- ピカチュウ「昔はよかった・・・」
- 84 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/04/26(日) 13:02:43.25 ID:Roq4pK2o
- 「作戦の説明は以上だ」
とサカキはペルシアンを介して僕に言った。
「任務遂行にあたって余計なことは考えるな。
与えられた任務にのみ集中しろ。
時間は限られているのだからな」
「ピカ」
了解だよ。
サカキは杖を突いて立ち上がり、ペルシアンに目で合図した。
それでもペルシアンはすぐにその場を動こうとしなかった。
「本当にいいのかニャ?」
片方に傷を負った双眸が僕を見つめる。
ペルシアンはあえて多くを言わなかったのだろう、と思う。
僕は鷹揚に
「ピーカ、チュウ」
大丈夫、と答えて見せた。それは本意でもあり、虚構でもあった。
傷が完全に癒えていない体で任務に就くのは、はっきりいって心懸かりだ。
それを知った上で僕に命を下したサカキのことを、恨めしくも思う。
けど、システムの構想を打砕くという大義名分のもとでは、僕の不満なんて些細なものなんだ。
それに、今では僕は得心している。
これはサトシと再び会える最後のチャンスかもしれない。
ヒナタと再び合流するのが遅れる代わりに、彼女にお父さんの情報を少しでも持って帰ってあげられるかもしれない。
……いや、それでは半分嘘だ。
僕は純粋なサトシの元相棒として、サトシに再会したい。そう思っている。
- 88 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/26(日) 13:51:51.86 ID:Roq4pK2o
- 「来い、ペルシアン」
穏やかな声の裏には聞く者全てを隷従させる物々しさが満ちている。
ペルシアンはそろりそろりとベッド脇から離れ、サカキの不自由な側の足にすり寄った。
病室から出る際、サカキは一度だけ僕の方を振り返った。
そして眉間に刻まれた皺をほんの少し緩めたあと、今度こそ去っていった。
あれで微笑んだつもり、なのだろうか。
窓に近づいて、海と木々の匂いが入り交じった五の島の風を浴びる。
もしかしたら。サカキも心のどこかでは罪悪観を感じているのかもしれない。
力を制限された僕よりも能力の勝るポケモンは、少なからずともいる。
それを踏まえた上で僕に任務が与えられた理由、
それは僕が単純な一戦力としてではなく、
もしサトシがそこにシステム側の人間としていた場合、
複数の意味で彼に"対抗"できる唯一のポケモンだからだろう。
サトシにとっては予期せぬ僕との再会が、彼に動揺を与えることが出来る――。
「ピカチュウ?」
背後から看護婦さんの声がする。
サカキとの話が終わった頃合いを見計らって戻ってきたのだろう。
僕は振り返り、その次の瞬間に看護婦さんの胸に抱きしめられていた。
「あなたって人は……じゃなくて、あなたってポケモンは!」
君は自分の看たポケモンが退院する度にそうやって泣くのかい?
涙の理由は別のところにあると理解しながら、僕は心の中で看護婦さんをからかう。
- 89 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/26(日) 14:39:41.88 ID:Roq4pK2o
- 「どうして、どうして断らなかったんですか?」
悪い子だな。サカキの命令を僕が断るよう、彼の部下である君が望むなんて。
看護婦さんは洟を啜りながら、
「いえ……、それはもういいです。
わたし、分かっていたんです。
あなたが結局わたしの言うことなんてちっとも守る気がない頑固者だってことは。
夜な夜な中庭であの男とこっそりリハビリしていること、気付いてないとでも思ってたんですか?」
僕が答えるよりも早く看護婦さんは言葉を続けた。
「ピカチュウ。あなたが行くことを止めることは諦めます。
でも、これだけは約束してください。無茶、しないでください。
いいですね」
看護婦さんの指が僕の頬にそっと触れる。
僕はその手を払いつつ、小さく横に首を振った。
無茶をしない、という約束はできない。
君には恩があるけれど、守れる保証のない約束はしても意味がない。
細くなっていた涙の筋の幅が再び広がる。
思い返してみれば、僕は君を困らせてばかりだな。
たくさん尽くしてもらいながら、僕は最後の最後まで反抗的な患者だった。
- 103 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/04/29(水) 18:21:49.93 ID:Oh8aVvIo
- 「死んじゃうかも、しれないんですよ?
それはピカチュウ、あなたが一番よく分かっていることでしょう?」
僕は抱擁から抜け出して、ベッドによじ登り、そこでさらに宙返りしてみせる。
痛みはほとんど消えている。
これもリハビリの賜だよ。
「強がったってダメです。
わたしが、わたしが言っているのは……」
嗚咽がその先に続く予定だった言葉を潰した。
僕は複数の意味で、看護婦さんを宥める言葉を持たなかった。
- 110 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/04/29(水) 20:20:45.71 ID:Oh8aVvIo
- 結局、エアームドの回復は間に合わなかった。
羽は動く。飛ぶのにも問題はない。
けど、自重と同程度の荷を乗せて長距離飛行するのはやはり自殺行為だとジョーイさんは言った。
墜落すればエアームドは勿論、乗っている人間もただではすまない、と。
途中で休憩しながら飛ぶことをタイチは再び提案したけど、
タマムシとヤマブキの間にポケモンセンター並の治療施設を備えた休憩所は存在せず、
仮に野宿で休憩しつつ翔破できたとしても、往復で四日以上かかる。
あたしたちはカエデと合流してレセプションに赴くことを、諦めざるをえなかった。
そして迎えたレセプション当日。
「出来ました」
とアシスタントの一人がそういうと、ゲンガーとピッピとスターミーは、
各々の表現方法であたしに自信を付けてくれた。具体的に言うなら、ゲンガーは
「うー……」
と解脱状態であたしを見上げ、ピッピは
「ぴぃっ、ぴぃっ」
とゴムまりみたいに飛び跳ね、
スターミーはコアをピコピコ光らせて鏡の中に映るあたしのドレス姿を演出してくれた。
あたしはアシスタントの人に言った。
「本当にありがとうございました。表の人たちにも、あたしに代わってお礼をお願いします」
今は営業時間なので、前回ドレス選びの時に手伝ってくれたコーディネーターさんやもう一人のアシスタントは、一般客の相手で忙しい。
ポケモンをボールに仕舞って、見るからに高そうな借り物のバッグに入れる。
今度また改めてお礼しなきゃ……そんなことを考えつつバックヤードから裏口に出ると、
待ちくたびれたらしいタイチがポケットに両手を突っ込んで、ぽけーっと藍色がかった空を眺めていた。
「それでくわえ煙草でもしてたら、もう少し大人に見えるのにね」
「俺は親父みたいにはならねえよ。
肺ガンで死ぬなんてアホらしいからな」
タイチが軽くこちらに流し目を送って、
「待ち合わせの時間には少し早いけど、行くか。
ああ、あとそれと………ドレス、似合ってる」
すぐに視線を前に向けなおす。この前の二の舞を演じまいとしているのかしら。
誉めるならちゃんと真正面から誉めて欲しいのに――。
「なに考えてるんだか」
我に返る。
見られたら怒って、目を逸らされたら拗ねて。
これじゃあただの我儘女じゃない。
- 112 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/04/29(水) 20:44:16.86 ID:Oh8aVvIo
- 言わずもがな、フユツグの正装は完璧だった。
タイチやあたしの付け焼き刃的な装飾とは違う、
普段着をちょっとお洒落にしたような自然な着こなし。
「よくお似合いですよ」
フユツグの丁寧な物腰や優雅な所作に、今日はさらに磨きが掛かっているように見える。
「これを機に社交界に足を踏み入れてはいかがです?
