(水) 02:03:02.65 ID:GOUaLwDO
「改めて、ゴメン、みゆき」

次の日の放課後、こなたの家。再び集まった三人。
私、柊かがみは、高翌良みゆきにキッチリ頭を下げた。

「や、やめてください、かがみさん」
みゆきが慌てたように、両手を体の前でブンブン振る。

「やっぱ素で可愛いなコノ人〜」ボソッと言うこなたを無視する。
「みゆきは私が知りたいことに答えてくれて、いっしょに心配してくれてるのに……私がバカだったわ」

「そ、そんな……私のほうこそ、かがみさんの気持ちも考えず、無神経な発言を」
「そう言えば」こなたが話に割り込む。
「たしかにかがみも言い過ぎだったけどさ〜、みゆきさんも昨日は妙にムキになってなかった?」

確かに――それは私も感じた。
「私、ムキになっているように見えましたか……」

みゆきがポツリ、と呟くように言った。

355 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/24(水) 02:18:57.65 ID:GOUaLwDO
「みゆきさんはお医者さん希望だから、悪く言われて気分良いはずないけどさ〜」
こなたが、手の小指で泣きボクロを掻くようなしぐさをする。

「……医師を目指しているから、こそ」
みゆきはなんとなく肩を落としていた。どうしたの?みゆき。
「本来なら、問題点を指摘して、解決策を考えていかなければならないのでしょうね……」

「も、問題点って、なに?」
私は慌てて聞いた。みゆきはメガネの位置を治して、少し気をとり治すように言った。
「かがみさんがつかささんのことを私達に教えてくださった日、私がお二人にした話を憶えていらっしゃいますか?」

えっと……。

「うん、日本の精神科に入院してる人の数とか、薬がよく聞くこととか」
私が答える。

「かがみさん、あの時変だと思いませんでしたか?」
「うん、みゆきにしては、話が回りくどいかなって……」
「実はあの時の話には続き……と言うより、裏があるんです」

357 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/24(水) 02:35:46.15 ID:GOUaLwDO
「みゆきの話に、裏!?」
私は驚いた。みゆきほど、話にウソや裏の無い人物を、他に知らなかったから。こなたもびっくりした顔をしている。

「あの時、私が話した内容を要約しますが」みゆきが続ける。

「まず、私達が精神障害を持っている方々に対する見方が誤りであること」

昨日の駅のホームでの、こなたとの会話を思い出して胸がチクリ、と痛む。

「疾患を持っている方が多い割りに、私達がその姿を周囲に見ないこと」

約33万人が入院している、だったかしら?

「最近の薬が劇的に効果を上げていること」

あの、難しい名前の薬のこと?

「これらの事柄は、共通項があります。実はあるキーワードを重ねることで、まったく別の問題点が浮かび上がるんです」

「あるキーワード……?」こなたが小さく呟く。

「ええ」みゆきが答える。
「差別と偏見、です」

358 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/24(水) 02:52:44.20 ID:GOUaLwDO
「差別と、偏見……」

私は一回、ギュッと目を瞑ったけど、やがて開いてみゆきを見つめた。
「わかってる……みゆき、私の中にも、それがあるの」
こなたも、珍しくマジメな表情でうなずいた。
「その差別と偏見を自分がもってることを認めて……それでもつかさのことが心配」
「私もだよ」こなたも言う。

「わかりました」
みゆきがコクリ、とうなずいた。

「今から私達の中にある、精神疾患をもっている方への差別と偏見の原因を、改めて確認しあいましょう。それが」

みゆきはニコッと笑った。
「今のつかささんのことを理解できる、一番の近道かも知れません」

359 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/24(水) 03:29:21.18 ID:GOUaLwDO
・・・・・・
あの恐くてつらかったベルトがわたしの体からはずされたのは、昨日の夕方ぐらいの時間だった。

「柊つかささん、もう、自分や他人を傷つけないようにしてくれませんか?」

と言う先生の言葉にうなずくと、点滴の針とオシッコの管が抜かれ、オムツとベルトがはずされ、私は久しぶりにお風呂に入れてもらった。

看護婦さんに裸を見られるのは恥ずかしい、と思ったけど、お風呂の中では一人にしてもらったし、第一ウンチした後お尻まで拭いてもらってるので、今さらだよね。

それより、全然体が思うように動かないことにビックリした。足がフラフラするし手も力が入らない。

縛られてた時、肘や膝を曲げさせられて痛くて泣いちゃったけど、あれはベルトをはずしたあと、すぐ動けるようにするためで、イジメてたわけじゃなかったんだ。

考えてみれば、携帯電話で話すために15分くらい肘を曲げてただけで、伸ばす時痛くなるんだから、当然かも。

私は久々にお風呂のお湯の中で、体を伸ばした。

うん、やっぱり気持ちいい。体が自由って最高。

360 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/24(水) 03:45:28.51 ID:GOUaLwDO
それから、保護室という今までの部屋から、二人部屋に移った。

「もう柊つかささんは、部屋に鍵をかけなくても大丈夫ですね」

って先生が言ってくれた。信用してくれてるみたいで、ちょっと嬉しいかも。えへへ。

いっしょのお部屋にいたのは、あきらちゃんという、私より年下なかんじの、可愛らしい子だった。

「私、柊つかさっていうの。よろしくね、あきらちゃん」

って私がニッコリ笑って手を出したら、バチンと払われてプイって横を向いちゃった。照れ屋さんなのかな?

その時、看護婦さんがテレホンカードをもってきた。

「はい、柊つかささん。あなたのカードですよ」

え?

「ナースセンター前の公衆電話から、好きなところに掛けられますよ。あまり使いすぎないでくださいね?」

可愛い子猫さんがプリントされたカードを見つめた。テレホンカードで電話掛けるなんて、何年振りだろう?

361 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/24(水) 03:57:54.82 ID:GOUaLwDO
私はトコトコとパジャマ姿のままで廊下を歩いていった。

途中ですれちがった他の患者さんはみんな女の人で、年上みたいだった。未成年なのは私とあきらちゃんだけみたい。

公衆電話の前にいくと、なにか大きな張り紙があって、
「え〜と、あなたの処遇に納得の行かない時は……」

ナントカ精神医療審査会とか保健福祉課とか人権擁護課とか、電話番号が色々書いてあるけどなんだか難しくてわからないや。

私は受話器を上げて、テレホンカードを電話機に入れた。

最近は携帯に登録するだけなので、直接番号をプッシュするのは久しぶりだし、それに何より番号が思い出せない。

私は必死で、今一番話したい人の電話番号を思い出そうとした。

363 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/24(水) 05:00:06.96 ID:GOUaLwDO
・・・・・・
「日本で初めて精神疾患の方に関する法律ができたのは、1900年、明治33年です」

みゆきの講義が始まった。
「その法律の名前も、『精神病者監護法』」床の上の紙にペンで字を書く。

「ん?『監護』?『看護』じゃなくて?」
私はすぐにみゆきに質問した。

「そうです。この法律は治療のため、というより、患者さんの監督・保護を前提としたものだったんです。主に『私宅監置』と呼ばれていたようですが」

あー、とこなたが妙な声を出した。
「座敷牢ってヤツ?」
「泉さん、なぜ御存じなんですか?」
「……内緒」
私から飛ばしたガンが届いたらしく、こなたはそれ以上話を発展させなかった。

「とにかく」みゆきは気を取り治す。「その後も1919年、大正8年に『精神病院法』ができて、各県に公立精神科病院の設置が制度化されました」

「それはうまく行ったの?」
「残念ながら」
私の問いに、みゆきは首を振った。

「地方自治体の予算不足のために進まなかった、と記録にはありますが」

「……そんなはずないわよね。一般の病院はちゃんと建ててるんだもの」
私は言った。

「はい……すでに、精神疾患に対する差別が、ここでも現れているようです」

364 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/24(水) 05:40:49.96 ID:GOUaLwDO
「第2次世界大戦後……敗戦後、新憲法の元、1950年、昭和25年に『精神衛生法』が制定されました」

みゆきの講義が続く。
どうでもいいけど、西暦だけのほうがわかりやすいのは私だけだろうか?大正とか昭和と言われるとピンと来ないし、数字がややこしい。

「主な内容ですが、初めて適切な医療・保護を提供するためのもの、と言われていますが」

みゆきは一旦言葉を切る。

「精神疾患となった人にレッテルを貼って、精神科病棟という別世界に閉じ込め、自分たちの安全や安心を得るのを目的としている点では、以前の監護法と根本的な主旨は変わっていません」

「さすがに、まさか……」
こなたが呆れたように言う。

「いいえ、社会の安全を優先するこの政策……『社会防衛策』と言われますが、この方針は監護法制定100年以上たった今でも生き続けている、と言われるほどです」

私も二の句が告げなかった。100年以上前の、亡霊のような法律が、今現在を生きる人間の生活を縛っている?
そんなこと、有り得るのだろうか?