人脈形成に最低限必要な能力は身なりと話術です。
タイチさんなら有閑を持て余したマダムの方々が、ヒナタさんなら青年実業家の方々が喜んでパトロンにつくと思いますよ」
フユツグはそんな冗談を口にしながら歩き出す。
その隣にあたしとタイチが並ぶ。フユツグの話に相槌を打っている間に夜歩きは終わった。
首を後ろに傾けると、光害に侵された夜空を背景にマスターボールの社標が輝いているのが見えた。
- 197 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/05/01(金) 18:33:27.67 ID:BeKNO/Yo
- ビルに近づくにつれて、メインストリートに不規則に佇んでいる黒服が目に着く。
警備の人かしら、と勘ぐりながらシルフカンパニー正面に歩いていくと、
存外入り口に警備員の数は少なくて、制服も警官によく似た紺色だった。
あたしたちは想像していたよりもずっと静かにシルフカンパニーに入ることができた。
報道陣は既に会場内で待機しているののでしょう、とフユツグが言ったけど、あたしはなんだか腑に落ちなかった。
フユツグがあたしとタイチを付き添い人として参加者名簿に記す間に、
あたしは目線をエレベーター付近に固定したままタイチに話しかけた。
「ねえ」
「どうした」
「あたし、緊張してきた、かも」
数日前、フユツグと一緒に展示スペースを見に来た時とは、決定的に状況が違っている。
タイチもあたしと視線を平行にしながら答える。
「今更何言ってんだよ、俺なんか朝起きたときから緊張してる」
お互いに、声が上擦っていた。
「ヘマっちゃダメだからね」
粗相を見せて誰かに目を付けられたら終わりよ。
「大丈夫だって。どうせすぐに抜け出すんだからさ」
「抜け出すまでの短い時間を持ちこたえられるかが勝負ね。
……設定、忘れてないわよね?」
心配になって念を押したその時、
「終わりました。ヒナタさんはカエデという名で、
タイチさんはリュウジという名で参加登録を済ませてきましたよ」
- 210 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/05/01(金) 22:34:02.10 ID:BeKNO/Yo
- 「あたしたちのこと、詳しく問い質されたりしなかった?」
「問題ありませんでした」
微笑みつつ、中指で眼鏡のフレームを押し上げる。
フユツグがすると気障な仕草に見えないから不思議だ。
エレベーターの前には屈強な警備員が二人立っていた。
「持ち物に危険品の有無がないかチェックさせていただきます」
フユツグは事も無げに財布から一枚のカードを取り出すと、
「私はヤマブキシティジムリーダー・ナツメの代理です。
よって私にはこのレセプションの進行を監督・警衛する義務がある。
あなたたちの警備体制を過小評価しているわけではありませんが、
万が一場内にモンスターボールの不法所持者が発生、
ポケモンによるレセプションの妨害や参加者に対する傷害があった場合、
それを可及的速やかに鎮圧するには生身では分が悪い。
モンスターボールの携帯を認めてもらえますか」
穏やかながらにも威圧感のある声でそう言った。
後ろで聞いているあたしでさえ、その言葉を否定するのが馬鹿馬鹿しいことのように思えてくる。
警備員の一人はフユツグにカードを返しつつ言った。
「結構です。しかし、こちらのお二方のモンスターボール携帯は、」
すかさずフユツグが返す刃で、
「私が彼らの身分を保証します」
「し、しかし……」
「いい加減にしないか。
この二人は私の旧くからの友人であり、
それぞれがリーグDランクのポケモントレーナーだ。
当然、第一級危険種取扱者の資格も得ている。
これ以上の言及は貴社の沽券に関わる、と心得てください」
「わ、わかりました。所持品の確認だけで結構です」
フユツグとタイチがジャケットを軽く広げる。
警備員はフユツグの内ポケットに仕舞われていた三つの小型モンスターボールを認めたのちに、それを丁重に返却した。
タイチのポケットには何も入っていなかった。
- 215 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/05/01(金) 23:55:05.95 ID:BeKNO/Yo
- あたしは出来るだけ自然に見えるように微笑みを浮かべながら、
「持ち物をチェックされるくらいで大袈裟よ、フユツグ。
警備員の方達も上から厳しく指導されているに違いないわ」
バッグを渡す。警備員は簡単に中身を確認すると、すぐにバッグを返してくれた。
「大変失礼しました」
「いいのよ。さあ、行きましょう?」
エレベーターに乗り込み扉が閉まったのを確認して、
あたしは素早く二層構造に分かれたバッグの下層から小型化したボールを取り出し、そのうち二つをタイチに渡した。
とにかく時間がない。ファーストステップをクリアしたことを喜ぶ暇もなかった。
タイチが素早くベルトに装着を済ませるのと、扉が開くのは同時だった。
緩やかな曲線を描く廊下に出ると、
「ご案内致します」
ボーイが恭しく一礼して、会場まであたしたちを誘ってくれた。
- 219 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/05/02(土) 12:11:55.56 ID:csPp2xQo
- ―――――――
――――
――
赤茶けた荒涼の大地に、たった独りで佇んでいる。
遠巻きにたくさんの人間が僕を環視していて、驚きと喜びと不安の入り交じった表情を浮かべている。
帯電した頬。
鋭敏な感覚。
電流が全身から迸る。
微かな痛みが現れては消えて。
今なら際限なく蓄電できるような気がする……。
夢はそこで途切れた。
現実の感覚が戻ってくる。
フックががっちりと固定されていることを確認しつつ、さきほどの夢を反芻する。
いつか見た夢の焼き直しのような夢だった。
「ウォフ?」
風防ゴーグルをかけたカイリューが振り向く。
その大きくも愛らしい顔に、僕は「ちょっと転た寝していただけだよ」と微笑み返した。
「ウォフー」
囂々と吹きすさぶ高度2500メートルの冷風をものともせず、
むしろそれが心地よい春風であるかのようにカイリューは飛翔する。
- 224 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/05/02(土) 15:17:56.75 ID:csPp2xQo
- 夕陽は水平線に没して久しい。
雲の切れ目から差す月明かりさえ乏しい暗黒の空の彼方に極彩色の光の群れが見え始めたのは、
僕がカイリューの背に乗って五の島を発ってから三時間後のことだった。
眠らない街、ヤマブキシティ。
僕たちはその中央に君臨するシルフカンパニー屋上を目指している。
「ウォフッ」
カイリューの幽かな動揺はその背に乗っている僕に大きく響く。
風圧に煽られないように身を乗り出し、風防グラス越しに前方を見渡す。
目を凝らす。焦点を遠景から順に切り替えていく。
すると目映い人工の明かりを背に、複数の黒点が空を舞っているのが分かった。
高度は僕たちと比べると低い。
「チュウ?」
突破できるかい?
「ウォフー!」
訊くまでもなかったな。
カイリューは元より十六時間で地球を一周できるほど飛行能力に長けたポケモンだ。
その気になれば一時間足らずで五の島とヤマブキを往復できるのに、
あえてそうしないのは背中にしがみついている僕の負担を少しでも軽くする配慮だ。
- 225 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/02(土) 16:00:57.61 ID:csPp2xQo
- カイリューが鋭角に高度を上げる。
ヤマブキシティを制空していたと思しき飛行ポケモンを遙か眼下に。
そこからは緩やかに高度を落としながら、ブレのない軌道でシルフカンパニーに直進する。
林立した高層ビルの中で抜きん出て高いビルを認める。
マスターボールの社標。
そろそろだな。
「ピッカァ!」
ここまで運んでくれてありがとう。
僕はカイリューと自身を繋ぎ止めていたフックを外した。
「ウォフ―」
カイリューは短い腕を緩慢に振りつつ、高速で作戦領域を離脱していく。
それを見届けることは叶わない。
僕の体が秒速130m程度で自由落下を開始したからだ。
相対風を利用しつつ、目標地点に向けて降下していく。
- 241 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/05/03(日) 19:52:41.57 ID:GKishtYo
- 3――2――1――開傘。
大型ライトの光条を避けながら、着地点を定める。
着地はそう難しくない。肝要なのはいかに素早く屋上の警邏を無力化するかだ。
僕はヘリが離着陸可能であることを示す印の中央に降り立った。
四肢で地面をとらえて衝撃を[ピーーー]。
遅れて夜間潜入用の小型パラシュートが屋上に舞い落ち、すぐに目立たなくなる。
しかし警邏の目は誤魔化せなかったようだ。
「今のは?」
ライトを逆手に構えた男が足音を消して近づいてくる。
眩しい光が僕を照らす。
「ピカチュウ……?」
動揺は一瞬。
よく訓練されていることを伺わせる切り替えの速さで、男の手が腰のボールに伸びる。
ただ、それを許す僕ではなかった。
肉薄した後は尾でベルトのボールを打ち払い、
無防備なポケモンが失神する電流の五分の一程度を流し込み、
手放されたライトをキャッチする。人間は脆い。
- 249 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/03(日) 20:29:10.61 ID:GKishtYo
- 屋内に通じるドアを探す。ドアはすぐに見つかったが、別の警邏が構えていた。
巡回している風には見えない。僕は致し方なく側面に回り込み、察知される前に失神させた。
そうして僕は屋内への侵入を果たした。
二人を失神させた時点で既に潜入活動と呼べなくなってきているが、
今回の作戦で求められるのは慎重さではなく確実な任務遂行とスピードだ。
風防グラスのフレームから飛び出した小さな突起を押す。
すると右側のレンズに階層ごとに分かれたシルフカンパニーの3Dマップが浮かびあがった。
便利な時代になったものだ。
マッピングが少々遅いのが難点だが。
ブリーフィングによれば、シルフカンパニーはサカキに占拠された十五年前から外観こそ変わっていないものの、
内部ではテクノロジーの進歩に足並みを揃えて、物理的に、体制的に、改修が行われているのだそうだ。
そして数年前にシルフカンパニーは、ビルの電力制御をソフトウェアに完全委託するオートメーションシステムを導入。
暖房、換気、空調、照明、およびネットワークコンピューティング機器全てを容易に管理できるようにした。
それは結果的に大幅な省エネルギーを実現した。
しかし裏を返せば、そのソフトウェアが不調をきたせば、シルフカンパニーの電力管理能力は一挙に失われてしまうということだ。
シルフカンパニーは技術者にセキュリティホール潰しを徹底させ、外部からのクラッキングを許さなかった。
- 250 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/03(日) 21:00:03.92 ID:GKishtYo
- 僕の任務は、その強固な防壁を"内部から"崩壊させ、
電力管理を司るソフトウェアを一時的に停止させることだ。
サカキはそのソフトウェアの設計者を妻子を後ろ盾に恐喝し、デプログラムを作成させた。
僕の背中のバックパックの中には、そのデプログラムが書き込まれた記憶媒体がある。
記憶媒体はシルフカンパニー内に存在するLAN接続されたコンピュータのいずれかに差し込むだけでデプログラムを起動する。
わざわざメインコンピュータに赴くまでもない。
簡単便利なデュプレックスシステムが仇になったというわけだ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
- 257 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/03(日) 21:44:56.50 ID:GKishtYo
- 階段は最上階を除く全ての階に通じていた。
社員のほとんどはエレベーターを使っているのだろう。
黒ずんだ非常灯が虚しく光を放っていた。
僕は五階ほど下に降りたのち、壁に刻まれた階層の数字に、風防グラスのマップ表示を切り替えた。
シルフカンパニーでは社員一人一人に独立した従業スペースがある。
薄い仕切りによる簡単なものだが、曰く、作業効率が高まるのだそうだ。
僕にとっては都合のいい隠れ場所に過ぎないが。
従業スペースにつき必ず一台は設置されているであろうパソコンに記憶媒体を差し込めば、僕の任務は終わる。
人間のエージェントが実行しようとすれば困難極まる任務も、小柄で敏捷な僕なら簡単にこなすことができる。
僕はそう信じていた。
ぶ厚い鉄製の扉に行く手を阻まれる、その時までは。
「ピ……ピカァ?」
開かない。鍵は掛かっていないし、誰かが向こうから抑えつけているわけでもない。
ただ、ドアノブが少し高めの位置にあることと、ドア自体がかなり重いことの二つの要素が、
小さな電気ネズミである僕に開扉を許さなかった。
"体当たり"でぶち破ろうとすれば、フロアに存在する社員に気付かれるのは必至だ。
別ルートを探そうにも、時間がない。僕は途方に暮れた。
- 262 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/05/04(月) 20:45:25.76 ID:PgoSQMIo
- 映画館の上映直前のそれのように、照明が弱まり、巨大なスクリーンにシルフカンパニーの社標が映し出される。
同時に放談も密談に移り変わり、あたしを囲んでいた人たちは一緒に来た人のところへ散っていった。
「君と話せてよかった。それじゃあまた、のちほど」
「え、ええ」
最後に自称年収三千五百万某ベンチャー企業総取締役が、
ホワイトニングされた真っ白な歯を見せつけるように去っていって、あたしはようやく人心地をついた。
正直、何を話したのか全く覚えていない。
ただ相手の話に合わせて相槌を打っていただけだったような気がする。
もしあたしの身上を仔細に尋ねられたら、どうしようもなかった。
言い寄った女が実は年端もいかない小娘だと知れば、
不審に思ったり、そのせいで印象に残ったりするのは当然の帰結。
「今度うちにいらっしゃいな。
ブーバーちゃんもあなたのことをきっと気にいると思うわぁ」
「は、はぁ……。あの俺……じゃなくて僕、待たせている人がいるので、これで失礼します」
貴婦人方に別れを告げて、招待客の合間を縫って、タイチがやってくる。
あたしと同じようにへろへろだった。
「ったく。どうして俺のところに寄ってくるのはお姉さんじゃなくて盛りを過ぎた貴婦人ばっかなんだ」
「孫みたいで可愛いからでしょ。
大人の女性はきっとタイチが子供だってこと、見抜いているのよ」
「それは若々しい財界人に囲まれてた自分は大人に見えてるって言いたいのか?」
「別にそういう意味で言ったんじゃないわよ……。
なによ。タイチはそんなにカレンさんみたいな大人の女性が好きなの?」
「どうしてここであの人の名前が出てくんだよ」
ささやかな口論になりかけたその時、
「お静かに。壇上に注目してください」
挨拶に回っていたフユツグが戻ってきて、あたしとタイチの間に立つ。
- 265 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/04(月) 21:49:56.60 ID:PgoSQMIo
- それは静聴を促す諫言ではなく、行動開始の合図。
暗転した場内で、参加者が壇上に注目している今こそが、シルフカンパニーの別階を探索するチャンスだった。
"くれぐれも慎重に行動してください"
眼鏡越しのアイコンタクトに、
"ありがとう"
と返して、あたしとタイチは気配を消しながら会場入り口に向かった。
防音に秀でた二重構造のドアを抜けると、あたしたちを案内してくれたボーイが立っていた。
「どうかされましたか?」
タイチがあたしを気遣うような素振りを見せながら
「ちょっと気分が優れないみたいなんだ。どこか休めるところはないかな」
と言い、あたしが『無理をして作ったような微笑み』を作りながら、
「お仕事の邪魔をしてごめんなさいね」
と続ける。ボーイは猜疑心の欠片もなさそうな真剣な表情で答えた。
「そういうことでしたら、すぐに医務室にご案内します。こちらへ」
- 268 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/04(月) 22:30:23.22 ID:PgoSQMIo
- ―――――――
――――
――
時間が無情に流れていく。
転機が訪れたのは、僕は非常階段経由でのフロア侵入を諦め、
屋上に戻ってビルの壁伝いに侵入するという無謀な計画を本気で視野に入れ始めた時だった。
「誰かいるの?」
僕が気休めにガチャガチャ回していたドアノブは、向こう側でも回ってたらしい。
それに気付いた女性社員が、不審に思って見に来たのだろう。
僕は今か今かと開扉の時を待った。
相手は僕が人間だと思っている。一息に足許を潜り抜けてしまえば、存在に気取られることはないはずだ。
ガチャ……と重い音を響かせてドアが僅かに開き、
「見間違いだったみたいねえ」
一瞬で閉められる。僕は咄嗟にその間に身を挟んだ。
「チャー!!」
激痛が全身を駆け抜ける。
「えっ、なにこれ、ピカチュウ?」
慌ててドアを開く年配の女性社員。僕は呻きながら抗議した。
「ピィーカァー……」
まったく。ドアを半開して向こう側をきちんと調べるのが普通だろう。
おかげでペシャンコになるところだったじゃないか。
「………」
その女性社員は最早僕のことが見えていないみたいだった。
マズイな。そう思った瞬間、
「キャ〜〜〜〜〜〜〜!!」
年齢に似合わない黄色い声が、廊下に、その廊下から枝分かれした部屋に、余すことなく反響する。
- 283 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/05/05(火) 12:12:57.94 ID:pWDnN.so
- 頭上で叫び続ける女を尻目に、僕は考える。
離脱。突入。
どちらを選ぶ?
「いたぞ! あそこだ!!」
背後から声がして、ライトがスポットライトのように僕を照らす。
屋上の警邏が意外にも早く目覚めたようだ。
結局僕は後者を選択させられた。
女性社員の太い足を躱し、廊下を疾駆する。
「どうした!?」
「何があった!?」
左右の部屋から飛び出してきた社員は、しかし、丸腰だ。
ポケモンを使役できない人間に僕を止めることは出来ない。
警報は鳴らなかった。
階下で行われているレセプションの参加者に不安感を与えないためだろう。
僕は風防グラスに表示されたマップを確認してから、右手の部屋に駆け込んだ。
「誰かそいつを捕まえろ!!」
怒号が静寂を掻き乱す。
作業に集中していた社員も立ち上がり、「何事か」と仕切りから顔を出す。
仕切りは絶好の障害物となって、社員や警備員の邪魔をしてくれた。
- 285 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/05(火) 13:37:53.20 ID:pWDnN.so
- 死角に入ったことを確認し、三角跳びで従業スペースの一つに侵入する。
「あっ――ぎゃっ」
着地までの流れでそこにいた社員(中年男性禿げ気味)に電気ショックを与え、気絶させる。
素早く記憶媒体をコンピュータに挿入し、ディスプレイを破壊する。
デプログラムの進捗を気取られないようにするためだ。
ディスプレイが壊れてもデプログラムは動作し続ける。
僕は仕切りを飛び越えて隣のスペースに移り渡り、そこにあるディスプレイを破壊しながら廊下に向かった。
フロアは今や大混乱に陥っていた。
このまま逃げ果せるか? 甘い考えが脳裡を過ぎり、
「エイパム、あのピカチュウを捕らえろ!」
シルフカンパニー警備員もまったくの無能というわけではないようだ。
仕切りを飛び越えつつ振り返ると、紫色の体をした尾長のポケモンが数体、僕を追ってきていた。
尻尾の先が手のように広がっていて、器用に足場を掴みながら、一直線に距離を詰めてくる。
廊下に出ると状況はさらに悪化した。
左右から新たなエイパムが現れたからだ。
警備員が誘導したのだろうか、廊下に出ていた社員はいなくなっている。
それは即ち、互いに技の使用に制限がなくなったことを意味する。
しかしこの土壇場で、僕は頬袋に大きな電力を溜めることを躊躇った。
『死んでしまうかもしれないんですよ?』
保養所で看護婦さんに言われたあの一言が、耳元でリフレインする。
――チン。
その福音がなければ、僕は無抵抗のままエイパムに捕らえられていたかもしれない。
"電光石火"を発動して、右側から迫っていたエイパムを突破する。
目指すは今し方到着したエレベータ。
「チュウッ!」
どけ。
この階で起こったことを何も知らない社員二名が、声にならない悲鳴をあげてエレベータから逃げ出していく。
それと入れ違いにエレベータに滑り込み、小さな数字を連打して伏せた瞬間、
「やむを得ん。スピードスターだ!」
無数の衝撃が閉じた扉を内側に凹ませる。
が、それだけの衝撃を受けて尚、エレベータの内部機構は無事だったようだ。
小さな振動とともに、僕を乗せた金属の箱は下降を開始した。
- 287 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/05(火) 13:56:15.60 ID:pWDnN.so
- なかなか動悸が収まらない。
アドレナリンが過剰分泌されているのを感じる。
下降途中、上昇していく他のエレベーターとすれ違った。
まさか隣のエレベーターに不法侵入したポケモンが乗り込んでいるとは露程にも疑っていないだろうな――。
突然エレベーターが停止したのは、階層表示が一桁になったあたりだった。
照明が落ちる。
暗闇の中、監視カメラの赤い光がじっと僕を見つめている。
これは確実に、僕を捕まえるための緊急停止だ。
冷静になれ。考えろ。
僕はふと、幼いヒナタと一緒に見たアクション映画を思い出した。
こんな状況なのに、笑みを抑えられない。
僕は"アイアンテール"を発動して、エレベータ天井の救出用ハッチをぶち破った。
- 295 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/05(火) 19:45:31.47 ID:pWDnN.so
- 医務室は上階にあるらしく、あたしとタイチはボーイの後に続いてエレベーターに乗り込んだ。
「シルフカンパニーは社員が快適に勤務できるよう、最大限の努力を払っています。
同フロアの別室にはリラクゼーションルームやサロンも存在します。
気分が優れてなお、レセプションに参加されるのが躊躇われるようであれば、そちらをご利用くださいませ」
「そうさせてもらうわ。ありがとう」
ボーイがボタンを押すと、小さな振動のあとで、エレベーターが上昇を開始する。
――オォン。
途中、別のエレベーターとすれ違った。
レセプションが行われている今も勤務中の社員はいるわけで、あたしはそのエレベーターに特に注意を向けなかった。
しばらくすると扉が開いて、ボーイが一歩前に進み出て会釈する。
あたしは財布を開きながら言った。こういうときはチップを渡すのが普通……なのよね?