403 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/27(土) 22:03:38.12 ID:Hq9D3UDO
私は軽く頭を振った。
「百年前の法律と、先入観だけで心の病気を忌み嫌ってただなんて……私、バカだった」

するとみゆきは私の方を向いた。メガネが電灯に反射して、表情が読めない。
「かがみさん、それは違います。精神障害を率先して差別の対照にしていたのは、むしろ行政と医療です」

「『社会防衛策』とかだっけ?」
こなたが首をひねって言う。

「でも、お医者さんや病院で働いている人たちは、私達みたいな偏見は無かったんじゃないの?」

するとみゆきは、少し苦し気に言った。
「それも少し違います。……かがみさん、泉さん。ある大きな事件をきっかけに、それまでの政策や法律、ひいてはその国そのものが世界中の国々から非難を浴びる。そんな事があることをご存知ですか?」

私とこなたは顔を見合わせた。

「……みゆき、そんな例を知ってるのね?」
私は恐る恐る聞く。なぜだろう、嫌な予感がする。

「1983年の、いわゆる宇都宮病院事件がそれです。国の内外から日本の精神科医療に対する批判が集中し、結果として当時の精神衛生法が、人権尊重を基本とした精神保健法に改正されるきっかけとなった事件です」

408 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/27(土) 22:17:45.38 ID:Hq9D3UDO
「宇都宮病院、事件?」
私は聞いた事がない。
「なに?どんな事件?」
こなたも興味を抱いたようで、みゆきに聞く。

「……法に触れた問題だけでも、たくさんあるのですが」
みゆきは相変わらず苦し気だ。
「無資格者による検査・診療、極端な医師・看護師不足、患者の使役、通信・面会の自由の剥奪、不必要な強制入院」

自分の顔が青ざめていくのがわかる。

「不正経理、知事の認可を得ない施設の使用、脳の違法摘出、人件費の水増しによる所得隠し」

あのこなたすら、絶句している。

「そして看護職員による入院患者リンチ殺人事件……これらを総合して、通称『宇都宮病院事件』と呼ばれるようです」

私達三人の間を、寒々しい空気が支配した。
みゆきの発した言葉は、その響きだけですら忌まわしく聞こえた。

「特に、入院患者リンチ殺人事件の概要なのですが」
喋るみゆきですら、辛そうだった。

411 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/27(土) 22:31:24.56 ID:Hq9D3UDO
1983年、32歳の統合失調症の入院患者を三名の看護助手と一名の入院患者が死に至らしめたこの事件は、日本の精神医療の後進性を世界中に知らしめました。

その日の夕食を、「食欲がない」と食べなかった、ただそれだけの理由で、本来自分を守るべき看護職員に暴行され、最終的に亡くなってしまう。こんな事件がほんの二十数年前にあり、しかもそれを現在ほとんどの方が記憶していない。

私はこういった日本の精神風土こそが、精神医療の問題、ひいては疾患や障害に対する差別に繋がっているように思えてならないのです。

413 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/27(土) 22:47:19.77 ID:Hq9D3UDO
みゆきの言葉を、私とこなた、二人は声も無く聞くしかない。

「その看護職員も、最初は単なる注意のために殴打したようですが」
みゆきは感情を殺した口調で話すが、そもそも注意のために人を殴るという論理が、私には理解できない。

「手を握って殴ろうとするのを止められたり、逃げる被害者を追う時に転んで、他の患者の見ている前で恥をかかされた、と感じ、段々と暴行がエスカレートし」
こなたがドン引きした表情をしている。

「金属製のパイプで殴打、倒れたところへの踏みつけ、ベッドからの蹴りでの転落等から、外傷性ショックにより死亡させ、傷害致死により有罪となりました」
みゆきが吐き棄てるように話す。初めて聞く口調。

「詳しい暴行の内容は言いたくありません……お二人も概要だけでよろしいかと思います。あまり気分の良い話ではないですから」

ハラガヘッテハラガデル〜♪

その時、いきなり私の携帯の着信音が鳴り、飛び上がるほど驚いた。

415 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/27(土) 22:55:26.78 ID:Hq9D3UDO
「ご、ごめん」私はアタフタと携帯を取り出そうとした。
「腹が出る、じゃなくて腹立てる、じゃなかったっけ?」
と呟くこなたも、
「お気になさらず」
と笑うみゆきも、あまりに残酷な話から一時的にでも離れられる、という安心感からか、なんとなく安堵した感じだった。

「あら?」
ボタンを押す直前で切れた。
こなたが「誰から?」と聞いた。

「ん?公衆電話、だって」
私は画面を見て言う。

「どなたなんでしょう。かがみさん、心当たりは?」
みゆきが聞いた。

「さあ……誰なんだろう」
私には検討もつかなかった。

418 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2008/12/27(土) 23:15:51.39 ID:Hq9D3UDO
・・・・・・
私は公衆電話を切った。

足がフラつき、耳がガンガン鳴る。目がよく見えない。

なんとか、さっき案内された二人部屋に入って、ベッドに倒れるように横になった。

「……?」
隣のベッドでイヤホンをつけて音楽を聞いていた、あきらちゃんが怪訝そうな顔を向けた。

「あ、ゴ、ゴメンね。音、うるさかった?」
えへへ、と笑う私に、あきらちゃんは言った。

「……大丈夫?アンタ、顔真っ青だよ」
大丈夫じゃなかった。
ナンバーを押して、電話の呼び出し音が聴こえただけで、急に心臓がドキドキしだして、変な汗が出始めた。
一番早く会いたくて、声を聞きたい、はずの、双子のお姉ちゃん。
どうして私、電話を切っちゃったの?

結局、公衆電話に忘れたテレカを看護婦さんが届けてくれたけど、その日は誰にも電話はしなかった。

517 名前:A HAPPY NEW YEAR 2 0 0 9 ! sage 投稿日:2009/01/01(木) 21:03:00.96 ID:j4ZgKQDO
・・・・・・
「……ありがと、みゆき」

私は携帯を片付けながら言った。
「つかさが入院してすぐにそんな話聞いてたら……私、耐えられなかったかも」

こなたも口をへの字にしてうなずく。もっとも猫口かへの字口か、こなたの表情のパターンは意外と少ない。
「みゆきさんにしては、な〜んか奥歯に物が挟まったような話し方だと思ってたよー」

みゆきは、なんとなく肩の荷が降りたような雰囲気だった。
「とにかく私達が、精神障害を持つ方に対する偏見がどのように植え付けられてきたか、大体おわかりになられたと思います」

「それが第一の疑問の答え、ね」
私はスカートの裾を直しながら言う。

「で、第二の疑問。なぜこれほどありふれた病気なのに、身の周りに見ないのか」

「かがみさん、もう答えは半分わかってますね?」
みゆきは出来の良い生徒を褒めるような口調で言う。

「思っていらっしゃる通り、隠すからです。疾患にかかった方も、その家族も」

「……私がそうだったように。恥ずかしい事だと思い込んで、ね」
私はため息をついた。
「そんな偏見を持つ方が恥ずかしいのにね……」


518 名前:A HAPPY NEW YEAR 2 0 0 9 ! sage 投稿日:2009/01/01(木) 21:05:21.14 ID:j4ZgKQDO
「んん?」
こなたがまた首を傾げた。長い髪が床につく。少しまとめればいいのに。

「みゆきさん、半分ってことは、他にも原因はあるってこと?」

「はい……」みゆきは、横座りしている膝を、少しずらせた。床に直接座るような、お行儀の悪い真似は慣れないのだろう。
そう言えば、みゆきがこなたの家に来るのも珍しいと言えば珍しい。

「前回や今日も少し触れましたが……日本は基本的に、精神障害者に対して隔離政策をとってきました」
「社会防衛策、ね」
「はい。その結果、どのような事態が生じたかというと……社会的入院の増加です」

「社会的入院?」
聞き慣れない単語に半分あきらめ顔になっているこなたが、それでも疑問付を挟んでみゆきの話を促す。
「なに?ソレ」

「つまりですね……」
みゆきは頬にかかる髪の毛を、うるさげに後ろに流す。
「インスティテューショナリズムという新しい病気を、病院や行政が作りだしてしまったんです」

「イ、インシュ……はぁ!?」
こなたが面食らった声を出した。
私からすれば、普段こなたが話すエヌマ・エリシュがどうとかギルティギア・イグゼクスがこうとかと同じ『ワケわかんない』の一言だけど。