「ここまでで結構よ。
あなたは本来のお仕事に戻って頂戴」
するとボーイは頬を赤らめてエレベーターに戻り、
「医務室は廊下の突き当たりです。それでは失礼します」
逃げるように下に降りていってしまった。余計な気遣いだったかしら。
- 298 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/05(火) 20:04:22.79 ID:pWDnN.so
- 「ここまでは予定通りだな」
体調不良を訴えて医務室がある別階に移動。
そこで十分ほど休むフリをした後、
レセプションが行われている部屋に戻ると見せかけて、
シルフカンパニーの探索に着手する。
その計画はおおよそのところ上手くいっていると言ってよかった。
「すみません。体調が優れないので、休ませてもらえますか?」
そういうと医務室に居たお医者さんは笑顔で快諾してくれた。
「名前を聞かせてもらってよろしいですかな」
「カエデと……」
「……付き添いのリュウジです」
それぞれ偽名を口にする。
「ふむふむ」
お医者さんは利用者名簿にそれを書き留めて、
「それではこちらの部屋へどうぞ」
「個室まで用意されているんですか?」
「シルフカンパニーほどの大企業ともなると、雇用者保障に大袈裟でねえ。
医者の私でもやり過ぎなんじゃないかと思うくらいに施設が充実しているんですよ。
それこそ社員が帰宅せず会社で寝泊まりできるくらいに。
その割には社員の自己管理能力が高くて、利用者は少ないんです」
人懐こい笑顔を浮かべた。
- 300 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/05(火) 20:28:10.48 ID:pWDnN.so
- 「この医務室では簡単なポケモン治療もできるようになっているんですよ」
「すごいですね……」
「ミニポケモンセンターみたいなもんだな」
あたしは計画が順調に進んでいる事実と、そのお医者さんの表情で、つい警戒を解いてしまった。
多分、隣にいるタイチも。
それがいけなかった。でも、気付いた時には既に手遅れだった。
お医者さんのあたしを気遣うような手に促され、個室に入った瞬間、
「きゃっ――んっ」
乱暴に背後から突き飛ばされる。
起き上がる間もなく、背中を押さえつけられて、両手を後ろ手に縛られる。
自分が傍観者になったのかと思うくらいに、抵抗の余地のない、鮮やかな手並み。
一瞬遅れて、あたしの横にタイチが転がる。
「く……うぅ……」
鳩尾を押さえて、苦しそうに呻いている。
「タイチっ!」
「抵抗するからだ。馬鹿が。
初めからこの女のように無様に転がってりゃあ痛い目に合わずにすんだのによぉ」
体を捻ると、物足りなそうにグローブ同士をぶつけ合わせているエビワラーと、
その主と思しきスキンヘッドの男がいた。男はあたしにそうしたように、手際よくタイチを後ろ手に縛った。
「後は任せたぞ」
「あァ」
「悪いねえ、お嬢さん。
君みたいな綺麗な子を騙すのは気が引けたが命令は絶対でねえ」
お医者さんは今や醜悪な冷笑を浮かべている。
- 303 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/05(火) 20:43:48.64 ID:pWDnN.so
- 「あ、あたしたちはレセプションの参加者よ?
こんなことをして、許されると思っているの?」
「ヒャハハハハ、こいつぁ傑作だ。
このお姫様、この期に及んでまだ役に成り切ってやがるぜ。
大した役者根性だな、えぇ?」
スキンヘッドが腹を抱えて笑う。
あたしは隙を見て起き上がろうとしたけど、エビワラーの目はあたしたちを捉えて微動だにせず、動けない。
「こら、静かにしないか。
他のフロアの人間に聞きつけられたら面倒だろう。
大多数の社員は通常業務に就いているんだからな」
真剣な口ぶりとは裏腹に、目は厭らしく笑っている。
「……っぐ……あぁ……」
「タイチ? 大丈夫!?」
「骨は折れてねえはずだぜ、カエデちゃん……っと、こっちは偽名だったな?ヒナタちゃん。
リュウジくんならぬタイチくんも、生身で俺のエビワラーに刃向かった勇気は誉めてやるよぉ。ヒャハハ」
「どうしてあんたがその名前を――」
「"あんた"ときたか。お嬢様ごっこも終わりだなァ」
「くっ」
「どうしてってお前、考えてみろよ。
簡単だろ。簡単すぎて笑っちまうくらい簡単だろ。なあ、ヒナタちゃん?」
- 308 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/05(火) 21:08:31.22 ID:pWDnN.so
- 慄然とする。スキンヘッドの男に、お医者さんに沸立っていた怒りが一瞬で凍り付いて、さらさらと崩れ去っていく。
後には何も残らない。
「嘘……でしょ……」
スキンヘッドは否定しない。それが全てを物語っていた。
無条件であたしとタイチに手を貸してくれたのは誰?
シルフカンパニー侵入の手引きをしてくれたのは誰?
偽名を使っていることを知っているのは、あたしとタイチの他に誰がいるの?
「喋りすぎるなと言ったはずだ」
「ハハ、すいません」
お医者さんはそれからスキンヘッドに何かを耳打ちし、
次の瞬間には博愛に満ちた微笑みを浮かべて医務室に戻っていった。
悪魔が天使に変化した瞬間だった。
パタン。ドアを閉じて内側から鍵をかけ、
「さあてと」
スキンヘッドが値踏みするようにあたしを眺め回す。
視線が体の上を這っているような感覚に寒気がしたけど、あたしはそれに抗う気力を失っていた。
「……ヒナタに指一本でも触れてみろ……ただじゃおかねえからな」
「カッコいいねえ、タイチくん?
両手の自由が利かない上に腹痛に堪えながらナイト気取りか。
………アホかてめぇ」
鈍い音がした直後、
「ぐぁっ……あぁ……」
タイチの呻き声が部屋に反響する。
「やめて!」
なんとか体を動かして、タイチに近づこうとする。
ドレスが乱れることなんてどうでもよかった。
スキンヘッドは目蓋を押さえながら、
「こいつは純愛だなァ。ヒャハハ」
大きな背もたれ付きの椅子に腰掛けて足を組んだ。
- 313 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/05(火) 21:29:34.42 ID:pWDnN.so
- あたしのバッグから取り出したボール三つとタイチのベルトから外したボール二つを机の上に並べ、
「上物が揃ってるねえ。
今からこいつらをボールの中に入ったまま叩き割るってのも面白そうだ」
エビワラーは興奮した主とは対照的に冷静に指示を待っている。
「割れ」と言われれば躊躇いなく拳を振り下ろす。そんな確信があった。
「……ふざけないで」
「ふざけてると思うか?ねえよ。
第一シルフにゃボール持ち込みは禁止なんだ。
危険物は排除。これ危機管理の鉄則だろ?」
「本気なの?」
「どうだかなァ」
「その子たちは何もしてないわ。やめて」
「物を頼むときはどうするか、親に習わなかったのか?」
「やめて……ください」
スキンヘッドは視線を逸らして、
「んな非人道的な所業、俺が働くわけねえだろ。ヒャハハ」
机の上に置かれたTVを付けた。
果たしてそこに映し出されたのは、現在進行中のレセプションの模様だった。
といってもTV局の生中継とは違って、場内に設置されたカメラの映像のようだった。
壇上に上っていた年配の人(シルフカンパニー社長だろうか)が袖に退き、
スクリーンにあたしが見たこともないような色のボールが映し出される。
「俺がお前らのお守りをするのはレセプションが終わるまでだ。
それまでは精々仲良くしようや」
「レセプションが終わればあたしたちは解放されるの?」
あたしの問いに、スキンヘッドは憫笑を浮かべるばかりだった。
- 319 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/05(火) 21:50:29.89 ID:pWDnN.so
- ――――――
――――
――
エレベーターの上部に脱出できたはいいが、
当然のことながらエレベーター用通路は真っ暗闇で、
僕はリスクを承知で"フラッシュ"を焚いた。
虫歯程度の痛みが頬に走る。
フラッシュに必要な電力は微少だ。
これくらいならまだ余裕で耐えられるか。
「ピィ……」
無様だな……。
昔は躊躇無く"十万ボルト"を連発していた僕が、"フラッシュ"如き技の成功に安堵するなんて。
脱出路がないか、周囲を見渡す。
目当てのものは拍子抜けするほど簡単に見つかった。
空調ダクト。
いよいよ僕も映画の主人公らしくなってきたな。
僕は再び"アイアンテール"でダクト入り口の金網を切り裂き、その奥に身を滑り込ませた。
- 321 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/05(火) 23:13:16.77 ID:pWDnN.so
- 音を立てないように慎重に進んでいく。
ダクトの中は意外と清潔だった。
ただ、シルフカンパニー建造当時からダクトを根城にしているらしい鼠が、
仄かに発光しながら縄張りを通り過ぎる僕に興味を示し、後ろをついてくるのには困った。
これじゃあまるで親ガモと小ガモじゃないか。
等間隔に設置された床の格子から差し込む光に、フロアに降りてしまいたい衝動に駆られる。
降りた後はフロアを探索、適当な窓を選び、そこから外へ脱出するのだ。
が、窓に辿りつくまでの過程で誰かに見つかる危険性を考えると、僕は二の足を踏まざるをえなかった。
エレベーターを緊急停止させられたせいで、十階未満ということ以外、現在の階の正確な数字は分からない。
分かるのが窓から飛び出してからでは遅いのだ。
そしてなにより、再び発見されるリスクは関係なく、
サトシと再会する機会を捨てるのが勿体ないと思っているのも事実だった。
サカキは任務遂行後は適宜脱出しろ、と言っていた。
それは僕にとって、任務遂行後の自由をある程度認めるということと同じ意味を持つ。
「――次に紹介するのは重量級のポケモンに対する捕獲性能を向上させた、ヘビーボールです」
真下から聞こえてきた声に耳を澄ます。
どうやらレセプションの模様を社内の人間がモニタリングしているようだ。
格子から覗いてみると、一人の社員のパソコンに、他の社員が仕事をほったらかしにして群がっていた。
自分のパソコンからでも見られるだろうに。僕は溜息を吐きつつも、しばらくはその恩恵に与ることにした。
システムの連中が表立った行動を見せるとしても、デプログラムが作動してからだ。
僕が動き出すのも、それからでいい。
- 330 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/06(水) 10:23:36.18 ID:oe4nAmUo
- 「――スピードボールは追尾機能を搭載し、捕獲可能範囲が広く設定されているため、
投擲が不得手なトレーナーでも容易に敏捷なポケモンを捕獲することができます。
欠点としては定着時間の長さと耐久性の低さが挙げられますが――」
「科学の進歩はすごいねぇ。
俺みたいな一流トレーナーからすりゃあ、ボールなんてハイパーボールで充分だってのによォ」
レセプションの模様を観ることに飽きたのか、スキンヘッドは足を組み替えて言った。
「あんたが一流トレーナーですって? 笑わせるわ」
「減らず口はそこまでにしとけよ、ヒナタちゃん?」
「一流のトレーナーはポケモンに生身の相手を攻撃させたりしないわ」
「ヒャハハ、まだそこの坊やのこと根に持ってんのか?
女の恨みは怖ぇなァ。まあいい、レセプションも飽きてきたし、いいこと教えてやるよ。
箴言だと思ってよく聞けや。
優劣決まった今となっちゃあ意味のねえ話だが、
あのおっさんにお前らが連れて来られた時、俺とお前らは敵同士だったワケだ。
俺は俺の目的のために、お前らはお前らの目的のために、相手をねじ伏せなきゃならない。
そん時にどんな手を使おうが手前の勝手だ。
使える道具は使う。自分の身体能力をぶっちぎってるポケモンがいれば、そいつに肉弾戦を任せる。
あったりめえの理屈だろうが」
「でも、あんたはあたしたちを不意打ちで……」
「とことんおつむの弱ぇお嬢ちゃんだなァ。
任務遂行に卑怯もクソもねぇんだよ。阿呆が。
警戒を解いた方が悪い。騙された方が悪い。罠に気付かなかった方が悪い。
悪いのは全部お前らだ」
「……っ」
言い返せない。目が潤む。
瞬きしたら涙が零れてしまいそうで、それでも目を逸らすのが悔しくて、あたしはスキンヘッドを睨み付けた。
- 332 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/06(水) 10:47:23.33 ID:oe4nAmUo
- 「怖ぇ怖ぇ。そうガン飛ばすなや。
そういやあいつもヒナタちゃんと似たようなこと言ってたなァ。思い出したぜ。
この街に格闘道場ってむさ苦しい道場があるだろ? 俺は昔そこに通ってたのさ。
ポケモンで傷害事件起こして破門されるまでな、ヒャハハハ」
スキンヘッドはあたしたちのボールでジャグリングしながら言った。
「師範代は昔気質のくだらねえ野郎だった。礼節を重んじてなんになるってんだ。
格闘ポケモンで気に入らねえ奴をぶちのめして何が悪い。
兄弟弟子どもはこぞって俺のことを侮蔑しやがったが、誰一人俺に敵わなかった。
弱ぇんだよ。覚悟が足りてねぇんだ。
だからあと一歩のところで加減する。俺から言わせりゃただの腰抜けだ。
傷害事件さえ起こさなけりゃ、今頃俺は師範代を超えてただろうなァ」
「……破門して正解だったってことね。
あんたみたいなのが師範代になったら、格闘道場はめちゃくちゃよ」
スキンヘッドはあたしの挑発には乗らずに、ふっと真面目な顔になって、
「でも今は牢獄にぶち込まれて良かったと思ってる。俺はシステムに救われたんだ」
「システムに救われたって、どういうこと?」
「おっと、喋りすぎちまったなァ。またあのヤブ医者に叱られる。
さぁ、静かにレセプションの続きを見ようぜ」
- 333 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/06(水) 11:18:04.84 ID:oe4nAmUo
- ―――――――
――――
――
空調ダクトに潜んでから約一時間後。
ルアーボール、ムーンボール、ヘビーボール、スピードボール。
新型ボールのプレゼンテーションは恙なく進行し、デプログラムはいっこうにその効力を発揮する気配がない。
不安になってきた僕をよそに、真下のモニターからは、最後のプレゼンテーションを始めるアナウンスが聞こえてくる。
プレゼン方式は各開発部門のトップが成果を発表するというもので、都合、壇上の人間はボール毎に入れ替わることになる。
そして次に壇上に上がり、マイクを取ったらしい人間の声に、僕は戦慄した。
「ご紹介に与りました、ハギノです」
ハギノ。
オツキミヤマにおけるピッピ乱獲およびカントー発電所占拠の中心的人物。
システム幹部が何故ここにいる?
システム最高指導者たる管理者がレセプションの参加者に紛れている以上、
その護衛がついていることは予測の範疇だったが、
まさか"シルフカンパニーの人間"が直接システムに属していたなんて――。
- 335 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/06(水) 11:43:18.05 ID:oe4nAmUo
- 「さて、お集まりいただいた皆様方には恐縮ですが、
新型ボールについて説明する前に、一つ、閑話をお許しいただきたい」
ハギノは自身に満ちた声で語る。
「近年、ポケットモンスターの生態に変化が生じていることはご存じでしょうか。
ええ、ええ、はい。その通りです。今そちらのご婦人が仰られたように、
新種のポケモンが続々と発見され、旧種のポケモンの棲息圏と交わっていることも『変化』の一因です。
しかし私が言いたいのは、既存ポケモンにおいて、突然変異種の発生や、
修得する技の規則性に乱れが生じている、ということなのです。
これはまだ第三者的な調査団体の裏付けを得ていない情報ですが、私は確信しています。
疑いの眼を捨てきれない方も、この場には勿論いらっしゃることでしょう。
そのため、私はこの場に、証拠を用意しました」
参加者の響めきが聞こえてくる。
ハギノが用意した物を、モニターを正面から見られない僕のために、社員が代弁してくれた。
「すごいな。ピッピとピクシーだ」
「かわいい〜」
「いやいや、そんなことを言ってる場合じゃないだろう。
もし暴れて場内の人間に危険が及んだらどうする?」
- 336 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/06(水) 11:57:27.78 ID:oe4nAmUo
- ハギノは朗々と響き渡る声で言った。
「場内の皆様、どうかご安心を。
優秀なエスパーポケモンで何重にも防護壁を張っております故、危険は一切ありません」
コンコン、とガラスを叩くような音がした後に、
「ほら、このように」
響めきが収まる。ハギノは言った。
「……よろしいですかな。それでは御覧に入れましょう」
- 340 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/06(水) 18:38:54.93 ID:oe4nAmUo
- ―――――――
――――
―――
「………よろしいですかな。それでは御覧に入れましょう」
信じられない。
あの男が、ハギノが組織の人間としてシルフカンパニーと癒着していることは、ずっと前から予測できていた。
それが、こんな風に裏切られるなんて。
「どうした? 急に顔色が変わったなァ、ヒナタちゃん?」
TVに映るハギノの胸には、紛れもないシルフカンパニーの社員証があった。
「タイチ、分かる?」
タイチは苦しそうに身を捩って答えた。
「あぁ……あのオッサンだな……」
「なんだお前ら、ハギノさんのこと知ってるのか?」
驚いた様子のスキンヘッドに、
「どうして犯罪者が壇上に上ってるの?」
真顔で尋ねると、
「ヒャハハ、あの人もえらい言われようだな。
何故って、あの人があの地位にいるに足る資格を持ってるからさ。
俺たちはみーんな表の顔と裏の顔を持ってるんだよ。
ついでに言っておいてやるが、ここを出てから告発しようなんて考えは捨てた方がいいぜぇ。
ガキの言うことなんざシステムに簡単に揉み消されるんだからよォ」
スキンヘッドはせせら笑い、TVに視線を向け直した。
上司の"表"の仕事ぶりを見届けるつもりのようだった。
TVの中でハギノは、ピッピ二匹とピクシー二匹を目の前にして、エーフィを召喚した。
抗う意思を棄てていた四匹が、ハギノとエーフィを睨み付ける。
緊張した場内の空気を、
「この通り、私は彼らにすっかり嫌われているのです」
即興のジョークで緩めながら、ハギノはエーフィの耳と耳の間を撫でた。
きっとそれは、ハギノとエーフィの間でのみ通じる合図だったのだろう、
左端に居たピッピが「ピィッ」と小さな悲鳴を上げ、次の瞬間には"ゆびをふる"を発動していた。
ぶわっ、とピッピの体から白い胞子が舞い上がり、しかしそれらは場内に拡散することなく、無色透明の檻の中で、澱のように降り積もる。
ピッピは眠ってしまった。
「自分の技で眠っていては世話がありませんな」
再びジョークで場内を沸かせながら、ハギノは不意に表情を切り替えて言った。
- 341 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/06(水) 19:11:27.22 ID:oe4nAmUo
- 「聡明な参加者なら既にお気づきでしょうが、
今"指をふる"を発動したピッピは、本来その技を習得できるレベルに、まだ達していないのです。
続いて、こちらを御覧いただきたい」
ハギノがエーフィの頭を撫でる。
今度は左端から二番目、大人に成長したピクシーが小さな悲鳴を上げて、ハギノに飛びかかろうとする。
それであたしは確信した。
エーフィが念力等の視認できない技を使って、ピッピやピクシーを刺激していることを。
「危ないところでした」
ハギノは余裕の笑みを浮かべて言った。
ピクシーの拳は透明の壁に遮られ、そこを中心としてピクシーを囲むような直方体の氷の檻を作っていた。
「シルフカンパニーのトレーナーが優秀で助かりました。
ピクシーの"冷凍パンチ"もリフレクターと光の壁の重ねかけには敵わなかったようです。
……連れて行け」
袖から現れたトレーナーとケーシィ二匹が、
"指をふる"を発動させたピッピと"冷凍パンチ"を発動したピクシーの透明な檻に寄り添い、一瞬で壇上から消失する。
鮮やかな"テレポート"だった。そこで場内カメラは別視点に切り替わり、レセプション参加者を映し出した。
みんな、見せ物をみるような愉快げな表情で、壇上に視線を注いでいる。
「異常だな」
タイチの呟きに、あたしは全面的に同意だった。
- 342 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/06(水) 19:50:11.81 ID:oe4nAmUo
- カメラは再び壇上を映し出した。ハギノは言った。
「ピクシーが"冷凍パンチ"を使う。
もしそのピクシーが裕福なトレーナーによって育てられているのなら、なんら不思議のない光景です。