「以前はホスピタリズムとも呼ばれていましたが……要するにあまりに長期に入院した結果、受け身で依存的、役割や位置の固定化、個別性の喪失などを引き起こし、結果、社会に出ようという意欲を無くさせる人格変化です」
みゆきは一息ついた。

「日本語では『施設症』、あるいは『収容所症候群』とも呼ばれるようですね」

「収容所……」

私もこなたも、ただ呆れることしかできなかった。

519 名前:A HAPPY NEW YEAR 2 0 0 9 ! sage 投稿日:2009/01/01(木) 21:07:54.87 ID:j4ZgKQDO
・・・・・・
「柊つかささん。ご自宅には電話なさらなかったんですか?」

看護婦さんが私に聞く。

「あのう、ちょっと……えへへ」

私は力なく笑う。

「拘束が外れたことや面会が自由になったこと、病院の方から連絡しておきますね?」

腕を、足を、お腹を縛るベルト、鼻に、オシッコの穴に通された管。一滴一滴と、落ちる点滴。おまるにしたウンチ。

めんかい。面会。メンカイ。
誰と?お母さん。お父さん。いのりお姉ちゃん。まつりお姉ちゃん。お姉ちゃん。助けてって言ったのに。帰りたいって言ったのに。

「……柊さん?どうしたんですか?」

マクラに顔を押し付けてる私を、看護婦さんが心配そうに見ている。

「えーっと、……なんでもないです」
えへへ、と無理に笑顔を作った。

「もし気分が悪いなら、お薬がありますから、ガマンしないで言ってきてくださいね?」

はい、と私が言うと、看護婦さんは心配そうな顔をしながら病室を出ていった。

「……アンタもアレ?SMルームで拘束プレイされたクチ?」

その時、同じ部屋のあきらちゃんが声をかけてきた。
後から思うと、この時の私はあきらちゃんを心配させるほど様子が変だったのかな。

571 名前:A HAPPY NEW YEAR 2 0 0 9 ! sage 投稿日:2009/01/04(日) 21:39:29.05 ID:LhJfIADO
これがきっかけなのかな?私とあきらちゃんは初めてお話しするようになれた。

「え〜っ!あきらちゃん、アイドルなの!?凄い、凄い!私、芸能人の人、生で見るの初めて〜!」

「アンタ、声が大きいって…」
あきらちゃんは苦笑いした。
「アイドルって言ったって、ラジオのパーソナリティとか、グラビアにちょこっと出てるだけだよ」

あきらちゃんは小さくて整った横顔を私に見せながら言った。

「えっと、えっと〜、後でサインちょうだい?」
私の言葉に、あきらちゃんはチラッとこっちを見たあと、フンと鼻を鳴らして「気が向いたらね」と言ってくれた。

それから、お互いなぜ入院することになったか、という話になった。

572 名前:A HAPPY NEW YEAR 2 0 0 9 ! sage 投稿日:2009/01/04(日) 21:41:13.64 ID:LhJfIADO
「私はね、その、いつの間にか天井と壁の間から声が聴こえるようになって、毒を入れてやるとか言われて……」
「ははん、典型的なアレじゃん」
あきらちゃんは人指し指でコメカミを指して、クルクル回した。

「で?そのデンパまだ聴こえてるワケ?」

「……ううん、あの、ベッドの上で縛られて、点滴とか、お鼻からの管みたいなのからお薬入れてもらったら、聴こえなくなった」

私はその時のことを思い出した。なんだか、胸の中がモヤモヤする。お母さんやお姉ちゃんたちの顔が頭をよぎる。なんだろう?コレ。

「……あきらちゃんも、同じコトされたの?」

私は頭を振って、あきらちゃんに聞き返した。

「アタシは経験ない。聞いたことはあるけどね」
あきらちゃんはあっさり言った。

「ここはアンタやアタシみたいな未成年専用の病室みたいだからね。いろんな話は聞くよ」
あきらちゃんは私より年下で、中学生なのに、私よりよっぽど大人びた喋り方をする。やっぱりアイドルさんなんだなぁ。

「それで、あきらちゃんはどうして入院してるの?」
私は聞いた。そしたら、今までちょっと笑顔だったあきらちゃんの顔が、急に不機嫌そうになった。

573 名前:A HAPPY NEW YEAR 2 0 0 9 ! sage 投稿日:2009/01/04(日) 21:42:56.08 ID:LhJfIADO
「医者は適応障害とかどうとか言ってたけど、どうだか」

あきらちゃんは刺々しい声で言った。顔は可愛いのに、なんだか言葉使いが荒い子だと思った。

「元々この病院には、SとかLとかペケ食べた後、潰れた時のためのタマジャリ目当てで通ってたんだよ。派手にやり過ぎたのは間違いないけど、絶対事務所がほとぼり冷ますためにチクッたんだよ」

あきらちゃんが怒ったように早口で言う単語が、全然わかんない。

「ん〜、えっとぉ……潰れるとか、玉……砂利?ってなんのこと?」

「だからバッドになったり、キメ過ぎてヤバい時とかに、クリーンにするために寝て過ごすための眠剤……」

そこで急に言葉を切って、あきらちゃんは私の顔をジロジロ見た。なんだかわからないけど、恥ずかしい。

「……アンタさぁ、トシいくつなワケ?」

「私?えっと、18だよ」

「ふぅん……平和に生きてきたんだねー」

あきらちゃんは笑った。
言葉はなんとなく皮肉っぽいけど、声や表情はどこか気弱な感じだった。

「あきらちゃんは私より年下なのに、アイドルだし可愛いし物知りだし、凄いね!」

私の言葉に、あきらちゃんは

「……それはどうも」と苦笑いした。

やっぱりその笑みも気弱げで、初めてあきらちゃんが年相応の、年下の女の子に見えた。

575 名前:A HAPPY NEW YEAR 2 0 0 9 ! sage 投稿日:2009/01/04(日) 21:45:04.83 ID:LhJfIADO
その時、看護婦さんが寝る前のお薬を持ってきたので、あきらちゃんとのお話しもそこで終わった。

寝る前のお薬は丸くてピンク色で、さっきあきらちゃんが玉とか砂利とか呼んでた理由がなんとなくわかった。

「九時消灯って幼稚園児かよ」とあきらちゃんがブツブツ言ってるうちに、病棟全体が暗くなった。私はあきらちゃんにおやすみを言った。返事はなかった。






女の子の、泣き声が聴こえる。

押しころしたような、でもとても悲しそうな泣き声。

お母さん、どうして迎えにきてくれないの?

私、独りぼっちは嫌だよ。

お母さんは私のこと、もう好きじゃないの?


その泣き声は、私のモノのようでもあり、

隣のベッドのあきらちゃんのモノのようでもあった。

577 名前:A HAPPY NEW YEAR 2 0 0 9 ! sage 投稿日:2009/01/04(日) 22:14:35.12 ID:LhJfIADO
・・・・・・
「……聞けば聞くほど、とんでもないわね」
私は額に指先を当てながら言った。

「でもさぁ」こなたが新しい紅茶のペットボトルで、カップに注ぎながら言う。
「そんな風に、長い間入院してるのが問題だってわかってるなら、なんか対応するもんなんじゃないかな?」

「そうですね」どうも、とこなたに礼を言ってから紅茶を一口飲み、みゆきはうなずいた。

「国は2002年に、社会的入院患者72000人を10年以内に退院させるプランを目標に掲げ、2004年の『改革ビジョン』では、7万床の精神病床削減を決定しました」

「ようやく、国も動き出した……」
私の声を、みゆきは遮った。

「いえ、これは単に医療費の削減を目的としている、と指摘する人もいますね」

「ん?どゆこと」
こなたが今日何度目かの質問をする。

「つまり……医療保険の財政が厳しくなった結果、精神病棟に入院させていても、今までのような診療報酬が出なくなった。だったら退院させて通院してもらったほうが国の負担が少ない、というカラクリですか」

私とこなたは、また黙り込んでしまった。

580 名前:A HAPPY NEW YEAR 2 0 0 9 ! sage 投稿日:2009/01/04(日) 22:34:13.46 ID:LhJfIADO
「……みゆき、いくらなんでも、それは……」

少し辟易している私に、みゆきは「いいえ」ときっぱり言った。

「以前話したライシャワー事件の後、当時の厚生省はWHOからD・H・クラーク博士を招き、日本の精神医療の問題点を指摘してもらおうとしました」

確か……アメリカの駐日大使が襲われた事件、だったっけ?

「ところが、クラーク博士は、厚生省の予想外な結論を出したんです。『入院患者を減らし、どんどん社会に出さないと、病状も悪化し、国の財政にも影響を与える』と」

へえ、とこなたが感心したように声をあげた。

「すごいねそのナントカ博士、40年後のことをピタリと当ててる」

あれ?と私は首を捻った。

「みゆき、前に聞いた時は、その事件の後、精神科の病棟は増えたって言ってなかった?」

「よく憶えていましたね、かがみさん」

みゆきが微笑む。

「その通り、クラーク博士の結論……『クラーク勧告』とも言われますが、厚生省は完璧に無視しました。クラーク博士がイギリス人であることから、『斜陽の国から学ぶ事など何もない』と言われた役人の方がいるとかいないとか」

みゆきの言葉は皮肉に響いた。

「日本も斜陽の国になって初めて、身に染みた事でしょうね。クラーク博士の言葉が」

582 名前:A HAPPY NEW YEAR 2 0 0 9 ! sage 投稿日:2009/01/04(日) 22:48:40.76 ID:LhJfIADO
こなたがホールドアップされたように両手を上げた。

「え〜と、みゆきさん?」

「あ、し、失礼しました」
みゆきが顔を赤くする。また話が脱線気味なことに気づいたらしい。

「ええと、三番目の話題ですが……」
「薬が格段に効くようになった、でしょ?」

私が先回りして言う。

「それに関しては、別段悪いことがあるとは思えないけど」

「それなんですが……」みゆきの口が重くなる。

「急激に精神症状が改善することを、私は以前『目覚め現象』と言われると説明しましたね?」

「聞いたけど……?」

「あまりに急激に現実を取り戻した患者が、自分を取り巻く環境に絶望し、不安定になり、中には死を選ぶ方まで出る……それが本当の『目覚め現象』なんです」

自分を取り巻く環境に、絶望……。

気がつくと、私もこなたも、みゆきも黙り込んでいた。

586 名前:A HAPPY NEW YEAR 2 0 0 9 ! sage 投稿日:2009/01/04(日) 23:06:19.59 ID:LhJfIADO
「ただいま〜」

こなたの家を出て、駅で二人と別れた私は、自宅の玄関を開けた。

「あ、か、かがみ!?」

靴を脱ごうとしている私に、奥から出てきたお母さんが、慌てたように話しかけてきた。

「……どうしたの?お母さん」

「あの子がね……つかさが、点滴抜けて、普通の病室に出れたって」

「え?ほ、ホント!?」

思わず靴を脱ぎ散らかして、お母さんの近くに行く。

「今日の夕方に移ったって。電話も自由にできるらしいわ。先生から連絡があったの」

お母さんはまた涙ぐんでいる。当然だ。つかさが良くなったのだから。

でも私は、お母さんの言葉に引っ掛かるものを覚えた。

「……電話?」

「ええ、今までも手紙は書けたけど、テレホンカードも渡して、電話も自由に……どうしたの?かがみ」

携帯電話を取り出して見つめる私を、お母さんは不思議そうに見ていた。

「……お母さん、つかさから家に電話はあった?」

「それは、まだだけど。きっと疲れてるのよ」

お母さんの声を上の空で聞きながら、私は携帯の着信履歴の『公衆電話』という文字を見ていた。

589 名前:A HAPPY NEW YEAR 2 0 0 9 ! sage 投稿日:2009/01/04(日) 23:33:54.00 ID:LhJfIADO
・・・・・・
「うぅ……眠い……」

私は目を袖でコシコシ擦りながら、朝食のパンをかじっていた。
昨日看護婦さんから聞いた、ここの病棟の……なんだっけ、オリエンテーション?の内容を思いだそうとする。

6時起床。洗面。
7時朝ごはん。
9時過ぎに熱とか測って、その後自由時間。

でもいきなり寝坊して、起きたのは8時過ぎだった。慌てすぎて、学校に遅刻しちゃう!と一瞬思ったくらい。

この病棟は看護婦さんも患者さんも女の人ばかりだ。

その中でも私やあきらちゃんのような子供は特別らしい。朝ごはんはいくら遅れても、捨てずに取っておいてもらえるみたい。最初に言ってくれたら慌てずに済んだのに。

「あきらちゃんは、朝は食べないのかな……」

食堂で一人でパンを食べながら呟く。

木のイス。木のテーブル。大きい窓。明るい照明。

落ち着いて改めて見た精神科の病棟は、なんだかどこかの寮みたいな雰囲気だった。

ただ、ソファに座って本を読んだり、編み物をしている人達……私と同じ、入院している女の人達は、どこか……なんて言うか、『色』が薄いように感じた。

「……なに考えてんだろ、私」

色ってなんだろう。なんだか以前みたいに、自分のことでいっぱいいっぱいじゃないためか、気がつくと他人を観察している。

「勝手に見てちゃ失礼だよね……」

私はパンを呑み込み、手をパジャマの胸ポケットに当てた。

堅くて薄い、テレホンカードの感触。

590 名前:A HAPPY NEW YEAR 2 0 0 9 ! sage 投稿日:2009/01/04(日) 23:58:38.07 ID:LhJfIADO
あきらちゃんが起きてきたのは、もう10時近くだった。

「う〜……」

大きめなパジャマは袖がだいぶ長くて、手がほとんど隠れている。

その袖で目を擦りながら、食堂までフラフラ歩いてきた。あきらちゃんは私以上に朝に弱いみたい。

「おはよう。あきらちゃんは朝ご飯食べないの?」

「いらない……」

ちょっとガラガラした声で、私の向かいの席に座り、テーブルに突っ伏した。

「大丈夫?あきらちゃん。無理しないほうが……」

あきらちゃんはちょっと顔を上げて、私を上目使いにギロッと見つめた。

「今日は無理しなきゃダメなんだよ……買い物があるんだから」

「買い物?」

「病院の中の売店まで、病棟から出て歩いて行けんの」

「ふ〜ん。あきらちゃん、そんなに買いたいモノがあるんだ〜」

「……アンタ、えっと、柊つかさって言ったっけ?」

「あ、うん!名前覚えてくれたんだね」

あきらちゃんはテーブルに顎を乗せるみたいな姿勢で、私を上目使いに見ながらニヤッと笑った。

「売店なんかより、外に出られることに意味があんのよ。アンタ、いっしょに行く?」

なんだかその笑顔は悪くて、でもイタズラっぽくて可愛かった。

591 名前:A HAPPY NEW YEAR 2 0 0 9 ! sage 投稿日:2009/01/05(月) 00:19:06.05 ID:1pX2UEDO
看護婦さんが一人付き添ってくれて、病院の中の売店まで行けるのは11時過ぎだった。

「柊つかささんは初めてのお買い物ですけど、何か質問はありますか?」

「はい!えっと、お菓子は売ってますか?」

私の言葉に、看護婦は笑ってうなずき、あきらちゃんは呆れたように肩をすくめた。

病棟のエレベーターの前で看護婦さんが何かのカードをカードリーダーに差し込むと、扉がチン、という音といっしょに開いた。

看護婦さんとあきらちゃんと私、三人が乗ると、エレベーターは一階に降りた。

「うわ……」

扉が開いた時、私は思わず耳を押さえた。

たくさんの人、人、人。

外来の患者さん。つきそいの人。お見舞いの人。入院しているらしき人。

なんともない普通の病院の風景なのに、色と音と声の洪水の中にいきなり放り込まれたみたいだった。

「大丈夫ですか?柊つかささん」

心配そうに私の顔を除き込む看護婦さんを安心させるように、笑顔を作ってみせた。

エレベーターから少しあるいた所に、売店があった。患者さんもお医者さんも家族の人も看護婦も、みんな平等にレジに並んでるのが、なぜかおかしかった。

592 名前:A HAPPY NEW YEAR 2 0 0 9 ! sage 投稿日:2009/01/05(月) 00:43:12.35 ID:1pX2UEDO
売店の中は、コンビニとまではいかないけど、品揃えはかなり豊富だった。

私はポッキーと、きのこの山と、シュークリームを持ってレジに並んだ。

普通のこと。特別じゃないこと。

それが、とても楽しい。

私はいつの間にか笑顔でレジのお姉さんに挨拶していた。

あきらちゃんは澄ました顔で、ダイエットコーラやガムを買っていた。

「じゃあ品物を持って、帰りましょう」

「は〜い!」

私達は看護婦さんの後ろにくっついて、エレベーターまで歩き始めた。

「……?」

途中で、あきらちゃんが何か素早く動いたのが空気でわかった。

歩きながら振り向くと、あきらちゃんは澄ました表情のまま、舌をチラッと見せて、看護婦さんのほうを見た。

632 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/08(木) 02:17:43.61 ID:yi7tZQDO
・・・・・・
「……がみさん。かがみさん?」「お〜い、かがみー」