技マシンを使用することにより、ノーマルタイプのポケモンは特殊タイプの技を使うことができるようになるのですから。
しかし、先程テレポートでこの場を去ったピクシーが、捕まえられてからそのまま手の付けられていないポケモンだとしたら、どうでしょう」
有り得ない――参加者の一人の発言に、ハギノは即答した。
「有り得るのです。
事実、技の規則性は破壊され、本来自然には覚えないとされる技を、
先天的に修得しているポケモンは、この世界に存在している。
そこで私は問題提起したいと思います。何故このような事態が起りつつあるのか、と」
場内がざわめく。
ハギノの問題提起について高説を垂れるかに思えたスキンヘッドは、
さっきからずっと、あたしのモンスターボールを掌にのせて、冷や汗をかいていた。
「なぁオイ。お嬢ちゃんのピッピはいつもこんな風なのか?」
「こんな風ってどういうこと?」
「TVでピッピとピクシーの見せ物が始まってからずっとボールが震えてんだよ。
まさか同族が虐められて怒ってんのか?ヒャハ―――」
馬鹿笑いが虚空に消える。モンスターボールが勝手に開いていた。
「ピッピ!!」
あたしの呼びかけを無視して、ピッピがTVに飛びつき、跳ね返って床に転がる。
それを何度か繰り返した頃には、スキンヘッドは平静を取り戻していた。
「びびらせんじゃねぇよ、クズが」
エビワラーの拳がピッピを捉える。
ピッピは壁に叩きつけられたあと、コロコロと転がり、あたしとタイチの間でぐったりと眼を閉じた。
眼の端には涙の跡があった。
――レセプションで見せ物にされているピッピやピクシーの中に、あたしのピッピのお父さんやお母さんがいるのかもしれない。
当たって欲しくなかった予感は、当たっていた。
- 370 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/05/09(土) 01:22:33.02 ID:zc9Uffko
- ―――――――――
―――――
――
「そこで私は問題提起したいと思います。何故このような事態が起りつつあるのか、と」
ハギノはその問題提起に対応する答えを持っているのだろうか。
オツキミヤマで出会ったピッピは、一般に定義されているレベルに満たないのに、"指をふる"を発動することができた。
僕はその事実に驚きながらも、真剣に謎解きに取り組もうとは思わなかった。
何千、何万分の一という確率で起こりうる突然変異種だと、安易な推量に満足していたのだ。
しかしハギノはそれが普遍化しつつあることを証明してみせた。
「ポケモンの能力に変化をきたす新型ウイルスの所為じゃないかな」
「そんなの有り得ないわよ。どこかのお金持ちが道楽で技マシンを野生ポケモンに与えてるんじゃないかしら」
「環境ホルモンが原因だって、絶対」
僕の真下で舌鋒鋭く論議するシルフ社員とは対照的に、
モニターの中にいる参加者が意見を述べる気配は無かった。
無知が露呈することを怖れているのかもしれない。
一分ほどの間をおいて、ハギノの声が聞こえてくる。
「答えに複雑なロジックはありません。自然科学の範疇で語ることのできる、実に単純な理由です。
いいですか。ポケモンのみならず私たち人間にも与えられている、高等生物の特権、『進化』です。
ここで注意されたいのは、私が指しているのが急激な外見の変化を伴うポケモン固有の『進化』ではなく、
環境に適応し、絶滅の危機から逃れるために行われる遺伝的、本能的な『進化』だということです。
オツキミヤマに棲息していたピッピやピクシーは、昨今の生態を顧みない過剰な捕獲によって、急激に数を減らしていた。
妖精ポケモンという二つ名の通り、一般トレーナーが遭遇できる確率は低いが、発見されたが最後、自己防衛能力の低さからほぼ確実に捕獲される。
逃げ延びるためには、生物として1ランク上の段階に進むしかない。
かくしてピッピは先天的に高レベルの技を覚え、ノーマルタイプであるはずのピクシーが特殊系統の技を習得できるようになった。
私はそう考えているのです。
ポケモン協会が発表している最新のデータでは、ピッピ、ピクシーの個体数は安定していることが証明されています。
以前は不等式で示される関係にあった繁殖数と捕獲数も、今では等式に書き換えることができるようになりました」
- 377 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/09(土) 14:26:01.85 ID:zc9Uffko
- おぉ、と場内から感嘆の声が上がる。
しかし、ハギノの演説に全ての参加者が靡いたわけではなかった。
「広義における進化とは、生物が世代を経るにつれて次第に変化し、
適応を高度化、およびその種類を増加させることだ。
環境を変容させる急激な変化が起きた場合、大抵の生物は適応が追いつかずに絶滅する。
オツキミヤマのピッピやピクシーが減少し始めたのはなにも数千、数百年前の話ではない。
この数十年で新たな能力を目覚めさせたというのならば、それは最早進化ではない」
――自己防衛本能の暴走だ。
男の声に、ハギノは臆した様子もなく答えた。
「ご明察、ありがとうございます。おかげで私の台詞が省けました。
その方が仰ったように、絶滅に瀕した生物の対抗策として、ポケモンのそれには眼を瞠るものがあります。
そして問題なのは、これが愛らしく大人しいピッピに限った反応ではない、ということです」
そこで一拍間をおいてから、
「新資源の開発、建築、道路事業の発展に新たな土地は不可欠です。
しかしそれらの事業に携わる者を悩ませているのが、野生ポケモンの存在です。
実際、この場にも彼らに着工を阻害され、辛酸を舐めさせられた方がおられることでしょう。
もし仮に彼らの防衛本能が、生活圏を侵そうとする我々人類に対して目覚めつつあるとすれば、
それは我々人類の発展にとって大きな憂患となり得る。
我々の常識を越えた能力を持つポケモンが、縄張りを奪い返すために人を襲う。
恐ろしいことです」
- 395 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/05/11(月) 20:18:11.53 ID:muktka2o
- 気取った声がハギノを野次る。
「世迷い言を。ポケモンは所詮ポケモンだ。
人類の繁栄を補いこそすれ、それを妨げるなど有り得ない。
それよりも、私は新型モンスターボールの発表を聞くために遠路遙々やってきたのだが?
この長すぎる前座に意味はあるのか?」
「大いにあります。もし前述した仮定が現実のものとなるのならば、
我々はそれに対抗する術を持たなくてはならない。
飼い慣らしたポケモンが野生ポケモンを駆逐できるうちは危機感もないでしょうが、それでも保険を用意しておいて損はないでしょう。
そして我々が開発した新型ボール――BWボールはまさにその保険になりうると、私は確信しているのです」
- 399 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/11(月) 20:41:44.60 ID:muktka2o
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――コンコン。
外側から堅く閉ざされた扉がノックされたのは、
丁度ハギノが新型ボールの名前を告げた、その瞬間だった。
スキンヘッドがTVを消して立ち上がる。
「誰だァ?レセプションが終わるまでここには誰も来ないはずだが……」
BWボールのBとWの意味を考えていたあたしは、
すぐに考えることをやめて、来訪者の反応に耳を澄ませた。
「タイチ」
小声で呼びかけて、
「ああ」
目配せする。誰かは分からないけど、助けが来たのかも知れない。
胸に希望の光が灯りかけていた。
タイチがエビワラ―から受けたダメージは、時間の経過である程度は回復しているはず。
モンスターボールの収納機能を壊してしまったピッピも、
それ以来、金属製の拘束具で両手の動きを封じられているけど、体当たりくらいならできると信じたい。
けれど、扉の向こうから聞こえてきたのは、
「上からの伝達だ。扉を開けろ。
ガキ共に盗み聞きされたくないのでな」
あたしたちの希望に蓋をする、無情な声だった。
- 400 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/11(月) 21:14:33.37 ID:muktka2o
- 「へいへいっと」
あたしはせめてドアの開かれる瞬間に、
体の小さなピッピだけでも逃げられないかと考えたけど、
ピッピは肉体的にも精神的にも傷ついていて、あたしの意図を読み取ってくれなかった。
スキンヘッドがドアノブに手をかける。
「で、上からの伝達ってのは―――」
扉の隙間から姿を覗かせた偽医者の頭には、何故かハクリュウが浅く牙を突き立てていて。
「ご機嫌よう」
その背後から現れた黒髪の美女が、妖艶な微笑を浮かべて言った。
「二人を返してもらえるかしら?」
「エ、エビワラー!!」
顔面を引き攣らせたスキンヘッドが叫ぶ。すかさずエビワラーが美女とスキンヘッドの間に飛び込み、
「"噛み砕く"」
次の瞬間には、拳をワニノコの鋭利な歯に噛み砕かれていた。
黒髪の美女は屈み込み、足許で待機していたパウワウに告げた。
「"冷凍ビーム"」
激痛に悶えているエビワラーにそれが躱せるはずもなく、瞬く間に氷の像が一体できあがる。
- 425 名前: ◆ihjpPTk9ic 投稿日:2009/05/13(水) 18:31:39.10 ID:76rTSl.o
- スキンヘッドの手がベルトを探ったところを、間断なくワニノコが"水鉄砲"で狙い撃つ。
ボールが部屋のあちこちに散らばる。
水に押されて尻餅をついたスキンヘッドは、その姿勢のまま後ずさり、やがて壁に行き当たって震え始めた。
「待て、待てよおい、なァ、まさか無抵抗の相手に攻撃したりしねえよな?