「……え?」

我に返ると、私はみゆきとこなたに呼び掛けられていた。

場所は学校。時間は昼休み。行為は昼食。私はテンプレートに状況を確認する。

「ああ、ゴメン。ちょっと考え事を、ね。」

「でもさすがに、お弁当のオカズがチクワだけってのは無いと思うよ……」
こなたが本気で同情してるような声で言った。うっさい。

「ねえ、みゆき」
私は相変わらず手の込んだお弁当をつついているみゆきに声をかけた。

「なんですか?かがみさん」笑顔で聞き返すみゆき。

「その……病院の中って、電話とかあるのかな?」

みゆきの笑みが困惑に変わる。こなたも驚いた顔になる。

昼休みの3年B組の教室。周りにはクラスメイト。確かにふさわしい話題じゃない。

「あのぅ……つかささんがいる所、ですよね?」
「うん」

主語の無い会話は本来好きじゃない。でも最近の私達は、他人の中での、こういう会話に慣れてきた。

良い事なのか、悪い事なのか、わからないけど。

633 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/08(木) 02:42:47.41 ID:yi7tZQDO
「通信と面会は基本的に自由なはずです」
みゆきが当たり障りのない表現を選ぶように、ゆっくりと喋る。

「封書や小包の場合、危険な物が入っていないか、本人立ち会いの元で開封する場合もあるようですが」

「……」

「電話や面会は『病状の悪化を招き、あるいは治療効果を妨げる』ことが予想される場合には制限される事もあるようですけど、」

「……」

「人権擁護に関する行政機関の職員や弁護士との電話や面会は」

「……そうじゃなくてね」

私は、自分でもなんとなくボンヤリした声で、みゆきのトリビアを遮る。

「病院の中に、公衆電話って、あるのかなぁって」

「……ありますよ」

みゆきは、言葉の内容より、私の口調の弱さに驚いたようだった。

「公衆電話は自由に利用できる場所に設置することが義務づけられています。携帯電話も使用できる所もあるようですが」

私は自分の携帯の着信履歴を見る。

『公衆電話』。ほんの5秒間だけ鳴って、出る前に向こうから切られた。

単なる間違い電話。ワン切り。イタズラ。多分、そう。

でももし、これがつかさからの電話だったら?私に一番に電話して、出る前に切った理由は?

食欲を無くして携帯電話を見つめる私を、こなたとみゆきが不安気な目で見ていた。

635 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/08(木) 03:45:55.27 ID:yi7tZQDO
・・・・・・
お昼ご飯を食べて少し休んだあと、私は先生に呼ばれた。診察っていうのかな。

「柊つかささん。食欲はありますか?」

「はい。あのぅ、お昼ご飯のあと、オヤツ食べちゃいました」

「ああ、今日買い物に行かれたんですね」

「はい!あの、あきらちゃんと」

「同室の方ですね。仲良くできてますか?」

「うん、はい、あの、タレントさんといっしょなんて嬉しいです」

「例の声や、毒を入れられてるような感じはどうですか?」

「……全然。声が壁から聞こえるわけないし、毒なんて入れられるわけないし……」

なんだか、急に怖くなってきちゃった。

「先生、もうあの声とか、毒を入れられるような気になること、ないですよね?」

「多分大丈夫でしょうね。今はお薬で抑えてますが、その内飲まなくても平気になると思いますよ」

「……よかったぁ」
ちょっとホッとした。

「柊つかささん、昨日テレホンカードもらってますよね。家族の方に電話しましたか?」

ドキリ、とした。

「えと、あの、まだ……」

「そうですか。近々措置解除を行いたいので、出来ればその前に御本人と家族の方と、いっしょに面談したいんですが」

「……」

「病院の方で日取りや時間を設定しちゃっても良いですか?」

「……」

お母さん、お父さん、お姉ちゃん、いのりお姉ちゃん、まつりお姉ちゃん。

私の家族。家で待ってる。私の、何で助けてくれないの?私を見つめる目、何か別な人を見るような、痛かったのに、怖かったのに、寂しかったのに、どうして「柊つかささん?」


気がつくと、うつむいて自分の膝をギュッと握っている私を、先生や看護婦さんが心配そうに見ていた。

636 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/08(木) 04:05:07.01 ID:yi7tZQDO
「……あぅ〜、、」

なんとか自分の病室まで歩いてくると、ベッドの上にバフッと倒れ込んだ。

隣のベッドでイヤホンをつけて、座りながらマンガを読んでたあきらちゃんが、チラッと私の方を見る。

「あ……ごめんね、またうるさくしちゃって」

私はベッドの上でうつ伏せのまま、顔だけあきらちゃんに向けて、えへへ、と笑った。

「……」
あきらちゃんはマンガの本をパタンと閉じてイヤホンを耳からはずした。

「……また顔色悪いし。医者に何か言われてるワケ?」

言い方はつっけんどんだけど、要するに心配してくれてるみたい。

「……あきらちゃん、私、変なんだぁ」

「だから入院してるんじゃん」

「うん、えと、そうなんだけど、それと違くて」

なんて言えばいいんだろう?

「あのね、お母さんとかお姉ちゃんとかに、会いたいのに、会いたくないってゆうか、ん〜、なんなんだろ?」

あきらちゃんは何だそんな事、って顔をした。

「そりゃアンタ、無理矢理入院させられて、家族のコト嫌いになったに決まってるじゃん」

……私が?お母さんやお父さんや、お姉ちゃんたちを嫌いになった?

「そんなこと……」「絶対無い?」
あきらちゃんは私の目を覗き込むようにして、言った。

「アンタを病院に引き渡して、酷い目に合わせたアンタの家族を、全然恨んでないワケ?」

638 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/08(木) 04:19:08.51 ID:yi7tZQDO
「……病院に来たのは救急車でだし」

『危ないわよ、つかさ!』
私を道路に押さえ込むお姉ちゃん。

「私も変になってたし」

『私も入院した方がいいと思う』

『眠っていただいてから入院して』

うなずくお父さん

「わ、私も暴れて、」

看護婦さんに抑えつけられる私を、ただ見ていた目

「だ、だから、だからみんな、私のことをかんがえて」

縛られて動かない体 一滴一滴落ちる点滴 関節が痛くてオシッコの穴が痛くて、でも助けてくれなくて

違う違う、私が悪いんだ。私が変だったから治すために入院したんだ。
お父さんは悪くない お母さんもお姉ちゃんも


汗を流して頭を手で押さえている私を、あきらちゃんは冷静な表情で、ただ見ていた。

757 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/18(日) 23:17:08.41 ID:npt0m.DO
・・・・・・
「普通の病室へ移った?」

「つかささんが?もう大丈夫なんですね?」

つかさの病状を伝えると、こなたとみゆき、二人は嬉しそうな声をあげた。

今は放課後。私、柊かがみと、こなた、みゆき。三人で駅へ向かう帰り道。

普段は委員長であるみゆきは少し帰りが遅れるのだけど、最近は私とこなたと時間を合わせて駅まで歩くのが日課になっている。

「じゃあさぁ、かがみ、つかさから直接連絡あった?」

こなたが、一番聞いて欲しくないことを、あっさりと聞いてきた。

「連絡は……無いけど」

私の曖昧な口調に、みゆきが眉をよせる。

「で、でも、私が帰ったら、家族みんなで見舞いに行くのよ!」

「へ〜、よかったねぇ。私も行きたいけど……」

こなたが残念そうに言う。
「今日はみゆきさんとの勉強会も無しだねー」

こなたと私が顔を向けると、みゆきはどこか上の空な感じで歩いている。

「……どうしたの?みゆき」

私は思わず声をかけた。

759 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/18(日) 23:20:07.24 ID:npt0m.DO
「いえ、なんでも……」

みゆきは笑顔で返事を返す。
だけど、その笑顔は努力して作っているのがわかる。

「……みゆき、言いたいことがあったら、遠慮なく言ってほしいんだけど」

声に出してから、口調のキツさに自分でも驚いた。こなたもギョッとしたように私を見上げる。

「言いたいこと、ですか」

みゆきは困ったように、メガネの位置を直した。まるで時間を稼ぐみたいに。

「かがみさん、スティグマという単語をご存知ですか?」

みゆきは曖昧な、自信無さげな声で話しだした。珍しい。

「スティグマ……?」
「聖痕、って意味だったよーな」

こなたが脇から答えてくれた。相変わらず妙な横文字には強いな。

「聖痕?」
「キリストが十字架に磔になった時、手と足についた傷のことだよ」

実際は手首と足首らしいけど、と付け加える。みゆきもそうだけど、こなたもなんでそんなこと知ってるんだろう?

「意味はわかったけど……」
話の脈絡が掴めない。

「つまり、ですね」みゆきが説明を続ける。

「精神状態が悪化している方は、普段からは考えられないような言動や、時には暴力、犯罪的なことまで、一時的に家族の方に見せてしまう場合もありますよね?」

「あ……」

『大嫌い!!』
『みんな、みんな死んじゃえぇぇぇぇぇッ!!』




761 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/18(日) 23:21:57.93 ID:npt0m.DO
「普段からは考えられない、身内の方のショッキングな言動から生じる家族共通のトラウマを、特にスティグマと呼ぶ場合があるんです」

みゆきの話は続いている。

だけど、私は半分も聞いていない。

「だいじょーぶだよねぇ、つかさに限って家の人にそんな風に……どしたの?かがみ」

『みんな、私のこと嫌いなんだ!』
『毒を入れてるんでしょ!?』

『助けてぇ!お姉ちゃあん!!』

違う、違う。私は本当は入院なんかさせたくなかった。前のつかさに戻って欲しかっただけ。元の素直で優しいつかさに。

『お姉ちゃんの嘘つき!!』

違うって言ってるじゃない!
私のせいじゃない。私が望んだことじゃない。

私は歩道の真ん中で立ちすくみ、膝をガクガクと震わせていた。

横からこなたとみゆきが何か一生懸命話しかけてたけど、聞こえなかった。


762 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/18(日) 23:23:58.31 ID:npt0m.DO
・・・・・・
『なんで僕らはみんなべつべつの人生を歩むようになるんだろうね?
つまりさ、君たちの場合でいえばだけど、同じ両親から生まれて、同じ家で育って、同じ女の子で、それがどうしてそんなにがらっと色あいの違う人格になってしまうんだろう?
一人は手旗信号サイズのビキニを着て、プールサイドでチャーミングにただ横になっていて、一人はスクール水着みたいなのを着て、水の中をイルカ並みに泳ぎまくっていて……』

ふあ、と私はアクビをして、読んでた本をパタリとフトンの上に置いた。

普段、あまり字だけの小説を読まないので、良い時間潰しにはならないみたい。せっかくあきらちゃんから本を借りたのに。

「つまんなかった?」

隣のベッドで音楽を聞きながら読書してたあきらちゃんが、パタリ、と本を閉じて私の方を見た。

「う、ううん。おもしろいよ」
私は慌てて言った。

「……無理して読むこともないよ。アタシだってヒマ潰ししてるだけだもん」

お昼ご飯を食べるともう病院では、やることは何もない。お風呂は午前中に入っちゃったし。

あきらちゃんは少し肩をすくめて『ウンザリしている』ことをわかりやすく表現した。

ひとつひとつの仕草が、大げさだけど似合っている。やっぱりアイドルさんなんだなぁって思う。

少し目付きは怖いけど、顔立ちがすごく整っている。
お姉ちゃんもゆきちゃんも美人だけど、あきらちゃんは何か違う可愛さだと思う。

私はあきらちゃんから借りた『アフターダーク』っていう本を、そっとオーバーテーブルの上に置いた。

763 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/18(日) 23:26:16.17 ID:npt0m.DO
その時、私たちの部屋のドアがノックされた。

「はぁーい」

あきらちゃんが、普段私と喋る時に使う低めの声とは違う、よく通る高めの声で答える。

あきらちゃんは話す相手によって声や喋り方を変えられて、それは私が全然できないことだから、素直にすごいと思う。

ドアを開けて、看護婦さんが顔を出す。

「柊つかささん。今日夕方、御家族の方がいらっしゃいますよ」

「え……」ドクン。

家族。家族。家族。家族。家族。家族。家族。

「……柊つかささん?どうなさいました?」

心配そうな看護婦さんの声。

「看護師さん」その時、あきらちゃんが例の高めの声を出した。

「つかさちゃんからさっき聞いたんですけど、まだ家族の人と会うのが怖いって言ってました。会ったら混乱しちゃいそうだって」

「……そうなんですか?柊つかささん」

「え、えっとぅ、その……はい……」

先生に伝えてきますね、と看護婦さんは廊下に出ていった。

「……ありがとう、あきらちゃん」

私の言葉に、あきらちゃんはふざけてるように、さっきの高い声で、読んでた本を朗読し始めた。

「『ところで死は?どこにいるのだ?』
古くから馴染みになっている死の恐怖をさがしたが、見つからなかった。いったいどこにいるのだ?死とはなんだ?恐怖はまるでなかった。なぜなら、死がなかったからである。
死の代わりに光があった。
『ああ、そうだったのか!』彼は声にたてて言った。『なんという喜びだろう!』」

「誰が書いた本?」

「トルストイだよ」

「あ、知ってる。木馬を発掘した人だよね?」

「……」

766 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/18(日) 23:59:51.24 ID:npt0m.DO
・・・・・・
「つかさと会えないとは、どういう事なんですか?」

珍しく、お父さんが怒声一歩手前の声を出した。珍しいとは言っても、最近よく聴くけど。

「つまりですね」つかさを入院させた若い先生が、困ったようにペンをクルクル指で回す。私はそこに視線を固定しようと思う。

「つかささんが、今現在家族の方とお会いになると、一旦落ち着いた精神状態が、また乱れる可能性があると」

「家族と……私たちと会う事が、つかさの為にならないと?」

お父さんは落ち着こうと、努力しているようだった。

「と言いますか……つかささんの御希望なんですね、面会を少し様子見たいっていう」

お父さんが黙った。

お母さんとまつり姉さんと私。神社で留守番しているいのり姉さんを除く家族全員が、お医者さんの言葉を理解した。

つかさは私たちに会いたくない。

「……家族は、患者が精神状態が悪い時に受けたダメージで被害者意識を持ち、患者も一方的に入院させられた事に対し、やはり被害者意識を持つようになる……」

私はみゆきの言葉を思いだしながら、器用に動くお医者さんの指を見つめていた。

「遠からず措置解除を行い、同時に退院にもっていきたいと思っておりますので、本日は御家族の方にその旨周知いただきたいと」

要するに今日は帰れ、と言われ、お父さん、お母さん、まつり姉さん、そして私、柊かがみは病棟を出た。

多分すぐそこにいるであろう、つかさの存在を、ひどく遠くに感じながら。

789 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/24(土) 04:19:39.14 ID:SGOLm6DO
その日の夕食。

お父さん、お母さん、いのり姉さん、まつり姉さん、そして私。五人の食卓。

煮付けの味が薄すぎる。エビフライのコロモが固すぎる。何より食欲が無さすぎる。



惨めだった。


私たち家族は、つかさに愛想をつかされたんだ。

肝心な時につかさを守ってあげられなかったから。つかさの変化を認めてあげられなかったから。そのせいで病状を悪化させたから。辛くて寂しい想いをさせたから。

誰も一言を喋らず、食器がカチャカチャいう音と――その内、すすり泣く声が聴こえてきた。

「お母さん……」

いのり姉さんが、震えるお母さんの肩に手を置く。

お父さんもまつり姉さんも私も、ただ黙ってそれを見ているだけだった。


790 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/24(土) 04:21:26.18 ID:SGOLm6DO
味気無い夕食を終え、自分の部屋に戻る。

ノートを広げても、参考書を広げても全然頭に入らない。

どうして、こんなふうになっちゃったんだろう。

いったい、どうすれば良いんだろう。

つかさ。つかさ。私の双子。ドジで要領が悪くて優しくて怖がりな、私の半身。

私はつかさの姉。文字通り、産まれた時からの付き合い。

なにを怖がってるの?怖がりなのは私じゃない。

真実を知るのが怖かった。知りたくなかったから先送りした。先送りしたから悪くなった。

じゃあ、私が今しなくちゃいけない事はなに?

ここで悔んでて何が変わるの?