俺の手許にはもう一つもボールがねえんだ。分かるだろ?
防衛手段のない人間相手にポケモンで攻撃するのは重罪なんだぜ、
ヒャハハ、ハハ、あんた犯罪者になりてえのか、違うだろ、なあ、やめろ、」
「黙りなさい。見苦しいわよ、あなた」
黒髪の美女はハクリューの鰭を撫でながら、
「"破壊光線"で終わらせてあげる」
事実上の死刑を宣告した。
ハクリューの正面に光の粒子が収斂していく。
そうして次の瞬間、
「なーんてね?」
黒髪の美女は高貴な雰囲気を自らぶち壊し、カエデの表情を覗かせた。
あまりの恐怖のために気を失ったらしいスキンヘッドを指さして、
「騙されてやんのぉー、この子が"破壊光線"撃てるわけないしー、こんなとこで撃ったらビル壊れちゃうしー」と嘲笑したのち、
無言であたしたちの方に近づいてくるカエデ。
「カエデ……」
「……どうしてここに?」
カエデはタイチの質問を聞き流して、
「二人とも、怪我はない?」
二人揃って頷く。
手首に何か触れたような気がしたかと思うと、両手の自由が利くようになっていた。
ワニノコのおかげだった。噛み切られたプラスチック式手錠を払い落としつつ立ち上がる。
タイチも普通に動ける程度には回復しているようだった。
- 430 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/13(水) 18:55:14.81 ID:76rTSl.o
- 「迎えにいけなくて悪かった。
エアームドの翼が折れて、それが中々完治しなくて……」
「いいのいいの。あたし、タイチくんのこと信じてたから。
何かトラブルがあって、その所為ですぐに迎えにこられなくなったんだろうなあって。
だから全然気にしないで。ね?」
天使の微笑みを浮かべてそう言った次の刹那に、
タイチの死角で悪魔の形相を浮かべたカエデがあたしにだけ聞こえる声で囁く。
「な に も な か っ たん で し ょ う ね ?」
「え?」
「あ た し の い な い 間 に タ イ チ く ん と の 間 に 何 も な か っ た ん で し ょ う ね ?」
きゅっ、と心臓が痛む。
もしも、不可抗力とはいえ、ポケモンセンターで数日夜を共にしたことを告白したら、
カエデは躊躇いなく"破壊光線"をあたしに見舞うに違いない。カエデ自ら。
「カエデが心配するようなことは何もなかったわ」
「ホントに?」
「本当よ」
「ホントのホントに?」
タイチの言うことは素直に信じられても従妹のあたしの言うことは信じられないわけね……。
あたしは項垂れて言った。
「だから、本当だってば」
「抜け駆けは許さないんだから」
「抜け駆けって……」
あたしにはそんな気ないわ。そう言おうとしたのに、何故か声にならなかった。
- 432 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/13(水) 20:11:12.74 ID:76rTSl.o
- 「と、ところで、カエデはどうやってここに来ることができたの?」
「そもそもどうやってヤマブキシティに来たんだ? まさか一人で歩いてきたのか?」
「んーっとね、ママと一緒に来たの」
「アヤメおばさまと? どこで合流したの?」
「タイチくんが来るのを待ってる間、退屈だったからデパートに通ってたんだけど、
偶然、そこでママとサクラ叔母さんを見かけてー、
しかも二人ともヤマブキシティに向かう途中の寄り道だって言うから、もうビックリよ。
ヒナタとはぐれた事情は暈かして、ヤマブキまで一緒に連れて行ってって頼んだの。
タイチくんと行き違いになるのが怖かったけど」
「ちょっと待ってくれ。確かカエデのお母さんてハナダジムのリーダーだったよな?
ジムを休んでまでヤマブキシティに来た理由は何なんだ?」
これよ、と床を指さすカエデ。
意味の分からなかったらしいタイチの代わりに、あたしが言った。
「このレセプションに、アヤメおばさまも参加しているのね?」
カエデが頷く。
新型モンスターボールの発表会には各界の著名人が多数参加する。
そこにポケモントレーナーの象徴とも言えるジムリーダーが招待されていると、どうして考え到らなかったんだろう。
「なあカエデ、ジムリーダーが招待されてるってことは、もしかして俺の親父も――」
カエデは分かり易く肩を落としていった。
「探したけど見つからなかったわ。多分、来てないと思う。
参加は強制じゃないから、ジムの仕事を優先したければ、来なくてもいいの」
「ということはエリカさんも……」
「来てないでしょうねー。ジムと会社の仕事で手一杯のエリカさんが、タマムシシティを離れられるとは思えないし。
その点、うちのママは小旅行大好きだから、大喜びで招待を受けたみたい」
- 434 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/13(水) 20:34:24.51 ID:76rTSl.o
- あたしは不意に、あたしやタイチよりも早くヤマブキシティに旅立ったタケシさんのことを思い出した。
もしかすると、タケシさんもこのレセプションに参加していたのかもしれない。
余裕のなかったあたしやタイチが気付かなかっただけで……。
けど、その想像が正しいとして、タケシさんはどうしてそれをリュウジに教えなかったんだろう。
あたしはその小さな疑問を胸に仕舞いつつ、カエデに尋ねた。
「ヤマブキシティに着いたのはいつ?」
「たしか三、四日前、だったわね」
「どうしてすぐにあたしたちと合流してくれなかったの?」
こうしてカエデに助けてもらえたのは別行動していたが故だけど、
何故、ヤマブキシティに着いた段階で連絡してくれなかったのか、分からなかった。
カエデは憤慨して言った。
「しなかったんじゃないってば。出来なかったの。
あんたとタイチくんがポケモンセンターにいるのは予想がついてたんだけど、
いかんせん、この大都会には馬鹿みたいにポケモンセンターが充実してるでしょ?
手当たり次第、電話で宿泊記録に二人の名前があるかどうか聞いてみたんだけど、
個人情報がどうとかで教えてくれなくて、為す術ナシ。
超絶鬱に浸ってたら、サクラ叔母さんがやってきて、
自分の代わりにママの付き添いでレセプションに参加する?って言ってくれたの。
サクラ叔母さん、あたしには超優しいのよねー。
このドレスもサクラ叔母さんに借りたの」
似合うでしょ?とカエデが華麗にターンする。
インディゴブルーのショートドレスが翻り、それに合わせるように、黒髪が流れる。
- 438 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/13(水) 21:14:12.81 ID:76rTSl.o
- けれど一周したカエデの表情には、ほんの少しの翳りが見えた。
「ママには反対されたんだけどね」
温厚で優しいアヤメおばさまが、カエデの同伴を拒むとは思えなかった。
「どうして?」
「さあ。あたしみたいな小娘に社交場は早いとでも思ったんじゃないかしら。
まあ、最終的にはサクラ叔母さんが説得してくれて、何とかなったけど……」
「ほらよ、ヒナタ」
ボールを選別していたタイチが、あたしの分を放る。
そして自分の分をベルトに装着しながら、
「カエデはどうして俺たちがここに閉じ込められていることが分かったんだ?」
「それは、ヒナタがあたしの名前を勝手に使ってたから」
「どういうこと?」
カエデは不愉快そうに眼を細めて言った。
「レセプション開始のアナウンスが流れる前のことよ。
あたしに寄ってくる男のほとんどが、あたしの名前を聞いた後にこう言うの。
つい先刻、奇しくもあなたと同じ名前の女性と話をしてきてところです、って。
偽名使うならもっとありふれた名前使いなさいよね、馬鹿ヒナタ」
「ご、ごめんなさい」
「とにかく、それの所為であたしは、もしかしたらこの場にヒナタとタイチくんがいるかも、って期待して、ずっと場内に視線を走らせてたわけ。
そしたら証明が暗転した直後に、会場から出て行こうとする人影が二つ見えたから、思わずその後を追ったの。
二人の知り合いだって言ったらボーイはすぐに医務室があるフロアまで案内してくれたわ。
でも、そこからが問題。医務室に来たはいいけど、どこにも二人の姿がないの。
お医者さんに聞いても誰も来てないって言うし、あたしは一旦そこで引き下がったの。
あたしの見当違いで、二人は全くの別人かもしれないとも思ったわ。
でも、考えれば考えるほど、あの医務室が怪しいように思えてきて――」
ハクリューにかぶりつかせたの、とカエデは小悪魔的な笑みを浮かべた。
- 439 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/13(水) 21:32:09.93 ID:76rTSl.o
- かぶりつかせた?