「……よし!」

私は独りで、ある決意を固めた。


791 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/24(土) 04:23:16.50 ID:SGOLm6DO
・・・・・・
『ポッカリ月が
出ましたら
舟を浮かべて
出掛けませう』

消灯前。

あきらちゃんに貸してもらった詩集をわからないなりに読んでたけど、そろそろ灯りも消える。
私は本を閉じて、窓の方を向いた。

あきらちゃんのベッドが窓際なので、月明かりにあきらちゃんが逆光に浮かんでいる。

ベッドに座って本を読むその横顔。大きな目。通った鼻筋。小さな唇。細い顎。

私がまたボーッと見てると、視線に気づいたのか、あきらちゃんが眉を寄せて私を見た。「なに?」

「え?あ、あの、えっと〜」

別に正直に、『顔が綺麗で見惚れてた』って言えばいいのに、私はなぜか慌ててしまった。

「あ、あの……買い物の時、あきらちゃん何かした?」

とっさに昼間感じた違和感が口から出る。

あきらちゃんは、なんだ、っていう感じの顔になると、またニヤッと悪い感じの笑顔を見せる。

「医者や看護師にチクらないなら教えたげる」

そう言うとあきらちゃんは窓をガラッと開けた。

この病院の窓はレールにストッパーがついていて、細くしか開かない構造になっている。その隙間から、冷たい空気が入ってくる。

あきらちゃんはフトンの中に手を入れてゴソゴソ動かしてたけど、やがて何かを取り出した。

「……え?それ、タバコ?」

「そーだよ」

792 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/24(土) 04:25:24.72 ID:SGOLm6DO
あきらちゃんはクールブーストとか書いてある箱からタバコを一本抜くと、百円ライターでカチリ、と火をつけ、フーッと煙を窓の外に吐いた。

「……」

「……ん?アンタも吸う?」

「す、吸わないよぅ!」

私の方がビクビクしてるのに、あきらちゃんは平気な顔でタバコを吸う。

「……あれ?でも病院の売店って、タバコ売ってた?」

私の疑問に、あきらちゃんはケホ、とむせて、ちょっと笑う。

「あってもアタシが買えるワケないじゃん。――これは隠してあったヤツだよ」

「隠した?あきらちゃんが?」

ん〜、とあきらちゃんがタバコをくわえたまま、ポリポリと頭を掻く。

「つまりさ……外来通ってたり、入院してたりすると、同じ年ぐらいのコと知り合うワケじゃん。別に仲良くなるわけじゃないけど」

「うん」

「そうするとね、なんていうか、入院するヤツら同士の代々の約束事っていうか、まあ助け合いみたいなこともするワケね」

「それがタバコ?」

「そ。ここは病院全体が禁煙だし、特に精神科って火がつくモノの出入りにうるさいからね。買い物行った隙に、階段とロッカーの隙間に置いてあるタバコとライターを取ったんだ。誰が置いたかは知らないけど、場所は決まってるんだよ」

へー、と感心した。

「退院したら、同じ場所にタバコとライター置いておかないとね……」

メンソールは好みじゃないんだけど、とあきらちゃんは煙を吐き出す。

「でもぅ……病院の人たちにバレちゃったら、怒られるよ?私もだけど、あきらちゃんも未成年だし」

あきらちゃんは、ハ、と短く笑う。

「バカじゃん?医者も看護師も、とっくに知ってるよ。見て見ぬフリってヤツ」

「え?」

793 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/24(土) 04:28:00.74 ID:SGOLm6DO
「アタシみたいなヤク中はさ、何かネタが無いと結構イラつくんだよ」

「ネタ……」

「大体さ、吸わないヤツって、匂いに敏感じゃん。病室でヤニ吸ってるのに医者や看護師が気がつかないほうがおかしいって」

「わかんないな……」

「つまりヘタなネタ持ち込まれるより、ヤニぐらいでガマンできるんだったら儲けモン、みたいに思ってんじゃないの?」

「持ち込めるの?そういうのって」

「やろうと思えば簡単だよ。ペケとかならメントスの箱に入れればまずバレないし、アシッドなんか紙だよ?タバコのほうがよっぽど難しいね」

相変わらずあきらちゃんの言葉は難しい。

「よくわからないけど、そういうのは隠したり、持ち込んだりしないの?」

「さすがに入院中にキメてたらヤバイよ。トライエージってキットがあって、オシッコからどんなネタ使ったかすぐバレるからね」

「オシッコから?」私はベッドに縛られて管を入れられたことを思い出す。

「裁判所の許可取って警察が取ったオシッコじゃないと裁判とかの証拠にはならないけど……ムダに入院長引かせる必要もないしね」

あきらちゃんはタバコの箱の裏で火を丹念に揉み消すと、吸い殻を箱の中にしまった。

「だけどさすがに面切ってチクられたら取り上げられるでしょ?だから最初に断ったんだよ」

あきらちゃんの周りにタバコの青い煙がまだ漂っていて、それが月の光で雲みたいにあきらちゃんの周りにまとわりついて、やっぱりあきらちゃんは綺麗に見えた。

832 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/30(金) 22:05:27.40 ID:uU.ctUDO
・・・・・・
『明日、かがみ一人でまた面会に行くって!?』

携帯電話の向こうから、こなたの驚いたような声が聴こえた。

「うん。もう一回、つかさに会いにいく」

私は答えた。なぜか、声から迷いや惑いといった、弱さが消えているのが自分でもわかる。

『で、でも今日は、その……』

こなたが言い淀む。

「家族全員、つかさに拒否られたわよ」

我ながら、あっさりと口にした。

「だから、明日も明後日も、一年間でも、会えるまで病院に行くのよ。決めたの」

『……かがみ、どうしたの?みゆきさんにも相談したほうが』

「みゆきには色々教わったけど、今回は私の意思で、私が決めて行くのわ」

『かがみ……』

「こなたが言ったのよ?つかさは、私の家族だって」
私はきっぱりと言う。

「そう、つかさは家族なのよ。私の双子で、大事な妹なの。私は、つかさに会いたいし、会わなきゃいけないのよ」

834 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/30(金) 22:07:12.21 ID:uU.ctUDO
まだ心配するこなたに一言二言話し、私は携帯電話を切った。

ギッとイスを回し、鏡に映る自分の顔を見る。

ずいぶんとひどい顔してるじゃない?柊かがみ。

顔色は悪いし目は真っ赤。肌もカサカサ。寝不足?野菜不足?まあ、いいわ。

最近、らしくなかったじゃない?

いつものアナタなら、強引に乗り込んで、つかさを家に連れ帰ってたトコでしょ?

まあ、明日はそこまでのことはしないけど。でも、今まで逃げてた分だけカウンターアタックするわよ。

待ってなさい。つかさ。

私はもう逃げないし、あんたも逃がさない。

あんたの双子の姉を、甘く見ちゃダメなんだから。

835 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/30(金) 22:08:48.35 ID:uU.ctUDO
・・・・・・
消灯時間から、どれくらいたったのかな。

私はフトンの中で、半分だけ目を覚ましている。

誰かが私のことを考えてる。誰だろう。お姉ちゃん?

半分寝惚けてる時の特権で、私は自分の脈絡のない思考を楽しむ。

明日も家のみんな来るのかな。

会わなきゃいけないのかな。

私、会いたくないのかな。

「……?」

ふと、思考の途中に異質なものを感じた。

なんだろう。またあの『声』?

違う。これは声や音じゃない。

嫌なような、でも懐かしいような、身近なような……

「……匂い?」

そう、匂い。知ってる。私はこの匂いを知っている。

海のような、金属のような

「な、なに!?」

私は強引に自分の目を完全に覚ました。慌ててフトンを跳ね上げる。

暗い部屋の中を見回す。

木目調の小さな家具。クリーム色のはずの壁紙。

カーテンが少しだけ開いた窓から月の明かりが傾いて、座ったあきらちゃんもシルエットだけで

……座ってる?

あきらちゃんはベッドの上で体を起こしていて、自分の手をジッと見ているようで……。

「な……なにしてるの?あきらちゃん」

836 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/01/30(金) 22:11:00.99 ID:uU.ctUDO
語尾が自分でもはっきりわかるほど、震えた。

「……」

あきらちゃんは無言。明かりの角度のせいか、全然表情がわからない。

その時、あきらちゃんが持っていた何かが、掛けフトンの上でキラリ、と光った。

あれは――CD?

割れたCDが、今夜空に浮かんでる三日月みたいな形になって、黒い何かが、

違う。黒じゃない。

赤い、赤い、赤い、赤い、赤い、赤い、赤い、赤い、赤い、赤い赤い赤い赤い赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤

「な……なにしてるの、あきらちゃんッ!!」

私のノドから、多分生まれて一番くらい大きな声が出た。

あきらちゃんは手首からポタポタと何かを垂らしながら、「うん……?」とゆっくりこっちを見た。

その顔はやっぱり綺麗で、その目はやっぱり大きくて、でも私に向けられた瞳は全然私を見ていなかった。

「大声出さないで……もう夜中だよ」

「そ、そんなこと言ってる場合じゃないよ!!」

私は自分のベッドから転げ落ちるように、あきらちゃんの隣に移動した。「きゃっ」とあきらちゃんが悲鳴を上げる。

「な、なにすんのよ……」

少し驚いたような、脅えたようなあきらちゃんの声は、でも私の頭の中までは届かなかった。

視界に、いつもは余った袖で隠れたあきらちゃんの手首が焼きついちゃったから。

古い、新しい、小さい、大きい、たくさんの、そして今も血を垂らしている、傷、傷、傷。

「やだぁっ!こんなのダメだよぅっ!痛いよ、あきらちゃん死んじゃうよぉ!!」

あきらちゃんの手首を押さえて、ワンワン泣いた。押さえてる手がヌルヌルして、暖かくて、でも離せなくて、とにかく頭の中がグルグルした。

あきらちゃんはしばらく黙っていたけど、困ったように眉をよせて、小さな声で言った。

「どうして、つかさが泣くの?」

普通の中学生のような声で、呟くように。

それが、あきらちゃんが私の名前を確認以外の目的で呼んだ、最初で、そして最後だった。

908 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/02/08(日) 04:22:10.93 ID:OM3f86DO
あきらちゃんがどこかに運ばれて、私は看護婦さんたちの部屋で一人、座っていた。

膝がガクガク震えて歯がカチカチ鳴ってて、当たり前だけど寝るどころじゃない。

「ごめんなさいね、柊つかささん。小神さんには気をつけてたんだけど……」

ドアを開けて看護婦さんが入ってきて、私に謝った。私は小神さんって名字と、あきらちゃんが一瞬結びつかず、ポカンとした。

「刃物には特に気をつけてたんだけど、CDを割ってなんて……よほど切りたかったのね」

「切りたかった?」

変な言い方に聞こえた。

看護婦さんはちょっとバツが悪そうな顔になったけど、すぐに「ちょっと待ってて」と部屋の奥へ行って、少ししてからマグカップを二つ持ってきた。甘くて良い香りがする。

「ココアよ。休憩の時に飲むの。甘いのが欲しくなる時があってね」

マグカップは温かくて、私は少しホッとする。

看護婦さんもココアを一口含むと、話し始める。

「さっきのことだけど…切りたかったって言葉。その通りの意味でね。小神さんみたいな子は、自分を傷つけたくて仕方がないの。死にたい訳じゃなく、生きるためにね」

やっぱり、看護婦さんの言葉は難しかった。でも、あきらちゃんのことを知るために、頑張って理解したいと思った。


だって、あきらちゃんは私に優しかったから。



909 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/02/08(日) 04:25:26.37 ID:OM3f86DO
「生きるためにって……」

声がノドに絡んで、ケホ、と一回咳をした。

「その、生きるために、手首を切るっていうのが、わからないんです」

看護婦さんは視線を落とした。ココアを見つめてるみたいだけど、多分違う。

「……生物っていうのは、強いストレスに晒されると、自傷――自分を傷付けるの。犬が自分のシッポを咬み切ったり、サルが毛をむしったり……」

看護婦さんはユラユラとマグカップを揺らしている。

「そういう生物学的な考え方の他に……多分、自分を傷つけて、流れる血を見て、痛みを感じることで、逆に『ああ、自分は今生きてるんだな』って実感を得ているんじゃないか……実は私にも正確にはわからないんだけどね」

私にもわからない。だって痛いじゃない。手首をあんな風に、何回も何回も、血が、たくさん――。

「……多分、小神さんみたいな子にとっては、心の痛みのほうが何倍も辛いんでしょうね。自分の手首よりもずっと」

え?

「あ、あきらちゃんみたいな子って……だって、アイドルで、可愛くて優しくて、それにいろんなことを知ってて、どうして」

「タバコも吸うし違法な薬物も平気で使う、自分よりも強くて格好良い女の子。そう見えた?」

看護婦さんが下を向いたまま呟いた。

私は次の言葉が出なくなった。そう、あきらちゃんは私みたいな、平凡で普通な女の子とは違う、特別な……。

「どんなに強そうに見えても、格好良く見えても、薬に頼る人はね……弱いのよ。ううん、自分の弱さを認めたくないっていうのが、正確なのかな?」

910 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/02/08(日) 04:27:41.16 ID:OM3f86DO
弱い?

私が見てきたあきらちゃんに、一番似合わない言葉のように思えた。

「オトナがコドモに、薬の恐ろしさについてお説教しようっていうんじゃないわ」

看護婦さんが、ちら、と私を上目使いに見て、自嘲したような笑みを浮かべた。

「違法だとか道徳上の問題とか、そんなのは関係なくて……どんな人でも、最初にそういうモノに手を出すのは、『弱さ』が原因なの」

看護婦さんはカップに向けてため息をつく。

「勉強がはかどらない、対人関係がうまくいかない、なんとなく毎日がおもしろくない、刺激が欲しい……」

「で、でもぉ」私はなんとなく反論したくなって口を挟んだ。

「あきらちゃんみたいに、いろんな意味で恵まれてる子が、どうして……」

「質問を質問で返すのは失礼だけど、色々な意味で恵まれて、なんの不自由も感じていない子がどうして手首を切ったり、薬物を使ったりすると思う?」

私は言葉に詰まる。

「聞いたら多分、もっともな答えを出すとは思うわ」

看護婦さんは疲れたような声で言った

「『ただの遊び、深くハマるのはバカ』『実は全然体に害なんて無い』『自分の体なんだから、何をしようと勝手だ』『みんなやってるし、自分がビビッて場の空気を壊したくない』」

淀みなく言葉が並ぶ。

「でもね、本当に自分に価値があると信じていて、確固とした目標があって、努力を惜しまない人が、そんな薬を使うなんて有り得ると思う?」

私は首を横に降るしかなかった。

「どんなに理論で武装しても、現実逃避するような薬物を使う子は、結局は逃げてるのよ……誰から、何からでもなく、自分の『弱さ』から」

「手首は……」

「薬物の乱用もリストカットも、根底にあるのは同じ。『自分を破壊したい』思いね」

911 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/02/08(日) 04:30:03.18 ID:OM3f86DO
薬を飲んで眠ったら、って看護婦さんの勧めを断って、自分の病室に戻った。

一人の部屋。空いた隣のベッド。

『小神さんと柊さんとは違う。柊さんには、心配して来てくれる家族がいるのよ。大切にしなくちゃ』

看護婦さんの最後のセリフが耳に残っている。

家族。私の家族。

お父さん。お母さん。いのりお姉ちゃん。まつりお姉ちゃん。

そして、私の双子の姉。

明日、もし誰かが病院に来たら、会ってみよう。


そして、今の自分の気持ちを全部正直に言ってみよう。

私はそう思いつつ、いつの間にか眠りに落ちていった。

84 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/04(水) 03:40:19.75 ID:GnMU8kDO
・・・・・・
カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。チュンチュンとスズメの鳴き声が聞こえている。

「……よし」

私、柊かがみは勢いよくフトンを跳ねのけ、起き上がった。

柊家の朝の食卓は、このところずっと活気が無い。

新聞を読んでいるのか、新聞で顔を隠しているのかわからないお父さん。

食事の準備をしながら、以前より明らかにやつれた顔をしたお母さん。

服の色使いが微妙に合ってない、いのり姉さん。以前よりお化粧が雑なまつり姉さん。

黙々と朝食を食べるみんなに、トーストを食べ終えた私は宣言した。


「私、今日の放課後、つかさに会いに行くわ」


カチャン、と音がした。まつり姉さんがスープのお皿にスプーンを落としたみたい。

「かがみ、あの、でも、つかさは……」

お母さんがなんとなくオロオロしながら言う。

「わかってる」

私は言い切る。

「会いたくないって言われるかも知れない。断わられるかも知れない。怒鳴られるかも知れない」

スッと息を吸い込む。

「それでも私はつかさに会う。会って、言わなきゃいけないことがあるのよ」


しばらく沈黙が続いた後。
お父さんが、久々に聞く穏やかな口調で私に言う。

「行ってきなさい、かがみ」

85 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします sage 投稿日:2009/03/04(水) 03:41:56.09 ID:GnMU8kDO
学校での昼休み。

教室ではなく、私、柊かがみ、友人の泉こなた、高翌良みゆきの三人は教室じゃなく、屋上でお弁当を広げていた。

「かがみ、またオカズ、チクワだけ?」

「今日はほら」

「む、穴の中にチーズとキュウリが!」

「あのう、それより、放課後のことなんですが……」

みゆきが我慢できないように聞いてきた。

「かがみさん、つかささんに本当に一人で面会に行かれる気なんですか?」

一瞬で空気が硬くなる。

「行くわ。今日はみゆきもこなたも悪いけど、別行動でいいかな?」

「……私たちは、行かないほうがよろしいでしょうか?」

遠回しに行きたい、とみゆきが訴える。

「うん。気持ちは嬉しい。ありがとう」

私はニッコリ笑って言う。

「でもね、なんて言うか、ケジメ?とは違うかな……とにかく、つかさと二人きりで会いたいの。色々教えてもらったのにワガママだけど」

ゴメン、とみゆきとこなたに頭を下げる。

「あ、頭を上げてください、かがみさん」

手を体の前でブンブン振るみゆき。

こなたは、無言でお弁当に視線を落としていた。


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