大胆、なんてレベルじゃない。
結果的に勘は当たっていたから良かったけど……。
もし外れていたらどうお詫びするつもりだったのかしら。
「カエデらしいな」
「でしょでしょ。
ところでタイチくんとヒナタはどうやってレセプションに参加したの?」
「それは、」
話せば長くなるからまた後で、とあたしが言おうとしたとき、
「がうがう……」
ワニノコが困り果てた様子で主を呼んだ。
ピッピの両手の自由を奪っている拘束具は頑丈で、ワニノコの鋭い歯も通用しないようだった。
- 441 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/13(水) 22:10:14.52 ID:76rTSl.o
- 「鍵は?」とカエデが言った。
「あいつが持ってるかも」
タイチがスキンヘッドに近づこうとしたその時、
「ヒャ、ヒャハハ……ハ……」
スキンヘッドが眼を覚ました。
「抵抗したら容赦なく攻撃するから。本気よ」
「お前のボールの開閉機構は潰してある」
スキンヘッドはさっきのように取り乱さなかった。
背中を壁に預けたまま、狂ったように笑っていた。
「鍵はどこ?」
「ヒャハ、ハハ、ねえよ、ンなもん」
「本当のことを言って」
「初めからねえんだよ、ヒャハ、どうしても外したきゃ、力任せに壊すしかねぇ。
拘束具の中の腕がどうなるかは知らねえけどなァ、ヒャハハ」
「この野郎……!!」
「タイチ! 待って!」
「ヒナタ、でも、」
「こいつの言うことに乗せられちゃダメ」
冷静になれば、解決策が思い浮かぶはず。
「ぴぃ」
弱々しい声であたしを呼ぶピッピ。
閃きは意外と早く訪れた。
「ピッピ、"小さくなる"のよ」
「ヒャハハ、そいつはやめとけ。俺もグロい光景は見たくねェからな」
そしてその分、その閃きは一瞬で消えてしまった。
「小さくなれば拘束具を抜け出せると考えたのかもしれねェが、
残念ながらそいつはポケモンのサイズに合わせて締まるように出来てる。
加えて、一度締まったが最後、広がることは二度とねぇ。
"小さくなる"を解除した時にどんな悲惨なことになるか想像してみやがれ」
- 443 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/13(水) 22:47:29.71 ID:76rTSl.o
- 閃光。
空気が揺らめく。
空調が存在理由を失うほどに、熱気が部屋に充満する。
バクフーンを従えて、タイチはスキンヘッドに歩み寄った。
「拘束具を外す方法を教えろ」
「脅しのつもりか? 坊やがどれだけ粋がったところで、
ねぇものはねぇし、外せねぇものは外せねぇんだ。諦めな」
「……ッ」
あたしは自分の無力さを呪った。
ピッピはあれから泣きもしなければ暴れもしないけど、心の内の葛藤は計り知れない。
自分のお父さんやお母さんが、すぐ近くで弄ばれて、苦しんでいるのに、
自分は拘束具に囚われて、しかもそれが外れる見込みがない。そんな状況にいるピッピに、あたしは何もしてあげることができない。
カエデがピッピの拘束具に触れて言った。
「外から壊すのもダメ、小さくなって抜けるのもダメ、
内側から壊せばピッピの腕は無事で済むけど、自力で外すのはピッピの力じゃ不可能よね……」
その時、あたしの意識裡にチラつくものがあった。
拘束具は小さいながらにも頑丈で、普通のピッピの腕力で壊せるような代物じゃない。
でも、その腕力を、延いては身体能力を増大させることが出来れば、
想定以上の負荷を与えて拘束具を壊せることができるのではないか。
あたしはバッグを探って、奥の方から目当ての物を取り出した。
タブレットケースはバクフーンの炎を反射して、目映い橙色に輝いていた。
- 483 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/16(土) 11:02:28.18 ID:nBdE5oMo
- 「ヒナタ、それってまさか……!!」
カエデはすぐにこれが何なのか気付いたようだった。
「どうしてあんたがそれを持ってるのよ!?」
「あの後、バッグの中を見たら、入ってたの。
あの男の人、詐欺師じゃなかったみたい」
「どうして黙ってたの?」
「だってカエデが知ったら捨てられると思ったから……」
タマムシシティの路地裏であの男の人と対峙したとき、
カエデは禁止薬物に対して、嫌悪感をむき出しにしていた記憶がある。
実は薬をもらっていたことを告白したら、
「偽物かもしれない」だの「法に触れるからダメ」だのなんだの言われて、処分されそうで嫌だった。
「あんたねー、手に入っちゃったモンを捨てろなんてあたしは言わないわよ。
むしろあの時の二万が無駄にならなくて良かったわねって喜ぶに決まってるじゃない」
「すまん、話の内容が見えないんだが」
「あ、タイチくん置いてきぼりにしてた。
話すと長くなるから入手した事情は割愛するけどー、実はこの子が持ってるこれ、タウリンとリゾチウムなの」
- 487 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/16(土) 13:01:27.64 ID:nBdE5oMo
- 「マジなのか?
そういう薬物はもう何年も前に生産が中止されてるはずだ。
なんでヒナタがそれを……って、事情は聞いちゃダメなんだったな」
あたしはピッピの近くに屈み込んで、
「今はこれが合法か違法かなんてどうでもいい。
ピッピ、よく聞いて?」
「ぴぃ?」
「この注射を打つことで、その錠を自力で外せるだけの力があなたに備わるかもしれないの。
痛いけど、我慢できる?」
「……ぴぃっ」
ピッピは大きく頷いた。
あたしはタブレットケースから注射器を取り出して――、
「ちょっと待って、ヒナタ。
あんた注射の経験あるの?打たれる方じゃなくて、打つ方の」
「あ」
「あ、じゃないわよ。どうせあんたの知識なんて、打つ前に針の中の空気を抜いておく、くらいでしょ」
図星だった。
「ちょっと待ってなさい」
カエデはおもむろに泡を吹いて倒れていた偽医者をたたき起こし、
「あんた、一応は医者なのよねえ?」
「ふぁ、ふぁい?」
「注射器くらい扱えるかって聞いてんの!」
「で、できる。できます!」
その手にタウリンがたっぷり詰まった注射器を握らせた。
- 490 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/16(土) 13:27:53.92 ID:nBdE5oMo
- 「血管外したら承知しないから」
冷や汗を垂れ流して震える男とは対照的に、ピッピはじっと目を瞑り、注射針が皮膚を貫くその時を待っていた。
オツキミヤマで出会った頃のこの子なら、大泣きして暴れていたんだろうなと思うと、成長したピッピが嬉しい反面、少し寂しくもあった。
針がピッピの皮膚に埋没し、ピストンが押し込まれ、薬液がゆっくりと注入されていく。
「よ、よし。終わったぞ」
「どうもありがとう」
カエデが一瞬、この部屋にやってきた時と同じような妖艶な笑みを浮かべて、
「ぐふっ」
偽医者を昏倒させる。
あたしはピッピに尋ねた。
「どう? 体に変化はない?」
「ぴぃ……?」
外見は繕っていても、本当は痛かったのだろう、
目の端っこに浮かんだ涙を見て、抱きしめたくなる気持ちをあたしはなんとか押さえ込みつつ、
「こう、なんというか、内側から力が溢れてくるような感じはしない?」
「流石に気が早すぎないか。タウリンのことは俺もよく知らねえけどさ、
注射してすぐに効き目が現れたりはしないだろうよ」
「そ、そうよね」
ピッピは今しばらく、この錠に行動を制限されることになる。
カエデが明るい調子で言った。
「とにかく、いったんここを出ましょ?
あのハゲとこのおっさんにはもう何も用がないし」
「そうだな。増援がこないとも限らない」
あたしはピッピを抱え上げた。
そして踵を返し、ドアに手をかけた瞬間、
「ヒャハハ、この時を待ってたんだ。
てめえらが俺に背を向ける、この時をよォ!!」
乾いた炸裂音があたしの耳朶を震わせた。
- 493 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/16(土) 13:54:23.39 ID:nBdE5oMo
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「お前、あんなのが開発されてること、知ってたか」
「いいや……初耳だ」
僕の真下でモニターを眺めている社員が呟く。
テクニカルタームが八割を占めるおおよそ来場者の理解を求めているように聞こえないハギノの説明が終了し、モニター内の聴衆は緘黙していた。
BrainWashingボール。それがBWボールの正式名称だった。
動物とポケモンを隔てる主因たる『特殊能力』、すなわち『技』を封[ピーーー]る、人間の切り札。
このボールに捕らえられたポケモンはみな闘争本能を失い、人に従順な愛玩動物に成り下がる。
『技』は使えなくなるのではなく、使い方を完全に忘れてしまうだけ。だから洗脳。
それが長広舌の要約だった。
―――ふざけるな。
僕は激情に任せて放電しそうになるのを抑えなければならなかった。
聞いた後でさえこれなのだから、ハギノが語っている間、どれだけ僕の忍耐力が試されたかは語るまでもないだろう。
- 499 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/16(土) 14:29:18.42 ID:nBdE5oMo
- 「それではこのピッピとピクシーを使って、ボールの効力を御覧に入れましょう」
ハギノが朗々と語る間も、デプログラムが発動する気配はない。
僕は失敗したのか?
それともデプログラムに問題があったのか?
デプログラムは動作しているが、電力供給を停止させる時間が未だ訪れていないだけなのか?
サカキは僕に任務を与えたが、その全容は明らかにしなかった。
ブリーフィングの時はあえて尋ねなかったが、それが今となっては惜しい。
僕はさして迷わずに、モニターの声を拾える位置から、先に進むことを決めた。
一つはレセプションが実際に進行している2Fに赴くため。
そしてもう一つは、これからポケモンとしての尊厳を失う二匹の悲鳴を聞くのが、僕にとって耐え難い苦痛になりそうだったからだ。
- 501 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします 投稿日:2009/05/16(土) 14:43:20.69 ID:nBdE5oMo
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銃声にも似たその音は、しかし、銃弾を伴ってはいなかった。
「っう、ぁあぁぁっ、あぁぁあぁぁっ!!」
火薬の匂いと。
スキンヘッドの悶絶と。
ひしゃげた黒い鉄の塊と。
有り得ない方向に折れ曲がった指と。
それらの要素は如実に、スキンヘッドが拳銃を取り出して引き金を引こうとした刹那、
銃身が爆発したことを物語っていた。
「大人しくしてりゃ良かったのにな」
タイチが吐き捨てる。
あたしはスキンヘッドの近くに立ち上る陽炎を見た。
「タイチが守ってくれたの?」
「やったのはバクフーンだけどな。
相手が銃を持ち出したら、火薬の発火点まで銃を温めてやれ、ってカレンさんに教わったんだ。
まさかこんなところで役に立つとは思ってなかったぜ」